Altered Notes

Something New.

ドラマー:ビル・ブルーフォード

2022-11-26 17:47:17 | 音楽
イギリスを代表するドラマーの一人にビル・ブルーフォードが居る。

ご存じの方も多いと思うが、イエスやキング・クリムゾンといったメジャーなプログレッシブ・ロックバンドに在籍していた、という経歴が最も有名だろう。

筆者がこのビル・ブルーフォードを知ったのはイエスが「こわれもの(Fragile)」という4作目のアルバムを発表した時であった。1971年頃である。その演奏を聴いたところ、通常のロックドラマーの演奏とはニュアンスの異なるサウンドが鳴っている事に気づいた。

この「通常のロックドラマーとの違い」について、ビル・ブルーフォード自身は

「私のルーツはジャズだ」

と述べている。(*1)

つまり、一般的なロック・ドラマーは一定の強さでビートを叩き続ける事が求められるのだが、ビルの場合は音楽の場面に応じて強くも弱くもどうにでも自由に変化させられるフレキシビリティがあるのだ。そこが、典型的なロックドラマーとは異なる部分(*2)であり、

「そこがプログレッシブなのだ、と思いたいね」

とビル自身が語っている。

ビル・ブルーフォードは非常に上手いドラマーである。技巧的にも音楽センス的にも素晴らしい。彼のドラミングの魅力は端的に言うと「非常に安定したリズム」「抜けの良いドラムサウンド」「場面に応じた変幻自在な演奏」と言えよう。「抜けの良いサウンド」で最も特徴的なのは、スネアドラム(*3)のサウンドが抜けの良い高い音程で鳴る事であった。スネアドラムを叩くと同時にスネアドラムの縁の部分を叩くリムショットと呼ばれる手法を使うことが多く、彼がスネアドラムを叩くと「スコン」とか「カン」といった甲高いサウンドが鳴り、その音がまたビルならではの個性的な音であるところが素晴らしいと思ったのである。リムショットはどのようなドラマーでも普通に使う機会があるが、ビル・ブルーフォードのそれは本当に彼独特のサウンドが鳴るのだ。

普通に8ビートのリズムを演奏しても、いわゆるロック畑のドラマーが演奏するそれとは異なって、定形ビートを刻みながらも音楽の場面に応じてフレキシブルに最適な味を演出するようなドラミングが聴けることがわかるだろう。


ビル・ブルーフォードのイエス時代の演奏を紹介する。

『Round About』

アルバム「こわれもの」内の有名な曲だが、これを聴いて「ジョジョの奇妙な冒険」というテレビアニメを思い出された方もいるかもしれない。

上記の「Round About」はイエスの中でも特に有名な曲だが、アニメ作品の「ジョジョ~」では 1st Season のエンディングテーマとして使われていたものである。(*4)


イエスの結成初期から参加していたビル・ブルーフォードは「こわれもの」の後、「危機」の発表後にイエスを退団している。イエスはその直後に初の日本公演を控えていたのだが、当時ジョン・レノンとのセッションなどで名前を知られていたアラン・ホワイトが加入している。筆者もアラン・ホワイトが演奏するイエスのライブを渋谷公会堂で聴いている。1973年のことである。
余談だが、アラン・ホワイトのスタイルはビルと比較すると正統派ロックドラマーと言える。非常に上手く素晴らしいドラマーであることは言うまでもない。

イエスを退団した後のビル・ブルーフォードは、もう一つのプログレッシヴ・ロックバンドの雄であるキング・クリムゾンに加入する。


キング・クリムゾン時代の演奏例として下記の曲を紹介する。

『King Crimson - Larks' Tongues In Aspic, Part Two』

『Lark's Tongues In Aspic Pt II』



キング・クリムゾンの中にジャズ的な要素と、さらなる進歩的な要素を感じて加入したビル・ブルーフォードだが、バンドが解散した事でジェネシスのツアーメンバーになったり、U.K.の結成に参加するもアルバム1枚で退団したりしている。そしてこれ以後、イエスとキング・クリムゾンに再び加入したり脱退したりを繰り返すことになる。


