Altered Notes

Something New.

中国と北朝鮮、ロシアの現在と今後を考える

2019-06-24 16:25:00 | 国際
去る6月20日に平壌にて中国と北朝鮮両国の首脳会談が行われた。

これに関して、今後の中国・北朝鮮、それにロシアも含めた国際情勢がどのように推移してゆくかについて経済評論家の上念司氏とジャーナリストの大高未貴氏が21日の虎ノ門ニュースで解説していたので、以下にその内容を抄録の形で提供する。是非お読みいただきたい。


十数年前の胡錦濤主席以来久しぶりの中国トップの訪朝である。その実態は既にどん詰まりで行き場を失った両首脳が結束を誇示するだけの場となった。その証拠に建設的なビジョンは何も出てきていない。

一見美しい友情の場のように見えるが、しかしこの2つの国は両国共に色々手詰まりになってにっちもさっちもいかなくなってからしか会うことはないのだ。事実、中国に余裕がある時には北朝鮮を足蹴にすらしていたのである。しかし現在は中国が米国との経済戦争・ファーウェイ問題・そして香港の民主化運動といった諸問題で習近平のメンツは崩れている状態だ。

両国の会談を受けて、日本の朝鮮総連が出しているニュースレターでは恐らく中国主席の訪問の成果と対米効果などを高らかに謳い上げると思われる。この内容についてはそのうち朝日新聞(≒朝鮮側のスポークスマン)が好意的に記事を出すと思われるが、所詮は手詰まり状態の二国が「どうしましょう」と言っているに過ぎないのである。もちろん対外的には「二国間の固い結束を誇示する」色合いを全面に出す事になるのだが。北朝鮮の背後には中国がいるぞアピール、である。

しかし逆に言えばそれ以外の建設的な内容は特に見られない。

これでもしも中国が北朝鮮に援助を再開すれば、アメリカとしては北朝鮮攻撃の為の大義名分を得ることになってしまうだろう。

アメリカというとすぐに戦争を仕掛けるようなイメージを持つ人も居るが、しかしアメリカだって戦争するには大義名分は必要である。イラク戦争ではアメリカは「大量破壊兵器の存在」を大義名分にした、と日本のマスコミでは報じられていたが、しかし実際は「大量破壊兵器」は枝葉の話である。
実は湾岸戦争以降もずっと戦争は続いていた、という。飛行禁止空域を設定してイラク軍の航空機の飛行を禁じていたのだが、国連の飛行機が飛行するとイラク軍は下からレーダー照射などをしていたのである。

経済制裁をされていたイラク。石油も輸出禁止だったにも関わらず、瀬取りどころか密輸しようとした船が臨検で見つかって返される、という事態が頻繁に起きている。その他にペルシャ湾でテロ攻撃もあったのだ。

実質的には戦闘が続いていたので、イラク戦争というのは「湾岸戦争の停戦合意破り」というのが実はメインの理由になっているのだ。これはあまりちゃんと報道されていないが。

一方の大量破壊兵器問題はどちらかといえば枝葉の話である。

アメリカが戦争を始める時にはそうした停戦合意違反とかがまずあって、そうした大義名分に対して制裁をどんどん積みましていく、というスタイルをとる。

そして正に戦争直前になると、臨検が始まるのだ。臨検が始まったら戦争直前ということだ。

北朝鮮の場合はまだ臨検まではいってない。瀬取りの監視は基本的に見ているだけであり、捕まえたりはしない。それを見ると現状は武力行使フェーズのだいぶ手前の段階にあることが見て取れる。

これでもしも習近平があからさまに北朝鮮を応援し始めたとしたら中国に対する制裁も強まってくるであろうし、北朝鮮を攻撃する大義名分も成立してしまうことになる。

ところで、ここで中朝両国が仲良しアピールをして何ができるのだろうか。実は手詰まり国同士なので何もできないのである。

中国は香港の件で針のむしろになる事が必定なので「北朝鮮のカードを持っているぞ」アピールをするのは外交用語で言う「レバレッジ」と言える。中朝両国会談は明らかにレバレッジを掛けに行った、という形に見えるのだ。

