Altered Notes

Something New.

マスコミ報道は常に事実を捻じ曲げる

2019-09-23 18:25:00 | 社会・政治
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」の展示中止について共同通信は20日、河村名古屋市長が大村愛知県知事に展示作品についての「芸術性」について質問状を送ったという記事を掲載した。

河村氏「少女像、芸術性説明を」県知事に質問状、謝罪要求

大村知事が自己保身の気持ちから悪意ある決めつけをしているのはともかく、記事としては特に問題はなさそうに見える。だが、実はここに大きな情報操作・印象操作が潜んでおり、共同通信は事実を矮小化して伝えようとしているのである。

普通に読むと記事の趣旨は元慰安婦像を象徴した「平和の少女像」について河村市長が大村県知事にその芸術性について質問した、という形に読み取れる。

だがしかし・・・。
本当は違うのである。
実際の公開質問状ではそうは書かれていないのだ。

実際の公開質問状では少女像よりもむしろ「昭和天皇の御真影を燃やして踏みつけて顔を損壊させる映像」の事を大問題として最初に挙げており、これの芸術性を説明せよ、と言っているのだ。

昭和天皇の顔を焼いて損壊するのは余りにもショッキングである。芸術性ところか、人としてのまともな心理状態すら破壊しかねないほどのインパクトが有る。なぜなら「人の顔写真を焼いて踏みつける行為」は深層心理学的には「象徴的な殺人行為」に相当するからである。もしもこの展示物をまともに報道してしまったら一般国民は「表現の不自由展」とそれを主催した人々を悪しき勢力として認識し憤りの感情を持つだろう。それよりも「少女像(慰安婦像)」の事だけ報じていれば問題の本質は日韓問題にあり、それが全てであるかのような誤解を読者に与えられるのだ。そして慰安婦像を問題と指摘する河村市長をそれとなく悪者にして大村知事の方を韓国にやさしい善なる人物として描こうとしているのは間違いないだろう。

そしてこれは共同通信だけでなく、日本のほとんどのマスコミがこの姿勢この方向で報道しているのである。

繰り返すが、河村市長は「昭和天皇の写真を燃やして踏みつける映像」について、これの圧倒的な非人間性について最も大きな問題として質問状で提起しているのである。それを共同通信の記事ではあくまで「少女像について質問している」という形に事実を矮小化して伝えているのだ。そうして問題の矮小化とある種のテーマのすり替えを記事で行っているのである。


そもそもその国の元首の顔写真を燃やして踏みつけるような行為をして無事でいられる国は日本以外にこの地球上にはないだろう。本来はあり得ないことだ。

表現の自由について「無制限だ」と大村知事は言っている。河村市長は「無制限ではない」と言っている。表現の自由という崇高な理念を実現するには人としての節度と常識、そして責任が必要であることは言うまでもない。

報道機関としてはそこをきちんと理解できるように伝えるべきであるはずなのに、日本マスコミの報道は単純に「大村知事が善、河村市長が悪」という図式に持っていこうとする。だから嫌らしくひん曲がった報道ばかりになるのである。

表現の不自由展で津田大介氏や実行委員会がやりたかったのは「芸術の展示」ではなく「左派政治勢力のプロパガンダ」であったであろうことは諸々の状況証拠の数々から明らかと言える。彼らはこれを公費を使って公的な場所でこそこそやろうとしたのだ。そして日本のマスコミはこうした「本当の事」「真実」を一切伝えようとしない。

これが日本の報道の実態である。真実を正しく報じるメディアがほぼ無い現実に幻滅するところだ。



あいちトリエンナーレ2019 表現の不自由展 問題の核心

2019-09-22 14:25:00 | 社会・政治
「あいちトリエンナーレ2019の表現の不自由・その後」展が問題になった。

表現の不自由展に於いて問題となった3つの作品
「平和の少女像と称する慰安婦像」
「昭和天皇の御真影を焼いて灰を踏み潰す映像」
「大東亜戦争兵士を馬鹿にするオブジェ」
芸術監督の津田大介氏はこれらを芸術として展示した。

世間では各方面から様々な評論・評価がなされているが、最大の問題にして核心部分を簡潔に記しておく。

表現の不自由展がなぜ駄目だと評価されるのか。それは下記の2点の理由に依る。

1.上記3作品が「芸術」ではなく「特定政治勢力のプロパガンダ」だから。
2.そのイベントを公費を使って公的な場所で開催したから。


・・・である。

上記1.を裏付けるのが表現の不自由展実行委員会のメンバーである。

アライ=ヒロユキ氏:週刊金曜日などに寄稿する左派言論人である。
岩崎貞明氏:元テレビ朝日・報道局社会部で記者やディレクターを担当した。
岡本有佳氏:慰安婦グッズを販売するWEBサイトの理事であり、週刊金曜日の編集者である。
小倉利丸氏:反天連(反天皇制運動連絡会メンバー)であり、日の丸・君が代に反対の立場をとる。
永田浩三氏:元NHKプロデューサー・ディレクター。自身の制作番組で「昭和天皇を裁判にかけ婦女暴行の罪で有罪にする」という内容のドキュメンタリーを制作。

