タモリを「お笑いの人」と思っている人がいたらそれは間違いである。タモリワールドは関西・吉本系の世界とも違うし浅草演芸系のそれとも異なる。では何か、と言われれば、タモリは「タモリ」としか言えない。あらゆる既成カテゴリーに当てはまらない唯一無二の存在なのである。
タモリの特異性を表す事実の一つとして、
「タモリはオーディションを受けたことがない」
というものがある。
不思議なもので、タモリ自身は飄々としてあくまで自分のペースを崩さず、ただただ面白い事をやり続けてきただけなのだ。では何がタモリをここまでの大きな存在にしたのか?
それは周囲の人間達なのである。
そもそもタモリを最初に見出したのはジャズピアニストの山下洋輔氏である。かつて博多のホテルの部屋で山下洋輔トリオのメンバーがライブ後のどんちゃん騒ぎの宴に酔いしれていたところに突然何の面識もないタモリが乱入して一瞬の内に山下氏をその魅力の虜にしたのは今や有名なエピソードだ。それ以来、山下氏は東京の行きつけの飲み屋で「博多の面白い男」について吹聴しまくった結果、筒井康隆氏や赤塚不二夫氏など錚々たる面々が「それなら、そいつを東京に呼ぼう」と言い出し、お金を出し合ってタモリを東京に呼んだのである。赤塚不二夫氏は自分のマンションを住居として提供して生活費も渡し、山下洋輔氏は自らオフィス・ゴスミダという事務所を作ってタモリのマネージャーとなって各テレビ局に売り込みに動いた。そして、タモリがテレビに出たことであの黒柳徹子さんが一瞬でファンになって、未だ芸能人としては実績の無いタモリをいきなり徹子の部屋のゲストして招いたのだ。前代未聞の展開である。
ここまでの経緯でお気づきと思うが、タモリ自身は何一つ積極的に売り込みとしての営業活動はしてない。動いたのはタモリの魅力にやられた周囲の人々である。そしてそれ以後の活躍は多くの人が知るところである。一回もオーディションなどは受けていないのである。全て周囲の人々がタモリを自然に引き上げてきた・・・そういう歴史の積み重ねが今に至るメインの流れなのである。ある意味で凄まじく高い人徳と言えよう。
では、何が周囲の人々をここまで熱狂させたのか?
タモリの面白さが真にユニークだったからだ。比肩するものの皆無な面白さがそこにあったのである。
世間で言うところの、いわゆる”お笑い”の世界には法則とかルールといった約束事がある。芸人達の世界ではそのルールから外れていると本気で注意されたりする。しかしタモリにはそうした狭義のルールは無い。
どうしてか。
その理由は「ジャズマン」だから、とするのが妥当なところだろう。(*1)
お笑いというカテゴリーやお笑いの(狭義の)ルール等にとらわれず即興を楽しむ知的なジャズ屋なのである。ちなみにタモリを見出したジャズピアニスト山下洋輔氏もルールを敢えて外した音楽を創作して高く評価された音楽家である。
2002~2003年くらいにBS放送のテレビ番組で笑福亭鶴瓶がタモリに対して興味深い見解を述べている。(*2)
以下は鶴瓶が語った内容の要旨である。
「笑っていいとも」出演の長い笑福亭鶴瓶はタモリに不満を抱いていた。鶴瓶や明石家さんまといった笑いのベテランは客を爆笑にもっていく手練手管を持っている。鶴瓶がネタを語り、あと一歩でオチがついて爆笑…となる寸前にタモリが入ってきてその笑いを潰す、と。いつもそうやって自分の笑いを潰されることに不満を持っていたのである。
ある日鶴瓶はタモリに聞いた。
「なんで人のネタを潰すのか」と。
タモリは言った。
「テレビというのは事故(予想外の展開)が面白い。鶴瓶やさんまは人を笑わす力がある。放っておけば必ず客を笑わせられる技術を持っている。それでは予定調和となって面白くない。だから潰すのだ」と。
笑いを潰されても本当に力のある人間ならばその場で「違う方法」を見つけて笑わせることができるだろう。それが本当の面白さなのである、と。(*3)
これを聞いた笑福亭鶴瓶は非常に感銘を受けて、それ以来タモリを尊敬しているのだそうである。タモリも凄いがそのスピリットをきちんと受け取って理解した鶴瓶もやはりちゃんと判っている人物だと思う。(*4)
