セクハラ問題の責任をとって財務省の福田淳一事務次官が辞任した。本人は騒動による混乱を起こした責任で辞めるのであってセクハラ自体ははなかった、と肝心な部分は否定している。この事実関係については追い追い明らかになっていくであろう。
ここで改めて考えさせられるのは永田町・霞が関(政治家・官僚)のセクハラ意識の極端な低さである。
現代では女性記者による政治家や官僚への取材も多く行われているのだが、この政治家・官僚たちからは信じがたいセクハラ発言が普通に飛び出てくるのである。それはセクハラガイドラインを策定している民間企業ならば一発アウトを喰らうほどのレベル、と言えばご理解いただけるであろうか。(*1)
意識が低いのは永田町・霞が関だけではない。テレビ・マスコミ業界も同様で、セクハラ意識は極度に希薄で立ち遅れているのが実態だ。バラエティ番組は特に酷い。それが今回の福田次官のような事件が起きる温床となっているのである。
4月17日の「バイキング」(CX)に元朝日新聞女性記者である秋山千佳さんが出演された。この人は記者として取材していた時に取材相手の男性から胸を鷲掴みにされた、というのである。秋山さんは大層ショックを受けて帰社した後、男性の上司にその事を報告したところ「それくらい我慢しろ」と言われたのだ。これが朝日新聞の実態である。
その朝日新聞が、今回の福田次官の問題でマスコミ各社に対して財務省から調査に強力してくれ、と要請された時に「協力しない」と突っぱねた。名乗りを上げることは女性にとってはセカンドレイプに等しいので協力しない、と言うのである。朝日新聞の態度は矛盾しているのだが、いったいどういうことなのだろうか。
21世紀に入ったあたりからマスコミ各社が女性を政治家の番記者に付けるようになった。それは単に女性の社会進出が進んだということだけでなく、新聞社やテレビ局がそのようにしているのである。マスコミの幹部などは「綺麗どころを付ける」という言い方をはっきりしているのだ。それは個人が女性の武器を使ってということではなく会社が「そうしろ」と強制しているのであって、マスコミの意識のあり方としてとんでもない話である。(*2)
今回の問題ではテレビ朝日は女性記者が社内で訴えた時点で会社をあげて記者を守るべきだった。それをせずにそのまま放置する姿勢は解せないしどう考えてもおかしい。
なぜ後手に回ったのだろうか。
恐らくテレ朝が女性記者の訴えを放置した事実がバレてしまう事を恐れたのであろうし、会社としてセクハラ問題に立ち向かうという意識が欠如していることが明らかになってしまうから、ではないだろうか。
こうした事実関係を俯瞰しても、マスコミというこの業界自体がセクハラ意識という観点において著しく立ち遅れているのは誰が見ても明らかなのである。
福田財務次官や永田町・霞が関界隈に目を移そう。永田町・霞が関は「IYIの巣窟」である。
「IYI」をご存知だろうか。”Intellectual Yet Idiot”の頭文字をとったもので、日本語で言えば「偏差値馬鹿」「高学歴馬鹿」といったところか。
学校のお勉強はできるのに、人間としての基礎が全くなってないような類の人物がIYIに当てはまる。永田町・霞が関にはこんな連中が掃いて捨てるほど居て跳梁跋扈しているのだ。
今回の件で福田財務次官の「言葉遊びをした」などというのは正にIYIである証拠である。(*3)
これが欧米ならば、福田財務次官のようなセクハラ行為・言動を民間企業でやってしまったらすぐにそのポジションを外されて人事部の指導を受けることになり、場合によっては賠償金を払うハメになる・・・それくらいの大問題を引き起こしているのだが福田氏にも財務省にもそうした切迫した自覚は無さそうである。
総じて政界・官界・マスコミ業界のセクハラ感覚の立ち遅れはとんでもないレベルであると言える。女性を色仕掛けの道具にしか見てないのは明らかだ。
今回の事件を機にセクハラへの意識・認識を一から捉え直したほうが良いのではないだろうか。
テレビ屋新聞等のメディアは社会でセクハラなどの事件が起こると上から目線で偉そうな御高説を垂れるのが恒例だが、そのメディア自身が相当なレベルで腐敗しているのだ。女性の活躍を政策に掲げる政府だからこそ、この問題には真剣に取り組んだほうが良いだろう。そうでなければ、いつまでたっても世界の笑い者である。
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(*1)
以前の拙稿で官僚の正体について簡単に説明している。
「官僚とは」
(*2)
4月20日の「とくダネ!」(CX)で社会学者の古市憲寿氏が「そもそも何がセクハラを生んだかってところから考えるべき」という前提を示した上で「政治家とか省庁の幹部をテレビ局が取材する時に取材経験はそんなにないけども、若くて可愛い女性記者を送り込むことは正直あると思うんですよ。そこで政治家と仲良くなってもらって、話をいろいろ聞き出すっていう。そもそもそのメディアの手法自体がセクハラを生みやすかった。現に多分、セクハラ自体はたくさん起こっていて、これまで黙認されてきたんだけど、こうやって明るみになったのかなっていう。この一件だけじゃないと思う」と指摘している。
(*3)
形は異なるが、買春で有名になった 米山隆一 前新潟県知事 も一種のIYIである。この御仁は医療を学び法律を学び米国留学までして輝かしい学歴を誇るのだが、しかしそれを社会のために世の中のために真に役立てたという経歴はない。
なぜか。
彼は生まれてからここまでずーっと「自分探しの旅」をし続けているからであり、そしてそれだけだからである。自分の知識を何かに役立てることもなく、単に「承認欲求」を満たす為の原資としか捉えていない節がある。これが正にIYIな人の姿なのである。