全員がバリバリの左派思想の持ち主であり反日的活動に日夜邁進する人々である。

また、津田大介氏自身、「平和の少女像」は「慰安婦像」であることを自身のTwitterで認めているし、昭和天皇の写真を燃やす映像は最初から問題になるであろうことをアドバイザーの東浩紀氏との対談で半笑いで語っているのだ。

津田大介氏と実行委員会は公費を受け取りながら反日的な左派プロパガンダを実施した。はじめから「芸術」を展示する意図などかけらもなかったのだ。そもそも津田大介氏に「芸術」のセンスがあるなどと誰が認めるだろうか?・・・強烈な違和感しかない。・・・そういうことなのである。

繰り返すが、展示物は「芸術」ではなく「左派思想のプロパガンダ」であること、それを公費を使い公的な場所で開催したところが問題なのである。

津田大介氏と実行委員会の凶悪な意志が感じられる。


さらに、これらが「芸術」ではなく「左派の政治プロパガンダ」であることを裏付ける傍証としてマスコミの報道姿勢が挙げられる。
ただでさえ反日的姿勢を持つマスコミはこの表現の不自由展について意図的に「慰安婦像」だけを取り上げて、「昭和天皇の写真を焼く映像」「日本軍兵士を馬鹿にするオブジェ」については全く紹介しなかったのである。これは不自然な扱いであって明らかに報道に左派政治勢力のバイアスがかかっている事を示すものとして受け取れるのは間違いないところだ。やましいから後者2つは紹介しなかった…いや、できなかったのだ。やましくなければ(本当に「芸術」だと考えているなら)普通に紹介できていた筈である。(*1) マスコミ自身が津田大介氏と同じでこの表現の不自由展が政治的プロパガンダの場である事をよく判っていたことを雄弁に示す証拠と言えよう。


トリエンナーレの最高責任者である大村愛知県知事やアドバイザーを務めた東浩紀氏たちにも記しておきたいことはあるが、この問題が表面化した後の彼らの対応は「責任のなすりつけ合い」と問題からの逃避ばかりに終始しており、人として低次元で醜悪そのものであることから「この程度の人々」という評価を記す程度に(今は)しておきたい。




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(*1)
”昭和天皇の写真(御真影)を焼いて足で踏みつける”という行為は深層心理学的に言えば「殺人」を象徴する行為であって、それは作者や展示を主催する人々の「真意」がそこに潜んでいる、ということだ。津田大介氏や実行委員会の面々・大村知事たちは象徴的な殺人という形で遇したのである。



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<2019/9/28:追記>
文化庁が当該イベントに対する公的補助金を交付しない決定をしたことに対してイベントの当事者及び左派界隈の人々から激しい抗議の声が上がっている。その趣旨は「表現の自由に対する弾圧だ」「これでは表現の不自由な国だ」といった趣旨のようだが、これは全く的はずれな主張である。

そもそも表現の自由を誰も弾圧などしていない。主催者が私費を投じて自分達で確保したスペースで開催するなら全く自由である。

問題は主催者と左派の思惑通りに補助金にありつけなかった、というそれだけのことであり、それを「表現の不自由に」すり替えるのは滅茶苦茶な屁理屈である。

中国や韓国・北朝鮮で「国家元首の顔写真を燃やして灰を踏みつける」事をやったら間違いなく殺されてしまうだろう。顔写真を燃やす事自体が”象徴的な殺人”というモチーフに他ならないからである。殺されず罰せられることもない日本は明らかに表現に自由な国であると言える。抗議をしている人々はそういった前提とも言える基本認識すらなってないのが実情なのだ。



<2022/7/23:追記>

『署名運動を妨害か 愛知県知事リコール署名運動めぐりジャーナリスト津田大介氏香山リカ氏ら4人書類送検 愛知

愛知県知事のリコールを求めた署名運動をめぐって、虚偽の情報をツイッターに載せて運動を妨害したとして、ジャーナリストの津田大介氏や精神科医の香山リカ氏ら4人が書類送検されていたことが判明した。マスメディアはこうした左翼の活動家の犯罪は一切報道しない。マスメディアは報道機関ではなく左翼の情報工作機関だからである。


<2023年6月16日:追記>
「月曜日のたわわ」というイラスト・アニメが「性的云々」という的はずれな批判を受けたことがあったが、津田大介氏は「不快に感じる人が居るなら配慮するべき」と発言している。これは彼自身の「不快に感じる表現こそ守るのが表現の自由を守ること」という原則から相当外れている。矛盾しているとも言えよう。ここから類推出来ることは、津田大介氏は「表現の自由」を守るつもりは全然無いのであろう、ということだ。








