Altered Notes

Something New.

テレビ・マスコミについての覚え書き 1

2010-12-31 23:05:34 | 放送
テレビは権力である。電波を握っていることはそのまま権力を握っているという事である。
権力者は必然的に無神経で横暴になり、受け手である一般視聴者を見下した姿勢で番組を制作する。

基本姿勢がこうなので例えば言葉に対してもいい加減で無責任である。
以前に書いた「VTR」に見られるような間違った言葉も平然と使われて恥じることがない。

また、何を報道し何を報道しないかの選択もテレビ局が行う。これによって一般国民は本来知っておくべき問題を知らされないことも多々ある。

以前に大問題となったマンションの耐震偽装事件にしても国民が知っておくべき重大な事実を実はマスコミは全然報道していない。
尖閣諸島問題にしても中国の横暴と凶悪な実態を報じるべきであるが政府とマスコミはそれをビデオ流出問題という全く別の問題にすり替えてしまった。こうして中国に媚びるマスコミは国民の怒りが中国に向かわないように工作しているのである。ちなみに日本政府は尖閣問題では証拠となるビデオ映像などいの一番に公開して中国の乱暴で凶悪なやり口を告発すべきだった事は明白である。

最近は政治家がマスコミを通さず、インターネットで意見や判断を表明する機会が増えた。テレビ等マスコミを通すとテレビ局の意志で意見・コメントが編集されて発言者の意図とは異なる形で報道されてしまうことが多いことが多いからだ。この風潮に対して新聞もテレビも不満を表明して批判している。
お笑いである。
政治家が自分(テレビ・マスコミ)を相手にしてくれなくなった事に腹を立てている、ということだ。その証拠に「なぜ政治家がマスコミを通さなくなったのか」その理由について正直な分析をしているテレビ局は一つもない。したら都合が悪いからである。電波という権力を背景にした悪意を持って報道している事がバレてしまうからである。

電波を握る権力は番組制作においても悪しき力を発揮する。キャスティングや制作に関わる種々の外注会社との関係に於いても権力者たるテレビ局は当然のように居丈高かつ傲慢な姿勢である。

流行を作り出すのもテレビ局が仕掛ける場合が多い。昨今の韓国ドラマの氾濫に見られるようにテレビ局とその後ろにいる権力者たちによって韓国を日本人に押し付けようと必死なのもこうした動きの一つである。全てはテレビ局という権力者の思いのままである。

テレビという権力の一方で受け手である一般国民の現状はどうか。いわゆるメディアリテラシーを持つ人と持たない人の格差は広がりつつある。
また、メディアリテラシーを持つ人が徐々にではあるが増えつつあるのも事実であり、それが国民の「テレビ離れ」という現象となって現れつつある。これは広い意味では新聞等も含めた既成マスコミ全体が信頼されなくなっている、ということである。

メディアリテラシーを持たない人の多くはテレビ・ラジオ・新聞といったメディアが伝えることを鵜呑みにしてしまう。これはマスコミの実態が第二次大戦中の大本営発表メディアと本質的に変わっていない現状から考えても恐ろしいことである。

ここに一つの証言がある。

 テレビという神の老後

この中で日テレのT部長こと土屋氏は次のように発言している。

---引用ここから---
土屋 実は、ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、視聴者を、信じていないんですよ。見ている人のことを、かなりものがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。
ものすごく悪い言い方をすると、もう、「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対にクチには出さないけれども、どこかのところではみんながそう思っているようなフシがありますね。
---引用ここまで---

「馬鹿にどう見せるか」というのは象徴的な言葉である。情報の受け手である視聴者には様々な人が居るのでどうしても番組の作り方・見せ方を考える必要があるのは事実であろう。
確かに民放にとっては番組ではなくCMを見てもらいスポンサーが望む商品購買に繋げるという大目的があるので、程度の低い視聴者をも飽きさせない番組作りが必要になる。
しかしだから視聴者を見下したりして良いことにはならない。こうした「志」を失った基本姿勢はちゃんと視聴者には伝わるのである。
これもまた「テレビ離れ」の一因になっているのは間違いない。

