Altered Notes

Something New.

「マイケル・ブレッカー」というスタイル

2020-12-18 00:00:00 | 音楽
「マイコー」である。ジャクソンではなくブレッカーの方だ。テナーサックスプレイヤーのマイケル・ブレッカーである。

ジャズの世界ではオリジナルな演奏スタイルを持つ強力なミュージシャンを「スタイリスト」と呼ぶが、マイケルは正にスタイリストの名に相応しいミュージシャンである。(*1)

彼のサックス演奏に於けるアドリブ・スタイルは、メタルのマウスピースから出てくる輪郭のはっきりしたサウンドに乗せて、曲の調性からアウトしたフレージングを素早くリズミックかつメカニカルに組み立ててスピード感を持って演奏できる点にある。それが聴く者にとっては非常に新鮮であったし、彼を印象づける最大の個性と言えよう。

1970年代の前半から活動を始めた彼は兄のランディ(tp)(*2)と共にビリー・コブハム(ds)のスペクトラムに参加するなど徐々に名と演奏が知られるようになって、1970年代半ばのザ・ブレッカーブラザースで大きくブレイクした、と言えるであろう。その時期にはニューヨークのモダン・ミュージック・シーンでジャズやフュージョンのセッションから引っ張りだこの状態になる。(*3)

彼がいかに凄いスタイリストであるかを示す事実がある。なにしろ、1970年代半ば以降の世界中のジャズ系テナーサックス奏者は(ややオーバーに言えば)多かれ少なかれマイケルのスタイルに影響されるようになったからである。日本のジャズ・フュージョン界でもマイケル風のスタイルを身に着けたサックス奏者は少なくなかった。

腕の達者なサックスプレイヤーは器用にマイケルのスタイルを取り入れて調性からアウトしたメカニカルなフレーズを速い16分音符で演奏したものであるが、そのほとんどはエピゴーネンで終わっている。模倣の領域を脱することはできなかったのだ。

何が違ったのであろうか。

一概には言えないが、大きなファクターとしては綴るフレーズに織り込む「歌心(うたごころ)」であろう。マイケルのアドリブは単に早くて細かいフレーズを繰り出していたのではない。そのフレーズには彼の魂とも言える歌心がしっかり乗っていた。メカニカルな組み立てのフレージングのように聞こえて実はそこに彼の歌心(心情・感情)がしっかり織り込まれていたのだ。それは各フレーズの中にもあるし、それらフレーズ群全体の総合的な観点でも言える。彼のソロを聴けば判るが、非常にエモーショナルな演奏でありリスナーのハートを鷲掴みするパワーが有る。彼の世界に引き込まれる感覚だ。インヴォリューション(巻き込むこと)の力が働くのである。だから聴き手は単に彼の高い技術に感心するだけではなく、歌心の中にある種の心情的な”真実(魂)”を感じて心を動かされるのである。いわば情動作用が起きる、ということであり、心の琴線に触れる演奏、とも言えるであろう。(*4)

マイケルのスタイルの元になったのは間違いなくジョン・コルトレーンであろう。コルトレーンの速くて緻密なフレージングは当時「シーツ・オブ・サウンド」と呼ばれたが、マイケルはその模倣に終わらず、そこにマイケル自身の考えや個性を溶け込ませる事に成功した。真に凄い事である。

冒頭でテナーサックスプレイヤーと記したが、ウインドシンセサイザー(電子サックス)の演奏に於いても第一人者であり、日本のAKAIのEWI(電子サックス)を常用していた。

残念ながら2007年に病気で他界したが、彼が残した演奏は永遠に残るであろう。



参考までに彼の演奏映像を2つ紹介しておく。

Above and Below - Brecker Brothers
1992年のスペイン・バルセロナでの演奏だが、ブレッカー兄弟を囲むミュージシャンもドラムのデニス・チェンバースをはじめ全員が名うての強者ばかりである。ギターはマイク・スターンである。

The Return Of The Brecker Brothers Band / Some Skunk Funk (1992)
同じく1992年の山中湖畔で開催されたマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルでの演奏である。上記の演奏とほぼ同じメンバーだが、ギターはバリー・フィナティーである。



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(*1)
ブレッカー兄弟が出てきた1970年代は他の楽器でもスタイリストと呼べるオリジナリティーを持ったプレイヤーが続出した。例えばエレクトリック・ベースのジャコ・パストリアスである。エレベの世界では「ジャコ以前」「ジャコ以降」という分け方ができるほどエレキベースの世界を変えてしまった男だ。ドラムではスティーブ・ガッドに代表されるルーディメンツをベースにした新しいフィーリングを持つドラマーの台頭が16ビート・リズム中心のモダンな音楽(一般にはフュージョンと呼ばれるもの)シーンにおいてあった。スティーブ・ガッドはイーストコーストの代表格だが、ウェストコーストの代表格はハーヴェイ・メイソンであろう。この二人共、ボブ・ジェームスのレコーディング・セッションで重宝されるドラマーとしても知られた。

(*2)
兄のランディ・ブレッカー(トランペット)も素晴らしい音楽家である。優れた作曲家でもあり彼の演奏も個性と歌心に溢れるもので、他所のセッションで演奏していても彼の演奏はすぐに判る。

(*3)
マイケルの先輩にあたるマッコイ・タイナー(p)やハービー・ハンコック(p)、チック・コリア(p)、クラウス・オガーマン(作編曲家)のような巨匠達からも信頼されており、彼らのマイルストーン的なアルバムでも素晴らしい演奏を披露している。

(*4)
あまり他のプレイヤーの批判はしたくないが、マイケル・ブレッカーを模倣するサックス奏者は往々にして「調性からアウトしたフレーズを高速で吹きまくる」事は技術的に上手いながらもそこに音楽的な魂(ソウル)を感じられない場合が多いのは事実だ。こう言っては申し訳ないが一種の”技術偏重”になっているのだ。もちろんそれだけでもリスナーに対する”脅かし”は充分可能だが、真の音楽的な充実と成果を得るまでには至らないのが実情である。これは比較的有名なミュージシャンの場合でもそうであり、それによって逆にマイケルの凄さ・良さがより際立って認識されるところである。




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