宇垣美里を正しく理解する為に

2019-09-14 18:23:55 | 人物
元TBSアナウンサーの宇垣美里さんはある意味ユニークな人物であるが、彼女を正しく理解している人は少ないだろう。多くの人は芸能マスコミが垂れ流すほとんど誹謗中傷レベルの嘘と誇張に満ちた情報しか見聞していない。故に彼女について完全に間違ったイメージを抱いているであろうことは想像に難くない。

実際はどのような人なのだろうか。

宇垣美里さんがTBSを退社される少し前に放送された有田哲平氏司会の「夢なら醒めないで」(2019/2/5・TBS)に於いては、当時の境遇を含めて思うところを語っていた宇垣さんだが、世間的には正しい理解が進んだとは言いがたかったようである。

この番組でアシスタントMCを務めた大橋未歩さんは最近になって次のような趣旨の感想を述べた。

「共演した時の宇垣さんは ”私は正論で相手を殴るタイプなんですよね” と言っていた。宇垣さんは正論は一つだと思っているんだな、と思った。私は正論は立場によって違うから正しさは沢山あると思っている」(2019/7/17・MXテレビ「5時に夢中!」)

大橋未歩さんの発言は間違ってはいないが、やや上から見下ろしている姿勢が垣間見られる。「個性の時代だからそういうタイプのアナウンサーが居てもいい」と大橋さんは言うのだが、しかし個人的にはそれを好ましいとは思っていない事が行間から読み取れる発言ではあった。

では、大橋未歩さんはなぜそのように感じたのか。

世の中は「清濁併せ呑む」という言葉があるように、人はTPOに合わせて臨機応変に生きていくことが求められるのは確かである。その中では様々な正論が並立し得るし矛盾や不条理もあり得る。時には濁った水も飲まねばならないような形の正論もあるだろう。

一方で、宇垣美里さんは幼い頃から自らを厳しく律する生き方を己に課してきた。正論の中でも濁りのない、人として理想と思える信条を自己の中心に据えて生き育ってきたと言って過言ではない。

理想的な信条というものは世の中の実際の有り様とすり合わせた時にしばしば摩擦が生じる事もあるが、しかし宇垣美里さんは自分を厳しく律してきた信条・信念を裏切らない生き方のみを是とするのである。それは人としての理想であり至高のあり方を模索するものでもあると同時に、そのまま宇垣美里さんの個性として輝く部分でもある。

「宇垣さんは正解が一つだと思っている」・・・大橋さんはそう言ったのだが、その「一つ」は、しかし人間としての「至高の一つ」であり、本来人が目指すべき理想のあり方を示すものであることは理解する必要があるだろう。宇垣さんは思考に思考を重ねてそのような結論に行き着いたのだし、そうした信念に沿って自分を裏切ることなく生きてきたのだ。

大橋未歩さんはこうした宇垣美里さんの信条・信念を恐らくはご存じないであろうし、大橋さんが想定しているタイプとは異なるが故に前述のような感想になったものと思われるが、大橋さんのようにある意味で”達観した大人”には逆に理解が難しい領域なのかもしれない。これは大橋未歩さんを批判している訳ではない。ここに人間としての「タイプの違い」が存在する、という厳然たる事実を示しているのである。この「人としてのタイプの違い」をきちんと意識化し正しく理解しておくことは人間を理解する上で非常に大切であり必須の事項と言える。

誠実で思慮深い大橋未歩さんでさえ宇垣美里さんを100%正しく理解できている訳ではない事を考えると、世間という名の一般大衆においては宇垣美里さんを正しく理解することは相当な困難があるだろうことは想像に難くない。

こうした宇垣美里さんの個性について、東進ハイスクールの林修先生も非常に肯定的に捉えており、「宇垣さんは信念の人である」という趣旨の見解を以下のように述べている。

「宇垣さんは誰が見ても美しいと思う。”美人”というのは一番わかりやすい特徴なんですよ。で、”賢い”というのはなかなか伝わらないんですよ。僕は宇垣さんのネット記事は相当見てますから…世間にどう見えるかというと、好きなことやってる。やりたいことやっている。我慢しないで会社も辞めたって見えるんです。でも実際コスプレをやればかっこいいし、よく知っている人は支持しているんです。期待されていることを信念を持ってやり続けると、絶対にそのうち、ああ(好き勝手やっているように)見えるけど、実はすごいんだよ。素敵なんだよってより多くの人に伝わるんじゃないか」(2019/7/17・日本テレビ「グサッとアカデミア」)

