Altered Notes

Something New.

ヘイトスピーチ そもそもの認識

2016-06-13 00:50:26 | 社会・政治
ヘイトスピーチに対する批判が強くなってきている。現在、ヘイトスピーチ問題といえば在日朝鮮人や韓国に対するものを指すケースがほとんどである。

ヘイトスピーチを抑える動きとしては、法律としてヘイトスピーチ法が既に施行されているし、川崎市のように行政が率先してヘイトスピーチを封じ込めるような動きも見られる。(*1)

テレビ番組においてもヘイトスピーチに批判的な番組も散見されるようになっている。NHKはヘイトスピーチをテーマにした討論会を開催した。概して社会全体がヘイトスピーチに対して否定的な立場となっているように見える。

しかし、である。
そもそも「なぜヘイトスピーチが行われるのか」という原点の認識についてはほとんど議論されていない。マスコミの論調はおしなべてそうである。単に「ヘイトスピーチけしからん」という立場であれこれ論じているのだが、「なぜヘイトスピーチが始まったのか」についてきちんと考察せずに一方的な批判ばかりがなされており、原点である「そもそも」がきちんと報道されているとは言いがたい状況だ。これは奇妙なことである。問題が生じているとしたら、まずその問題の原点が何であるかの認識をはっきりさせることが必要な筈なのだが。

問題の原点といえば、言うまでもなく韓国人による日本と日本人へのヘイトスピーチに他ならない。韓国人の日本に対するヘイトスピーチは日本人のそれよりもはるかに凄まじいものがある。これは報道されているものだけでもかなり酷い実態が知られているが、実は報道されていない部分ではさらに酷いヘイトスピーチが行われているし、各種の嫌がらせ行為というアクションも行われている。そもそもこうした韓国政府やと韓国人による対日本ヘイトという実態がはじめに存在したから、さからやむなく日本人もそれに反論しただけのことであって、それな間違いない。現代の日本人はそもそも初めから韓国や韓国人に嫌悪感を持っていたわけではない。韓国人がやたらに日本と日本人に対して嫌味な言葉を投げつけ、さらに国民レベルから国家レベルまで様々な嫌がらせ行為をエスカレートさせており、それに困惑した日本人が韓国人に対する自然なリアクションとして発生してきたと言えるのだ。しかもそのほとんどはヘイトスピーチではなく嫌がらせを繰り返す韓国への正当な反論なのである。

テレビを中心とするマスコミはこうした問題の原点を故意に避けているように見える。

なぜか。

日本のマスコミや大手広告代理店に韓国の立場に加担することを是とする空気があるからである。だから同じヘイトスピーチでも韓国人のそれには全く触れず、日本人のそれだけを問題視するのである。

どうしてか。

現代のマスメディアの多くは朝鮮系の人々に乗っ取られているような状態である。それは諸々の客観的な事実から見て間違いないだろう。(*2)

報道する側の姿勢が既に強烈なバイアスがかかっている状態であり、これでは公平な報道も議論も望み得ないのである。また、ヘイトスピーチを法律という強権で押さえ込むやり方は表現の自由という憲法で謳われた国民の権利を阻害している可能性が高い。こうした傾向は数十年前から始まっており、2000年代に入ってますます色濃くなってきているのである。



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(*1)
川崎市のヘイトスピーチ防止条例は内容が酷すぎるとして問題となっている。「日本→韓国」のヘイトスピーチは全面禁止だが、「韓国→日本」のヘイトスピーチはお咎めなしなのである。酷い差別条例と言えよう。
[2019.12.2加筆]

(*2)
参考資料
在日に乗っ取られたテレビは単なる洗脳装置
『TBSが、テレビ局が、在日韓国人、在日朝鮮人に、乗っ取られるまで…☆』













「号泣」を誤用し続けるマスコミ

2016-06-07 00:02:30 | 放送
人が泣いて目から涙が流れると、テレビ番組ではそれを「号泣」と呼んでいる。だが、これは完全に完璧に間違いである。

「号泣」の「号」とは何であろうか?
「号」とは「大きな声を出す」ことを意味しており、「号泣」とはすなわち「大きな声を上げて泣くこと」を意味する。
「号」が付く言葉として「号令」「怒号」などがあるが、これはいずれも「大きな声を出す」状態を表している。

テレビ番組では人が声を出さずに目から涙がこぼれただけで 待ってました とばかりにそれを「号泣」と呼んではばからない。ご丁寧にスーパーインポーズで「号泣」と表示される場合もある。
前述のように「号泣」とは「大きな声を上げて泣くこと」なのだからテレビ屋の用法は完全に間違いであることは明白である。

テレビ屋自身、これが間違った使い方であることを理解できているのか不明だが、たとえ理解していても「号泣」の誤用をやめる気配は全くない。また、無知で無教養なタレント達も平然と「号泣」を使い続けている。自分の頭で考えることができない人たちなのだろう。テレビ屋の言葉の間違いは「号泣」だけではなく、このブログでも以前から多くの指摘をしている通り、間違った言葉を垂れ流して恥じることがない。

テレビを中心とする現代のマスメディアは日本の言葉・日本人の言葉を率先して破壊する急先鋒となっている。このような無神経で凶悪な姿勢を隠そうともしないから、だからまともな人達の信用・信頼を失うのであり、ますますテレビ離れは加速していくのである。(*1)

テレビ屋は腐りきっている。



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(*1)
マスメディアは一般大衆への影響力が強く、従ってそこで使われる言葉もまた広く浸透しやすい傾向にある。いい加減な言葉を流行・定着させれば、それだけ日本社会を混乱させたりクォリティを低下させる事が可能になるのだ。テレビ局にはそれを望むモチベーションがある。
テレビ局に代表されるマスメディアには左翼思想を持つ人が多い。彼らが目指すところは日本という国の破壊・崩壊である。その証拠にメディアが流す報道内容のほとんどが日本政府への批判であり否定である。否定する為ならば事実をすり替えたり捏造することも厭わない。結局マスメディアがやっているのは報道ではなく左翼のプロパガンダなのである。これは客観的に見て間違いない。そうでなければ説明のつかない工作をテレビ局はしているからだ。例えば、「号泣」に見られる言葉のいい加減さ無責任さもまた日本という国や社会に対する分断工作の一つと言える。
また、「マスメディア=左翼」という事実だけではなく、テレビ局を構成する職員が日本人だけではない事も関係している可能性がある。朝鮮系や中国系の職員が多く、その侵食は既に経営層にまで及んでいる。(*1a) そこから判るように、テレビ局の基本姿勢は「反日」「侮日」なのである。

(*1a)
TBSの安住アナウンサーはかつて「社内ではハングルできないと出世できない」という趣旨の発言をしているくらいだ。