tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

FRBは方針明確化、日銀は?

2017年07月13日 11時30分50秒 | 経済
FRBは方針明確化、日銀は?
 昨7月12日、アメリカではイエレンFRB議長が、いよいよFRBのバランスシートの縮小に進む意向を表明しました。同時に、そのペースはゆっくりで、追加利上げも慎重に判断すると言っています。

 リーマンショックでアメリカ発の世界金融恐慌が発生することを、何としてでも防ごうと、当時のバーナンキ議長が進めた超金融緩和による対応策が、いよいよ後継者のイエレン議長の手で、正常化への回帰の方針が明確にされたという事でしょう。

 バーナンキさんは、金融恐慌は金融緩和で対応可能という理論の信奉者で、徹底した異次元金融緩和をやりました。それで世界の金融恐慌が救われたとは思いませんが、このところアメリカ景気はようやく、シェールオイルなどという援軍も得て、立ち直ってきているようです。

 リ-マンショックは世界中の金融機関にアメリカ債券の暴落で大穴を開け、日本でも金融機関も個人の貯蓄の大損をしましたが、その犠牲の上に、アメリカ経済は早めに回復したようです。

 日本は2013年になってそれに倣い、黒田日銀の異次元金融緩和で、円レートを$1=¥120にまで戻し、経済は陽の目を見るまでになりました。アベノミクス第1の矢でした。
 しかし、その後の2段目、3段目のロケットには点火せず、日本経済は低空飛行を続け、現状は、相も変わらず、金融緩和⇒円安で何とか景気を持たせているとの認識でしょうか。

 マイナス金利導入で躓いてからも、日銀は、相変わらず金融緩和に頼り続け、金融システムの歪みは実体経済に悪影響を及ぼすところまで来ているように思われます。

 イエレンさんは実体経済を重視する労働経済学者だそうですが、確かに実体経済を十分に見ながら、病み上がりのアメリカ経済を、ゆっくりとしてバランスシートの縮小と急がない利上げのペースで、経済活動に従事しる人たちに安心感を与えながら、金融正常化を着実に進める方針のようです。

 日銀は、いつまで 異次元金融緩和を続けるのでしょうか。政府との経済政策の摺り合わせにも問題があるのでしょうか。いずれにしても、巨大になり過ぎ、未だ膨張を続ける日銀のバランススートをどこまで膨張させるのでしょうか。
 続ければ続けるほど、政策転換のショックが大きくなるという声も聞こえます。
 方針の明確化が国民を安心させ、経済活動の指針となるのではないでしょうか。

岩盤規制、規制撤廃、特区制度

2017年07月12日 18時05分33秒 | 政治
岩盤規制、規制撤廃、特区制度
 最近「岩盤規制」などという嫌な言葉がはやります。
 規制というのはルール(規則)と言い換えてもいいのかもしれません。一部の人には多少面倒かもしれませんが、社会全体のためには、ルールを決めルールを守った方が良いという事で成立しているものでしょう。

 典型的なものは交通信号です。信号無視は緊急車両以外には絶対許されません。これを無視したら、どんな事になるか皆知っているからです。
 野球のルールでも、三振はストライク3つ、四球はボール4つと決められています。これにも反対する人はいないようです。長い歴史の中で、この3つと4つがいい、これでこそ野球が面白いと皆んなが知っているからでしょう。

 一方、規制撤廃が正しいという意見もあります。土光臨調以来、規制緩和、規制改革から「規制撤廃」などという主張までされています。

 規制撤廃があり得ないことは交通信号の例からも明らかでしょう。適切な規制が、社会を住みやすいものにしていくのです。

 規制は皆に平等です、規制しないという事は自由にするという事で、これも自由と平等の間のどこかに真理(最も良い場所)があるという問題の一つです。

 勿論、社会の在り方は変わります、進化します。社会を構成する個人の知識レベルも向上します。
 ですから、規制の内容もやり方も、そうした変化に従って、適切に変わっていかなければなりません。

 最近の日本では、政府は、自分たちが作ってきた規制を「岩盤」などと称してそれを破壊することが素晴らしいことのように宣伝しますが、自作自演の喜劇のように見えます。
 国民の意向をよく聞いて、新しい環境に沿った規制に変えていくのは、ごく普通の事なのです。

 特区制度などというのも、そのための1つの手段で、試みて成功なら広げる、失敗ならやらないという事も十分あり得るでしょう。特区というのは試験的にやるという意味でしょう。