林先生が言われたように、宇垣美里さんをよく知っている人(理解している人)はみんな支持しているのである。攻撃しているのは彼女を知らない(全く理解していない)連中に過ぎないのだ。(*1) 林修氏は人物評価について嘘やお世辞を言う人ではなく、ストレートな評価としてこのコメントをされているものと考えられる。
(*2)

現在、一部の三流芸能マスコミは宇垣美里さんへの誹謗中傷記事を流し続けているが、これは正に芸能マスコミが宇垣さんを全く理解していない上に悪意を持って記事にしているからである。世間に誤解ばかりが広まるのはこうした姑息で凶悪な一部の芸能マスコミによる印象操作が元凶なのである。その記事内容を読んでも事実誤認・事実無根・偏向解釈、宇垣美里さんへの凶悪な攻撃姿勢ばかりが目立つ。中には金を貰ってヤラセで誹謗中傷記事を書いているケースもあり得るだろう。芸能マスコミの腐敗はとどまることを知らない。

筆者が以前の別稿にも書いたように低俗な芸能マスコミは自分たちに素直になびいてくれないタレントに対しては攻撃姿勢をとる。メディアという権力を使って弱者たる個人を攻撃するのだ。芸能マスコミがいかに人として低レベル、しかも凶悪で卑怯な連中であるかがよくわかる。(*3)


宇垣美里さんは己の信念を裏切らずブレない生き方ができる人であり、なおかつこの年頃の女性タレントとしては過去にあまり類例のない存在と言えるかもしれない。一部の芸能マスコミや世間の雑音に惑わされずその生き方を完遂する意志の強さを持つ人である。これからの活躍にも要注目であり期待が高まるところだ。温かい目で見守りたいと思う。



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(*1)
一般の人々の中にも宇垣さんを全く理解できない層があり、SNSやニュースのコメント欄で誹謗中傷を繰り返している。彼らは元アナウンサーの女性がフリーになった後の進路は一つしかないと思い込んでいる点で単純過ぎるし一方的な見方しかできない人々である、と言えよう。

(*2)
タレントの伊集院光氏は宇垣美里さんについて「非常に評価の分かれる人であり、『とてもピュアだ』と言う人と『あざとい』と言う人に分かれる」という趣旨のコメントを述べているが、伊集院光氏もまた宇垣さんについてはその実像をあまりご存じないのであろう。知らないからこそそのようなコメントになるのである。

(*3)
凶悪な記事を書くような芸能マスコミの本性は単に芸能人から良くしてもらいたいだけの赤ん坊のような”かまってちゃん”に過ぎない。良くしてくれる芸能人には良い記事を書き、そうでない芸能人は記事で攻撃する・・・ただそれだけの単純にして単細胞な連中なのだ。”下衆の極み”とは彼らのような連中のことを言うのである。



宇垣美里を理解できない芸能マスコミ

2019-09-14 18:23:00 | 人物
5月11日に池袋で行われた「Ultra acosta!」というコスプレイベントで4月からフリーになった宇垣美里さんが化粧品メーカーオリジナルのキャラクターである黒の魔女のコスプレで登場し商品をPRした。

このコスプレが素晴らしく、あたかもその世界からそのまま飛び出してきたかのようなリアリティを感じさせる仕上がりになっていた。

現場では芸能マスコミに依る囲み取材が行われて宇垣さんは記者のインタビューに答えていたのだが、このインタビューが案の定酷いものだった。

コスプレの印象などを聞かれている内はまだ良かったのだが、例によって何も考えていない記者は無神経に恋愛について質問してきた。

記者「恋愛はいかがですか?」
宇垣「恋愛ねぇ…する機会がなかなか…。実は結構4月から忙しくって、おかげさまで、バタバタしています」
記者「(恋愛は)無いということでいいですか?」
宇垣「そうですねぁ…いませんかねぇ…ウフフフ」

宇垣さんはこうした個人的かつ薄っぺらい事を聞いてくる人間が最も嫌いなのである。(*1) 筆者はこの質問を聞いて、宇垣さんは内心強い憤りを感じているだろうし、咄嗟に「そうですね、いませんかね」という返しをしてしまったことをきっと悔いているのではないか、と予想した。本来の宇垣さんならば、こうした極めて個人的な領域について安易に踏み込まれる事を何より嫌うのだし、いつもの宇垣さんならば記者に対して軽薄な質問をする姿勢について突っ込み・問いただし・教え諭しがある筈なのだが、この日は当たり障りなく返した、という印象があった。恐らく宇垣さん本人としては内心忸怩たる思いがあったに違いない、と筆者は推察した。

その推察はそのまんまその通りで当たっていた。

週が開けて5月14日のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」に出演した宇垣さんはこの時の取材の受け答えに関しての不満・憤りを述べていた。話し相手は番組パーソナリティのライムスター・宇多丸氏である。

