tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

政労使三者の活発な交流は何処へ行った

2020年10月12日 21時48分48秒 | 労働問題
政労使三者の活発な交流は何処へ行った
 日本経済が元気で、世界の注目を集めていたころ、日本の経済社会の中では「労使は社会の安定帯」という言葉が頻繁に聞かれたように思います。

 その代表的な組織が「産業労働懇談会」ではなかったでしょうか。
 これは、当初は労働大臣の私的な懇談会として出発したようで、政、学、労、使 の代表が集まり、全く自由に意見を述べ合う会合だったようです。

 この産業労働懇談、通称「産労懇」は1970年ごろから始まり、1990年代まで、二十数年の長きにわたり続いていたようです。
 最初は、労働大臣の主催でしたが、そのうちに歴代の総理大臣も出席するようになり、参加者は組織の代表という立場ではありながら、全く自由な意見交換の場になっていた様です。

 1980年代、アメリカのエズラ・ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書き、欧米主要国の経済が不振を極める中で、日本経済は健全性を保ち、そのパフォーマンスの良さから(嫉妬され?)プラザ合意で円高の受け入れを迫られ、1990年代以降30年にもわたる円高不況に落ち込むのです。( 為替レートとゴルフのハンディ」参照)

 ここで注目しなければならないのは、政、学、労、使の代表が、頻繁に(ほぼ毎月開催だったようです)ざっくばらんな意見交換をし、例え意見は違っても、その分だけ自然に相互理解が深まるといったプロセスが進んでいたという事でしょう。

 これはまさに日本的コンセンサス社会(異質の共存・共生)の典型で、本音を話し合う事で、立場よりも人間という共通性の方が相互理解に役立ったという事ではないでしょうか。

 労使関係においては、世界中殆どどこの国でも意見の合わない労使ですが、当時日本では冒頭書きましたように「労使は社会の安定帯」という言葉が労使双方から聞こえたところです。

 しかし、深刻な円高不況の長期化の中で、労使の行動や発言もゼロ・マイナス成長には勝てず、春闘終焉が言われるよういなって、産労懇も自然消滅となったようです。

 これは、日本の経済社会にとって、大きなマイナスだったのではないでしょうか。経済運営は、金融財政政策中心となり、政府・日銀が全て、のような状況が長く続き、労使ともに経済政策に頼るようになり、安倍政権で、異常な円高がやっと解消しても、労使の声は小さく。「官製春闘」が幅を利かすようなことになってしまったようです。

 結果、経済政策も労働政策も、政府の独りよがりなものとなり、政府の政策に広く市井の声が反映するシステムは失われ、果ては、政権の独裁化と言われるほどに権力が集中する素地が生まれたという見方も不可能ではないでしょう。

 ところで、国際機関の中でもILO(国際労働機関)は、唯一、政労使の三者構成の国際機関です。そこでは各国の経済社会のシステムのメインプレイヤーである政労使 三者が議論し決議してバランスを保っているのです。

 ここでは、一党独裁の国も、何とか三者構成の姿を整えることになります。そしてこれは大変意味のあることとなっているようです。

 今、日本では、学会が学問の意地にかけて政府の独裁化に対抗しようと動き始めたように感じられます。これは、まさに人間の心の問題で、経済社会より高次な、人類社会全体に関わる問題といえるでしょう。

 翻って、労使も、すべてが政権主導という風潮の進行に、「労使も重要な役割をを果たさなければならない」という気概を見せる時期に来ているのではないのでしょうか。