Altered Notes

Something New.

「怒り」は悪か?

2012-02-20 19:02:41 | 社会・政治
現代人を観察していると時々奇妙な事象に出くわす。

それは「怒る」「キレる」ということへの強烈な否定的感情(価値観)である。

例えば誰かに非があって、それに対して怒りを露わにすると現代人は「非があった人」ではなく「怒った人」の方を否定し非難するのである。

これは不思議なことだ。
怒ること、怒りを表す事それ自体が否定されるのであり、しかもそれは過ちを犯した人間よりも優先して非難され否定されるのである。

この奇妙な現象について東京未来大学・こども心理学部の出口教授によれば

平成時代は何があっても怒らないことを良しとする

「怒っている人すべっている文明」

になったからと説明している。(*1)

その背景には現代、特に平成に入ってからは過剰な怒りが訴訟を生み出す、という「過剰コンプライアンス社会」となっている実態があるのだと言う。
その為、「怒らない方が得」という価値観が蔓延したのだ、と。

親も子供に対して怒らないようになったので、子供たちはやっていいことと悪いことの区別がつかないまま大人になってしまう。
かくして奇妙な価値観を身につけた人間が増殖してゆく、ということになる。

こうした現象・事象の背景に何があるのだろうか。

それは自己防衛の為ではないか、と考える。

怒られるということは自分の価値を否定される事にも通じる。
それをよしとしない人間が怒り・憤りのエネルギーをぶつけられることから身を守る為には怒っている人を否定してしまえばいいのである。
自分がしでかした罪よりも優先して相手の「怒り」それ自体を否定してしまえば自分の価値を損ねられる危険性を回避できる。

そう考えた人間が自己防衛のために言い出したのではないか、と。

これは論理のすり替えでもある。
そこで糾弾されるべきは非のあった人間であり、罪となる行為である。
しかし論理はすり替えられて罪を糾弾する「怒り」自体が否定・非難されるべき対象とされてしまうのである。

「怒っている人」を「すべっている人・痛い人」と決めつけてしまえば悪事を働いても自分が否定されることはなくなる。
従って人間性が磨かれることもなくなるし、人としての成長は期待できないことになる。

現代の子供達が異常に増長し、仏教で言うところの増上慢(*2)と化しているのはこうした背景が間違いなく影響しているからであろうと思われる。

現代人はこうした価値観で平然と物事を判断する。
それは非常に奇妙でおかしな現象である。

このような狡い価値観が蔓延した場合、それは到底まともな社会とは言えず、社会の混乱、腐敗を招くことになる。

極めて危険な兆候である。





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(*1)
2012年2月18日放送 テレビ東京
「ジョージ・ポットマンの平成史」より

(*2)
仏教でいまだ悟りを得ていないのに得たと思い込んで高ぶった慢心のこと。