Altered Notes

Something New.

バラエティーという名のいじめ

2017-04-30 00:15:43 | 放送
先日、とあるアイドルのバラエティー番組を視聴したところ、新人アイドルに対してテレビ番組制作者が「バラエティーを勉強させてやる」という態度で無茶振りや難行苦行の押し付けをしていた。
バラエティーという名の娯楽番組ではしばしば見られるケースだが、出演者に常識ではあり得ない苦行を強制して、その出演者が苦しむ様を見て皆で笑う、というスタイルがある。”ある”と言うより、バラエティーでは多くの場合、このパターンである。
そもそも、日本の無能な番組制作者は「出演者に無茶ぶりさせることがバラエティーなのだ」と勘違いをしている。相当痛い勘違いである。

無茶振りをされた出演者が苦しむ様を見て笑える、というのは精神異常の一種であろう。なぜならそれは「いじめ被害者が苦しむ様子を見ていじめ加害者側が喜ぶ」というのと同じだからである。
加害者の側には想像力の欠如が認められ、自分がこれをされたらどう思うか、という初歩のシミュレーションすらできない未熟な精神を持つ連中が多い。それが現在のテレビ業界である。
いじめの現場を見せられても全然笑えない。当たり前である。それのどこが面白いのだろうか。なぜテレビ屋はこれで笑えるのか?不思議でならない。(*1)

しかもこうした放送を見た常識も知らない若い視聴者が「これでいいんだ」「これが面白いんだ」と思い込んでいじめの加害者になってしまうケースも少なくない。テレビ放送の影響力は半端なく大きいからである。

欧米の娯楽番組ならば確かにブラックユーモアというジャンルもあるが、日本のそれは全く何のセンスも感じない単なる「いじめ」そのものである。
日本の番組制作者が作るバラエティーというのは往々にして「弱者をいじめて喜ぶ」「人と人の間に対立軸を作って出演者同士をいがみ合わせて面白がる」というパターンで作られる事が多い。(*2)

出演者は放送局にキャスティングされる立場であり弱者である。放送局は「電波」という名の権力を握っているからこそ出演者にどんなに過酷なオファーもできるのだ。権力側に居る彼らテレビ屋(加害者)は弱者たる出演者(被害者)に無茶振りをいう名のいじめをすることで悦に入る。出演者間に対立軸を設定して彼らを喧嘩のように争わせるのも権力を握るテレビ屋の強制力があるからである。

こうした悪しき風習は、そのまま日本の番組制作者(テレビ屋)の無能を表している。日本の番組制作者は「笑い」「楽しみ」という感覚の基本が全く理解できていないのであろう。
欧米の娯楽番組を唯一正しい例とする気はないが、例えば欧米の娯楽番組なら出演者をいじめなくても対立させなくても充分に面白いコンテンツを作ることができる。センスとスキル、そして娯楽に対する文化・伝統の深さが根本的に違うのだ。次元が違うと言っても過言ではない。

日本のテレビ屋というのはつくづく能無しであり腐りきっている。
醜悪の極みだ。


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(*1)
これに付随してセクシャルハラスメントも横行している。「いじめ」に「セクハラ」である。テレビ局・マスコミ業界というのはかくも低次元で精神的に立ち遅れた連中の巣窟なのである。コンプライアンス(法令遵守)の観点からも「異常」と判定されるような世界である。


(*2)
これに無批判に乗っかっているのが権威を笠にきたベテランの芸人たちである。こうした連中が事態をますます深刻化させ悲惨な方向へ進めてしまうのだ。


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<2018年6月22日追記>
TBS系の「水曜日のダウンタウン」という番組で、コロコロチキチキペッパーズのナダルを車で連れ去るというとんでもない企画のロケをしていたら、「男性が連れ去られた」という110番通報が相次いだことで、警視庁渋谷署が番組担当者を厳重注意していたそうだ。
これなどはもはやテレビの末期的な酷さを如実に反映した出来事と言えるだろう。テレビ局としての矜持など既にどこにも見えないほど低次元化して基礎的なモラルも失った醜悪な姿がここにある。
拉致するという行為自体がされる人間にとっては恐怖そのものであるし、それを「面白い」と思っているテレビ局の感性は致命的なほど貧弱であり、頭も心も壊れているとしか考えられない。本当にこんなものを見せて視聴者が楽しんでくれると思っていたのだろうか。テレビ屋というのは信じがたいほどの馬鹿どもである。


