音楽界ではつとに有名なヴァイオリン奏者のサラ・チャンについて記す。
筆者が彼女の演奏を初めて聴いたのは1994年のN響との共演でソロ奏者として登場した時である。それが下記の演奏だが、まずこれを聴いてみてもらいたい。
『サラ・チャン チャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調作品35」第1楽章』
『サラ・チャン チャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調作品35」第2~3楽章』
曲はチャイコフスキーの有名な協奏曲だが、実に堂々たる演奏である。この時、彼女はまだ13歳だった。だが、とてもそんな年齢を感じさせない音楽としての強力な説得力は物凄いものがある。技術力の凄さもさることながら、理屈では表せない表現力の豊かさには喫驚せざるを得ない。カデンツァ部分などは即興も含まれるだろうが、見事な演奏である。ピチカートで強めに弦を弾く瞬間でさえもある種の音楽的愉悦を持った興奮をオーディエンスに与えるこの演奏は本物だ。また、指揮者のデュトア氏やN響とのコラボレーションもうまくいっている。
音色も良い。大変太く輪郭のはっきりした音で、しかし決してきつくない輪郭であり、艶っぽさも含む芳醇なサウンドである。もちろん、シリアスでシビアなニュアンスが必要ならそれもきちんと表現できる実力はある。これがピアニッシモからフォルティッシモに至るまで全音域できちんと鳴らされ、きちんとオーディエンスに届く。プロならできて当然なレベルを遥かに超える実力は紛れもない本物の証である。これが13歳の少女から表現としてアウトプットされるのは信じ難いほど美しく素晴らしい。
さらに、速いテンポの時の細かい譜割りの旋律をきちんと弾くだけでなく、ある種のグルーヴ感をも感じさせる技術と抜群のリズム感、音楽センス…だからオーディエンスは魅了されるのだ。
もう、あのデュトア/N響との共演から30年も経過しているが、筆者は未だにこの時の演奏が大好きである。音楽として素晴らしく飽きることがない。
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筆者が彼女の演奏を初めて聴いたのは1994年のN響との共演でソロ奏者として登場した時である。それが下記の演奏だが、まずこれを聴いてみてもらいたい。
『サラ・チャン チャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調作品35」第1楽章』
『サラ・チャン チャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調作品35」第2~3楽章』
曲はチャイコフスキーの有名な協奏曲だが、実に堂々たる演奏である。この時、彼女はまだ13歳だった。だが、とてもそんな年齢を感じさせない音楽としての強力な説得力は物凄いものがある。技術力の凄さもさることながら、理屈では表せない表現力の豊かさには喫驚せざるを得ない。カデンツァ部分などは即興も含まれるだろうが、見事な演奏である。ピチカートで強めに弦を弾く瞬間でさえもある種の音楽的愉悦を持った興奮をオーディエンスに与えるこの演奏は本物だ。また、指揮者のデュトア氏やN響とのコラボレーションもうまくいっている。
音色も良い。大変太く輪郭のはっきりした音で、しかし決してきつくない輪郭であり、艶っぽさも含む芳醇なサウンドである。もちろん、シリアスでシビアなニュアンスが必要ならそれもきちんと表現できる実力はある。これがピアニッシモからフォルティッシモに至るまで全音域できちんと鳴らされ、きちんとオーディエンスに届く。プロならできて当然なレベルを遥かに超える実力は紛れもない本物の証である。これが13歳の少女から表現としてアウトプットされるのは信じ難いほど美しく素晴らしい。
さらに、速いテンポの時の細かい譜割りの旋律をきちんと弾くだけでなく、ある種のグルーヴ感をも感じさせる技術と抜群のリズム感、音楽センス…だからオーディエンスは魅了されるのだ。
もう、あのデュトア/N響との共演から30年も経過しているが、筆者は未だにこの時の演奏が大好きである。音楽として素晴らしく飽きることがない。
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