1991年に行われたイエスの再結成公演の模様が下記のライブである。ビルの後に加入したアラン・ホワイトとのツインドラムである。

『Round About / Yes - Live』


1986年には自身のソロ・プロジェクトである アースワークス というジャズグループを結成した。

1988年3月にドイツ・フランクフルトでのジャズ・フェスティバルでの演奏を紹介する。

『Bill Bruford's Earthworks Live in Frankfurt 1988』

編成はカルテット。ジャズであり、ビルがそれまでに体験してきた音楽のエッセンスも感じさせるモダンな演奏である。楽器もエレクトリック・ドラムが多く使われるようになっている。


もう一つはアコースティックなカルテットでの4ビートジャズの演奏である。1999年にブルガリアの首都ソフィアで行われたコンサートのライブ映像である。

『Bill Bruford's Earthworks - Never The Same Way Once』



また、ビルは音楽上の様々な試みを実践しており、下記の映像はキーボードとのデュオ演奏である。2004年にオランダで行われたライブの模様だ。

『Bruford - Borstlap: Arabian Quest (Bruford - Borstlap: In Concert In Holland, 2004)』



また、ビッグバンド系ジャズドラマーのレジェンドであるバディ・リッチのトリビュート企画に参加して演奏している。下記の映像はビルがビッグバンドのドラマーとして演奏しているものである。

『Bill Bruford - Willowcrest (A Tribute To Buddy Rich)』

ドラムという打楽器を気品高く洗練されたサウンドで演奏できるビルのドラミングは非常に音楽的で、要所要所を押さえたセンスが冴えている上に、彼ならではのグルーヴ感が素晴らしい。各所のフィルイン(*5)や後半に出てくる管楽器との合奏部分などはとても気持ち良い流れになっており、ビッグバンドのサウンドを上質の音楽にまとめ上げる原動力となっている。曲はバディ・リッチ楽団の「Willowcrest」で、Gマイナー(ト短調)のブルース形式である。



日本人ミュージシャンとも共演している。1987年にはジャズギタリスト・渡辺香津美の『スパイス・オブ・ライフ』と続編の『スパイス・オブ・ライフ2』のレコーディング及びツアーに、ジェフ・バーリンと共に参加した。

この時の日本でのライブ演奏を紹介する。

『Kazumi Watanabe / Bill Bruford / Jeff Berlin - City - Live in Japan 1987』

『Kazumi Watanabe feat. Jeff Berlin & Bill Bruford: Lim-Poo. (The 'Spice Of Life' Japan Tour, 1987)』



ビルの楽器編成は演奏する音楽によって変化する。オーソドックスな編成もあれば、キング・クリムゾンや自身のバンドではもっと現代音楽的な表現の為にメロタム(*6)や電子ドラムを活用するなど、彼が必要と考える楽器編成を変幻自在に組んで演奏する。しかもそれらを打楽器のインパクトと共に品のあるサウンドとして送り出せる能力はやはり天賦の才と呼ぶに相応しいものであろう。


ジャズを基調にプログレッシヴ・ロックなど様々な音楽をクリエイトしてきたビル・ブルーフォードだが、2009年にライブ活動からは引退している。レコーディング等の仕事は継続しているようである。






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(*1)
イエスがデビューした時代(1969年頃)はロック音楽が本格的に飛躍し始める頃であり、多くのロックドラマーにとって真にお手本になるロックドラマーはほとんどいなかった。むしろ、当時のドラマーの多くが憧れていたのはジャズドラマーである。EL&Pのカール・パーマーも若い頃のアイドルはバディ・リッチだったそうである。確かにカール・パーマーのドラミングにはバディ・リッチの影響が垣間見られるのである。

(*2)
例えば、ジョン・ボーナムのような演奏スタイルは典型的なロック向きの奏法である。レッド・ツェッペリンの音楽にはこれが合っているのであり、ジョン・ボーナムのドラムだからあの音楽が成立するのである。

