tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

社会経済思想と政治形態(試論):新自由主義と政治(3)

2020年10月16日 20時49分21秒 | 文化社会

長期不況、プラザ合意から黒田バズーカまで
 労使の賢明な協調で、スタグフレーションを避けて安定成長を続けていた日本経済が30年近くに及ぶ長期不況に陥った原因は1985年に発生しました。
この年のG5で日本は円高容認を迫られ、「OK」といったばかりに( プラザ合意)、という事で2年後には円レートが1ドル240円から120円になったのが始まりです。

「OK」と言った日本代表、当時の大蔵大臣と日銀総裁は、恐らく、アメリカが何を考えているのか理解していなかったのでしょう。当時、日本はアメリカに薦めれた金融緩和で土地バブルに酔い痴れていて、円高で日本経済がおかしいと気づいたのはバブルが崩壊してからでした。(参考:「 新前川レポート」など)

 それでも多くの人たちは、不況はバブル崩壊のせいで、円高のせいと気づいたのはもっと後かも知れません。
 日銀にしてからが、円高は日本経済の価値が高まった結果で、結構なことと考えていたようです。

 2年で為替レートが2倍になるという事は、国際的に見れば、日本が2年で賃金を2倍に引き上げ、賃金インフレで物価も2倍になったという事と同じです。
 良好な労使関係で、賃金と生産性のバランスを取り、賃金インフレ、ひいてはスタグフレーションを避けてきた日本の労使の努力はすべて「水泡に帰し」、日本は世界で一番賃金も物価も高い国になってしまったのです。

 次第に円高の問題点に気づいた日本は、一生懸命生産性を上げ、賃金を引き下げて、国際競争力を取り戻そうともがき苦しみました。
トンネルの向こうに微かに明かりが見えたのは21世紀に入ってからのことで、そこから、見えた明かりを大きくしようと頑張ったのが2002年から2008年までの「 いざなぎ越え」、好況感なき景気回復でした。

しかしそこでさらなる円高です。2008年のリーマンショックで円レートは1ドル75円~80円です。これではまた一層の生産性向上と賃金引下げをしなければなりません。

正常な経済であれば、生産性を上げれば賃金も上がるのが常識ですが、極端な円高を克服するためには、生産性を上げながら、賃金を下げなければなりません。
 こんなことを20年以上も続けたのが当時の日本経済で、日本産業を背負う労使は疲れ果て、 頑張る意欲も喪失してきたようです。
その後は、企業の 研究開発費も、従業員の 教育訓練費 もコスト削減で削られるだけになったことが統計資料から見て取れます。

この窮状を救ったのが、2013~4年の2発の「黒田バズーカ」、異次元金融緩和政策です。
これは新自由主義の一部とも言われる新時代の金融理論、為替レート変更の手段としての金融政策です。(以下次回)