tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

無菌培養と無葛藤育成の結果でしょうか?

2019年11月25日 21時41分51秒 | 文化社会
無菌培養と無葛藤育成の結果でしょうか?
 H.G.ウェルズの「宇宙戦争」は、映画にもなって有名ですが、結構何かを示唆しているように思います。
 火星人が攻めてきて、地球人は為す術もなく、教会で祈りをささげているのですが、外へ出てみると、宇宙船は墜落、火星人は死んでいるという結末です。

 無菌状態の火星で生活していた火星人は、細菌やウィルスで汚染された地球の空気を吸ってはとても生きていられなかったというわけです。
 今日の地球上でも、カラスは生ごみをあさって生きていますが、人間が食べたらすぐ中毒でしょう。
 抗菌や殺菌は大事ですが、人間の抵抗力を弱くするという面もあることも事実でしょう。

 これは人間の肉体的な面ですが、人間の精神的な面においても、同じようなことがあるのではないかと考え込んでしまうようなことが、最近、よくあるように思われます。

 人間の精神面でいえば、細菌やウィルスに当たるものは、「葛藤(conflict)」ではないでしょうか。
「葛藤」とは人間関係の不具合から来る精神的な衝突、それによる精神的な負担という事になると思うのですが、最近の種々の事件の中には、葛藤を自己の抑制力で、自分の心/気持ちの中で処理できない人が多くなっているように感じられます。

 葛藤を自分の中で消化する(昇華させる?)ことが出來れば、他者に対しての物理的な行動に発展させないことが可能になるはずです。
 何か事件を起こすという事は、いわば、「葛藤」を自分で消化する能力が落ちているのではないかと思われるようなことが多いからです。

 昔から「艱難汝を玉にす」とか「若い時の苦労は買ってでもしろ」といった諺があります。もっと一般的なのは「失敗は成功のもと(母)」などでしょう。
 失敗、挫折、苦労、失恋、人生には様々な失意があるわけですが、それは人間の生涯生活には「つきもの」で、そんなことにいちいちくよくよせずに、「その経験を糧に頑張れ」という「叱咤」「激励」でもあり、また考えようによっては、人生を楽観する(捨てる神あれば、助ける神あり)、あるいは達観するといった生き方を教えているのでしょう。

 ところが、最近、こうした目で見れば、「何でそこまで思い詰めるの?」、「そんなのよくある事じゃない?」といったようなことで「人生の破滅に関わるような事件が起きているのではないでしょうか。なぜそこまで行ってしまうのか?という疑問です。

 具体的に言えば、葛藤、コンフリクトの深刻さが、客観的にはそこまでのものではないように思われても、簡単に人の命にかかわるような事件に発展する事が多いように感じられるのです。失意の経験が少ない(精神的無菌状態にある)とこうなるのでしょうか?という疑問です。
 
 私のか感じ方が、「そりゃ深刻すぎるよ」なのかもしれませんが、私と同じようにお感じの方が多いのであれば、その原因は何なのか、国レベルで本格的にに検討す必要がるように思うのですが、どうなのでしょうか。