微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。また、ケアマネージャーの視点から介護についても記述します

生きる

2009-08-22 23:26:02 | 生きる
人生をみつめつづける

何があってもそれがその人の人生なのだから

何があってもそれがその人の選んだ道なのだから

人はいつ苦しみから脱し得るのか

それはあなたがあなたを許したときに

それはあなたがあなたを許したように他者を許したときに

そのときはじめて人は愛というものでつつまれるのではないだろうか

あなたがあなたを受け入れたように

あなたが他者をうけいれたときに

苦しみは癒えるのかもしれない

幸せを感じるために何もすることはなく

幸せを感じるために何も求めることもなく

生きているそのことが幸せと感じるには

あなたのなかにある愛というものにふれることではないだろうか

誰にも愛というものがあり

ただそれに気づかないか

ふれようとしないかではないだろうか

生きている限り周りの環境は常に変化を遂げるけれど

自らの中に自らを慈しむものにふれつづけるなら

変わらぬ幸せを感じることができ

人が誰かのために生きるのでなく

自らの意思のためにいきるのなら

それは生きやすい世となるかもしれない

あなたを幸せにするのは他者ではなく

あなたの中に存在する愛というものではないだろうか

自分にできることはなんだろうか

他者の運命を変えることはできず

他者に幸福を与えることもできない

できることは他者の生をみつめつづけ支え続けることではないだろうか

そして

必要とされるなら

あなたがあなたでいることを許される場

あなたがあなたでいられる場や空間、時間を

これからも創造していきたい

いつもともに

心のセラピーりとりーと
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癒しの場づくり

2009-08-22 04:01:30 | 生きる
いまやっていることのひとつに癒しの場作りがあります

今月にはじめて我が家で第1回を開催しました

それは参加者が自分の思いを自由に話す場

何を言っても許される場

かといってただ吐き出しの場かというとそうではありません

いつか参加者の内面からあふれる愛や慈しみであふれる場にしていくことが
最終目的です

人がいつも幸福だと感じることができるのは自らの内面からあふれる愛に包まれたとき

愛や慈しみは自らの内面からあふれ出でるもの

人が誰かを幸福にしようとしたり
誰かから幸福を得ようとしたとき

きっとそこに葛藤が生まれるでしょう

誰も他者を幸福にすることはできないけれど

誰かのあふれ出でる愛や慈しみにふれたときに

人は自らの内面にある愛に気づくことでしょう

いつもともに

心のセラピー「りとりーと」http://www1.odn.ne.jp/self-therapy/

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