(*3)
通常はドラマーの正面の一番前に設置される太鼓であり、シンバルと共にベーシックなリズム・ビートを刻む為の打楽器である。右利きのドラマーなら、右手でシンバルのレガートを打ちながら左手でスネアドラムを叩いてリズムの形を提示する。例えば、4拍子のロックなら2拍目と4拍目にスネアドラムが叩かれるスタイルがよくあるオーソドックスな形である。

(*4)
『ジョジョの奇妙な冒険 第一部 ファントムブラッド』に「ブラフォード」という登場キャラクターが居る。もちろんビル・ブルーフォードからとられた名前なのだが、かなり初期の頃から日本ではビル・ブルーフォードのファミリーネームが音楽マスコミを通じて間違った発音で広められた経緯があって、「ブルーフォード」ではなく「ブラッフォード」「ブラフォード」と呼ばれていた時期が長かった。それ故、「ジョジョの~」に於いても「ブラフォード」名が採用されたようである。

(*5)
フィルイン;曲中の繋ぎ目の1~2小節で即興的に入れる手数である。変化と刺激を与える事が目的であり、演奏上のスパイス的な意味合いから日本では”オカズ”とも呼称される。フィルインで何を演奏するかは概ね演奏者の即興でありセンスに任される事がほとんどである。

(*6)
メロディックタム:音程を持っているタムタムである。音程を聴かせる事から通常複数個のメロタムを並べて演奏される。フルセットでは8個である。普通のタムタムと比較すると、胴体が長く下(裏)側は打面が無く抜けている構造になっている。メロタムと呼ばれるように、太鼓としては音域が高めの音であり、橋から順に叩くと音階が鳴るようなセットである。








「間違え」という「間違い」を拡大する現代人

2022-11-25 17:31:00 | 社会・政治
当ブログでは以前に下記の記事を掲載した。

『「間違え」と「間違い」』

「間違い」と「間違え」はそもそも用法が異なる言葉であり、今の一般社会はその用法の違いに気付かないまま誤った用法を使い続けているのである。しかも、識者と呼ばれる人々にまでこの誤りが広がっているのは喫驚すべき事態である。テレビ・ラジオの番組はもちろん、マスコミの記事中にも見られ、さらに言論人のコメントなどにも散見されるような状況であり、既に全社会的に誤った用法が拡大し普及してしまったかのようである。

つい最近も芸能ニュースで、浜村淳氏が松原千明さんの死去を巡って「事実と異なる発言」をした事で謝罪が為された旨の記事が出たが、その中では浜村氏の発言内容として「意味の取り違えをした形です。」という文章が掲載されていた。これが浜村氏の発言であろうと記事を記した記者であろうと、この場面で使う言葉としては「取り違え」は用法的に間違いであることに気がついていない。そこで本来使われるべき正しい言葉は「取り違い」である。記事で平然と「取り違え」と書いてしまっている事に喫驚する。逆に「取り違え」と書くなら、「取り違えた」とか「取り違える」「取り違えてしまった」などの形で使われるべき言葉なのである。その違い、その差が全然認識されていない事が致命的な間違いなのだ。







音量を知覚・判断できない現代人

2022-11-25 15:51:00 | 社会・政治
もう20~30年前のことだが、当時、音楽学校の講師をしている人から聞いた話だ。

「最近の学生は(音楽に於ける)音の大きさの調節ができない」
「クレッシェンド(*1)を指定しても、その指定通りに音楽の強弱をコントロールできず、一定の大きな音量で処理してしまう」(*2)
「音の大小、音量のコントロールができない事に喫驚する」

…ということであった。
それを聞いた当時も音楽にかかわる若年層の能力の低下傾向に危機感を持ったものだが、実はこの傾向は現代までずっと継続しているようだ。当時学生だった人々が大人になって社会の各方面、例えばテレビ・ラジオといった分野に進出したことで、テレビ・ラジオ番組で流れる音楽、取り分け「BGM(バックグラウンドミュージック)」の扱いにこの誤った傾向が現れているかのような状況が現出しているのである。