宇垣「コスプレイベントで黒の魔女のコスプレをさせていただきまして、非常に楽しかったんですけど、その時に囲み取材みたいなところで『恋愛はいかがですか?』って聞かれて、最初はちょっと適当に流していたんですけど、やっぱりあの、メイクにかこつけて『一番人が変わるのは愛の力だと思うんですけど』などと聞かれて、人の変化について舐めくさってると思いながら、最初は『周りの人に対して愛を持って接するようにしています』とかすごい適当な事を言ってたんですよ。ちゃんとね。そしたらその後に、『いやあの、恋愛の方は?』って言われて、あたし、あそこでね、ちょっと日和っちゃって…『はぁ、最近はちょっと忙しくてね、いませんかね』って言っちゃったんですけど…」
宇多丸「宇垣さん的には、そんなくだらねぇ質問してんじゃねぇよ、と」
宇垣「そう、それを聞いてどうしたいんですか?みたいな。いっそ『朝ごはん何食べたんですか?』とかの方がまだ建設的じゃないですか?みたいな気持ちになって…何なん?…って気持ちになったんですけど、それを普通に、なんかこう、ふわっとやっちゃって…」
宇多丸「穏当なとこにね」
宇垣「そう、で、控室に帰ってもう本当に頭抱えて…」
宇多丸「妥協してしまった自分というものが…」
宇垣「私は裏切った。自分の精神を裏切ってしまった…」
宇多丸「厳しすぎるよ自分に」
宇垣「あんな、あんな世の中の人が聞かれて多分一番嫌な思いをしている人もたくさん居ると思うんですよ」
宇多丸「そうですね」
宇垣「上司とかに(恋愛の事を)言われて、うるせぇな、と思ってる人もいっぱい居るだろうに」
宇多丸「ちょっと踏み込んだ話だよね」
宇垣「それについて闘う事が私の生き様だと思っていたのに…闘えなかったことがもうもうもうもう本当に情けない!」
宇多丸「ただそこでどう返すのが一番正解なのかな?なかなか難しいね」
宇垣「本当に、でもやっぱりその、そういう質問は今後受け付けるつもりはございませんって、もうね」
宇多丸「まぁピシャッとやるのもあれかもしれないけど、(奇声で)”フワッ!”みたいな…」
宇垣「(大声で)ロックンロール!」
宇多丸「正解は(落ち着いた声で)ロックンロール(笑)って言って『こいつコミュニケーション不能だ』って思わせるとかね」(笑)

・・・といったやりとりがあり、やはり気にしていた事が判明。

そもそも宇垣美里さんはマスコミが想定しているような人物ではない。マスコミがイメージしている宇垣さんは恐らく「女子アナあがりのちゃらちゃらとした普通の若い美女」といったところではないだろうか。全く理解できてないのである。だからあんな阿呆な質問をしてくるのだろう。

実態は全く違う。それは彼女の出演番組等を見聞きしていればすぐに判りそうなものだが、感性が致命的に貧弱で自分自身で真実を追求したことがない無能な芸能記者には所詮無理な話なのだろう。

宇垣さんは世間が抱いているイメージと本人の実像の乖離が大きい人の1人であろう。そもそもが局アナという狭い世界に収まり切るような人ではなく、その実像は世間が考えるよりもはるかにアーティスト的でセンシティブなメンタルを持っている人物なのだし、自分を律するポリシーを大切に生きている人だ。今回のコスプレについても、ただコスチュームを着用してキャッキャ言ってるような薄くて軽い人間ではない。宇垣さんがコスプレするならきちんとそのキャラクターと世界観を考えて芯からなりきる方向で作り上げていくだろう。知的好奇心に満ちた人であり、クリエイター気質的なベクトルのメンタルを持っているのは間違いない。(*2)(*3)

そういう人物に対して「恋愛はどうですか?」と聞いてくる芸能記者は自ら「自分は馬鹿で無神経で何も考えてませ~ん」と宣言しているようなものである。そもそも「恋愛はどうですか?」って聞き方は一体何だ?と。芸能記者の無礼で無神経な気質、そして頭脳のポンコツぶりが如実に判るというものである。それは、宇垣さんは飛び抜けた美貌の持ち主なので芸能マスコミがそうしたビジュアルにばかり注目するあまり、彼女の真の人間像がまるで見えていないのだし、見ようともしていない事でも判る、というものである。

また、芸能記者というのは取材で事実を知るよりも、始めから芸能マスコミ側が想定した結論・結果に強引に寄せていくような取材をする。「この人はこうだ(こうに違いない)」と始めから決めつけてかかってくるのである。酷いもので人として最低であり、正に唾棄すべき連中と言える。