ところで、今までは北朝鮮が「先制核攻撃だ」とイキっていたのだが、このカードはもう使えなくなってしまった。

なぜか。

アメリカが戦術核兵器(小型核兵器)を開発したからである。

デイリー新潮で鈴置高史氏が記された情報だが、アメリカは戦術核兵器(小型核兵器)の開発を済ませたという。

核兵器には規模によってカテゴリーが別れており、最大のものは戦略核兵器である。これは1発で北朝鮮全体が吹っ飛ぶような規模のもの。それに対して戦術核兵器は軍事基地や核施設だけを破壊する程度の規模の小さな核兵器(数十キロトン程度)である。

従来、アメリカは規模の大きな戦略核しか持っていなかったが、最近開発を終えたとしているのは戦術核のことである。

実はアメリカがここまで北朝鮮となんとなくグダグダの状態を続けていたのは開発の為の時間稼ぎだったのではないか、ということなのだ。

なので、「外交の天才である金正恩様が米国を手玉に取って~」などと朝鮮総連のニュースレターで得意気に喧伝して上手を取ったかのように思い込んで意気揚々だった北朝鮮だが、実はそうしている間にアメリカに時間稼ぎを許しただけだった、と。で、開発が終わったので「もういい」となったのが「今」なのである。

アメリカが戦術核を持つと北朝鮮に対して先制核攻撃をできるようになる。カード的にはそのような形になる。だがしかし、大義名分の関係で恐らく攻撃はしないと予想されている。

先制核攻撃をしなくてはならない事態というのは、それこそ金正恩委員長がトチ狂って核のボタンを押しそうになるとか、そのくらいの差し迫った状況であり、そこまでいかないと難しいと思われる。

こうして北朝鮮自慢の先制核攻撃については、実はアメリカの方が完全に上を行っているのが実情だ。

従って北朝鮮が「先制核攻撃するぞ」と言えば、アメリカも「あ、そう。それじゃこっちもやるよ」と言うであろうし、北朝鮮はそれでシュンとなってしまうだろう。

そういう意味で、金正恩が核兵器で強大なパワーを持ったと思いきや、実は時間を稼がれてアメリカの方がレベル的にずっと上を行っているのが現状なのである。

もしアメリカの先制核攻撃が為されれば北朝鮮の核施設5ヶ所一挙消滅のような事態も起きうるだろう。

こうした状況を踏まえて、在韓米軍が事実上の撤退を開始しているのは興味深い。デイリー新潮の鈴置高史氏はここにも注目している。ソウルから南の平沢(ピョンテク)に下げられているのだ。

米軍の撤退だけでなく子女子弟が通うアメリカンスクールも閉鎖している。恐らく来年の秋ぐらいまでには完全撤退になると鈴置氏は予想している。

もしもアメリカが先制核攻撃をした場合、北朝鮮は生き残ったミサイルをソウルに向けて撃ってくるだろうが、その時にはアメリカ人は既に誰も居ない状態である。痛くも痒くもない。

今までは在韓米軍が居たのでそれが足かせで北朝鮮を攻撃しにくかったのだが、米軍は南に下がっているので攻撃OKとなるのである。

アメリカとしては韓国に対しては「こっちで北朝鮮への攻撃をするから反撃されたら自分でなんとかしろ」ということになる。

アメリカはこれまでの韓国による舐めきった態度に相当な怒りを持っているのである。アメリカは本気で起こった時にはもううるさいことは何も言わない。速攻で黙って見捨てるだけ、だ。やる時はやる。

それがアメリカである。

事態は危ない状態に近づいてはいる。ボルテージの上がり具合で言うならば、最後に「臨検」までいって、その先が武力行使、という事になる。現状を言うなら「瀬取り監視」のレベルである。これが船舶の「臨検」にフェーズが上がるとかなり危険な状態になってくる。

フェーズが臨検にレベルアップする日も意外に近いかもしれない。

もしもここで中国が余計なことを言って臨検にレベルアップしたらヤブヘビとなる。その意味では今のタイミングで習近平はなぜ北朝鮮に行ったのか?、と疑問が持たれるところである。

G20ではトランプ大統領は香港の民主化運動を議題にする意向を持っているそうだ。この香港の動きは当然ながら台湾も注視している。中国がいかに追い詰められているかを示す証でもある。

