tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

人間と資本の関係:中心はどちら

2018年01月16日 16時53分47秒 | 社会
人間と資本の関係:中心はどちら 
 太陽が地球の周りをまわっているのか、地球が太陽の周りをまわっているのかは、ガリレオとローマンカトリック教会の対立でしたが、今日の企業社会で、人間が中心か、資本が中心かと言いますと、結構論争のある所ではないでしょうか。

 企業は株主のもので、株主の利益が最も大事というのは、伝統的な欧米流の企業(株式会社)の在り方のようですが、企業が欲しているのは、株主という人間ではなくて、株主の提供してくれる資本でしょうから、株主という個人の顔は消えて、提供された資本に忠実に収益(資本の増殖)を齎すのが企業の果たすべき役割という事になり、矢張りおカネが中心か?という事にもなりそうです。

 しかしもう少し遡って考えると、人間が共同作業で採集や狩猟、さらには農業などで富(資本)を増やし、さらには企業(代表が株式会社)という組織まで作り上げてきたのは、生産活動の技術とシステムの進化でしょう。

生産活動を進化させてきた理由は「豊かで快適な生活をしたい」という人間の願望がすべての源ですから、やっぱり企業活動(生産活動)の中心は人間だという事になります。

 さらに考えてみれば、地球環境というのは「自然が用意してくれた」資本です(神様が与えてくれたと考えても同じですが)、これは無償供与です。仏教流なら「地水火風」でしょうか、これらは万人に共通・共有です。
 つまり、土地と水、それに空気と太陽エネルギーです、この自然からの無償供与を人間が自由に使って生産活動をしてきたのです。

 人間社会はどんどん進化し、共同体生活から国が出来、株式会社という組織まで考案し、それが生産活動の高度化に大変便利な組織になるよう進化させてきました。
 そして国でも株式会社でも、人間は役割分担をすることが生産活動の効率化を進めることを発見しました。(例えば、アダムスミスの分業論『pin factory』など)

 人間は貨幣を考案し、経済価値の尺度、交換の手段、価値の貯蔵といった役割を貨幣に果たさせることが出来るようになりました。
 そして多分、貨幣の役割と、人間に役割分担のシステムが多様に組み合わされて、資本家や労働者も生まれ、その中から「経営者」や「労働組合」といった関係も生まれ、経済学は1人の人間を、生産者と消費者に分けて分析し、経営学や、労働経済学は資本家、経営管理者、労働者(労働組合)に分けて行動科学などを展開することになったのでしょう。

 しかし現実には、1人の人間が生産者であり、消費者であり、資本家(株主)でもあり、経営管理者と同時に労働者であったりするのです(生活者)。
 冒頭にあげた、資本が中心か人間が中心かといった二分論は、本来は人間が主体で、資本は(意思など持たない)客体、人間が資本を使って生産活動をするというべきなのでしょう。

 ただ、人間の役割分担が、カネ(資本)との結びつき具合で、時に軋轢を生じ、役割意識が、資本があたかも独自の意思を持つかのように擬人化されたりするのです。
すべては人間の中の事で、権力(重要な役割)とカネ(資本)に過度に執着する人間がいたりすると資本が主、人間が従といった錯覚が起きたりするのではないでしょうか。