しかし芸能界に居る限りはこうしたクズな連中ともなんとか折り合いをつけていかねばならない。(*4) 宇垣美里さんも今後大変であろうが、頑張っていただきたいと思う。そして何より宇垣さんが思い描く自由な世界(型やカテゴリーにとらわれない世界)を創造されることを期待している。



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<追記1>
2019年6月21日発売の「東京カレンダー」で宇垣美里さんのインタビューが掲載された。その中で宇垣美里さんは

「コレしかしちゃダメと言われると、破りたくなってしまうんです。もちろん私なりに空気は読みます。でも、自分の気持ちに嘘をつきたくはない」

と発言している。

これは優れたジャズミュージシャンの演奏姿勢と軌を一にしていると言って過言ではないし、タモリ氏が言うところの「ジャズな人」の基本姿勢でもある。

こうしたところにもこの宇垣美里さんの人としての面白さと可能性が感じられるのである。


<追記2>
BS日テレ「あの子は漫画を読まない」(2020年7月1日放送)において宇垣美里さんにまつわる4コマ漫画4種という企画があり、宇垣さんへのインタビューもあった。質問は宇垣さん自身の人間性に関わる内容もあったのだが、質問に誠実に答える宇垣さんの回答に対して現場に居たスタッフ達の無神経な笑い声に強い憤りを感じた。宇垣さんの回答は非常に真面目で質問に対してとても純粋に答えていたのだが、質問者や周囲のスタッフ連中があげた笑い声は宇垣さんの真意がまるで理解できていない人間のそれだったのである。テレビ番組のスタッフ達である。彼らは感性貧弱で想像力も思考力も無い人たちなのだろう、そんな下衆な連中の中で質問に答えさせられる宇垣さんの気持ちは相当辛いものがあったのではないか、と推察するところである。やはりテレビ屋はクズだ、と再確認したのであった。


<追記3>
宇垣さんを全く理解できず、理解できてない事にも気が付かずに嬉々として誹謗中傷をするのは芸能マスコミだけではない。一般人の中にも宇垣さんの受け止め方が判らない連中が少なくない。彼らに共通するのは、常に他のタレントと比較しての評価をすることである。人の個性は皆異なるのだから、そもそも単純比較には何の意味もない。評価基準も人によって異なるのは自明の理である。しかしこんな基本的な概念が理解できない単細胞な人々がSNSに熱心に誹謗中傷を書き込んで悦に入っているのが今の実態である。民度の低い人達なのであろう。残念なことである。




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(*1)
宇垣さんはプライバシーに関わる質問が苦手だとして、「その人のセクシャリティに関わることに対して、なんでそんなに気軽に質問できちゃうんだろう?」と疑問を呈している。
(TBSアフターシックスジャンクション 2018/10/9)

(*2)
芸能マスコミ等は宇垣さんに対して”闇キャラ”とか”闇が深い”といったレッテルを貼りたがる(*2a)のだが、それは完全に的外れである。宇垣さん自身は極めてまともな常識人であり礼儀正しい人でもある。その発言も極めて正論であることが多く、むしろ世間の不条理を(無意識的に)是とする一般大衆の価値観の方がおかしいのである。そうした観点で宇垣さんが発言すると、世間はそれを意識化できていなかったが故に、そこに普遍的な問題意識を持てる宇垣さんを異常扱いすることで否定しようとするのだ。それが一般大衆の闇の部分である。そう、むしろ闇があるのは一般大衆の方であり、問題は一般社会の無意識な領域に存在する不条理を放置し続けるその無神経・無責任と不作為にあるのだ。繰り返すが、宇垣さんは一般大衆に見られるような汚濁した部分がほぼ無い人で責任感が強く実直できちんとした人物なのである。自分に厳しく対応できるし自分を律する事ができる人だ。その発言は概ね正論であり極めてまともである。ところが程度の低い記者揃いの芸能マスコミ等はそれが全然理解できず、無神経に人のパーソナルな領域に踏み込んで質問してくる傾向がある。実に無神経で失礼なことである。

(*2a)
古巣のTBS自体が宇垣美里さんに対して「闇キャラ」「闇が深い」というイメージを押し付けていたのも問題である。所属していた会社ですら宇垣美里さんを全く理解していないということであり、お粗末かつ無責任な会社の体質が知れるというものである。

(*3)
アニメ・コミック・ミュージカルや舞台演劇などの熱心なファンでもある宇垣さんは単なるミーハーなファンではなく、そこで描かれる世界をも含めて深く堪能される人である。その知識量は多く、話を聞くとその世界への造詣の深さを感じさせるものがある。基本は受け手であっても作者・演出者的な立場で作品を論じられる人でもある。

