tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

社会経済思想と政治形態(試論)

2020年10月13日 22時55分54秒 | 文化社会
社会経済思想と政治形態(試論)
 このブログでは、共産主義という思想が、本来は社会正義の理想をめざし、搾取・被搾取の関係を突き崩すという高邁な目的を持って生まれたにも関わらず、結果としては共産党一党独裁という理想ならぬ幻滅に行き着いてしまったという現実については、折に触れて書いてきました。

 そして今、試論として提示したいのは、新自由主義(new liberalism ではなくneo liberalismの方です)という思想が、結局はどこに行き着くかという問題です。

 経済学では、新自由主義は古典的な自由経済が1929年の世界大恐慌などで行き詰まり、政府が介入しなければならないという事でケインズ政策が登場、次第に政府の役割が拡大し、新自由主義(new liberalism)に発展、社会保障制度などを取り入れ、イギリスでは「ゆりかごから墓場まで」政府が面倒見る、)などと言われ、北欧では福祉国家の構想も具体化するようになりました。

 しかし、部分的に社会主義の政策を取り入れる中で、労働組合野力が強まり、政治的には労働党、社会民主党といった政党が政権につくようになり、賃金の上昇、社会保障の充実に力が入ることによって、政府の負担は過重になリ、企業の場で生産性上昇を超える賃金上昇が激しくなって、結果はスタグフレーションに呻吟することになりました。
 財政赤字、国際収支の赤字になって、経済はスタグフレーション、インフレと失業が共存するという最悪の状態になってきたのが1970年代の欧米でした。(日本は労使協調で健全でした)

 これを乗り切るためには、労働組合の力を弱めること、社会保障制度の見直し(スリム化)が必須です。今はやりの新自由主義(neo libealism)的経済政策は、こうした背景から生まれました。

 日本の社会保障制度や労使関係の見本だったイギリスでは、サッチャー首相が、サッチャリズムと言われた剛腕で4度にわたる労働法改正で労組の力を弱め、最低賃金制度を一時は廃止までして漸くスタグフレーションから脱出しました。
 社会保障制度の手薄なアメリカは、レーガン改革で法人や高所得者の減税で不況脱出を図りレーガノミックスと言われる改革をしています、しかし効果はなかなかで、成果を刈り取ったのはクリントンだなどと言われました。

 こうして再び、政府の介入を極力排してマーケットを重視し(シカゴ学派など)、小さな政府を標榜する新しい(neo)自由主義経済を良しとする学者や政治家が多くなってきたのが今の新(neo)自由主義(neo liberalism)です。

 さて、この新しい「新自由主義」は、今、アメリカで流行り、日本でもアベノミクスの構造改革路線の中にも、菅政権の「自助」発言などにも見られますが、財政再建のできなない日本にも次第に入り込んできているようです。

 日本は、世界が羨んだ労使の信頼関係の中で、スタグフレーションの代わりに〔ジャパンアズナンバーワン〕でしたから、今の新自由主義にかぶれる必要はないのですが、日本の場合は、多分、少子高齢化進行という呪縛の中で土光臨調から始まった、純粋な行財政改革という所からのものが、長期不況の下で、政府に依存しながら小さな政府を目指すという、矛盾をはらみながら、舶来崇拝や、新自由主義の中でも重要な位置を占める金融の自由化、金融工学の発展といった問題も内包しつつ、一部に信奉者も出るといったことになっているのではないでしょうか。

 この新(neo)自由主義が一体何を我々にもたらしてくれるのか、これから、折に触れて取り上げていきたいと思うところです。