 肩ひじ張らずに、自然体で国民の同意を得ながら進めていくのであれば、多くの国民は自分たちの意見が反映されるものと歓迎こそすれ、否やはないでしょう。

 いま起きている「加計」などという問題は、規制緩和、特区制度の活用といった本来の問題とは全く違う次元で起きている問題で、政府の弁明も、違ったものを一緒にしない方がいいように思います。

格差問題、自由と平等の間(まとめ)

2017年07月11日 11時07分44秒 | 社会
格差問題、自由と平等の間(まとめ)
 この所、格差問題を多面的に取り上げてきました。人間の社会では自由を徹底すれば格差は広がり、平等を徹底すれば、つまらない社会になるという事は解っています。

 現実には、平等を徹底しようとした共産主義社会は一握りの超豊な権力者と、貧しい大衆という究極の格差社会となって崩壊したという人類社会の皮肉も指摘しました。

 多分、格差問題は、人類社会が安定的に発展できるか否かを左右する、極めて重要な「基盤」の一つでしょう。
 そして日本人が格差問題に敏感であるという事は素晴らしいことだと思います。

 格差の許容範囲がどの辺りにあるかは、その社会の文化によって違いあります。アメリカンドリームを標榜するアメリカは、格差をある程度認める文化を持って来ました。しかし最近では、トップ1%が50%近い富を保有すると格差拡大が問題視されています。

 権力の格差は民主主義によって、その拡大を防ぐというシステムが選択され、それなりに機能していると思います。
 しかし、民主主義が、自由経済システム(資本主義)と結びついたところから、経済的格差(所得格差、資産格差)の問題が起こっています。人類社会はこの問題にその知恵で賢く対応しなければなりません。

 権力は富の配分に力を持ちますから、民主主義は政治、経済の両方に共通する原則でなければならないでしょう。
 この問題は、国連の場(常任理事会や途上国援助問題など)から、企業内の賃金交渉(産業民主主義)にまで及びます(ほとんどの問題は自由と平等の関係に分解できそうです)。

 如何なる範囲で格差の存在を認めるか?
 自由と平等の間のどの辺りに現実社会の妥協点(自由と平等を止揚した「正義」の範囲があるのか、格差社会化が進んでいると言われる日本でも、国民一人ひとりが、真剣にこの問題を考えていく必要があるようです。

マネー資本主義と格差問題

2017年07月09日 21時42分19秒 | 経済
マネー資本主義と格差問題
 この問題は、このブログの重要テーマでもありますので、これまでもいろいろな角度から 繰り返し問題点を主張してきました。

 結論から先に言ってしまえば、経済というものは、本来、社会を豊かで快適なものにするために、その原資である「付加価値」を創造する活動しているのです。
 それに対して、マネー資本主義というのは、自らは付加価値を創らず、他人の創った付加価値をマネーゲームによって、合法的に自分のものにするという活動です。

 付加価値(国レベルではGDP)の再配分は、税制や社会保障という形で本来政府がやるべき仕事です。その目的は格差社会化を防ぎ、格差をある程度の範囲に押しとどめ(福祉社会化)それによって資本主義が生き延び、共産主義が崩壊した原因となったものです。

 産業社会が生み出した付加価値を再分配する権能は本来政府や、社会が認めた慈善団体などのみが持つべきものなのですが、それを、ファンド(private equity)などという民間企業組織が、産業に「適切に」資本を提供するためと称して、勝手に再配分をしようという動きが「マネー資本主義」といわれている経済活動です。

 マネー資本主義には大きく2つの問題点があるように思います。第一に、これは「カネでカネを儲ける」活動ですから、初期の資本主義のような「強欲な資本」という性格を持っています。
 第二に、カネでカネを儲ける過程で、「生産活動」のプロセスが抜け落ちていることです。言い換えれば、社会全体を豊かで快適にすることとは無関係なのです。

 その手段は、株価、金利、為替レートや、その派生商品(デリバティブズ)を利用する売買で、実体経済とはケタの違う巨額な「想定元本」のマネーゲームを行い、巨大な キャピタルゲインを狙うというものです。

 こうしたマネーゲームは資金力の大きい方が有利ですから、必然的に資本の集中が起き、資産格差の拡大が起きます。
 失敗すれば、リーマンショックのような金融危機が起き、世界中の銀行のバランスシートに穴が開き、投資した庶民の大切な資産は失われます。

