Altered Notes

Something New.

タモリ・スピリット

2011-02-10 04:03:03 | 人物
タモリを「お笑いの人」と思っている人がいたらそれは間違いである。タモリワールドは関西・吉本系の世界とも違うし浅草演芸系のそれとも異なる。では何か、と言われれば、タモリは「タモリ」としか言えない。あらゆる既成カテゴリーに当てはまらない唯一無二の存在なのである。

タモリの特異性を表す事実の一つとして、

「タモリはオーディションを受けたことがない」

というものがある。

不思議なもので、タモリ自身は飄々としてあくまで自分のペースを崩さず、ただただ面白い事をやり続けてきただけなのだ。では何がタモリをここまでの大きな存在にしたのか?
それは周囲の人間達なのである。

そもそもタモリを最初に見出したのはジャズピアニストの山下洋輔氏である。かつて博多のホテルの部屋で山下洋輔トリオのメンバーがライブ後のどんちゃん騒ぎの宴に酔いしれていたところに突然何の面識もないタモリが乱入して一瞬の内に山下氏をその魅力の虜にしたのは今や有名なエピソードだ。それ以来、山下氏は東京の行きつけの飲み屋で「博多の面白い男」について吹聴しまくった結果、筒井康隆氏や赤塚不二夫氏など錚々たる面々が「それなら、そいつを東京に呼ぼう」と言い出し、お金を出し合ってタモリを東京に呼んだのである。赤塚不二夫氏は自分のマンションを住居として提供して生活費も渡し、山下洋輔氏は自らオフィス・ゴスミダという事務所を作ってタモリのマネージャーとなって各テレビ局に売り込みに動いた。そして、タモリがテレビに出たことであの黒柳徹子さんが一瞬でファンになって、未だ芸能人としては実績の無いタモリをいきなり徹子の部屋のゲストして招いたのだ。前代未聞の展開である。

ここまでの経緯でお気づきと思うが、タモリ自身は何一つ積極的に売り込みとしての営業活動はしてない。動いたのはタモリの魅力にやられた周囲の人々である。そしてそれ以後の活躍は多くの人が知るところである。一回もオーディションなどは受けていないのである。全て周囲の人々がタモリを自然に引き上げてきた・・・そういう歴史の積み重ねが今に至るメインの流れなのである。ある意味で凄まじく高い人徳と言えよう。

では、何が周囲の人々をここまで熱狂させたのか?

タモリの面白さが真にユニークだったからだ。比肩するものの皆無な面白さがそこにあったのである。

世間で言うところの、いわゆる”お笑い”の世界には法則とかルールといった約束事がある。芸人達の世界ではそのルールから外れていると本気で注意されたりする。しかしタモリにはそうした狭義のルールは無い。

どうしてか。

その理由は「ジャズマン」だから、とするのが妥当なところだろう。(*1)
お笑いというカテゴリーやお笑いの(狭義の)ルール等にとらわれず即興を楽しむ知的なジャズ屋なのである。ちなみにタモリを見出したジャズピアニスト山下洋輔氏もルールを敢えて外した音楽を創作して高く評価された音楽家である。

2002~2003年くらいにBS放送のテレビ番組で笑福亭鶴瓶がタモリに対して興味深い見解を述べている。(*2)
以下は鶴瓶が語った内容の要旨である。

「笑っていいとも」出演の長い笑福亭鶴瓶はタモリに不満を抱いていた。鶴瓶や明石家さんまといった笑いのベテランは客を爆笑にもっていく手練手管を持っている。鶴瓶がネタを語り、あと一歩でオチがついて爆笑…となる寸前にタモリが入ってきてその笑いを潰す、と。いつもそうやって自分の笑いを潰されることに不満を持っていたのである。

ある日鶴瓶はタモリに聞いた。
「なんで人のネタを潰すのか」と。
タモリは言った。
「テレビというのは事故(予想外の展開)が面白い。鶴瓶やさんまは人を笑わす力がある。放っておけば必ず客を笑わせられる技術を持っている。それでは予定調和となって面白くない。だから潰すのだ」と。
笑いを潰されても本当に力のある人間ならばその場で「違う方法」を見つけて笑わせることができるだろう。それが本当の面白さなのである、と。(*3)