BGMは文字通り映像や番組のバックグラウンドで鳴っている音楽であり、主体である映像等を控えめにサポートする存在であるが、現代の番組ではやたらにBGMが大きくて、出演者が何を喋っているかが聞き取れないようなケースもあるのだ。この傾向はYouTube動画等ではもっと顕著かもしれない。もうバックグラウンドどころか、音楽の方が前に出すぎて主体となってしまっている始末である。ぶっちゃけた話、「うるさい」のである。耳障りであり、不愉快を通り越して憤りすら感じるレベルになっているのが実態である。

なぜこうした傾向、つまり「音楽の音量のコントロールができない人々の増加」という実態が生じたのであろうか。

冒頭に書いた音楽学校講師の話を聞いたのは、いわゆるTVゲームが本格普及し始めた時代である。TVゲームの音楽、取り分け初期のそれは音量がずっと一定で鳴り続ける単純なものが多かった。もちろんそれはゲームのハードウェアとソフトウェアのレベルが未だ低かったので、鳴らせる音楽も簡易的というかシグナル(信号)に近いレベルのものしかなかった、という実情を踏まえれば仕方がなかった一面もあるだろう。ただ、そうしたTVゲーム音楽で慣らされてしまった若い耳は音量のコントロールという真に音楽的な領域に関わる大事な能力を発達させることなく育ってしまったのかもしれない。さらに、現代のテレビ番組やYouTube動画等で同じ傾向を持つ人々が再生産されてしまっている・・・そんな推測をしている。
もちろんこれは仮説であり決めつける気はないが、時代のタイミングとしては合致した話であり有力な根拠の一つではあるだろう。




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(*1)
「クレッシェンド」:音楽用語で強弱標語のひとつである。「だんだん強く(演奏)する」という意味で、「強く」とは「音量を上げる」に近似した意味である。

(*2)
「音をだんだん強く(大きく)しなさい」という指定がされているのに、一定の音量で演奏してしまう間違いを犯して、それに気付かない、ということである。







「…と思います」が多すぎると思います

2022-11-25 15:10:51 | 社会・政治
WEBの発達によって現代は言論の発信には細心の注意をはらわなくてはならない時代になっている。それを疎かにするとたちまち炎上と言う名の吊し上げを喰らう可能性があるからだ。そのせいだろうか、誰もが「意見の表明」をするにあたって周囲を見回しながら注意しながら恐る恐る発信するようになったように感じる。

その傾向を最も象徴的に表すものが「~と思います」の多用であろう。

・~したいと思います
・次にこれをやろうと思います
・この列車に乗って行きたいと思います
・この料理を作りたいと思います

なぜ「思います」を付加しないといけないのだろうか。「~します」「やります」「乗ります」「料理します」と、普通に言い切れば良いではないか。しかし、世の中は「~と思います」だらけになっているのが実態である。

テレビ・ラジオ番組はもちろん、YouTube動画に至っても「思います」の乱発と氾濫に見舞われており、ある動画の作者などはナレーションで何か一つ喋る度に「…と思います」を連発するので途中で嫌になって視聴を止めた事もある。

冒頭に記したように、本来は「これをします」「こうします」「これをやります」「此処へ行きます」「旅します」「料理します」、といった具合に単純に言い切るか断定すれば良いだけのことなのだ。「これをやります」で済むものをわざわざ「これをやりたいと思います」と断定することを避けて、まだるっこしい言い方で表現を柔らかくした上で、さらに若干の曖昧さをも付加せざるを得ない空気を作ってしまったのは社会全体の傾向であり有り様である。自分の意思を断定的に言い切ることが憚られる空気がそこにあるのだ。それはWEBに於ける言論がしばしば攻撃の対象になる、という実情から攻撃対象にされない為に表現も控えめにしてエキセントリックな人々を刺激することのないように…という対策が広く認知され採用されるようになった事と無関係ではないように考えている。そうした空気はWEB上だけでなく、テレビ等のメディアに於いても支配的になっている。ちなみにこの「~と思います」問題については解剖学者の養老孟司氏も同様の意見を述べている。

