現在発生している福島第一原発事故に関して中部大学教授の武田邦彦氏が重要な示唆に満ちた意見を述べている。
こちらをご覧いただきたい。
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武田邦彦 原発の正体 1/2
武田邦彦 原発の正体 2/2
[4/7修正]↑ネット上の映像コンテンツが削除されたので、上記ビデオ映像の中で武田氏が述べていた内容の概要をメモ的に記しておく。↓
<武田氏発言の概要:ここから>----------------------------------
原発は地震国日本でありながら(原発が)地震で倒れても良い、という立場である。
原発は安全は関係なく建設される。
典型的なのは浜岡原発。ここは東海地震の想定震央の真ん中に建設されている。これはいけない。
原子力は技術的には安全だが、原子力を危険にしているのは人災である。
立地・運転・耐震技術に"政治"や"利権"が入り込んできているのが問題である。
マスコミは誤魔化されている。
地震で壊れた時に原子炉設計の問題点を明らかにすべきだが、しかし論理のすり替えで逃げて誤魔化してしまう。
みんなが騙されている。
原子炉を守ることには力を入れるが付近住民を守ることには関心がない。
安全がないがしろにされる原因=保安院の存在
経産省:原子力安全・保安院
本来、原子力は
内閣府:原子力委員会 (推進側)
内閣府:原子力安全委員会 (規制側)
の2者が対応していた。
しかし原発を推進する勢力から見ればこれは面倒なので経産省で保安院を作ってそちらで一括して対応するようになった。内閣府の委員会は外に置かれる弱い立場になった。
役人はたとえ設計ミスで「ウランが海に流出する」ことになっても全く関心がない。
国民の健康を守ろうとは全然思ってない。
国民の命よりも自分の責任を問われない事の方が役人には大切。
「国が決めた事は常に正しい」が鉄則でそれを脅かすような事実は全て潰される。
役人にとっては 自分の保身>国民の命 である。
TVで保安院の説明を聞いた多くの人が「何かおかしい」と思っている。
保安院にとっては放射線が出てても「我々の責任ではない」「自分たちは完璧に仕事をしている」「悪いのは東電だ」という立場である。謝罪する意志は毛頭無い。
地震学者は「600kmも崩壊する地震は想定外だった」と言う。
そうすると地震が起きても責任が無いことになる。
それに基づいて建設した建設会社にも責任無し。
それに基づいて運転した電力会社にも責任無し。
監督官庁の原子力安全・保安院は「我々は無関係」。
そうなると「最終的に"安全"を考える部署が不明。
結局誰も責任をとらない。
国民は「安全」を考えている部署・部門があると思っている。
しかし現実にはそれは「無い」。
放射線物質は"風"で流れる。四方八方に流れる訳ではない。
放射線物質は物質(ガス、ミスト、微粒子)なので風で流れていく。
従って原発に於いて「どのような風が吹けばどちらの方向にどのように流れていくかは想定されている筈。
それが無ければ事前に"事故対策"をしていなかった証拠となる。
福島第一原発を衷心とした同心円で避難地域を指定しても意味はない。
風のデータが用意されて無い可能性もある。なぜなら住民側の立場から考える人がいないから。
チェルノブイリ原発事故ではある幅で風下に放射性物質が流れた。(ポーランド付近まで到達)従って、距離ではなく風上か風下かが問題。
風上に居れば安全。
国際的には当たり前の事だがしかしこれもタテマエ。
役人は「半径20km」という数字だけを言い、風の問題を言わない。なぜか。風は変動するから。
変動しない半径20kmという無意味な数字だけを言う。
福島第一原発の風力計・風向計が壊れているということだが、壊れたのならそもそも事故直後に気象庁の部隊が行って修理しなければならない筈である。
しかし行ってないし何もしていない。
なぜか。国民のことは考えてないから。
役人のスタンスは国民が考えるそれとは違う。
国は徹頭徹尾"原子力推進"の立場でしか考えてない。
付近住民のことは全く考えてない。
国民不在の原子力政策。
原子力委員会で不完全な"地震指針"を通すにあたって武田氏は付近住民へ安全対策設備を配布することを提案したが国は「安全であることが建前だからやらない」と。
本来は「万全を期した上で万が一に備える」のが鉄則。
しかし現実は「万全を期さない」で「起こりうることを予想しない」のが実態。
役人の関心はどうしたら自分が責任から逃れられるか、しかない。
原発はいわば戦艦大和である。
