人間と資本の関係:人間の分け前、資本の分け前
昨日、日本経団連が2018春闘政策を盛った「経労委報告」を出しました。マスコミによれば、目玉は、安倍総理の意向を忖度した「賃上げ3%の提言」のようです。
私もどこかのセミナーで、説明を聞いてこようと思っていますが、これは賃金という労働者の分け前を3%増やすべきだという事で、労働者の分け前を増やせば、その分資本の分け前(利益)は減りますから、これは労働と資本の分け前に関わる提言です。
労組の2%ベア要求、経団連の3%賃上げ要請という問題については、過日「 経団連会長3%賃上げを呼びかけ」で触れましたが、また改めて、労使の話を聞いてから取り上げます。
今回は人間と資本の関係の本質論ですから、本論に帰りますが、「労働と資本の分け前(賃金と利益の分け方)」という場合、基本は「何を分けるのか」です。
ここを確りしておかないといけません。分ける対象は「付加価値」(このブログの主要テーマ)です。 付加価値は、国で言えば「GDP-減価償却費=国民所得 」です。これは雇用者報酬と営業余剰、つまり賃金と利益に分けられています。
最近、賃金は上がらなくて、企業の利益への分配が多く、企業の内部留保が増えている、労働分配率が低下しているといわれますが、労働分配率というのは付加価値に占める労働への分配の割合です。
実は経済問題の大半はこの労働分配率の在り方に関わるものです。資本への分配が多すぎるという事から共産主義思想が生まれました。労働への分配が多すぎると1980年代の欧米の様に、インフレから スタグフレーション になって、経済成長が止まります。
では誰が配分を決めるのかというと、身近なところで、経営者(と労働組合の交渉)が決めるのです。
今の日本では決め方が巧くないという理由で、安倍総理が「3%賃上げしなさい」などと分配の是正(イレギュラー発言)を言っています。
労・使・政府と役割分担で分業しているので、どうしても自分達の都合のいいように決めたがることが多いのですが、全部一人でやる場合は、1人で両方考えなければなりません。
例えば、米を10俵収穫して、何俵まで食べて(賃金相当)、あと何俵は来年の種籾などにするか(利益相当)、を一人で決めなければなりません。
食べない分は、種籾、土壌改良、農機具の購入などの資金に充てる分ですから「利益、貯蓄、投資など」つまり来年以降のより良い収穫のための配分、つまり「より良い将来」への配分を全部自分で決めるわけです。
役割分担が無ければこうして自分で考えて納得がいくように分け前を決めますが、役割分担の世界では、往々「配分闘争、分捕り合戦」という事になってしまいます。
J.バーナムの「 経営者革命」、P.ドラッカーの経営学の教科書などでは、経営者が「役割分担」を超えて、適正な分け前を合理的に決める機能を果たすべきだという思想に立っていると考えますが、欧米の経営スタイルは「経営者は資本の代弁者だ」という考え方が強いようです。
翻って、日本の場合を考えますと、経営者も適正な配分を指向し、 労働組合も経済・経営に整合した配分指向を持ち 、世界に稀な労使関係、付加価値配分理論を確立してきています。
近年経営者側には、長年の不況のせいで、過度に防衛的・保守的になっている様子が見られますが、労働側の極めて冷静、合理的な対応が目立っています。
経済・経営を運営するのは人間です。人間として知恵と力を合わせて、「役割分担を超え」より良い将来のための配分を考えるというのが本来の在り方でしょう。
昨日、日本経団連が2018春闘政策を盛った「経労委報告」を出しました。マスコミによれば、目玉は、安倍総理の意向を忖度した「賃上げ3%の提言」のようです。
私もどこかのセミナーで、説明を聞いてこようと思っていますが、これは賃金という労働者の分け前を3%増やすべきだという事で、労働者の分け前を増やせば、その分資本の分け前(利益)は減りますから、これは労働と資本の分け前に関わる提言です。
労組の2%ベア要求、経団連の3%賃上げ要請という問題については、過日「 経団連会長3%賃上げを呼びかけ」で触れましたが、また改めて、労使の話を聞いてから取り上げます。
今回は人間と資本の関係の本質論ですから、本論に帰りますが、「労働と資本の分け前(賃金と利益の分け方)」という場合、基本は「何を分けるのか」です。
ここを確りしておかないといけません。分ける対象は「付加価値」(このブログの主要テーマ)です。 付加価値は、国で言えば「GDP-減価償却費=国民所得 」です。これは雇用者報酬と営業余剰、つまり賃金と利益に分けられています。
最近、賃金は上がらなくて、企業の利益への分配が多く、企業の内部留保が増えている、労働分配率が低下しているといわれますが、労働分配率というのは付加価値に占める労働への分配の割合です。
実は経済問題の大半はこの労働分配率の在り方に関わるものです。資本への分配が多すぎるという事から共産主義思想が生まれました。労働への分配が多すぎると1980年代の欧米の様に、インフレから スタグフレーション になって、経済成長が止まります。
では誰が配分を決めるのかというと、身近なところで、経営者(と労働組合の交渉)が決めるのです。
今の日本では決め方が巧くないという理由で、安倍総理が「3%賃上げしなさい」などと分配の是正(イレギュラー発言)を言っています。
労・使・政府と役割分担で分業しているので、どうしても自分達の都合のいいように決めたがることが多いのですが、全部一人でやる場合は、1人で両方考えなければなりません。
例えば、米を10俵収穫して、何俵まで食べて(賃金相当)、あと何俵は来年の種籾などにするか(利益相当)、を一人で決めなければなりません。
食べない分は、種籾、土壌改良、農機具の購入などの資金に充てる分ですから「利益、貯蓄、投資など」つまり来年以降のより良い収穫のための配分、つまり「より良い将来」への配分を全部自分で決めるわけです。
役割分担が無ければこうして自分で考えて納得がいくように分け前を決めますが、役割分担の世界では、往々「配分闘争、分捕り合戦」という事になってしまいます。
J.バーナムの「 経営者革命」、P.ドラッカーの経営学の教科書などでは、経営者が「役割分担」を超えて、適正な分け前を合理的に決める機能を果たすべきだという思想に立っていると考えますが、欧米の経営スタイルは「経営者は資本の代弁者だ」という考え方が強いようです。
翻って、日本の場合を考えますと、経営者も適正な配分を指向し、 労働組合も経済・経営に整合した配分指向を持ち 、世界に稀な労使関係、付加価値配分理論を確立してきています。
近年経営者側には、長年の不況のせいで、過度に防衛的・保守的になっている様子が見られますが、労働側の極めて冷静、合理的な対応が目立っています。
経済・経営を運営するのは人間です。人間として知恵と力を合わせて、「役割分担を超え」より良い将来のための配分を考えるというのが本来の在り方でしょう。