ここで改めて考えさせられるのは永田町・霞が関(政治家・官僚)のセクハラ意識の極端な低さである。
現代では女性記者による政治家や官僚への取材も多く行われているのだが、この政治家・官僚たちからは信じがたいセクハラ発言が普通に飛び出てくるのである。それはセクハラガイドラインを策定している民間企業ならば一発アウトを喰らうほどのレベル、と言えばご理解いただけるであろうか。(*1)
意識が低いのは永田町・霞が関だけではない。テレビ・マスコミ業界も同様で、セクハラ意識は極度に希薄で立ち遅れているのが実態だ。バラエティ番組は特に酷い。それが今回の福田次官のような事件が起きる温床となっているのである。
4月17日の「バイキング」(CX)に元朝日新聞女性記者である秋山千佳さんが出演された。この人は記者として取材していた時に取材相手の男性から胸を鷲掴みにされた、というのである。秋山さんは大層ショックを受けて帰社した後、男性の上司にその事を報告したところ「それくらい我慢しろ」と言われたのだ。これが朝日新聞の実態である。
その朝日新聞が、今回の福田次官の問題でマスコミ各社に対して財務省から調査に強力してくれ、と要請された時に「協力しない」と突っぱねた。名乗りを上げることは女性にとってはセカンドレイプに等しいので協力しない、と言うのである。朝日新聞の態度は矛盾しているのだが、いったいどういうことなのだろうか。
21世紀に入ったあたりからマスコミ各社が女性を政治家の番記者に付けるようになった。それは単に女性の社会進出が進んだということだけでなく、新聞社やテレビ局がそのようにしているのである。マスコミの幹部などは「綺麗どころを付ける」という言い方をはっきりしているのだ。それは個人が女性の武器を使ってということではなく会社が「そうしろ」と強制しているのであって、マスコミの意識のあり方としてとんでもない話である。(*2)
今回の問題ではテレビ朝日は女性記者が社内で訴えた時点で会社をあげて記者を守るべきだった。それをせずにそのまま放置する姿勢は解せないしどう考えてもおかしい。
なぜ後手に回ったのだろうか。
恐らくテレ朝が女性記者の訴えを放置した事実がバレてしまう事を恐れたのであろうし、会社としてセクハラ問題に立ち向かうという意識が欠如していることが明らかになってしまうから、ではないだろうか。
こうした事実関係を俯瞰しても、マスコミというこの業界自体がセクハラ意識という観点において著しく立ち遅れているのは誰が見ても明らかなのである。
福田財務次官や永田町・霞が関界隈に目を移そう。永田町・霞が関は「IYIの巣窟」である。
「IYI」をご存知だろうか。”Intellectual Yet Idiot”の頭文字をとったもので、日本語で言えば「偏差値馬鹿」「高学歴馬鹿」といったところか。
学校のお勉強はできるのに、人間としての基礎が全くなってないような類の人物がIYIに当てはまる。永田町・霞が関にはこんな連中が掃いて捨てるほど居て跳梁跋扈しているのだ。
今回の件で福田財務次官の「言葉遊びをした」などというのは正にIYIである証拠である。(*3)
これが欧米ならば、福田財務次官のようなセクハラ行為・言動を民間企業でやってしまったらすぐにそのポジションを外されて人事部の指導を受けることになり、場合によっては賠償金を払うハメになる・・・それくらいの大問題を引き起こしているのだが福田氏にも財務省にもそうした切迫した自覚は無さそうである。
総じて政界・官界・マスコミ業界のセクハラ感覚の立ち遅れはとんでもないレベルであると言える。女性を色仕掛けの道具にしか見てないのは明らかだ。
今回の事件を機にセクハラへの意識・認識を一から捉え直したほうが良いのではないだろうか。
テレビ屋新聞等のメディアは社会でセクハラなどの事件が起こると上から目線で偉そうな御高説を垂れるのが恒例だが、そのメディア自身が相当なレベルで腐敗しているのだ。女性の活躍を政策に掲げる政府だからこそ、この問題には真剣に取り組んだほうが良いだろう。そうでなければ、いつまでたっても世界の笑い者である。
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(*1)
以前の拙稿で官僚の正体について簡単に説明している。
「官僚とは」
(*2)
4月20日の「とくダネ!」(CX)で社会学者の古市憲寿氏が「そもそも何がセクハラを生んだかってところから考えるべき」という前提を示した上で「政治家とか省庁の幹部をテレビ局が取材する時に取材経験はそんなにないけども、若くて可愛い女性記者を送り込むことは正直あると思うんですよ。そこで政治家と仲良くなってもらって、話をいろいろ聞き出すっていう。そもそもそのメディアの手法自体がセクハラを生みやすかった。現に多分、セクハラ自体はたくさん起こっていて、これまで黙認されてきたんだけど、こうやって明るみになったのかなっていう。この一件だけじゃないと思う」と指摘している。
(*3)
形は異なるが、買春で有名になった 米山隆一 前新潟県知事 も一種のIYIである。この御仁は医療を学び法律を学び米国留学までして輝かしい学歴を誇るのだが、しかしそれを社会のために世の中のために真に役立てたという経歴はない。
なぜか。
彼は生まれてからここまでずーっと「自分探しの旅」をし続けているからであり、そしてそれだけだからである。自分の知識を何かに役立てることもなく、単に「承認欲求」を満たす為の原資としか捉えていない節がある。これが正にIYIな人の姿なのである。