(*4)
マスコミの記者というのは元々性格が捻くれていて、敢えて意地悪な質問をしてターゲットをむしろ怒らせるように仕向ける傾向がある。人間は怒らせたほうが本音が出やすいからである。それほど性根がネジ曲がっている連中であるが故にターゲットが反撃しようものなら「待ってました」とばかりに炎上騒ぎに持っていこうとする。記者自身の無能と無神経は棚に上げて、である。(蔑笑)
また、本来的な意味でのインテリジェンスに欠ける芸能記者達は自分の頭で理解できないものは全て悪意で解釈する、という凶悪な指向を持っている。真に屑な連中だ。
さらに、今回のようなイベントではスポンサーの存在と意向も無視できない。それを考慮すると宇垣さんの今回の対応は取り敢えず正解だったのかもしれない。局アナ時代には不要だった政治的な配慮も必要とされるからである。宇多丸氏が会話の中で「そこでどう返すのが一番正解なのか難しい」と発言したのもそうした政治的な配慮が必要なケースを念頭に置いているものと思われる。





港区女子を喝破する宇垣美里

2019-09-14 18:22:01 | 人物
東京都の特別区である23区の中に港区という地域がある。23区の中でも中東部で都心でもあり湾岸も含まれる洒落たイメージのあるエリアだ。

この地域には大企業の本社や高いステータスを誇る企業、今が盛りのIT企業などもあって、ビジネス的に意識高い系の人々が集うと同時に、そのようなハイソサエティかつエグゼクティブな人々に接近して美味しい汁を吸いたい系の連中もまた集まってくる。一般に港区女子と呼称される女性群もまたそんな一団を形成しているのである。

港区女子と言っても必ずしも港区に居住している事を意味するものではなく、居住地域はほぼ首都圏全域にわたるようである。(*1)区外に居住していても港区に仕事場があるケースも多いし、場合によっては自宅も仕事も区外の場合もあるのだが、なにしろ最終的に港区に集まってくる女性群なのだ。

2019年5月3日にNHK総合テレビにてこの港区女子をテーマにした番組「図解デ理解 アイマイカワイイ」が放映された。そこではいわゆる港区女子を定義すべく様々な女性たちにインタビューしてその生態を明らかにしていった。

その結果、判明したのは次のような事である。
彼女たちの目的はハイソでエグゼクティブな男性たちに気に入られること。最終的にそんな男性と結婚してセレブで苦労知らずな生活を手に入れること。それで彼女たちの名誉欲・所有欲・虚栄心などが満たされる事、なのだ。ざっくり言えば、ほぼこれが全てと言って間違いない。(*2)

その目的に向かって彼女たちが日々努力するのは高スペックな男性に気に入られるべく美容に努力し会話力を磨く。容姿とコミュニケーション能力が高いレベルでバランスしているのが港区女子の条件だと言う。なんのことはない、キャバクラ嬢と同じである。これは本当で、六本木のキャバクラ店の採用基準と全く同じだそうだ。

ここ数十年、雇用等における男女同権や女性の自立が声高に主張されて実際にそうした社会に変容してきたという事実がある一方で、港区女子のように高スペック男子に依存し従属する事を目的に生きる女性たちも存在していることがこうして確認されるところである。

いくら男女同権で男性と同じように生き同じように闘うつもりで頑張っても、結局は男性に依存する境遇を女性自身が求めているのはおかしな現象のように思えるが、しかしこれが生物としての本来的な役割分担というか、各々の性に原初的に備わった役割に無意識的に収まろうとする動きだとすれば実に興味深いものがある。

さて、前述のNHKの番組では出演者の一人であるフリーアナの宇垣美里のコメントが的確かつ秀逸であり、しかも至極真っ当で、港区女子を簡潔に喝破していたのが印象的であった。

高スペック男子に接近できた港区女子たちは一様にハイソなポジションに上がってこられない普通の女性たちを見下す。マウンティングである。港区女子いわく、「普通の女子は地上の居酒屋で安いお酒を飲んで合コンしている一方で、私達(港区女子)はホテルやマンションの高層階で素晴らしい都会の夜景を眺めながら美味しい赤肉を食べ高価なワインを飲んでいる」としているが、この時点で一般庶民を上から目線で見下している。それが気持ち良いのだろう。

また、港区では普段はお目にかかれない芸能人や億を稼ぐアスリート達に出会える優越感を持てる、と。また、ファーストクラスでハワイに行けたりF1の観戦に行けたりするし、それを普通にできるハイスペックな男性と出会えるのが港区だ、と言う。

