tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

アメリカの様にはなりたくないですね

2020年10月06日 23時10分49秒 | 文化社会
アメリカの様にはなりたくないですね
いよいよアメリカの大統領選も終盤という事でしょうが、先日の、トランプ、バイデン両氏の討論を見ても、他国のことながら、こんなことでいいのか、という感を強くした人も多いのではないかと思います。

 アメリカのメディア自体も、史上最低の討論会などと書いているようですが、まともに悪口雑言を投げつけるトランプさんですし、バイデンさんも売り言葉に買い言葉といった面も見えたようでした。

 テレビで見ている我々までもが不愉快になるような情景でした。相手をこき下ろす結論がどぎつく、結論を導く論理は省略というスタイルで、ほとんど説得性を持たないのですが、あれだアメリカの人たちは納得するのでしょうか。


 日本の党首討論なども、あそこまでは堕ちてはいないと思いながらも、礼節と倫理感を重んじる日本のリーダーたちのあんな姿は絶対見たくないと、何か空恐ろしい嫌悪感を持たせるものでした。

 ところで、安倍総理は、トランプさんの無二の親友のようですし、強い影響を受けているようで、国会答弁でも都合の悪いことは説明を省いて結論だけを(丁寧に)繰り返すことが随分多かったように感じてきていました。

 安倍路線を継承した菅政権も、より単純にその方式を踏襲し始めたようで、まず「 この見事な落差、どちらが本当の菅内閣」でも書きましたが、加藤幹事長の切り口上な答弁が気になりました。

今回は、日本学術会議(の6人任用見送り)問題についての総理の発言で、っ見送りの理由は「法に基づいて適切に対応」だけ、追いかけた、本人の行動や発言に関係あるのかという趣旨の質問には、関係なしの一言で、それでは何故任命しなかったのかというだれも持つ疑問には全く触れないという、これもまさに切り口上なものでした。

 学問の場に政治が踏み込むというのは、多くの場合、国の乱れる兆候であることは歴史が示していますが、平和を愛し、文化、科学を大切にする日本にとっては著しい違和感を持たせるものである事に気づいているのかと、多くの日本人は不思議に思う所ではないでしょうか。

 これは、この所の政治面の問題ですが、その背後には、例え無意識であっても、国際関係や経済問題があることは十分考えられるところでしょう。

 アメリカが自国中心を旗幟に掲げ、時に中国と同様に国連をないがしろにし、世界中に危惧の念を持たせる行動をエスカレートさせてきていること(それを真似るリーダーも増えているようです)、その背後には、アメリカが万年赤字国になって、世界中からカネを掻き集めなければ国の運営ができないほど経済的な力を落としている事があるのでしょう。

 このブログでも、折に触れて見て来ていますが、日本の経済体質も、今は万年黒字国ですが、歩いている道は、アメリカと同じ方向という問題は、多くに専門家も気づいているのではないでしょうか。

 余計なことを付け加えますが、安倍政権も菅政権も「俯瞰」という言葉がお好きなようですが、長い歴史を俯瞰し、 歴史から学び、前者の轍を踏まず、国づくりをするという事は為政者にとっては結構難しいことのようです。

 先日の報道では、一部のマスコミで、菅総理の発言の「俯瞰」が「ふかん」と仮名になっていました。まさか不感の間違いではないでしょうが、政府は、国民の意識には常に敏感であってほしいと思う所です。