 歯に衣着せずに言えば、これは投資の世界ではなく「投機」の世界で、生産活動を伴わない富の移転は、ギャンブルの1つの類型でしょう。

 こうしたファンドのマネージャーたちが巨額の成功報酬を得ることは知られていますが、こうした巨額報酬の一般化が、実業の経営者の報酬の巨額化にもつながるという見方もあります。

 国の手によって行われる福祉社会化(富の再分配)は、格差化を阻止し、より多くの人のためにより住みやすい社会を作ることに貢献していきました。
 一方、マネー資本主義といわれる「生産活動を伴わない」投機資金の 跳梁は、格差社会化の促進要因となります。
 この問題は、今後いろいろな形で、国際的にも論議の対象になると思っています。

「同一労働・同一賃金」と格差問題

2017年07月08日 13時03分36秒 | 労働
「同一労働・同一賃金」と格差問題
 前回指摘しました非正規労働の異常なまでの拡大は、いろいろな形で日本の格差社会化に、深刻な影響を齎しています。

 格差は所得だけではありません、就職氷河期に学業を終えた世代では、新卒定期採用の門が狭く、とりあえず非正規という方が増えました。その結果は、所得格差だけはなく、社会人として、企業人としての教育訓練格差、その結果のキャリア選択上の格差、生活が不安定で結婚できないといった問題、所得格差の長期化の結果の 保有貯蓄額の異常な格差、さらには子供の貧困率の上昇、などなどに拡大しています。

 これに対して、現政権は「働き方改革」の中で「同一労働・同一賃金」を中心概念に置いているようです。
 しかしそこには大きな認識不足があるように思われます。

 同一労働・同一賃金のガイドラインなどで見ると、正規と非正規で同じ仕事をしていたら、同じ賃金を支払うのが当然と考えているようです。
 然しこれは、日本の雇用制度の在り方から見れば、決定的な認識不足によるものという事になるでしょう。

 端的に言えば、正規社員の賃金は「新入社員から定年まで」の長期の雇用を前提とした賃金制度や賃金協定によって決まっています。人事ローテーションもあります。不慣れな仕事についても賃金は変わりません。属人給ですから正社員の賃金は往々仕事と見合っていません。
 
 一方非正規社員は、その時点で、特定の仕事をするために雇用されています。これは欧米流の「その職務をする人を採用する」のと同じです。そしてその賃金は仕事別で、通常地域のマーケットによって決まるのです。

 この2つ、全く違った決定基準を持つ賃金を、偶々、今同じ仕事をしているからその時点で同じにすべしと言ってもそれは不可能でしょう。
 
  もともと非正規社員というのは、正社員のように会社に献身するのではなく、働きたい時だけ、自分のできる仕事をしようという人たち、学生アルバイト、主婦パート、定年再雇用者などだったはずです。

 なのに、長期不況の中で、企業は苦し紛れに正規で働きたい人まで、安い非正規の賃金で雇用したというのが、格差社会をもたらした原因なのです。
 今本当に必要なことは、非正規で働く人は全て、本人が非正規を選んでいる人という本来の状態に戻すことでしょう。いわゆる不本意非正規をなくすることが本当の問題解決策で、これは「賃金問題」ではなく「雇用問題」なのです。

 現政権の掲げる「同一労働・同一賃金」は、日本の雇用の在り方についての基本的な認識不足からきていることを、産業界から、労使双方が声を上げて、特に経営サイドは、「人間中心」という本来の日本的経営に思いをいたし、問題の根本解決に向けた動きを展開すべき時と考えています。

格差拡大の原因:遡ればプラザ合意

2017年07月07日 16時07分43秒 | 経済
格差拡大の原因:遡ればプラザ合意
 これまで書いてきましたように、日本人は格差の拡大を嫌い、格差の拡大にはことのほか敏感で、官も民も格差拡大を防止するようなシステムを作り上げて来ていましたが、ここにきて、格差社会化が進み、社会全体が違和感を感じているようです。

 何故こんなことになってきてしまったのでしょうか。考えてみますと、その原因は、30年余を遡る「 プラザ合意」にありそうです。
 プラザ合意が日本にもたらしたのは、$1=¥240を1=¥120にするという円高によって、日本のコストと物価を「ドル建て」で2倍にするという恐ろしいことでした。

