微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。また、ケアマネージャーの視点から介護についても記述します

ひとりごと

2006-07-10 05:55:23 | 生きる
こころが平和なときって
やっぱり自分が愛されていると感じているときかな
受け入れられていると感じるときかな
でもそれは受動的な平和で
やっぱり
自らの中に自らを受け入れられたとき
自己に不安を感じられなくなったとき
他者を認められ受け入れられることができるのだろうな
待つと言うこと
それはとても気が長いことだけど
いつか心の平和がひとりひとりの実践によってつながっていくことを信じて、つなげていくしかないんだろうな
平和って自らを愛せるように他者を愛することかな
何かに期待があればそこには必ず怒りや失望、喜びが在り
それを依存と言い換えてもいいのかな
慈愛の目で観る
そこにはただ在るがままをみつめるだけなんだろうな
怒りも、失望も、不安も喜びも無く
ただみつめるだけ
求められれば手を差し伸べ
必要とされなければ
離れるままに任す
私たちの感情の変化は
そこにある依存によって起きてしまう
悟り
それはすべてがあるがままとしたときに
そう感じるのかも
誰かと対談するときはいろいろな自分になって
ときには熱く
ときには冷静に
ときにはいたずらっこのように
ときにはおどおどとしながら
その人の変化に合わせて自分が変化する

大勢の人に対峙して話をするときは
こころを中庸に保ち
あるがままの自らを伝えるなら
それがよいかも

いつもあなたとともに
あなたにとって明日もよき日となりますように

リトリート

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