これに似た事例として、「~させていただく」といった「過剰なへりくだり」現象もそこかしこで聞かれる。「コンサートに行かせていただく」「番組を見させていただく」「映画を見させていただく」といった明らかに過剰な(異常な)へりくだりは、聞けば違和感に満ち溢れているにも関わらず、社会に蔓延している。これもまた周囲への配慮が過剰を通り過ぎて間違った方向に進んでしまったものの一つだが、ここまでしないと許さない社会の息苦しさが土壌にあるからだろう。


現代は何を発信しても誰かしらから攻撃を受けることが普通になりつつある。それが何を意味するかと言えば、「常識」という共通の価値観が崩壊してしまっている実態である。英語でコモンセンスと呼ばれる「常識」であるが、これが通用しなくなっている…つまり共通認識の価値観ではなくなりつつあるのが現代社会なのだ。こうなってしまった要因はマスコミの影響等、いくつもあり、それらが複合的に日本社会を悪化の方向へ向かわせたのであり、変容・変質してしまった結果が今の状況なのである。

普通に意見をストレートに発信することが躊躇われるような萎縮した社会になってしまっている現状にある種の異常性と社会的な狂気…つまりC.G.ユングの言う集合的無意識内の変質が社会的な規模で各所で同時に発生し進行しているのではないだろうか…という恐怖すら感じている。恐怖と書いたのは、その先にさらなる悲劇が待っているような予感がするからだ。









「防衛増税」 財務省の目論見通りに進行中

2022-11-24 06:16:16 | 社会・政治
防衛費を巡って、それを増税に結びつけたい財務省は着々とその目論見に沿った道筋をつけているようである。下記の記事を参照されたい。

『防衛増税を目論む財務省 「NATO基準」の嘘』

記事中に出てくる「有識者会議」だが、これが曲者だ。メンバーは全て財務省の息のかかった人間だけである。それで全て判るだろう。
これについて数量政策学者の高橋洋一氏の説明を基調に記す。

中国や北朝鮮から日本のEEZ(排他的経済水域)にミサイルを打ち込まれている状況であり、防衛費増額が緊急に求められている現在の日本だが、財務省は事ここに至っても防衛費を抑制したい思惑で動く阿呆な連中である。中国に侵略されて国家が存在しなくなれば、そもそも財務省官僚だって生きていられるかどうかも分からないにも関わらず、日本の防衛力を増強させないことで中国に侵略しやすい土壌をわざわざ作ってあげる、という完全に狂気の動きをしているのだ。

前述の通り、防衛費増額は急務である。その為の財源として最善なのは埋蔵金だ。日本は円安に依る外為特会(外国為替資金特別会計)の含み益だけで40兆円近くある。これは厳然たる事実だ。

それだけ財源があることを分かっていながら、それでも有識者会議はこれを使わず、その代わりに「国債・防衛国債」とだけ言う。・・・するとどうなるか?

財務省はその意見を換骨奪胎して「つなぎ国債」と言い出すのだ。その後、特別会計を作って「防衛増税」にもっていくのである。この手法は財務省の定番メニューだ。

高橋氏が言うには、本来は「埋蔵金40兆円で8年間を凌いで、その後に自然増収」…ともっていくのが筋であり妥当とのことである。これは政府がやろうと思えば普通に出来ることなのだが、財務省のいいなりである岸田政権には出来ないのである。情けないことこの上ない。


財務省の欲望を満たす為だけに存在する岸田政権(*1)では間違いなく日本は沈没し、存在すら失ってしまうかもしれない。冗談ではない、本当に危険な領域に入っているのだ。




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(*1)
2022年10月20日、政府は自衛隊の装備のあり方や予算規模、財源などを議論する「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の第2回会合を首相官邸で開いたのだが、その席で岸田首相は、防衛力強化に資する研究開発や公共インフラ(社会基盤)整備を促進するため、関連予算を防衛関係費に含める仕組みを検討するように関係省庁に指示している。
どういうことか。
つまり、岸田首相は
「公共インフラ(社会基盤)整備予算も防衛費だ」
と言っているのだ。
真水の防衛予算を増やしたくないからこんなセコい事を言うのである。何が何でも日本の防衛力を強化することを抑えたい、ということだろう。それが財務省の望みであり中国の望みでもあるからだ。ナンセンスであり究極の阿呆と言えよう。