扱うのならそれなりの相当な覚悟が必要である。
原発の所長は本来ならば関係する全ての要員の全責任を背負う覚悟で原発業務に臨むことが必要である。
その為に損得抜きで高い精神性を持って任務にあたることが大切である。
しかしサラリーマン的な器の小さい人間がこの役職に就くと自分の保身が第一となって都合の悪いことを隠そうとする上に責任もとらない。
原子力の技術は安全である。
しかし問題は「人の心」なのである。
<武田氏発言の概要:ここまで>----------------------------------
これはあくまで個人の意見ではあるが、現時点では概ね普遍妥当性が認められる見解である。そしてここでの意見には今回の事態に対して我々が知っておくべき重要事項がいくつも含まれている。
武田氏は「原子力技術は安全だが、それを危険にしているのは"人災"である」と指摘している。
人災の部分とはすなわち凶悪な"役人・官僚"の所業である。
当ブログにおいても以前に書いた通り、役人・官僚達の欺瞞に満ちた体質がここでもまた明らかにされている。(*1)
彼らには人間的な心など微塵も無い。
原子力推進と利権。
役人自身の保身と責任逃れが第一であり、国民の命や健康など全く顧みられない、という現実。
放射性物質が漏れても飛散しても全然知らん顔の原子力安全・保安院。
(経済産業省の役人である)(*2)
周到に用意された言い訳(話のすり替え)にコロっと騙されるマスコミ。
或いは騙されたというよりもはじめからグルだった可能性もあるのかもしれない。
武田氏が語ったような(我々が知っておくべき)事実を今まで国民に知らせてこなかったマスコミもまたその腐敗から無責任と怠惰の海に浸りきっているからであろう。
さらにマスコミもまた権力であり国家権力と通底しているとしたらかかる事態は さもありなん ということになる。
この国は国民を守る気など一切ない。
-----
人間には二種類存在する。
「他者を蹴り散らしてでも常に自分の利益の為だけを考え動く人」
と
「他者に奉仕して喜んでもらう事が己の喜びであると考える人」
である。
前者の典型である役人・官僚という人種にはこの危機は乗り越えられない。
真の問題解決には後者の発想が不可欠だからである。
---
参考資料として武田氏のWEBサイトを紹介しておきます。
武田邦彦 (中部大学)
********************************************************
(*1)
海外各国からの救援部隊に対しても役人・官僚は法律だの資格だのをタテに救助・援助を断ったり動きを規制したりしている。
米国でも日本の官僚機構が救助・支援の妨げになっているという指摘が出ている。
このような状況から役人・官僚が障害となって助かる人も助けられず必要な援助も届かなくなるという大きな矛盾が生じている。
役人・官僚というのは「型」を守る事に執心する人間である。その為、住民・国民を守らなくてはならない時に何が一番大切かがまるで判別できないどうしようもない連中なのである。
こうも言える。
役人・官僚は人を規制する事が仕事だと思っている単細胞な人々である。
やたらに意味もなく規制をかけてそれで仕事した気になっている愚かしく本末転倒な人々…それが役人・官僚の実像なのである。
こうなるともはや日本国民にとっての最大の敵は役人・官僚である、と言っても過言ではないと言えよう。
これは由々しき大問題である。
(*2)
保安院(*3)の記者会見でしばしば登場する典型的な官僚顔の西山審議官は
米国・ウォールストリートジャーナル紙のインタビュー
で今後も原発を推進していくことを宣言している。(*4)
これだけ多大な迷惑と恐怖を社会に与えている現状においてこうした発言ができるというのは驚くべきKYと言えよう。
しかも「原発に反対するならば国民に電気を与えない」という意味の恫喝発言もしている。実に傲慢で厚顔無恥も甚だしい。
強大な権力を己の思うまま当然のように振り回す官僚。
この人物は自分が人として世間にどれだけ醜い姿を晒しているか一生気が付かないまま終わるのであろう。その意味では哀れな人間である。
こうして見てくると官僚には人間的な心が欠如しているとしか思えないところがある。
つまり官僚とは「頭は良いが 心が無い」人々…なのである。
2011/6/30追記
保安院・西山審議官、事実上の更迭―女性問題の報道で
愛人にあそこまでバラされては…西山審議官「エセ紳士」うら悲し
結局この程度の人物が国民の命よりも政治利権・既得権益最優先で国を動かしているのです。これが日本の実態。