興味深いのはこの方法論がジャズの即興演奏の考え方そのものだからである。ジャズのアドリブは常に新鮮な驚きを持って迎え入れられるような展開ができなければ良い演奏家とは言えない。美しく整ってはいても既に手垢の付いたようなアイディアに価値はない
。
ジャズというのは上述のような瞬間的な挑戦が恒常的に行われている音楽である、と言えるかもしれない。だから良質のジャズ演奏は重い緊張感をはらみつつ、しかし一方で半端ない音楽的達成感にも満ち溢れているのである。それは魂の浄化作用とも言える程の体験となる。
タモリの世界、そのルーツはここにある、ということなのだ。
---
こんなエピソードもある。米国人も参加していたとある社交場でのお話。タモリ氏もここに居た。
話の成り行きで、たまたま日本人と米国人の間で口論が始まってしまい、相当に険悪な空気が流れる状況になった。一触即発、である。
その状況下で怒り心頭の米国人が叫んだ。
「リメンバー・パールハーバー!!」
次の瞬間、それを受けて突如割り込んだタモリ氏が突然叫んだ。
「リメンバー パールハーバー…アイ リメンバー クリフォード!!」
途端にその場にいた全員が爆笑の渦に包まれた。なんと一瞬で場が和んでしまったのである。奇跡のような瞬間だったそうだ。
ジャズの名曲に詳しくない人には判りにくいかもしれない。「アイ リメンバー クリフォード」はジャズに於けるスタンダード曲の一つで非常にポピュラーである。(名トランペッターであるクリフォード・ブラウンに捧げられた曲)
最近の若い世代は別にしても、米国人は日本人相手だと何かにつけ真珠湾を持ち出してくることが少なくない。対決の場においてはそれこそ真珠湾を出されると、これが一種のラストワードとなって喧嘩になってしまうこともある。
ところが、タモリ氏はこの真珠湾の恨みを一瞬にしてジャズの名曲に昇華させて「意味の転換」と「論理の転換」を瞬時に成し遂げたのである。こうして最悪の空気に満ちていた修羅場をタモリ氏が救った。正に「奇跡」である。
---
自身が司会をする番組が30年続くなど、彼の人徳の高さを伺わせるエピソードは他にも数多存在するが、それはまた次の機会に紹介したい。
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(*1)
楽器演奏でなくても、歌唱でなくても、音楽でなくても「ジャズであること」は成立する。あの渡辺貞夫氏も「食事していてもお風呂に入っていてもジャズだ」と言い切っている。
(*2)
BSフジで放送されていた「週刊BSデジタルマガジン」という番組。
インタビュアーはオダギリ・ジョーと阿部美穂子であった。
(*3)
関西系のお笑い芸人、関東や浅草系の芸人などはやたらお笑いの中にあるフォーマットにこだわる。お笑いも様式化しているのだ。「こう来たらこう受ける」「ネタを被せにいく」等々、お笑いと呼ばれる芸の中にいくつもの様式と方程式が確立されており、そこに則るというか準拠している事を大切にしている。しかしタモリは根本的に異なる。タモリのお笑いに様式や方程式は無い。逆にそれらに準拠した途端に”タモリらしさは”失われる。何故か。タモリの面白さは即興性の中に全てがある。即興の中に「今、この瞬間に必要とされる面白さの根本構造」から瞬時に出てくるものだからである。ここがジャズ的なスピリットが感じられるところかもしれない。それは一切の様式や方程式と無関係に出てくるものであるが故に、だから他のいわゆるお笑い芸人たちとは立ち位置が根本的に異なるのである。
(*4)
笑福亭鶴瓶は芸と表現という事に対してはかなりアグレッシブな人物であると言える。本業の落語の他に、いろいろな役者を相手に筋書きの無い即興劇を定期的に続けたり、ステージに立つその瞬間まで相方が判らない即興漫才の試みなど、新しいものにチャレンジしてゆく進歩的な姿勢は高く評価されるべきである。
タモリの特異性を表す事実の一つとして、
「タモリはオーディションを受けたことがない」
というものがある。
不思議なもので、タモリ自身は飄々としてあくまで自分のペースを崩さず、ただただ面白い事をやり続けてきただけなのだ。では何がタモリをここまでの大きな存在にしたのか?
