tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

戦後の覇権国アメリカは何をして来たか

2019年11月06日 23時41分20秒 | 国際経済
戦後の覇権国アメリカは何をして来たか
(毎日アメリカの事ばかりで済みません)
 第二次世界大戦までの覇権国は7つの海に君臨したイギリスでした。しかし急速に経済力をつけたアメリカは、圧倒的な強さで太平洋戦争を制し、原子爆弾を持つ軍事力、経済力共に抜群の大国として新たな覇権国になりました。

 戦後のアメリカは、巨大な生産力を民生品や海外援助に活用し、「バターも大砲も」といわれるゆるぎない覇権国でした。
 さらに、戦後のアメリカは寛容で気前良く、国内では「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を確立し、ヨーロッパににはマーシャルプラン、日本にはガリオア、エロア資金といった復興援助をする自由世界の良き覇権国だったと思います。

 しかし、1960年代も終わりに近づくころには、東西冷戦という環境下で、60年代半ばからのベトナム戦争もあり、自由経済圏の覇権国として出費がかさむと同時に、世界では60年代の西ドイツ、日本などの経済成長も著しく、アメリカの相対的経済力は次第に落ちてきたようです。

 この経済力の変化は、1971年のニクソンショックに象徴されるわけですが、ニクソン大統領は基軸通貨国の象徴であったドルと金の兌換を停止します。
 ドルはペーパーマネーとなり、ドルの信用はアメリカ経済の健全度によって(基本的には)決まるという事になったわけです。

 アメリカ自身、経済力を強くしなければという責任感は強かったでしょう、ケネディ大統領は、「国民は国が何をしてくれるかではなく、国のために何ができるか考えてほしい」と訴えています。

 しかし、覇権国というのはコストのかかる役割です。それを賄うだけの経済力の回復は残念ながら容易ではなかったようです。

 しかし、基軸通貨であるドルを勝手に切り下げるわけにはいきません。基軸通貨国の権威に関わります。ドル価値は変動相場制の中で次第に下がるのですが、アメリカ自身の「強いドル」への郷愁もあるのでしょうか、なかなか下がりきらず、1971年以降もアメリカの経常収支は、今日まで一貫して赤字です。

 その後のアメリカの国際経済場裏での最も重要な仕事の1つが、「経常赤字対策」になったようです。
 日本の経験では、日米繊維交渉から始まって、アメリカの貿易赤字の縮小策に苦しめられることになるわけです。

 戦後の世界トップの経済力を持つアメリカにとっては、固定相場制をベースにした自由貿易体制が最も有利ですから、当時のGATT、IMF体制、いわゆるブレトンウッズ体制を敷いたのですが、その後の世界経済情勢の変化(アメリカの国際競争力の低下)によって、これが次第に邪魔になってくことになり、変動相場制に逃避したのですが、それでも経常赤字は解消しないという厄介な状態が続くことになったわけです.。

 その後のアメリカは、弱った経済力をあらゆる手段を使って何とかカバーし、覇権国の地位を守りたいという事に専念するようになったのでしょうか。
 ニクソン大統領からトランプ大統領まで、その努力は続きますが、そろそろこのままではどうにもならないような世界経済情勢になってきているようです。
 長くなりますので、その後の経緯は次にします。