tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

国連を生かすことこそ人類社会に必要

2020年01月07日 23時03分23秒 | 国際政治
国連を生かすことこそ人類社会に必要
 アメリカの暴挙から2日がたち、アメリカとイランの間で、報復についての応酬がエスカレートしようという中、タイミングを計ったのでしょか、国連のグテーレス事務総長が、名指しは避けながらも、アメリカ、イラン両国や関係国に「自制を」と呼びかけました。

 グテーレス事務総長は、ことに重大な懸念を持つことを伝え、事態をさらに悪化させないよう最大限の自制を要請し、「戦争を避けることは我々共通の責務」と言っています。
 ここで、我々というのは当然、「国際社会」という事でしょう。

 アメリカ、イランがどう受け取ったかは解りませんが、特に、事を仕掛けたサイドのアメリカは、国連からの発言をどう受け取ったのでしょうか。
 おそらく、アメリカの中にも、この発言を、国際社会からの声として、重く受け止める意見もあるでしょう。

 しかし考えてみれば、この所アメリカの国連軽視は相当なものです。ユネスコからの脱退、分担金の滞納を始め、都合よければ国連決議を使い、都合が悪ければ国連決議を無視するといった状態であることは広く知られています。

 第二次大戦後、国際連盟に替えて、新たに「国際連合:国連」の設立を主導したのはアメリカではなかったでしょうか。
 国際連盟の本部は、永世中立を掲げるスイスのジュネーブにありましたが、国際連合の本部は、アメリカのニューヨークに置くことになりました。

 つまりアメリカは世界の平和と安定のために国連を自ら支え、人類社会のガバナンスを国連の名のもとに実現することを考えていたのでしょう。
 経済ではこの枠組みは「GATT、IMF体制」でした。しかし、これはアメリカの「夢」に終わったようです。経済の面でアメリカが赤字国になり、GATT、IMF体制の維持ができなくなって以来、アメリカの転落が始まったようです。

 アメリカの「夢」自体は正しかったのでしょう、今回のグテーレス国連事務総長の発言は、たとえ形骸化したとはいえ、人類社会のガバナンスを確保するための組織「国連」のあるべき姿を世界に闡明しようとする、まさに志の高い重い発言として、当事者をはじめ人類社会全体から受けとられなければならないものでしょう。

 国連の「権威」は人類社会のあるべき姿を体現するリーダーと、それを明確に理解して従うフォロワーがあって初めて生まれるものなのでしょう。
 かつて人類社会の夢を提示したアメリカが、グテーレス発言をいかに受け取るかが、立派にフォロワーとしての役割を果たすかどうかが、当面する人類社会のの危機の行方を決めるのではないでしょうか。

改めて「争いの文化」と「競いの文化」の違いを考えよう

2020年01月06日 23時32分48秒 | 文化社会
改めて「争いの文化」と「競いの文化」の違いを考えよう
 2017年の「文化の日」に >「争いの文化」と「競いの文化」について書きました。その後、オリンピックの話題などとの関連で、この問題を論じた事も何回かあります。

 そして残念ながら、日本でオリンピックが開催される2020年の新春に至って、改めてこの問題を考えなければならないような事態が起きてしまいました。

 人間はもともと、何らかの形で「他者より優れた存在でありたい」という欲求を持っています。これが人間社会を進歩させてきた原動力でしょう。
 
 勿論、この欲求は、人間、そして人類社会にとって大変大事なものだと思うのですが、その優位性の確立、簡単な言葉でいえば「他者に勝つ」には大きく2つの方法があるように思うのです。
ひとつは「争い」で、もうひとつは「競い」ではないでしょうか。

 ということで、「争いの文化」とは、基本的に、「相手を亡ぼして」あるいは「相手を服従させて」自分の優位を確立する」という文化でしょう。
「競いの文化」の方は基本的に、オリンピックのように「互いに競い合い」自分の目指す能力を伸ばすことで他者に勝つという文化でしょう。

「争いの文化」では、結果的に競う相手がいなくなりますから、そこで進歩は止まり、堕落・衰退につながるのが一般的なのです。
 一方「競いの文化」では、相手は負けますが、捲土重来を期して、次は勝とうと自分の能力を磨き、結果的に切磋琢磨してレベルが向上していくということになります。

