tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

格差問題と被害者意識

2017年07月02日 10時07分07秒 | 社会
格差問題と被害者意識
 この所は「格差問題」について書いてきています。
 これまでは、マクロの格差問題と言えそうなレベルの問題でしたが、これから、国レベル、さらに企業レベルの賃金問題などにも入っていきたいと思います。

 以前「 加害者と被害者」を書きましたが、世界の種々の紛争でも、格差問題と被害者意識は時に強く結び付いているようです。昔は、いじめなどの問題でも、被害者の心に傷を残すことは勿論、加害者の心にも傷を残すと言われていました。

 しかし、この頃の世の中は、どうも、被害者は被害者意識を持つが、加害者は加害者意識を殆ど持たないといったケースが増えてきているように思います。かつて、資本家が労働者を搾取して当然、宗主国が植民地を収奪して当然というような、同じ人間なのに、加害者が被害所の心情に思いを致さないケースが多いように思います。

 過労自殺などにおいてもその傾向が見られます。おそらく原因は「長時間労働」よりも(に加えて)仕事を命令する上司による心理的圧迫(脅迫)が大きいと私は感じます。最近の言葉で言えば「ハラスメント」でしょう。

 そして上司は、企業の方針や上からの指示に従った、仕事を教え、鍛えるためにやったといった行動の合理化をやり、加害者意識持たずに済ませてしまうといったことなのではないでしょうか。組織の上下関係が正常な人間関係をマヒさせるとすれば恐ろしいことです。

 格差問題の場合、限度を超えた格差(限度については背景になる文化の差はあるでしょう)に、加害者が気付かず、被害者が一方的に被害者意識を持ったように判断されることが多くなっているようにも感じます。国内紛争やISの問題でもそうして視点は可能でしょう。

 数学的に言えば、加害の合計と被害の合計はプラマイ・ゼロになるはずです。世の中の平穏のためには「加害者が加害者意識をそれなりに持つような社会」「力を持つ者が、そうした正常な感覚を失わないような教育、社会意識の維持」が必要なのではないでしょうか。

 「忖度」などと言う言葉も、そういう場合に使われればいいのにといった感じです。
 日本人は、どちらかと言うと、そうした人間関係の感覚においてはもともと比較的敏感だったように感じています。縄文時代1万余年、日本人は征服、被征服の関係のない社会を作ってきていたようです。

 日本人の育んできた繊細な感覚の大切さが、世界でも理解され、共有されるようになるような日本人の行動が、今まさに要請されているのではないでしょうか。

<追記>
 昨年の6月30日のこのブログはゲンジボタルの孵化が始まったことを報告しています。今年は未だですが、準備は万端整っています。今年は天候のせいか遅れているようです。ヘイケボタルの方の羽化は、未だ始まっていません。些か心配になっています。