tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本人のエネルギーレベル:エネルギー問題に思う

2020年01月25日 22時03分52秒 | 政治
日本人のエネルギーレベル:エネルギー問題に思う
 「世の中に 寝るほど楽はなかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く」などという狂歌があります。 
しかし、現実には、日本人は エネルギーレベルが高く生真面目な気質を持っているように思っています。裏返せば、何かしなければといつも思っていて、何もすることがないとどうも不満足、といった傾向があるのではないでしょうか。

 日本の「働くことは良い事」という文化の源が、縄文時代以来の日本列島の風土のせいか、仏教などの宗教のせいか解りませんが、キリスト教の、「労働」と「出産の苦痛」は同じ言葉「labour」で、原罪を償うために与えられた「罰」という考えとは大分違います。

 ですから、日本人は目的が十分納得出来ればそれを目指して生真面目に働き、成果を出します。これは、日本が諸藩に分かれていた時代には、藩侯のリーダーシップ次第で、藩の経済力など格段に変わるといった実績からも知られます。

 また、江戸時代などを見ても、幕府がタガを締めたときは経済再建に協力し、タガが緩んだときは個人ベースの文化や芸能の面で発展があるといった傾向がみられるようです。

 こう言っては差し障りがあるかも知れませんが、平成という時代、日本が、経済外交の失敗で、経済発展がほとんどストップした中で、個人ベース、庶民社会ベースの食文化、ファッション、アニメなどの映像作品や伝統芸能の歌舞伎など各種芸能分野の発展は広く評価され、世界に浸透する発展を見ていることからも理解できそうです。

 いま、世界各国が経済成長に邁進する中で、日本は残念ながら、かつての元気な発展とは裏腹に、為替環境が改善しても成長を取り戻せない雰囲気になってしまっています。
 何でこんな事になってしまっているのかを考えて見ますと、結局は、日本という国として、今、何をすべきか、国民がよく解らないことに主因があるように思われるのです。

 何がそうさせているのか。政権が、「カジノと改憲」にかまけているからとか、政策より政権維持が本音とか、野党がだらしないとか、いろいろ拝見があります。然し敢えて言えば、政治に国民の意識を収攬する能力がないということに尽きるようです。 
 
 考えてみれば、国の将来の命運を決める「エネルギー問題」について、国民の意識のベクトルが合わせられるような政策目標すら出来ていないといった事も大きな要因ではないかと考えてしまうところです。

 原発に恋々とし、後ろ向きのコストは膨大になり、辻褄を石炭火力に頼ろうとして「化石賞」2年連続で受賞し、国際的に揶揄されるようなことでは情けないと思う人は多いでしょう。

 ここは一番、例えば、「日本は再生可能エネルギーへの完全転換の最短距離を走る」ぐらいの基本政策を立て、国民の合意を得て、そこに日本人のエネルギーを集中させ、国民全体が「苦労はしても人類社会のため」とその意義を認めるような魅力的な政策が出てこないものでしょうか。

 国民共通の目標が出来れば、多分、日本人は、世界が驚くような力を発揮するのではないかと考えても、あながち誤りではないと思うところです。

 そのためには再生可能エネルギー分野や、蓄電技術に徹底した人材と資本の投入を図り、 研究開発費は現状の伸び率ゼロではなく、少なくとも早期の倍増を目指し、原発については世界トップの廃炉技術・ノーハウの確立に邁進するなどなど、本気で取り組めば、地球環境改善のための総合政策が出てくるのではないでしょうか。

 そうしたところに、日本人の高いエネルギーㇾベルが発揮されれば、高い経済成長率や、全世代型社会保障、一億総活躍も、結果として「ついてくる」という事になるのではないかと思っています。