それは周囲の人間達なのである。
そもそもタモリを最初に見出したのはジャズピアニストの山下洋輔氏である。かつて博多のホテルの部屋で山下洋輔トリオのメンバーがライブ後のどんちゃん騒ぎの宴に酔いしれていたところに突然何の面識もないタモリが乱入して一瞬の内に山下氏をその魅力の虜にしたのは今や有名なエピソードだ。それ以来、山下氏は東京の行きつけの飲み屋で「博多の面白い男」について吹聴しまくった結果、筒井康隆氏や赤塚不二夫氏など錚々たる面々が「それなら、そいつを東京に呼ぼう」と言い出し、お金を出し合ってタモリを東京に呼んだのである。赤塚不二夫氏は自分のマンションを住居として提供して生活費も渡し、山下洋輔氏は自らオフィス・ゴスミダという事務所を作ってタモリのマネージャーとなって各テレビ局に売り込みに動いた。そして、タモリがテレビに出たことであの黒柳徹子さんが一瞬でファンになって、未だ芸能人としては実績の無いタモリをいきなり徹子の部屋のゲストして招いたのだ。前代未聞の展開である。
ここまでの経緯でお気づきと思うが、タモリ自身は何一つ積極的に売り込みとしての営業活動はしてない。動いたのはタモリの魅力にやられた周囲の人々である。そしてそれ以後の活躍は多くの人が知るところである。一回もオーディションなどは受けていないのである。全て周囲の人々がタモリを自然に引き上げてきた・・・そういう歴史の積み重ねが今に至るメインの流れなのである。ある意味で凄まじく高い人徳と言えよう。
では、何が周囲の人々をここまで熱狂させたのか?
タモリの面白さが真にユニークだったからだ。比肩するものの皆無な面白さがそこにあったのである。
世間で言うところの、いわゆる”お笑い”の世界には法則とかルールといった約束事がある。芸人達の世界ではそのルールから外れていると本気で注意されたりする。しかしタモリにはそうした狭義のルールは無い。
どうしてか。
その理由は「ジャズマン」だから、とするのが妥当なところだろう。(*1)
お笑いというカテゴリーやお笑いの(狭義の)ルール等にとらわれず即興を楽しむ知的なジャズ屋なのである。ちなみにタモリを見出したジャズピアニスト山下洋輔氏もルールを敢えて外した音楽を創作して高く評価された音楽家である。
2002~2003年くらいにBS放送のテレビ番組で笑福亭鶴瓶がタモリに対して興味深い見解を述べている。(*2)
以下は鶴瓶が語った内容の要旨である。
「笑っていいとも」出演の長い笑福亭鶴瓶はタモリに不満を抱いていた。鶴瓶や明石家さんまといった笑いのベテランは客を爆笑にもっていく手練手管を持っている。鶴瓶がネタを語り、あと一歩でオチがついて爆笑…となる寸前にタモリが入ってきてその笑いを潰す、と。いつもそうやって自分の笑いを潰されることに不満を持っていたのである。
ある日鶴瓶はタモリに聞いた。
「なんで人のネタを潰すのか」と。
タモリは言った。
「テレビというのは事故(予想外の展開)が面白い。鶴瓶やさんまは人を笑わす力がある。放っておけば必ず客を笑わせられる技術を持っている。それでは予定調和となって面白くない。だから潰すのだ」と。
笑いを潰されても本当に力のある人間ならばその場で「違う方法」を見つけて笑わせることができるだろう。それが本当の面白さなのである、と。(*3)
これを聞いた笑福亭鶴瓶は非常に感銘を受けて、それ以来タモリを尊敬しているのだそうである。タモリも凄いがそのスピリットをきちんと受け取って理解した鶴瓶もやはりちゃんと判っている人物だと思う。(*4)
興味深いのはこの方法論がジャズの即興演奏の考え方そのものだからである。ジャズのアドリブは常に新鮮な驚きを持って迎え入れられるような展開ができなければ良い演奏家とは言えない。美しく整ってはいても既に手垢の付いたようなアイディアに価値はない