高スペックな男性たちとの交歓の場は港区女子にとっては一種の塾だそうだ。いわく「港区は自分を引き上げてくれる英才教育を受けられる塾」だと。これに対して宇垣美里は

「本当の塾をナメるんじゃない!」

と一喝。

さらに宇垣美里はこう続ける。

「港区は自分を引き上げてくれる?・・・なんとなく、自分の力ではないもので得たものは、本当に自分を引き上げてくれるのかしら?…という気持ちになります」

この言葉で港区女子の評価は充分であろう。これに尽きると思う。

港区女子がハイソな男性に高価な飲食を奢ってもらえる事に関しても宇垣は

「自分で払った方がおいしいけどなぁ…」

と普通に汗水たらして労働した対価として得たお金で得る食事の方が美味しい、という人としての当たり前のスタンスを述べる。これもまた至極真っ当な意見である。

港区女子の中には高スペックな男性から依頼を受けて容姿の優れた女性たちを手配する幹事役も居るのだという。一般から募集して写真審査及び面接を通過してはじめてハイソな会合に参加できるそうだ。幹事役などと言っているが実態はもはや女衒(ぜげん)である。

宇垣美里はこう言う。

「ご飯食べるのに写真審査かぁ・・・って思っちゃいますね」

溜息をつくのも当然である。宇垣のリアクションは人として当然なものだ。

ならば、女性を写真審査して格付けする男性の方はどうなんだと言えば、起業したりエグゼクティブのポジションであったりして例外なく超が付く高収入である。男性側は年収額で格付けされているのだ。(*3)

こうして港区女子がハイソ男子から高いレベルに引き上げてもらっていると思いこんでいても実際は男性に媚びて従属することを夢見ているのが実情であり、お金持ちの男性に囲われて守られるポジションに理想を見ているだけの姿が真の実態なのである。

また、港区女子の中にも厳しい格差やランクが存在しているようで、女衒にアピールして審査で何度落とされてもチャレンジし続ける下層の港区女子の姿はもはや哀れとしか言いようがない。自分がいま置かれている状況に早く気づいて、と願うところである。どうでもいいが。(蔑笑)

港区女子がハイソ男性から高価な飲食を奢ってもらい、種々の知識や知的情報を得る一方で港区女子はハイソ男性に何をお返しできるのだろうか。港区女子いわく、それは「感謝」なのだそうだ。爆笑である。噴飯ものである。結局何も返せるものがなく、容姿の美しさだけで中味が何もないのが港区女子なのである。

ちなみに、港区女子の中には「自分を引き上げてもらう」目的ではなく単純に「お金を得る」事が目的の場合も多々あるそうだ。飲食代に交通費等々…これなどはもはや売春と同じ発想と言えるだろう。何をか言わんや、である。(虚笑)

港区女子の実態は書けば書くほど情けなくなって気持ちも曇ってくる。結局この程度の人たちなのである。先述の宇垣美里のコメントが港区女子の全てを簡潔に言い表している、と言えよう。それがすべてである。

最後に宇垣美里はこう発言した。

「私は性格が反骨精神の塊みたいなところがあって、もしも相手(高スペック男子)に『これだけ美味しいご飯を』のように言われたら、『働いたら私だって払えますから』とか『一ヶ月間、塩と水だけで全然生きていけるんで、自分で払います』みたいなのを多分しちゃうんですよ」

とした上で

「だから最終的に喧嘩して帰ってきそう」

・・・と、このように述べて相手の男性に単純に依存や従属はできないし、その意味で

「(自分には)可愛げがない」

とも言う…のだが、実はこれが人間としての至極真っ当な姿勢と言えるのではないだろうか。

宇垣美里の意見・人生に対する筋の通った姿勢には全面的に賛成である。



(文中敬称略)

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【追 記】

男性が好む女性としての魅力を持つ港区女子を呼んで楽しむ高スペックな男性たちもいかがなものだろうか。結局は男性の性的趣向に合致した女性を呼び寄せて遊びの道具にしているだけ、といった印象もある。そういう事にお金をかけて贅を尽くして遊ぶのだとするなら、いくら社会的成功を得たとしても人としての程度はどうなのだろうか、と疑うところである。




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(*1)
ただ、港区女子に強い憧れの気持ちを持ち、港区女子であることの自意識が過剰になりがちなのは区外または都外から来る人々に多いような印象はある。


(*2)
中には「仕事上の繋がりを求めて」という真面目な動機も見られなくはないが、その場合は別に港区でなくても良い訳で、多数派を占めるタイプの港区女子とは微妙に異なるように思える。
港区女子が求める人脈の中にはテレビ局の部長も含まれるそうだが、これに対して宇垣美里は

「テレビ局の部長に果たして力なんてあるのか・・?」

と発言。前職が前職だけに生々しい証言といえる。



(*3)
女性の側に「自分を引き上げてくれる」とか「自分磨き」といった意識があったとしても、実際には写真審査で選ばれた女性のみが参加できるという事実が示しているものは、ハイスペック男子たちが求めているのは女性の「女性的な魅力」つまり「セクシャリティ」にまつわる部分なのであって、その時点でインテリジェンスというよりは生き物としての人間、そのオスとしての本能的な欲動によって無意識的に突き動かされている実態が見て取れるのである。