ロシアとの関係も注目である。
先般、北朝鮮がロシアと首脳会談を行ったが大した成果は無かった。ロシアと北朝鮮というのは最終的に世界秩序を乱す親分と子分のようなイメージ(笑)であるが、しかし一方で北朝鮮とロシアはお互い相手を信頼していないので、いつでも態度を翻せるような危うい関係でもあるのだ。

困った状況の中国にとっての本命は実は日本である。日本をいかに取り込むか、に腐心しているのだ。今、最も懸念されるのは経団連等の日本の経済界が余計な動きをしないか、ということ。これはガチで心配されている。現状でここまで中国を追い詰められているのにも関わらず、逆に日本経済界が(己の私腹を肥やしたい為に)中国を助けるような馬鹿なマネをやらかしそうであることが最大の懸念材料である。

日本は以前、これで大失敗している。

かつての天安門事件の後で国際的に孤立した中国に対して日本が助け舟を出してしまったので、中国共産党はこれまで崩壊せずにやってこられたのである。中国はその恩を仇で返す鬼畜外道ぶりだが、日本はこの時の愚を繰り返さない事が重要であるし警戒して注目しておくことが必要だ。

また、以前、ロシアのプーチン大統領と習近平主席が会談した時、習近平がコケそうになったことがあった。咄嗟に周囲の人間が支えてくれたので習近平は助かったのだが、それを後方から見ていたプーチン大統領の目はせせら笑うようだった、という。(出典:福島香織氏のメルマガ)

プーチンは米中貿易戦争を横で見ていて時に中国に味方したり離れたりしながら、この2国を徹底的に消耗させる意図を持っている。そして最後はロシアが漁夫の利をかっさらう事を狙っているのではないか、という見方である。(出典:同上)

ロシアはなぜ習近平に近づくのだろうか。

極東ロシア軍は戦力が非常に小さく10万人程度である。これは自衛隊よりも少ない数字だ。それでロシアの長い国境線を守らなければならない。なので、もし中国がガチで攻撃してきたら核兵器で反撃するしかないのが実情である。

全面戦争である。

それは避けたい、というのが本音だろう。

経済的にも厳しい状況だし、それなら中国とは対立するよりも仲良くしてたほうが良いことになる。それで現状がこのようになっているのである。

とは言っても、不法移民のようなのが国境を超えてどんどん入ってくるので、それに対しては時々大々的に取り締まって追い出したりする。

ロシアはシベリアを取られたら終わり、というの国なので、そういう意味では中国とは潜在的には敵対関係にあるが、戦略的に仲良くしているということだ。

今、アメリカの圧力がある一方で、プーチンの方針で中国の味方をするフリをして中国を煽りに煽った挙げ句に、最後に梯子を外して中国が消耗してざまぁみろのような…そんなシナリオを描いているようである。コケそうになった習近平を見るプーチンの冷ややかな目はそんな実態を映し出しているようでもある。

ロシアの軍事的な状況はどうだろうか。
経済的に厳しい状況のロシアは多大なる軍事支出に耐えかねて軍縮をせざるを得ない方向にあるようである。今、原油価格は上昇してはいるが、ロシア自体が相当困窮していて、北朝鮮を笑えないほど経済状態は悪いそうだ。

これから本当に漁夫の利を得られるように立ち回れるかが見ものではある。

また、我が国の北方領土問題については、ロシアが徹底的に困った状態に陥らないと北方領土は返ってこないであろう。ロシアが死ぬほど困ったら返還される可能性は高くなるであろう。






「世界で最も美しい顔ランキング」が完全に無意味な理由

2019-06-19 08:00:00 | 社会・政治
美人をランク付けして発表する記事やイベント等がしばしば話題になる。
今年も下記リンク先のようなランキングが発表されている。

世界で最も美しい顔ランキング

しかしこうしたランキングを見て多くの人が毎年毎回しっくりこない感を抱いていることと思う。

なぜか。

それは「美しい顔」というのがそもそも曖昧で基準も不明確であること。

それ以前に人の顔を見て「美しい」と感じるかどうかはその人の主観次第であること。

基準が曖昧模糊としていたらそこにランキングというものは成立しない。

選者の主観次第であるということは単に選者の「好み」「好き嫌い」でしかない、ということ。「好き嫌い」というのは深層心理学的には「感情機能」である。ランキングは論理的基準で成立するものであるが、それを「感情で決めよう」というのがそもそもおかしいのである。