<2020年3月15日追記>
日本テレビで放送されている「有吉ゼミ」という番組がある。ご存じの方も多いだろうが、この番組ではタレントに激辛料理を食べさせて苦しむ様子を見て笑うレギュラー企画がある。毎回極度に激辛な料理を苦しそうに食べるタレントの様子は地獄の様相を呈しており、全く面白くないし笑えるような内容ではない。むしろ嫌悪感と憤りしか湧いてこない。その理由はこれがテレビ局に依るタレントへのイジメにほかならないからである。テレビ屋は電波という強大な権力を背景にタレントへの難行苦行を当然のように強いる。これはパワハラであり正にイジメ行為である。テレビ側はイジメの加害者であるが、一切悪びれずにタレントが苦しむ様を見て笑っているのだ。このように人としての基本的なモラルさえもなくしてしまったテレビ屋の実態がここにある。醜悪極まりないものであり、反吐が出そうなほど酷い。そもそも食事というものはこんなに難行苦行しながらするものではない。テレビ屋が非常識で狂気に侵された己自身の姿に気が付かない終末期の様相がここに如実に現れている。最低だ。


<2020年10月10日追記>
フジテレビは10月9日に、8日に群馬県内で行われた科学実験バラエティー番組「でんじろうのTHE実験」のロケに参加した「トレンディエンジェル」の斎藤司氏が負傷したことを番組公式サイトで公式に報告した。斎藤氏は背骨骨折など全治2~3カ月の重傷を負っている。フジテレビはこうした負傷事故を何度も発生させており、その度に「二度とこのような事故が起きないよう安全対策を~」というお決まりの口上を並べることが定番になっている。負傷するような行為を当然のように強制するテレビ屋。結局いつまで経ってもテレビ屋のいじめ体質は変わらない、ということである。電波という大きな権力を握るテレビ局。雇われた弱い立場の芸人は文句の一つも言えないのだ。こうした事例は勿論フジテレビだけではない。今のテレビ屋全体に巣食う思い上がった腐敗体質がベースにある限り、何度でも繰り返されるだろう。さらに今回の事例では番組名に「でんじろうの~」とあるが、実際にはサイエンスプロデューサー・米村でんじろう氏による監修がない実験だったことも明らかにした。テレビ屋は嘘つきの常習者であり、弱者へのいじめをバラエティーと称して公然と見せることで、それを利益にする醜悪かつ凶悪な連中なのである。ここまで腐敗が進んで連中に国の資産たる電波を供するのはもう止めにしたほうが良い。ただちに放送免許を剥奪すべきであろう。




生涯未婚率上昇の背景にあるもの

2017-04-24 00:10:33 | 社会・政治

2017年4月10日に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「2017年版 人口統計資料集」に依れば、生涯未婚率が男性で23.37%、女性で14.06%であるそうだ。男性・女性共に過去最高の数値であり、一般庶民から結婚が遠のいてゆく過程を見ているようである。

男性の数値が女性比で高いのは、少数のモテる男性は何度も(初婚の女性と)結婚するが、モテない男性は一度も結婚することがないまま生涯を終えるからである。

生涯未婚率上昇の理由についてはいくつかあるが、男性側の理由として「そもそもモテない」「経済的な理由」あたりが主要なところとして語られることが多い。



[1] そもそもモテない

以前の拙稿でも指摘したように、現代は男女共に自分の無意識内にある理想の異性像を追い求める傾向が非常に強くなっているので、マッチングすること自体が難しくなってきているようだ。
一般に見た目が芳しくない人は異性からの引き合いが乏しく、お付き合いの入口にすら立てない事が多い。しかも勇気を出して恋愛や婚活に果敢に挑んだとしても彼らは非イケメン故に「セクハラ」だの「ストーカー」だのといったレッテルを貼られてしまい、酷い場合には通報されて官憲の介入、という事態に至る。その結果、精神的に疲弊して諦めざるを得なくなってしまうのである。
もちろんイケメンの場合はこのような事態にはならない。
人間の真の評価は見た目ではなく人間性にあるのだが、きっかけとしての見た目の必要性は如何ともしがたいものがあるようである。

「※ただしイケメンに限る」という注釈が半分冗談・半分真面目に語られることがあり、この文言が意味するところをしたり顔で否定する人たちもいる。繰り返すが、人間の真の価値は決して顔の良し悪しではなく、その人間性にある。しかし、「※ただしイケメンに限る」という鉄則は美貌に遠い男性たちの多くを女性とのコミュニケーションのスタートラインにすら立たせないものなのであり、日々の生活の中で正に非イケメンの悲哀を誰よりも痛感しているのも彼ら男性達であることは厳然たる事実なのである。