また、こうした証言もある。
 
金持ち・勝ち組・インテリはテレビなんか見なくなった


ここで巨泉氏は今のテレビは「ディレクターのもの」となっていることを指摘している。詳細はリンク先のテキストを参照してほしいが、現代のテレビ番組制作ではデジタル技術の発達
という背景もあって編集でどうにでも作れるようになっている。この編集においていわば神の視点で番組を切り貼りするのが感性の貧弱な若いディレクター達である。

この駄目なディレクターが編集することによって現場の自然な流れも断ち切り間違った言葉も修正せず、その未熟で貧弱な感性が認めたつまらない素材だけを視聴者に押し付ける、という
お粗末な出来の番組が粗製濫造されているのが実態である。

ディレクターを含めて今のTV番組制作者というのは、何より「志」も無くただおもしろおかしければそれでいい、という軽佻浮薄な人たちなので結果としてロクな番組が作られないのは
必然と言える。おもしろおかしい、というのも「感性の貧弱な人々にとっては」という条件付きであり、本物を指向する人々にとってはそれはただ退屈でつまらないものでしかない。

以前に書いたテレビに於ける「間違った言葉の乱用」もこうした無能なディレクター達が差し当たってのA級戦犯と言えるのかも知れない。

また、巨泉氏は現代のテレビが堕落して行き詰まってしまった結果として富裕層や知的レベルの高い階層が完全にテレビから離れてしまっていることを指摘している。
これも当然であろう。

巨泉氏が言うように、このままではテレビは本当に「貧困層の王様」になるだろう。貧困とは経済面だけでなく精神的な貧困も含めて、である。
貧弱な感性のディレクターが作った番組が、それを見たことで「芸能界の裏話を共有した気になって満足している(巨泉氏談)」ような程度の低い視聴者"だけ"に視られる、という現実。知性と心のある人間は既にテレビから遠く離れてしまっている。本物を求める人々に於いては誰ひとりテレビを信用していないのである。

程度の低い視聴者と書いたが別に見下している訳ではない。人には様々な都合と事情というものがあり、そうしたメディアリテラシーを育む暇がなかった人も居るのは事実である。
しかし正しいメディアリテラシーを持つことはそのまま政治に対する正しい監視の目を持つことにも繋がるのであり、こうした個人の意識向上はそのまま社会のあり方や国のあり方に良質の
影響を与えることにもなるのである。

この項の最初に「テレビ(電波)は権力である」と書いた。テレビは王様として権力を振り回し崇め奉られている内に「裸の王様」になってしまったのかもしれない。実に醜悪であるが、テレビの内側の人間はそれに全く気が付いていない。そして未だにテレビが全国民にとっての娯楽の王様であり国民にとって最も信頼できる情報源だった昔日の栄光にしがみつき、既得権益にすがり続けているのである。残念な人たちである。


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<2020年11月21日:追記>
株式会社東京放送ホールディングス、株式会社TBSテレビ代表取締役会長である井上弘氏の発言をここに追記しておく。

「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実」
(1988年TBS副社長時代)

「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです」
(2003年)

「君たちは選ばれた人間だ。君たちは報道に依って世の中を動かす側の人間。対して一般国民は我々の情報によって動かされる人間だ。日本は選ばれた人間である我々によって白にも黒にもなる」
(入社式での新入社員に対する訓示)



<2021年4月29日:追記>
2020年の森喜朗氏の女性に関する発言を取り上げてマスコミ総出でリンチした結果としてオリ・パラ委員会から排除させた事件は本当に酷かった。ポイントだけを記すと、あれは女性蔑視発言ではなく、むしろ女性リスペクト発言だった。森氏の発言を全部聞けばそれは判る。しかし、マスコミは「嘘をでっち上げてリンチのような凄まじい人格攻撃をした」これは完全に「マスコミに依る人権侵害」である。攻撃の為の素材を「捏造」し、その「嘘」をベースにして「総攻撃」したのだ。これがマスコミの卑劣極まりないやり方であり、左翼の流儀なのである。中国共産党のやり口にそっくりであり、反吐が出る。