「美」に対する価値基準の傾向は民族や国ごとにかなり異なる。文化も民族性も異なる遠方の人々と価値基準が全く同じということはほぼあり得ないのだ。また、一つの民族・国の中でも人によって価値基準には振り幅がある。
(*1)

従って世界をひとまとめにして一つの価値基準で美人を選んだとしても、それは単に選者の民族的・国家的かつ個人的な趣味趣向の反映に過ぎず、普遍的妥当性は全く無い。

多くの人が「世界美人ランキング」を見て釈然としない印象を持ってしまうのはこうした理由に依る。

これが世界各国の人による投票制だったとしても無意味であることに変わりはない。投票ならばある種の客観性がそこに入るように思われるかもしれないが、しかし前提として「美」の基準は個人の主観であり、民族や国によって大きな傾向の差が存在することに変わりはないのである。Aという民族の美の価値観で「美しい」と感じてもBの民族ではそうはならない、という「差」は普通に当たり前に存在する。価値基準が異なる者同士で「こちらの方が上」と言ったところで何の意味もないのだ。

また、そのランキングに対してある民族や国が意図的に組織投票等の恣意的な操作をすれば結果はどうにでもなってしまうだろう。

どうしてもランキングにしたいと言うのなら、一つの民族や国の中(美の価値基準が概ね同傾向)だけで実施されるならば少しはマシかも知れない。それでも筆者はナンセンスだと思うが。




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(*1)
例えば、日本に於いてはそれほど器量良しと評価されていない女性がアフリカのある地域では美人として評価される、という事実も普通にある。





音楽を蔑ろにするアイドルという存在

2019-06-10 16:16:00 | 音楽
ほとんどの場合、アイドルと呼ばれる人々は歌のCDを出したり配信したりする。歌なのだから音楽である。音楽だからたくさん売れたり、曲の出来具合が評価されたりすると著名な音楽賞を受賞することもある。・・・にも関わらず、歌手でもある筈のアイドルたちからは曲の音楽面(*1)に対する話は聞かれない。アイドル達が自分達が歌っている曲が音楽的にどうなのかについて話をしているところを寡聞にして聞いたことがない。

アイドルが自分達の曲について話す時の切り口は下記のように2つある。


1.歌詞
一つは歌詞である。四十八とか坂道にまつわるグループの場合は総帥が作詞家なので歌詞を褒め称えるのは必須行事でもあろう。歌だから歌詞を語ることは決して不自然なことではない。しかし”歌詞は音楽ではない”。歌詞を語ってもその曲の音楽面を語ったことにはならない。

アイドルにとって歌唱していて特に印象的な歌詞や言葉のフレーズというものはあるだろう。そしてその歌詞が脳裏に浮かぶ時にはその歌詞に付随したメロディーや和音、そしてリズムも頭の中では再生されていることだろう。しかしアイドルはその印象的な旋律・和音・リズムを今ひとつ意識化できず、音楽それ自体を語る”言葉”を持っていない。だから音楽について話すことができないのだ。譜面も読めない子がほとんどであり、実際のレコーディング時には「仮歌」と呼ばれる「譜面が読める歌手が予め歌って録音したもの」を聴いて曲を覚える。その後にアイドルが歌ってレコーディングする。実に情けない。


2.ダンス/舞踊
もう一つはダンス(舞踊)である。
アイドル達の発言を聞いていると「この曲を踊れて嬉しいです」「あの曲を踊ってみたいです」等々。また「○○先生(振付師)の振りが格好良いけどとても難しかったです」「この曲のこの部分の振りが大変で…」といった発言も聞かれるが、要するにアイドルにとっては曲というのは”ダンスを踊る為の対象素材”という認識しかないようである。逆にその曲の音楽面についてアイドルが真剣に(歌手として、音楽家として)語っている場面を見たことがない。