これを聞いた笑福亭鶴瓶は非常に感銘を受けて、それ以来タモリを尊敬しているのだそうである。タモリも凄いがそのスピリットをきちんと受け取って理解した鶴瓶もやはりちゃんと判っている人物だと思う。(*4)

興味深いのはこの方法論がジャズの即興演奏の考え方そのものだからである。ジャズのアドリブは常に新鮮な驚きを持って迎え入れられるような展開ができなければ良い演奏家とは言えない。美しく整ってはいても既に手垢の付いたようなアイディアに価値はない

ジャズというのは上述のような瞬間的な挑戦が恒常的に行われている音楽である、と言えるかもしれない。だから良質のジャズ演奏は重い緊張感をはらみつつ、しかし一方で半端ない音楽的達成感にも満ち溢れているのである。それは魂の浄化作用とも言える程の体験となる。

タモリの世界、そのルーツはここにある、ということなのだ。

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こんなエピソードもある。米国人も参加していたとある社交場でのお話。タモリ氏もここに居た。

話の成り行きで、たまたま日本人と米国人の間で口論が始まってしまい、相当に険悪な空気が流れる状況になった。一触即発、である。

その状況下で怒り心頭の米国人が叫んだ。

「リメンバー・パールハーバー!!」

次の瞬間、それを受けて突如割り込んだタモリ氏が突然叫んだ。

「リメンバー パールハーバー…アイ リメンバー クリフォード!!」

途端にその場にいた全員が爆笑の渦に包まれた。なんと一瞬で場が和んでしまったのである。奇跡のような瞬間だったそうだ。

ジャズの名曲に詳しくない人には判りにくいかもしれない。「アイ リメンバー クリフォード」はジャズに於けるスタンダード曲の一つで非常にポピュラーである。(名トランペッターであるクリフォード・ブラウンに捧げられた曲)

最近の若い世代は別にしても、米国人は日本人相手だと何かにつけ真珠湾を持ち出してくることが少なくない。対決の場においてはそれこそ真珠湾を出されると、これが一種のラストワードとなって喧嘩になってしまうこともある。

ところが、タモリ氏はこの真珠湾の恨みを一瞬にしてジャズの名曲に昇華させて「意味の転換」と「論理の転換」を瞬時に成し遂げたのである。こうして最悪の空気に満ちていた修羅場をタモリ氏が救った。正に「奇跡」である。

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自身が司会をする番組が30年続くなど、彼の人徳の高さを伺わせるエピソードは他にも数多存在するが、それはまた次の機会に紹介したい。



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(*1)
楽器演奏でなくても、歌唱でなくても、音楽でなくても「ジャズであること」は成立する。あの渡辺貞夫氏も「食事していてもお風呂に入っていてもジャズだ」と言い切っている。



(*2)
BSフジで放送されていた「週刊BSデジタルマガジン」という番組。
インタビュアーはオダギリ・ジョーと阿部美穂子であった。



(*3)
関西系のお笑い芸人、関東や浅草系の芸人などはやたらお笑いの中にあるフォーマットにこだわる。お笑いも様式化しているのだ。「こう来たらこう受ける」「ネタを被せにいく」等々、お笑いと呼ばれる芸の中にいくつもの様式と方程式が確立されており、そこに則るというか準拠している事を大切にしている。しかしタモリは根本的に異なる。タモリのお笑いに様式や方程式は無い。逆にそれらに準拠した途端に”タモリらしさは”失われる。何故か。タモリの面白さは即興性の中に全てがある。即興の中に「今、この瞬間に必要とされる面白さの根本構造」から瞬時に出てくるものだからである。ここがジャズ的なスピリットが感じられるところかもしれない。それは一切の様式や方程式と無関係に出てくるものであるが故に、だから他のいわゆるお笑い芸人たちとは立ち位置が根本的に異なるのである。