また、異性とのコミュニケーションの機会が無いまま年齢を重ねてきた人にとっては、その分野の能力が磨かれないままなので益々ハードルが上がってしまい、辛い事になってしまうようだ。

この「そもそもモテない」という理由はTV等のマスコミではあまり触れられる事はない。それはテレビ屋にとって「どう扱ったらよいか判らない」からである。
テレビ番組では「モテない」は「適当な相手にめぐり逢わない」に置き換えられる事が多い。




[2] 経済的な理由

これも切実な問題である。
簡単に言うならば、収入が充分ではなく結婚に踏み切れない、というものだ。
テレビ屋がこれを報じる時にはしばしば「経済力を理由にするのはおかしい」と問題提起する。なぜなら「一人口は食えぬが二人口なら食える」と、稼ぎが少なくても夫婦共稼ぎならやっていける、従って低収入だからこそ結婚するのが正解である、と宣うのだ。
昭和の昔ならそれも「あり」だったであろうが、現代ではこれは通用しない。
現代の女性は上方婚志向であり、高収入の男性との結婚・専業主婦希望が圧倒的に多い。夫の稼ぎで充分に豊かな暮らしをして自分は働く気は無い、というのが一般的な女性の目論むところなのである。(*1)
そしてこれも多くの女性が望む年収600万以上の未婚男性は極めて少数であり、この希望自体がもはや現実的ではない。これを年収400万に下げても実態はさほど変わらない。

さらに政府が推進している政策も未婚者・非婚者増加の大きな背景となっている。
政府は労働者の給料をできるだけ下げるように導いている。さらに正規社員を少なくする一方で多くを非正規社員にしてクビを切りやすい形に持っていこうとしている。

収入が少なく不安定で、しかもいつクビになるか判らないとなれば、明るい結婚生活像は持てないのが当然であり、従って結婚に踏み切れないのは必然なのである。
結局非婚化・少子化を強力に推進しているのは我が国の政府だった、というオチである。




[3] その他の理由

いわゆる婚活サービスが繁盛している昨今だが、婚活サービスで定番なのが「条件に依るマッチング」である。「収入」「趣味」「年齢」「身長」「学歴」等々の各項目毎に希望データで男女のマッチングを図るのである。
前述のように多くの男性は非正規だったり低収入に喘いでおり、まして見た目の問題も含めれば、こうした条件に依るマッチングが成立する方が稀であることは言うまでもない。
そして条件によって成立した結婚はやがて離婚に至る可能性が高いという統計データもある。条件という意識的な理屈で夫婦になっても、無意識の中にある理想の異性像とのギャップが結婚生活を続ける事を阻害するのである。
男女が惹かれ合う理由の最たるものは「条件」ではない。もっと深層心理に関わる領域で起こる作用に依るものだ。なので、始めに「条件」で人を選別してしまうと出会うべき人をむしろ切り捨てている事になるかもしれないのだ。
婚活サービスというのはそれを運営して利益を得る人に都合の良いシステムとなっており、決して人間的な結びつきを利用者にもたらすものではない事を知っておく必要はありそうだ。

また、高齢の親の介護の為に結婚を諦めるケースも少なくない。
多くの場合、親を24時間見守るためにいわゆる介護離職をして親の年金だけで生活しながら介護を行うケースが多く、生活は楽ではないし、当然結婚どころではないのである。
親を特別養護老人ホームなどの施設に預けられればまだ良いのだが、特養は需要に対する供給数が極端に少なく、あぶれた市民は自宅で介護せざるを得ない。ヘルパーやデイサービス等の介護サービスを利用したとしても自宅で介護するのは並大抵のことではない。認知症が加わればその困難は何倍にもなって介護者に降り掛かってくるのだ。時折ニュースで介護殺人の事件が報じられるが、介護とはそんな悲劇が起こりうるほど厳しく辛いものなのである。
そしてここでも現政権は介護施設に使われる税金を減らすべく「介護は各家庭でやってほしい」という方向で介護政策を進めている。これでは親の介護でエネルギーも経済力も使い切ってしまい、とても結婚を考える余裕はない。ここでも政府によって結婚が遠ざけられているという現実がある。
介護作業の地獄のような辛さを政治家も官僚も知らないし知ろうともしない。従って家族を介護する独身者達に結婚の福音はもたらされることがない。

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生涯未婚率が上昇する原因はこれらだけではないが、政府はここで述べた諸問題すら真剣に解決する気は無いようである。日本はますます衰退していくであろうことは想像に難くない。



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(*1)
下記記事を参照されたい。
「20代の働く女性、「本当は専業主婦になりたい」41.7%」
(2022年4月15日:追記)