アイドルは明確に「曲を踊る」とは言うのだが、「曲を歌う」とは言わない。アイドルにとって曲は「踊る」ものであって「歌う」ものではないのだ。意識の持ち方が既に明後日の方向を向いている。

実際、”△△史上、最高難度の振り付け”という触れ込みで新曲が発表されたりするのだが、そんな最高難度の舞踊をこなしていたら、とてもじゃないが歌を歌として音楽的に歌い上げるところまで神経は回らないだろうし回る訳がない。(*2) 事実、だからこそ音楽番組に出演する時でもアイドル達が集中するのは舞踊のことであって音楽(歌)ではない。その証拠に当たり前のように口パクでパフォーマンスするのである。音楽を聴かせる番組においてはオーディエンスに対してこんな失礼なことはないだろう。また、”最高難度の振り”を押し出すことはあっても”音楽的な特徴”を押し出すことは極めて稀であり、事実上「無い」と言っていい。

要するにアイドルにとって曲は舞踊を鑑賞してもらう為のツールでしかないのだ。その曲が音楽的にどのような成り立ちになっていて、どのように歌い上げて、どのような音楽的な特徴があるのか、といった音楽面への関心は皆無と言って過言ではない。また、アイドルグループのメンバーの中には酷い音痴で、とてもじゃないが歌でお金が取れるようなレベルにはない人物がごまんと在籍している。

アイドルにとっての「曲」が”聴かせるもの”ではなく”見せるもの”となっているのだ。それを裏付けるようにアイドルが売り出すCDにはほぼ必ずDVDが付いており、映像を楽しむ、つまり曲を視覚的に「見せる」方に重点が置かれていることが見て取れる。

これほど音楽することに無関心かつ低スキルな連中が歌のCDを売ってコンサートやTV番組で歌って、果ては音楽賞を受賞したりするのはとんでもないナンセンスと言えないだろうか。これだけ音楽を蔑ろにする姿勢を隠しもしない連中が音楽グループとして存在していること自体が音楽に対する冒涜に等しいのではないだろうか。

アイドル自身も己が音楽コンテンツに携わっている自覚は無さそうだし、そのように誘導しているのは仕掛け人であるプロデューサーである。例えば四十八関係・坂道関係の総帥は音楽知識はほぼゼロであり、音楽を語る言葉を持たない音楽プロデューサーである。音楽を単なるパズルのピース(部品)くらいにしか考えていない事は明らかだろう。これはこの御大から出てくる曲の多くは過去の有名曲の模倣であることが少なくないことでも判る。音楽的にクリエイトすることは始めから放棄しているのだ。「恥知らず」としか言いようのない所業である。プロデューサーが音楽の価値を完全に軽視しているのだから、その教え子でもあるアイドル達の認識も推して知るべしである。

こうして日本の音楽文化は破壊、そして雲散霧消の方向へ導かれるのだ。その意味で現在のアイドル文化の罪は計り知れないほど大きなものがある。



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(*1)
例えばその曲の旋律・和音・リズム・曲の音楽的構成・音楽的ルーツ・サウンド面の特徴、等々である。

(*2)
最高難度の振り付けを考案する振付師もまたアイドルは歌手でもあって曲をきちんと歌唱する必要がある事を忘れている。歌手が曲をきちんと歌唱できる余地を残した振り付けならばともかく、歌唱に神経が回らないほど難しい舞踊を押し付けるのは本末転倒である。





他人は不審者? 現代日本社会の闇

2019-06-03 05:55:10 | 社会・政治
登戸(川崎市)での無差別殺傷事件などもあって社会ではますます「人を見たら不審者と思え」な風潮が当然のようになってきている。

以前、このようなツイート↓がUPされた。記事は現在は削除されているので、記事内容の趣旨だけ記す。

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<不審者事案>
雨に濡れていた児童に声を掛け、家まで送り届ける事案発生(実行者の特徴:女性)
~ネットの反応
「これが不審者情報で回ってくる悲しみ…」
「善意以外の何があるというのか…」
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成人男性というだけで街で見かけたら不審者扱いされるのが当たり前な世の中だが、女性で、しかも家に送り届けてくれた人までもが不審者扱いされるのが現代日本社会である。