(*4)
笑福亭鶴瓶は芸と表現という事に対してはかなりアグレッシブな人物であると言える。本業の落語の他に、いろいろな役者を相手に筋書きの無い即興劇を定期的に続けたり、ステージに立つその瞬間まで相方が判らない即興漫才の試みなど、新しいものにチャレンジしてゆく進歩的な姿勢は高く評価されるべきである。







ウェイン・ショーター(Wayne Shorter) に思う

2011-02-09 03:17:18 | 音楽
ウェイン・ショーターは稀代のジャズミュージシャンである。至高の存在であり、音楽上の「アドリブ・即興」に対して常に真摯な姿勢で追求してきた偉大な音楽家のひとりである。

しかし、その偉大さの割には今ひとつ一般の人に知られていない。同じサックス演奏者で言えばソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンに匹敵するジャズの巨人であるにも関わらず、である。(*1)(*2)

ここでは主にウェインのアドリブ精神(スピリット)と非凡な才能について焦点を当ててゆく。

即興演奏とは「何をどのように演奏するか」を演奏の現場でリアルタイムに決定して音を紡いでゆく行為である。そこでは演奏者の経験からくる知識や円熟の度合い・センス・その日の気分・その場の空気・共演者の演奏の具合・等々様々なファクターが絡み合って何を演奏するかが一瞬の内に決定される。いや、一瞬の内というよりも一瞬の間もない内に音が出ている、と言った方が正確だろう。これが演奏が終わるまで延々続くのである。

これはかなり精神力・体力共に必要とする大変な作業である。しかし楽をしようと思えばできなくもない。長く経験を積んでくれば場面場面によって大体「何をやったら良いのか」のパターンが自分の中に出来てくる。いわゆるベテランの演奏にはこのようなケースが往々にして見られる。しかしこうして「楽をした即興」は形は整っていてある種の美しさを持ってはいるのだが、しかしその音には「魂」が感じられず新鮮味がない。予定調和的であり音楽に手応えを感じないのである。それでは音楽として価値はない。真のアドリブ・即興とは魂の瞬間的な燃焼・爆発なのである。

ウェインの非凡なところは常に即興に対して自然に全力であり、そのサウンドに「魂」を感じることである。例えばある曲を即興演奏している時にウェインがシンプルなメロディーを演奏したとしても、それは「その場面」に対して「それしかない」ものをチョイスした究極の結果としての旋律なのである。それは「自ずから然り」という表現がフィットするほどの必然性を持ったものとも言える。これはパターンを基に楽をして演奏している人がプレイするシンプルな旋律とは全く”似て非なるもの”なのである。

例えば同じ曲をウェインが演奏したものと他のSAXプレーヤーが演奏したものと比較するとそれがよく判る。言っている私自身、愕然とする程の「差」がそこにはあるのだ。その曲で、ウェインの即興演奏は具象的で判りやすい楽しいメロディーを基本として展開された。同じ曲を別のSAX奏者が即興演奏した時には不思議なことにこれが「通俗的」に聞こえてしまったのである。逆にシンプルな旋律を演奏していてもウェインの場合は不思議なことに決して通俗的には聞こえないのである。「それしかない」究極の選択の結果としてのフレーズとなるのだ。(*3)

この「別の奏者」は決して駄目な演奏者ではない。それなりにスキルのある巧者なのだが同じ曲でウェインのそれと比較すると通俗的でありきたりな音楽に聞こえてしまうのである。ウェインの演奏がいかに即興精神に溢れ、ある意味で自然の有り様に則った「魂」を感じる音楽になり得ていたかを私は強く感じることができたのである。

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ウェインの音楽性はデビュー当初から非凡であった。作曲家としても多作で、その全てが独特のムードを持つものであり極めて強い個性を発揮していた。

1960年代初頭にアート・ブレイキーのジャズメッセンジャーズのメンバーとして初来日した時には現代音楽の巨匠である武満徹氏もウェインの非凡な才能に気づいて絶賛したこともひとつの傍証になるであろう。(*4)