。
ジャズというのは上述のような瞬間的な挑戦が恒常的に行われている音楽である、と言えるかもしれない。だから良質のジャズ演奏は重い緊張感をはらみつつ、しかし一方で半端ない音楽的達成感にも満ち溢れているのである。それは魂の浄化作用とも言える程の体験となる。
タモリの世界、そのルーツはここにある、ということなのだ。
---
こんなエピソードもある。米国人も参加していたとある社交場でのお話。タモリ氏もここに居た。
話の成り行きで、たまたま日本人と米国人の間で口論が始まってしまい、相当に険悪な空気が流れる状況になった。一触即発、である。
その状況下で怒り心頭の米国人が叫んだ。
「リメンバー・パールハーバー!!」
次の瞬間、それを受けて突如割り込んだタモリ氏が突然叫んだ。
「リメンバー パールハーバー…アイ リメンバー クリフォード!!」
途端にその場にいた全員が爆笑の渦に包まれた。なんと一瞬で場が和んでしまったのである。奇跡のような瞬間だったそうだ。
ジャズの名曲に詳しくない人には判りにくいかもしれない。「アイ リメンバー クリフォード」はジャズに於けるスタンダード曲の一つで非常にポピュラーである。(名トランペッターであるクリフォード・ブラウンに捧げられた曲)
最近の若い世代は別にしても、米国人は日本人相手だと何かにつけ真珠湾を持ち出してくることが少なくない。対決の場においてはそれこそ真珠湾を出されると、これが一種のラストワードとなって喧嘩になってしまうこともある。
ところが、タモリ氏はこの真珠湾の恨みを一瞬にしてジャズの名曲に昇華させて「意味の転換」と「論理の転換」を瞬時に成し遂げたのである。こうして最悪の空気に満ちていた修羅場をタモリ氏が救った。正に「奇跡」である。
---
自身が司会をする番組が30年続くなど、彼の人徳の高さを伺わせるエピソードは他にも数多存在するが、それはまた次の機会に紹介したい。
-------------
(*1)
楽器演奏でなくても、歌唱でなくても、音楽でなくても「ジャズであること」は成立する。あの渡辺貞夫氏も「食事していてもお風呂に入っていてもジャズだ」と言い切っている。
(*2)
BSフジで放送されていた「週刊BSデジタルマガジン」という番組。
インタビュアーはオダギリ・ジョーと阿部美穂子であった。
(*3)
関西系のお笑い芸人、関東や浅草系の芸人などはやたらお笑いの中にあるフォーマットにこだわる。お笑いも様式化しているのだ。「こう来たらこう受ける」「ネタを被せにいく」等々、お笑いと呼ばれる芸の中にいくつもの様式と方程式が確立されており、そこに則るというか準拠している事を大切にしている。しかしタモリは根本的に異なる。タモリのお笑いに様式や方程式は無い。逆にそれらに準拠した途端に”タモリらしさは”失われる。何故か。タモリの面白さは即興性の中に全てがある。即興の中に「今、この瞬間に必要とされる面白さの根本構造」から瞬時に出てくるものだからである。ここがジャズ的なスピリットが感じられるところかもしれない。それは一切の様式や方程式と無関係に出てくるものであるが故に、だから他のいわゆるお笑い芸人たちとは立ち位置が根本的に異なるのである。
(*4)
笑福亭鶴瓶は芸と表現という事に対してはかなりアグレッシブな人物であると言える。本業の落語の他に、いろいろな役者を相手に筋書きの無い即興劇を定期的に続けたり、ステージに立つその瞬間まで相方が判らない即興漫才の試みなど、新しいものにチャレンジしてゆく進歩的な姿勢は高く評価されるべきである。