都知事選で2位を獲得した石丸伸二氏の論法を『石丸構文』と揶揄するような態度のマスコミ。そのネーミングには明らかに石丸氏を見下し貶める(貶めたい)マスコミの願望が透けて見える。
これはシンプルな話である。
石丸氏が安芸高田市長だった時に例のエビス記者をはじめとする中国新聞側の人々が石丸氏に散々正論で論破されて大恥をかいていた。この時点で日本マスコミの程度の低さを感じるところだが、それはともかく、日本の大手を含むマスコミ全体はこの事象を中国新聞というより「マスメディア全体に対する石丸氏の攻撃」と見做したのだ。
だから、しっかりした正論で言い返せないメディアがまとまって石丸氏の論法を『石丸構文』として揶揄し、石丸氏を貶める為の材料にしたのである。小中学生並みに幼稚だが、マスコミなりの仕返しのつもりなのだろう。(蔑笑)マスコミの論調は石丸構文によって「話が噛み合わない」などと言うのだが、そもそもマスコミ記者側の話が論理も滅茶苦茶、言葉の定義もいい加減なので、初めから「これでは議論が成立しませんね」「同じ土俵に上がれないですよね」という事を指摘してきたのが石丸氏である。今のマスコミ記者は言葉の定義ひとつとっても曖昧で、まともな話もできないほど無知な上にロジックもいい加減な人が多い。また、議論ではなく、自分の主張に引きずり込もうと露骨に誘導していたり、相手(多くは政治家)を怒らす為に言っている場合も多く(*1)、そもそもまともな議論をする気も無いのだろう。論外であり、もってのほかなのである。
人と議論をするなら、言葉や概念についての定義を相互に確認したり、確かなロジックを組んでそれを相手に提示しなければならない。これは当たり前のことだが、マスコミ記者のほとんどは言葉の定義もあやふやで、質問の文章もロジックとして何を言ってるかよくわからないものだったりする。その「よく判らない」部分を相手から教えてもらって当然、という態度が見える。また多方面に渡って無知であり、議論に必要な最低限の知識すら不足しているケースも少なくない。そうしたレベルの低いマスコミを相手に、「議論(質問)するなら最低この程度は踏まえましょう」という前提を示しているのが石丸氏なのである。まずは同じ土俵に立たないと何も始まらないからである。
左翼が多い日本のマスコミだが、左翼は常々「多様性を大事に」と言っているのにも関わらず、石丸氏に対しては「俺達(マスコミ)と同じスタイル」じゃないから嫌だ、と駄々をこねているかのようでもある。「多様性の否定」である。言っていることがそもそも自語相違であり矛盾なのだ。その矛盾にも気づかないほど愚かな日本のマスコミなのである。
みんな大騒ぎしているようだが、今回の件の本質はこんなものなのである。
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(*1)
相手を怒らせた方が本音が出やすくなる、というマスコミの浅知恵であり薄っぺらい戦略である。(蔑笑)
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