逆に言えば、女性ですら当然のように不審者扱いされる現代では成人男性は全て不審者、それどころか既に容疑者・犯罪者と断定されて当たり前な空気になっている。

その影響で無実であるにも関わらず不審者扱いされてしまった成人男性は地域社会においては自由に行動できず、自ら行動を著しく制限しなくてはならなくなっているのが実情だ。

地域社会で普通に道路を歩行していた時に若い女性や小さな子どもを見かけたら、成人男性は相手側に近づかないように注意して通行する必要がある。必要なら別の道へ進み相手から遠ざかる事を第一義に考える。たとえ遠回りになったとしても、だ。来た道を戻らなければならないケースもあり得る。たまたま同じ道で女性や子供に遭遇してしまったら自分が道路の反対側等に移動して相手から極力距離を取るように努力する。なにしろ女性や子供から離れて視界に入らないよう鋭意努力する。女性や子供を絶対に見てはいけない。偶然でも見てしまったら即不審者扱いである。

これは嘘でも冗談でもない。厳然たる事実であり実態だ。本当にここまでやらないと成人男性は不審者扱いされてしまうし、場合によっては通報されて官憲が介入する騒ぎになってしまう。彼らは「なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないのか」という不条理に苦しんでいるのである。

ここまでくると充分に人権侵害と言っていいレベルだと思われるが、しかし女性や子供の安全の為なら成人男性がどんな酷い目にあっても辛い目にあっても「仕方ない」で済まされてしまうのが実情である。(*1) これがもしも男女逆の事例であったらとっくに社会問題化していて大騒ぎになっていた筈だが苦しんでいるのが男性なので社会は放置しているのであり関心も持たれないのだ。
行政もこうした事例や実態については全く把握しておらず関心ももたない。救いは”無い”のだ。

若い女性や子供達を犯罪者から守り、無事・安全が確保されなければならないのは当然の事だ。しかし「安全の確保」の美名のもとに無実の成人男性が虐げられて人権侵害され追い詰められても無関心でいられるのはあまりにも想像力と思いやりが無さ過ぎではないだろうか。

現代日本社会が、その昔、作家・筒井康隆が描いたようなディストピアに向けて粛々と行進し続けているような気がしてならない。日本社会は明らかに病んでいるようである。




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(*1)
一般成人男性が理不尽な決めつけで不審者扱いされる事例はそこかしこにある。中には地域社会全体から故なく不審者扱いされて傷ついている男性も少なくはない。これは人権侵害と言える大問題である。そうした不条理な迫害に遭っている男性の一人は都内のある区が実施している人権相談の窓口に相談に行ったそうだ。担当の弁護士は弁護士バッジを誇らしげにスーツの胸に付けていたが、男性の相談内容を聞いたところで最初に言った言葉は「本当ですか?気のせいじゃないですか?」だった。男性は唖然として、その瞬間にこの弁護士は全然駄目であることを悟ったそうだ。明らかな人権侵害事例であるのにいきなり「相談者が頭がおかしい」事を前提とした言葉を投げつけてきたのである。その弁護士は続けて「その相談はどう解決したら良いか判りません」と言い放った。呆れる言葉だ。真剣に困っている区民の相談に対して「気のせい」にして相談者自身の精神を疑ったばかりか、相談内容を考えてみる意志も無く、相談を受け付ける気も無い事を宣言しているのだ。つまりこの弁護士は自分がパターン処理で解決できる楽な相談しか受け付けない、ということだ。この事例もまた、成人男性がいかに軽く見られているか、を表すものと言っても過言ではないと思う。女性からの相談なら少なくともこのような冷たい仕打ちはしないだろう。
また、こうした成人男性に対する一方的な不審者扱いに依る人権侵害は各地域で相当数発生しているものと考えられるが、前述のように行政も動かないし、こうした大問題が実際に起きている事をマスメディアも一切伝えない。これが女性の事案だったらすぐにマスメディアは社会問題として取り上げるのだろうが、男性だと無視、知らんぷりである。男性がそれだけ人権侵害されようと社会は一切関知しない、そういう阿漕で冷たい態度を男性には容赦なくぶつけてくる…それが現代社会なのである。