 結果、日本は世界一物価の高い国(ドル建て)になりました。日本製品は海外には売れず、逆に輸入品が一気に入ってくることになりました。経済空洞化、ゼロ・マイナス成長時代への突入です。
 ほぼ2年間でそうなったのですが、その結果、ドル建ての世界経済の中で生きる日本経済は、年々努力して日本の物価とコストを半分に引き下げなければならなくなりました。
 
 勿論コストの中の最大のものは人件費です(DGPの約7割)賃金を下げなければ物価も下げられません。日本企業はどう対応したのでしょうか。
 現にGDP自体、1997年534兆円から2009年489兆円に減少しています。企業で言えば売上高の減少です。これへの対応を迫られたのが現場の企業です。

 勿論賃金の引き下げもありました。しかし、現実には、現在払っている賃金を引き下げるという事は法律上も、労使関係上も難しいことです。
 そこで多くの企業が選んだ道は、雇用の削減、新規採用ストップ、正規社員を減らし、賃金の安い非正規を増やし、平均賃金を下げるという方法でした。

 こうして就職氷河期が来、多くの人が新卒者も含めてまともな仕事がなく、雇用者の10数パーセントだった非正規従業員は40パーセントにまで増えたのです。
 このブログで種々取り上げて来ましたように、こうした現実は、日本の経済社会に大きな歪みをもたらしています。
 その中の、大きな問題の一つが「格差社会化」という事にあるようです。

 今、日本経済は、30年の辛苦の果てに、漸く安定性を取り戻し、経済成長に向かって、進もうとしています。しかし、この歪みを直すのには、まだまだ時間がかかるでしょう。 
 しかし、真面目な日本人は、次第にこの格差社会を改善していくのではないかと私は考えています。

ピケティは格差は拡大するもと言いますが、「しかし日本はその例外だ」と言わせたいものです。

従業員の身分制をやめた戦後の日本企業

2017年07月06日 17時02分39秒 | 経営
従業員の身分制をやめた戦後の日本企業
欧米の経営管理者と労働問題の話しをして、労働組合が企業別に組織されていることや、ブルーカラー、ホワイトカラーも一緒の組合で、賃金制度も一本化されているところが多いなどというと不思議がられます。

 ブルーとホワイトを区別しないからグレーカラーだとか、同じ従業員でもブルーがホワイトになったり、ホワイトがブルーになったりするので、ゼブラカラーだなど言って笑わせます。

 日本がこんなことになっているのは、戦後の日本の経営者が、従業員の身分差別を排して全員「社員」という事にしたからです。
 日本の労務専管団体だった日経連の初代の会長、桜田 武氏は、そのことを誇りにしていました。

 こうして出発した戦後の日本企業は、人間中心の日本的経営を掲げ、世界も驚く成長を遂げました。
 こうした中で作られてきた人事賃金制度は、矢張り、仲間意識、チームワークを重視するもので、必然的に格差の小さいものでした。

 勿論年功賃金の色彩を色濃くもっていましたから、最初は1年先輩にはなかなか追いつけませんが、社内異動を重ね、10年選手ぐらいになりますと職務やポストも変わり、能力主義部分が次第に大きくなります。

 能力により昇進、昇格のスピードが違えば給与の差がつくのは当然ですが、多くの日本企業では、トップと新入社員の賃金の月例給の差は10倍程度のようで、通常、能力や成果と賃金は比例していません。社員の間では、2倍働いて賃金2割増し3倍働いて3割増し、などと言われたりするようですが、これも日本の企業文化の所産でしょう。

 いわゆる生保レディーや一部の販売職のように、能力や成果をそのまま反映させたら、一家のに生活がやっとの人から、タワー億ションに住み高級外車を乗り回す人までの差が出ますが、それは例外的な職種で、一般的ではありません。
 ノーベル賞をもらっても、研究仲間の協力のお蔭というのも日本人だけでしょう。

 前回は、所得税の累進課税を取り上げましたが、企業での所得(賃金)そのもの決定が、日本の場合、もともと格差の少ない仕組みになっていたという事も、日本人、日本社会が、あまり大きな格差を好まないという事の結果のようです。

