tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本学術会議問題から見えてきた疑念

2020年10月10日 22時27分28秒 | 政治
日本学術会議問題から見えてきた疑念
 市井に住む我々は、標記のような問題の内幕などは全くわかりません。ただ報道を見聞きしているだけですが、政府の説明をただ素直に聞いているだけで、この所、やっぱり変だなという思いが募ってきます。

 モリ、カケ、桜の時も、どう聞いても何かおかしいと感じつつ、政府の対応を見ていて、違和感や不自然さを感じ、国民として不快な気持ちを持ち続けていたのですが、矢張りあ安倍内閣に支持率はじり貧でした。

 今回の日本学術会議推薦の105人のうち、6人が任命されなかったという問題も、総理の答弁、説明、関係大臣などの話を聞いているうちに、なにか、やっぱり、安倍内閣の時と同じことが起きているのだなといった気持ちになってくるという事ですから、国民としては何か、違和感、不満、不快感を禁じ得ない様な状態です。

 総理の発言で、政府の考え方は何も変わっていませんとしながら、、やったことは大きく違っています。加えて、世の中が変わってきたという説明もありました。何がどう変わったかそれが政府の考え方や行動に影響を与えたのかの説明はありません。

 総理は、6人の任命拒否は、安倍総理との関係は全くなく、私自身が決めたこと、との説明でしたが、後から、私は任命された99人の名簿しか見ていないと言っていました。どうやって6人を選別したのか、これではさっぱり解りません。

 勿論6人の任命拒否の理由は、総合的、俯瞰的な判断という、今や有名な説明ですが、99人の名簿しか見ていなくて、後の6人の名簿も業績も見なくて、私の判断で決めた、と言うのはどういう事なのでしょうか。

 日本学術会議のメンバーを決めるのですから、日本学術会議のメンバーとしいて相応しいかどうかが解らなければ、判断し決定することなどできるはずはありません。そして最後は、個人個人のプライバシーにかかわることなので、説明はできませんという事になるのです。

 学術会議ですから、認否の判断基準の原則は、本人の学術研究のレベルによって判断するのが当然でしょう。学術研究はすべて、個々人の業績として発表されているはずです、それがプライバシーでしょうか。そんなことはあり得ません。ならば触れられないプライバシーというのは一体何なのでしょうか。

 こうした説明不足に関わらす、政府関係者はみんな異口同音に、おかしなところなど全くなく当然のことだといった意見お述べるのです。すべてはいつか来た道、既視感の塊です。

 率直に感じるのは、あの不愉快な経験と全く似て来てしまったという絶望感です。日本の政治手法はこれでいいのでしょうか。そんな事で良いとはどうしても思われません。
 高支持率でスタートした菅内閣です。高支持率をさらに引き上げるような、国民の目線にあった、国民の納得する、解り易い政治をお願いしたいと強く願っています。