tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

平成という時代、日本経済として見れば

2017年07月18日 13時31分58秒 | 経済
平成という時代、日本経済として見れば
 まだ少し気が早過ぎるかもしれませんが、平成という時代もそろそろ終わることがはっきりしてきたようですので、日ごろから思っていた「平成という時代は日本経済にとって何だったのか」を考えてみたいと思います。

 明治、大正、昭和、日本が世界経済の仲間入りをしてからのそれぞれの時代はそれぞれに特徴がありました。

 列強に伍そうと富国強兵に走り、日清・日露戦争に勝ち意気盛んだった明治の45年、一応の豊かさに達し、第一次世界大戦の戦勝国となり、余裕もできて、大正デモクラシー、大正ロマンなども内包した大正の14年、八紘一宇を旗印にアジアの盟主たらんと対中侵攻、さらに第二次世界大戦に突入し、敗戦、占領軍統治下におかれた昭和の前半、敗戦をきっかけに経済国家に変身、経済成長で世界を驚かせ、「ジャパンアズナンバーワン」といわれるまでになった昭和の64年、そして日本は平成に入ります。

 平成元年は昭和で言えば64年ですが、西暦で言えば1989年です。バブル景気の真っ最中、バブルは、破裂するまで誰も気が付かないといいますが、平成2年には38,000円まで付けた日経平均の暴落が始まり、翌年には地価税の導入をきっかけに地価の暴落が始まっています。

 平成という時代は、バブルの絶頂にスタートして、翌年からは、バブル崩壊、そして、いわゆる「失われた10年」に突入することになるのです。
 そして、当初言われた「失われた10年」は、結局「失われた20年」になり、さらには「失われた20余年」に伸びていくのです。

 その間、2002年から、いわゆる「いざなぎ越え」という統計上、あるいは政府やアカデミアの判断からは景気回復期に入ったという時期がありましたが、企業からも家計からも異口同音に「回復感の全くない回復」といわれる程度のものでした。

 この「いざなぎ越えは」2008年まで続きますが、2009年には、リーマンショックというアメリカ発の金融恐慌に巻込まれ、$1=¥80という超円高の中で、最悪の経済状態に突入、企業も家計も、まさに塗炭の苦しみにのたうつことになりました。

 幸いなことに、2013年にたり、日銀の政策変更もあり、いわゆる「異次元金融緩和」で$1=¥120になり、異常な円高状況は解消されることで日本経済は息を吹き返しましたが、日本の経済主体(企業、家計)はそれまでの苦しみの経験から、その行動は極めて臆病になり、特に今後の高齢化も控えて、家計は消費支出には極めて慎重で、消費不振が経済成長の足かせになって、ようやく1%前後の経済成長に辿りついたのが昨今の状態です。

 さてこれから日本経済はどうなっていくのかと、国民は皆行く先を案じている中で、今上天皇の譲位が決まり、平成の30年は終わろうとしています。

 経済から言えば、平成の30年はまさに「戦後最悪の30年」という事なるでしょう。
 さて、転んでもただでは起きない日本人です。この平成という時代から何を学びそれをいかに将来に生かすことが出来るのでしょうか。
 それが出来て、初めて、平成という時代の意義づけが決まるのでしょう。