 こうした日本の良き社会・文化的な在り方を、上手に生かしていくというのも、格差問題を解決するための民間企業の役割ではないでしょうか。

格差拡大を防ぐ民間(企業)の知恵

2017年07月05日 10時44分26秒 | 経営
格差拡大を防ぐ民間(企業)の知恵
 前回、かつて日本の政府はレーガン税制を真似て累進税率のフラット化を進めた状況を見ました。アメリカ型の格差社会が似合わない日本では、さすがに最近是正の必要を言う人が多くなっています。

 次に、資本主義が生き延びた理由とされる福祉社会化と経営者革命(資本家の後退)の内の後者、民間企業の取り組みについて見ていきたいと思います。

 J.バーナムの『 経営者革命』については以前触れましたが、この動きは戦後顕著になりました。創業家が株を保有している場合ても、経営は、その専門職に任せるという形です。
 経営者は、企業の成長発展を目標とし、資本、人間、技術、情報などのいわゆる経営資源を最も効率的に活用することを考えるのが役割です。

 そうした経営理念、経営目標の中でも、企業文化に差が出ます。それは国や地域の社会文化的背景や、経営者自身の考え方によります。
 
 これを賃金格差という視点から見てみますと、欧米は出来高給の伝統があるせいか、その時点での仕事と業績(job and performance)によって支払うという傾向が強く、日本は、チームワーク、全員の協力の力を重視して、賃金を決める傾向が強いようです。

 例えば、業績の落ちた会社で、経営者が交代して業績が回復したような場合、欧米では新しい経営者に巨額な報酬が支払われるようですが、日本では増えるのは役員賞与ぐらいで、業績回復は従業員全体の給与改善に使われます。

 これは、社長が交代したことで従業員全体がよく働いてくれたからだという理解によるものでしょう。従業員が動かなければ、社長一人では何もできないというのが日本人の考え方のようです。

 トップと社員の給与の格差は、アメリカ最大、ヨーロッパはより小さく、日本は最小、などと言われますが、民間企業という世界の中でも、格差拡大を放置する考え方と、企業内の協力・協調、融和を重視し、格差拡大に自主的に歯止めをかけるような考え方があるというのが現実のようです。(小池都知事の給与半減などは、後者の文化でしょう)

 こうした日本企業における、格差拡大を抑制する意識、にも拘らず拡大した日本での格差問題、非正規労働と賃金格差、成果・業績重視の動き、さらにマネービジネスなどにおける巨大報酬などについても考えてみたいと思います。

格差社会化と所得税の累進税率

2017年07月04日 15時34分41秒 | 社会
格差社会化と所得税の累進税率
 福祉社会とか福祉国家という概念は、本来次のようなものです。
・経済活動を成り行きに任せれば、金持ちは金の力で益々金持ちになり、貧富の差がはなはだしい格差社会になっていくことが分かってきた。

・その結果は富の偏在で経済活動が巧く循環しなくなり恐慌が起きたり、場合によっては、暴動や革命が起き資本主義は破綻する。

・ならば、国の力で富の偏在を是正するようなシステムを作り、「自由な経済活動」と「平等な所得分配」の間の適切な所得配分を実現し、より良い社会にしよう。

 つまりこのシリーズの当初に置いた前提、対立する「自由」と「平等」の中間のどこかにある「正義」(justice)を国の介入で実現しようというのが「福祉社会」の原点です。

 これに対して、経済活動を自由にしておいても、いわゆる「トリクルダウン仮説」で金持ちの富は下の層に「滴り落ちていく」という考え方があります。
 中国でも「大人宴を張れば、その徳、犬猫に及ぶ」というのがあるそうで、大宴会の余った食い物は犬や猫にまで振る舞われるというものです。

 然し最近の経済実態の中で、「トリクルダウン仮説」は否定されたようです。食べ物は余れば誰かの口に入るかもしれませんが、マネーは「多々ますます弁ず」で余らないからでしょうか。

 いずれにしても、資本主義が社会主義にすり寄る形の「福祉社会」化で資本主義が生き延びているのが現実でしょう。

 そのための手段の主要なものが、「所得税の累進課税」と「相続税」でしょう。という事で、ここではちょっと我が国の所得税の累進課税の在り方が、どんな具合に変化してきているか見てみましょう。
 財務省の発表している資料からです。ここでは、最も解り易い最高税率(所得税と住民税を合わせた最高税率)の推移を見てみました。
1984年  88%
1987年  78%
1988年  76%
1989年  65%
1999年  50%
2015年  55%

