tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

改めて諺の大切さを知る

2017年07月27日 10時59分48秒 | 社会
改めて諺の大切さを知る
 安倍総理は「桃李言わざれども、下自ずから渓を成す」の諺からその名を掲げた成蹊大学の出身ですから、桃(もも)や李(すもも)の故事には造詣も深いのではないかと思っています。

 先日も「李(すもも)下を冠を正さず」といわれたようですが、こうした諺も、どう理解し、どう活用するかは大変重要なようです。

 矢張り諺の本来の意味を十分に理解して使わないと、折角由緒ある諺を使っても、諺は味方になってくれないのではないか、などと感じてしまいます。

 今回連続して問題になっている籠池氏、加計氏に関わる問題にしても、「李下に冠を正さず(李園過ぐる時は冠を整さず)」という諺を本当に理解して使っていれば、こんなことにはならなかったのではないでしょうか。

 この言葉の由来は、斉の威王の娘の虞姫が、あらぬ疑いを掛けられ、父である王に問い糾され、私は潔白ですが、疑われるようなことになったのは私の不徳の致すところです。たとえ死を賜っても、これ以上申し開きはしません、といったということからきているという事です。

 たとえ潔白であっても、疑われるようなことをしてしまったのは、私の不徳の致すところと、あえて自身の不徳を認め、責任を取ろうという虞姫の心を示しているのです。

 そういう意味では、安倍総理は、矢張りこの諺の意味を十分に理解していないで使ったと思われても仕方ないのかと思います。

 家族ぐるみの付き合いといわれた安倍家・籠池家の間柄、米国留学時代からの極めて親しい友人という加計氏と総理の関係という事を前提にしますと、小学校や獣医学部を作るという希望を持ったこうした友人に対しては、

「誠に申し訳ないけれども、貴方たちのような親しい方は、私が総理をやっている時に政府の許認可にかかわる大きな仕事を進めのは、何とかご遠慮いただきたいj、『李下に冠を正さず』という諺にもあるように、親友に便宜を図ったといったことを言う人が必ず出てくる、宜しくご配慮頂きたい。」

 という風に、「私の立場も解って欲しい」と話することが、本来の諺の意味を理解した行動という事になるのでないでしょうか。

 安倍総理がそうしていれば、前国会の混乱、国会論議で無駄な時間を費やすことは大幅に避けられたという事でしょう。

 諺というものは千年百年の人間の知恵の積み重ねの中で生き残ってきたものでしょう。それをよく理解し、行動を律することは、いろいろな所で役に立つように思います。