1960年代前半のいわゆるファンキージャズ・ブームの中で異彩を放っていたウェインだが、面白い現象がレコードに残っている。当時勢いのあった若手ジャズ・ミュージシャンを集めてレコーディングされたアルバムがあるのだが、ウェイン以外のメンバーは皆ファンキージャズをそのまま体現したかのような典型的なジャズ演奏者であり、彼らだけで演奏すればブルージーで典型的な当時のモダンジャズのサウンドになっていた筈である。ところがそこにウェインが一人入っただけでサウンドがガラっと変わってしまうのだ。より現代的でユニークで怪しげな魅力に溢れたサウンドになりバンド全体の雰囲気が明らかに変化しているのだ。そのような大きな影響力をデビュー当初から持っていたウェインがあの先駆者であるマイルス・デイビスの目にとまるのは時間の問題だった。

マイルスに請われて彼のクインテットに参加したウェインの個性はここでさらに深化する。ウェインの非凡な才能に惚れていたマイルスはバンドの全体を監督するような立場をウェインに任せた。マイルス・デイビスという人物は音楽に対して非常に真剣で常に他をリードするような存在であったが、そのマイルスをも自在に使いこなした唯一の音楽家がウェイン・ショーターである、と言われている。

名曲 "Nefertiti" もマイルスバンド在籍時代に作曲されている。1コーラス16小節のこの曲は本当に不思議な魅力をもつ曲であり、ユニークで風変わりなメロディーラインだったり和音進行だったりするのに妙に耳に馴染む「自然さ」を内包しているのである。作曲時、ニューヨークのアパートで午前3時頃、ピアノに向かっていたところ一瞬で頭に浮かんだという。このあたりも「自ずから然り」を感じさせるし、魂の領域、無意識の領域に自然に入り込んでくる怪しい魅力に溢れる曲のひとつである。

この名曲を受け取ったマイルスは恐らく興奮したに違いない。その証拠にマイルスはこの曲の演奏に対してなんと一切のアドリブを取りやめた。すなわち曲のメロディーを延々と繰り返し演奏するスタイルをとったのだ。それだけこのメロディーに普遍的価値を感じた、ということだろう。唯一、トニー・ウィリアムスのドラムだけが後ろで自由に動いているのがアドリブらしい動きとも言える。(*5) マイルスをしてこんな画期的な判断をさせるくらい空前絶後の魅力と影響力を持った曲なのである。

ウェインはマイルスバンドの後、ジョー・ザヴィヌルらと共にウェザー・リポートを結成して活躍し、1985年頃からはソロ活動に移って創作活動を続けている。また、親友でもあるハービー・ハンコックとの共演・共作での活動もよく知られている。

2011年現在、70代後半であるがその創作意欲は全く衰えていない。これは真に凄いことである。


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(*1)
但し玄人筋、つまりプロのミュージシャンからは高く評価されている。音楽的にも人間的にも。

(*2)
「笑っていいとも!」のテレホンショッキングで歌手のJUJUさんがその名前の由来を語った時にウェインの名前を出された。まさか「いいとも」でウェインの名前が出てくるとは思っていなかったので喫驚した。ご存じない方の為に記しておくが、「JUJU」とはウェインの1964年に録音されたアルバムタイトルであり同名曲のタイトルである。

(*3)
ウェザーリポートのオリジナル曲を後年J.ザヴィヌル他のウェザーリポートメンバーだった人たちが演奏するのだが、ただフロントだけがウェインではなく別人であった…という稀なケースがあった。

(*4)
余談だが、後の1987年に武満徹氏がプロデュースした音楽祭である TOKYO MUSIC JOY にウェインが単独で参加してバッハのインヴェンションなどを演奏(共演:R.ストルツマン(cl))したのもメッセンジャーズの時以来の縁があってのことであろう。

(*5)
もちろんハービー・ハンコックの非常に知的で瞬間の色合いに応じて変化をつけるピアノのバッキングも秀逸だ。
1976年にカーネギーホールで行われたコンサートでのバッキング(コンピング)はさらにバリエーションに富んでおり、ぶっ飛んだ表現も出てきて驚かされる。