 随分と最高税率は下がってきています。松下幸之助さんが、「私は収入も多いけど、9割は税金で払ってますよ」なとと言っていたのは昔の話、アメリカでスタグフレーション脱出のために行われたレーガン税制(法人税、所得税の大幅引き下げ)に倣ったそうですが、(アメリカは70%→50%)、レーガン税制の経済効果には否定的な検証が多いようです。

 日本では今また所得税累進税率の再検討(最高税率の引き上げ)の意見が出てきていますが、格差社会を嫌う日本です。税制の在り方にも議論の余地はありそうです。

福祉社会概念が格差社会化を抑制

2017年07月03日 16時23分07秒 | 政治
福祉社会概念が格差社会化を抑制
 昨日は東京の都議会議員の選挙の日でした。結果は、今朝の各紙の報じたとおりの、都民ファースト圧勝、自民惨敗です。都民が(国政を背景にした)都政の現状に対して下した判断は、論評するまでもない現実です。
 あえて言えば、小池都知事の人気と自民党が自分で転んだことが半分々々でしょうか。東京都にとっても、日本にとっても、オリンピックがありますので、世界にとっても良い政治が進められることを願うばかりです。

 ところで本題の格差問題に話を戻しますが、最初にも述べましたように、資本主義が生き延びたのは、資本の強欲が支配した資本主義の中に「社会福祉の概念」が導入されたことと、産業・企業の現場において、資本家が後退し「経営者」が実権を握るようになったことが主因です。

 そこで先ず、国レベルの問題を取り上げたいと思います。ピケティの言うように、放っておけば所得格差は広がる傾向にあるのが通常のようです。この格差拡大にブレーキを掛けるために必要なのが、累進課税で所得の高い人からより多くの税金を取って、国民に広く均霑するように所得再配分を行う社会福祉の概念です。

 主要な対象は、子育て、教育、住居、医療、高齢者支援、などなどです。年金、医療などの社会保障の分野では、税金のほかに、社会保険料(社会保障税ともいわれる)の徴収で賄われます。

 そこで、国民所得のなかで、税と社会保険料の比率がどのぐらいかを「国民負担率」と呼び、この率が高いほど、福祉国家度が高く、格差の少ない国といわれています。
 国民負担率の国際比較をしますとこんな状況です(2014年)。
・フランス    66.2% (税40.9% 社会保険料27.3%)
・スウェーデン  56.0% (税50.2% 社会保険料5.7%)
・ドイツ     52.5% (税30.3% 社会保険料22.1%)
・イギリス    45.9% (税35.5% 社会保険料10.4%)
・日本      42.2% (税25.0% 社会保険料17.2%)
・アメリカ    32.7% (税24.4% 社会保険料8.3%)

 フランスは出生率回復のための児童手当が巨大、スウェーデンは福祉国家の典型。一方、アメリカは、自助努力のアメリカンドリームの国という事でしょう。日本はアメリカ寄りの中間でしょうか。
 
 しかし、国民負担率だけでは、大まかな傾向しかわかりません。現実に、ジニ係数や相対的貧困率の傾向と似た動きになっていることは明らかですが、より繊細な感覚で格差問題を論じる日本人の意識に応えるためには、もう少し中身に入ってみる必要があるようです。

格差問題と被害者意識

2017年07月02日 10時07分07秒 | 社会
格差問題と被害者意識
 この所は「格差問題」について書いてきています。
 これまでは、マクロの格差問題と言えそうなレベルの問題でしたが、これから、国レベル、さらに企業レベルの賃金問題などにも入っていきたいと思います。

 以前「 加害者と被害者」を書きましたが、世界の種々の紛争でも、格差問題と被害者意識は時に強く結び付いているようです。昔は、いじめなどの問題でも、被害者の心に傷を残すことは勿論、加害者の心にも傷を残すと言われていました。

 しかし、この頃の世の中は、どうも、被害者は被害者意識を持つが、加害者は加害者意識を殆ど持たないといったケースが増えてきているように思います。かつて、資本家が労働者を搾取して当然、宗主国が植民地を収奪して当然というような、同じ人間なのに、加害者が被害所の心情に思いを致さないケースが多いように思います。

 過労自殺などにおいてもその傾向が見られます。おそらく原因は「長時間労働」よりも(に加えて)仕事を命令する上司による心理的圧迫(脅迫)が大きいと私は感じます。最近の言葉で言えば「ハラスメント」でしょう。