 古代ギリシャでは、オリンピックの期間中は戦争は止めるというルールを作り、「競いの文化」を「争いの文化」より高次なものと考えていたのではないでしょうか。

 しかし今、覇権国アメリカがやっていることは、まさに「争いの文化」で、相手を再起不能にするために何をするかが最大の問題になっているようです。

 相手を殺害して自らの手柄とし、報復には更なる破壊(文化遺産まで)を提示して服従をさせるといった「争いの文化」の典型が、偶然にもオリンピックの年に、並行して起きるのが現代社会だとすれば、人類社会は、2000余年前と比べても、進歩どころか退歩しているという事に なるのではないでしょうか。 

アメリカの暴挙:覇権国がトラブルメーカーに

2020年01月05日 00時28分20秒 | 国際政治
アメリカの暴挙:覇権国がトラブルメーカーに
 付加価値の重要性を認識の基本にして経営や経済を論じようというのがこのブログの目指すところですが、今年は新年早々から論じることに嫌気がさすような事件は起きてしまいました。

 ゴーンさんの密出国があったかと思うと、次はアメリカの無人機が、イランの革命防衛隊の司令官を殺害するという事態が発生しました。
 問題の質も、影響する分野も、その大きさも全く違うものですが、 この調子では今年はとんだ年になってしまいそうです。

 地球社会で起きる様々な問題を、人々の自由と平等を正義(justice)の物差しで合理的に調整し、国際社会は平和を大切にし、それによって国内では平穏な日常が保たれ、人類の文化がより高度に発展していく事を楽しむような状態を、大多数の人間は希望しているはずですが、その中で、自分のためか、国などのためか、などなど、いろいろな理由で、社会にトラブルを引き起こす「 トラブルメーカー」は後を絶たないようです。

 特にアメリカの無人機によるイランの革命防衛隊司令官殺害の問題は、アメリカが世界の覇権国であり、その大統領が、「平和のために殺害した」と自らの手柄のように喧伝したのですから、アメリカというか、トランプさんというか、いずれにしても尋常な神経の持ち主ではないのではないかといった疑念を感じてしまいます。

 イランは即座に、それなりの報復をすると明言していますが、対抗上当然でしょう。
 これはアメリカのイランに対する宣戦布告に等しいと言いう意見も出ています。アメリカは口ではそれを否定しているようですが、行動そのものが判断の基準になるということではないでしょうか。

 思い出されるのはかつてのブッシュ大統領による、フセイン政権のイラクに対する侵攻です。アメリカは戦いに勝ったというのでしょうが、専門家によれば、これは結果的にISの誕生につながり、世界にテロ組織を拡散させるという事態を招いたと言われます。

 軍事的侵攻や殺戮、戦争といった手段によって平和を生み出すという事は、基本的に理論矛盾ではないでしょうか。

 アメリカが太平洋戦争で日本に勝ち、その結果、日本が平和な民主主義国に生まれ変わったという例をアメリカは成功体験として記憶しているのかもしれません.

しかし、、日本人から言わせてもらえば、あれが成功したのは、日本人が、戦後、 本来の思考回路を回復し、明治以来の拡張主義を反省、トラブルシューターとしての役割をきっちり果たしたからという、恐らく例外的な現象の結果だったのではないでしょうか。

 トラブルメーカーばかりの世界では、平和などは望むべくもないのではないでしょうか。

2020年、明けまして御目出とう御座います

2020年01月01日 11時03分15秒 | ご挨拶
2020年、明けまして御目出とう御座います
 
 世界、日本、今年はどんな展開になるでしょうか。
 
 アメリカ次第の世界の様相です。
  
 先ずは、トランプさんの再選があるかどうか、アメリカの良識が問われるところでしょう。そして世界が、日本が、それを受けてどうなるのか、どうするのか。

 民主主義国家は、国民の良識が、専制主義国家はリーダーの在り方が問われる大事な年になるような気がしています。

 その上で、何とか、平和で良い年になってくれることを願う所です。
 
 本年もよろしくお願い申し上げます。