tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

自助、共助、公助、の問題を考える(3)

2020年10月31日 23時14分27秒 | 文化社会
社会の不安定化の多くは格差問題から発生する
 この表題に反対する方はあまりおられないのではないかと思います。
 兄弟で小遣いの額が違いすぎれば、兄弟は不仲になるでしょう。国で貧富の格差が大きすぎれば昔なら革命、現在では政権交代が起きるでしょう。

 社会が安定する条件の大きな一つが、所得格差が「国民が納得する程度の範囲に収まっていること」という指摘には、かなりの納得性があると思います。

 この格差化という問題と「自助、共助、公助」の問題を重ねてみますと、自助の重視は格差拡大の傾向を持つと言えるでしょうし、共助は、その格差を身内の間で埋める格差縮小の性格を持ち、公助は、国民経済、国民全体を総合的、俯瞰的に見て、国民が納得できる格差の範囲の合意点を見出し、そのための「所得再配分(税金や補助金)」で格差是正を行う機能という事になるでしょう。
 
 人はそれぞれに異なる能力、才能を持ち、更に本人の能力や才能に関係ない「運」もあって、人生を大きく左右される可能性の中で生きています。
 これらはすべて経済的には本人の所得や人生そのものに大きな影響を与えます。

 所得格差が、そうした「能力と運」に従って決まることになれば、社会は必然的に「格差社会化」することになるでしょう。

 同じIT業界に入っても、世界企業の経営者になる人もいれば、競争に負けて倒産の憂き目を見る企業のオーナーもいるでしょう。
 文筆で身を立てようと志しても、ミリオンセラー作家になる人も、売れない作家で終わるひともいるでしょう。
 天災で大きな打撃を受ける人も、突然の難病で苛酷な人生を送ることになってしまう人もいるのです。

 放置すれば、格差社会化するところを、政府の「公助」で、納得できる格差に留めるべきというのは、程度の差こそあれ、今や世界の国々の共通な政策になっています。
 
 こうした思想、理念を政策にするために、国内情勢を「総合的、俯瞰的」に見て、より多くの人が納得する、適度な範囲の格差にとどまる社会経済政策を実行していくのが、「公助」の基本的な役割でしょう。

 日本のGDPは550兆円程度です。「総合的、俯瞰的」に見るのには、この1年間に日本が使えるトータルの付加価値を民間と政府がどの程度の割合で使うのが妥当かという視点から日本国運営のビジョンを示していかなければならないでしょう。

 前回書きましたように、これは国民負担率の問題です。アメリカの様に自助中心、公助は少なく、格差の大きい国を選ぶのか北欧のように、国民負担率を増やして公助を充実し、平等度の高い、格差の少ない国を目指すのか、それとも日本は日本らしい路線を選択するのかといったビジョンです。

 今政府のやっていることは、国民負担率を低く見せながら、実は国民から借金して(国債発行)それをあたかも自分のカネのように使って、政府が実力以上の仕事をして見せているという状況なのです。

 これからも、そんなビジョンで行くのなら、それもはっきり国民に説明するべきでしょう。

 「自助」が大事と、国民の心がけのような事を言うだけでは、全く政府の「総合的、俯瞰的」な視点など、国民には見えてこないのですが、それに気づいておられるのでしょうか。それとも、菅総理の常套語「総合的、俯瞰的」は、言葉の粉飾なのでしょうか。