 そして上司は、企業の方針や上からの指示に従った、仕事を教え、鍛えるためにやったといった行動の合理化をやり、加害者意識持たずに済ませてしまうといったことなのではないでしょうか。組織の上下関係が正常な人間関係をマヒさせるとすれば恐ろしいことです。

 格差問題の場合、限度を超えた格差(限度については背景になる文化の差はあるでしょう)に、加害者が気付かず、被害者が一方的に被害者意識を持ったように判断されることが多くなっているようにも感じます。国内紛争やISの問題でもそうして視点は可能でしょう。

 数学的に言えば、加害の合計と被害の合計はプラマイ・ゼロになるはずです。世の中の平穏のためには「加害者が加害者意識をそれなりに持つような社会」「力を持つ者が、そうした正常な感覚を失わないような教育、社会意識の維持」が必要なのではないでしょうか。

 「忖度」などと言う言葉も、そういう場合に使われればいいのにといった感じです。
 日本人は、どちらかと言うと、そうした人間関係の感覚においてはもともと比較的敏感だったように感じています。縄文時代1万余年、日本人は征服、被征服の関係のない社会を作ってきていたようです。

 日本人の育んできた繊細な感覚の大切さが、世界でも理解され、共有されるようになるような日本人の行動が、今まさに要請されているのではないでしょうか。

<追記>
 昨年の6月30日のこのブログはゲンジボタルの孵化が始まったことを報告しています。今年は未だですが、準備は万端整っています。今年は天候のせいか遅れているようです。ヘイケボタルの方の羽化は、未だ始まっていません。些か心配になっています。

OECD諸国と日本、所得格差の立ち位置は?

2017年07月01日 12時45分56秒 | 国際経済
OECD諸国と日本、所得格差の立ち位置は?
 所得格差の問題をいろいろなレベル、角度から見てきていますが、今回はOECD諸国の中での日本の立ち位置を見てみましょう。

 所得格差の程度を表す数字は、ご存知の「ジニ係数」です。完全平等の場合(すべての人の所得額が同じ)はジニ係数=0で、完全不平等(1人の人がすべての所得を得ている場合)はジニ係数=1で、現実はその中間にあるという事になります。

 どの程度の数字が適切かは、その国の国民の受け入れ方によって違いがあるでしょう。
 アメリカンドリームを掲げ、頑張って「夢実現」を信条とするアメリカは、ある程度の格化は受け入れる国と言われてきました。しかし、最近は少し変わってきたようで、夢を失ったラストベルト(錆びついた産業地帯)の人たちの支持でトランプ大統領が生まれた、などと言われます。

 日本は昔から「乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」などと言われるように、格差を嫌う国のようです。
 現実に格差の少ない国と言えば、北欧諸国というのが常識ですが、この辺りはOECDの資料でもはっきりとしています。

 OECDが2015年に発表した加盟国(+ロシア)のジニ係数で見ますと
・スウェーデン 0.273  平等度 9位
・日本     0.336  同   26位
・アメリカ   0.389  同   31位
となっています。

 もう一つ厚生労働省が平成24年版「厚生労働白書」で説明している、日本の「相対的貧困率」の動きを見てみましょう。(相対的貧困率とは、全体を所得順に並べ、真ん中の人の所得(中位数)の半分以下の所得の人の全体の中での割合)
相対的貧困率:所得再分配前
・1995年前後   19%
・2000年前後   24%
・2005年前後   27%
・2010年前後   29%
と、まさに異常な上昇を続けています。おそらくは長期不況のせいでしょう。

相対的貧困率:所得再分配後(税、社会保障で調整された後)
・1995年前後   8%
・2000年前後   10%
・2005年前後   9%
・2010年前後   10%
となっていますが。国際比較しますと、アメリカ11% スウェーデン4%です。

 かつては所得再分配後のジニ係数は北欧並と言われたこともある日本ですが、長期不況による所得格差の拡大は否定できないようです。
 にわかには信じがたいような格差の拡大が起きてしまった日本ですが、2013年以降の円高是正、日本経済復活の動きの中でも、非正規労働者問題、児童の貧困率の問題等、この所の日本経済は、格差縮小にはあまり動いていまいように感じられます。

 この点を、最近の政府の考え方、税制や、働き方改革などの側面からも見ていきたいと思います。