(*3)
池上彰氏は今回の原発事故に関するテレビ番組(*3a)の中において、原子力安全委員会と原子力安全・保安院の位置づけについて「原発をチェックする組織が保安院で、その保安院をチェックするのが安全委員会」という説明をしている。これは武田氏の説明とは異なる。
武田氏の説明では、元々原発は「推進する立場としての原子力委員会」と「規制する立場としての原子力安全委員会」の2つでバランスをとって推し進められていたのだが、これは原発を推し進めたい勢力からすると面倒なシステムであるらしく、この2つをないがしろにして保安院で一括して扱うようにして前者2つの組織を隅に追いやった(*3b)、というのが真相だと言うことである。
国民の命のことなど全く考慮しない官僚としては強引に原発を推進する為には保安院の方が都合が良いのである。
武田氏の説明が真実だとすると池上氏は真実(実態)と異なる説明、つまり建前としての説明をした、ということになる。これは池上氏の立場と、全国ネットで放送されている状況から見て仕方のない事だったのかもしれない。
(*3a)
3月30日放送 19:00 - 21:48 テレビ朝日
「そうだったのか!池上彰の学べるニュース
これからどうなる?どうすればいい?東日本大震災」
(*3b)
原子力委員会と原子力安全委員会は内閣府扱いであり、原子力安全・保安院は経済産業省(元は通産省)扱いである。
武田氏の話では権力的に経産省の方が強い、とのこと。
(*4)
原発を推進したい人間は往々にして自分が危険な目に遭わないで済む立場の人間である。(*4a)
危険な現場で頑張っている技術者は常に大きなリスクを負いながら真剣に作業しているのだ。
福島第一原発の現場で実際に危険な作業に従事しているのは役人・官僚でもなく東電のエリート正社員でもない市井の下請業者の社員や消防・警察等の勇敢で使命感に溢れる人々である。
それを考えると安全な場所でぬくぬくしながら「あれをやれ、これをしろ」と命令するだけの役人・官僚や東電の正社員に対する憤りが倍加してくるのである。
安全な所から理屈を語り命令をするだけで責任を果たしたと思い込んでいる保安院の官僚や東電のエリート正社員たちには、そろそろ福島第一原発の現場へ行ってもらって自分で復旧作業をしてもらいたいものだ。
(*4a)
これは好戦的な為政者(政治家)にも共通する。
戦争をやりたがる権力者は往々にして「自分が銃をとって戦地に行かなくて済む立場の人間」である。
実際の殺し合いは名もなき兵士達にやらせておいて自分は安全な場所でぬくぬくしながらただ命令だけを下すような腐った連中なのである。
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武田邦彦 原発の正体 1/2
武田邦彦 原発の正体 2/2
[4/7修正]↑ネット上の映像コンテンツが削除されたので、上記ビデオ映像の中で武田氏が述べていた内容の概要をメモ的に記しておく。↓
<武田氏発言の概要:ここから>----------------------------------
原発は地震国日本でありながら(原発が)地震で倒れても良い、という立場である。
原発は安全は関係なく建設される。
典型的なのは浜岡原発。ここは東海地震の想定震央の真ん中に建設されている。これはいけない。
原子力は技術的には安全だが、原子力を危険にしているのは人災である。
立地・運転・耐震技術に"政治"や"利権"が入り込んできているのが問題である。
マスコミは誤魔化されている。
地震で壊れた時に原子炉設計の問題点を明らかにすべきだが、しかし論理のすり替えで逃げて誤魔化してしまう。
みんなが騙されている。
原子炉を守ることには力を入れるが付近住民を守ることには関心がない。
安全がないがしろにされる原因=保安院の存在
経産省:原子力安全・保安院
本来、原子力は
内閣府:原子力委員会 (推進側)
内閣府:原子力安全委員会 (規制側)
の2者が対応していた。
しかし原発を推進する勢力から見ればこれは面倒なので経産省で保安院を作ってそちらで一括して対応するようになった。内閣府の委員会は外に置かれる弱い立場になった。
役人はたとえ設計ミスで「ウランが海に流出する」ことになっても全く関心がない。
国民の健康を守ろうとは全然思ってない。
国民の命よりも自分の責任を問われない事の方が役人には大切。
「国が決めた事は常に正しい」が鉄則でそれを脅かすような事実は全て潰される。
役人にとっては 自分の保身>国民の命 である。
TVで保安院の説明を聞いた多くの人が「何かおかしい」と思っている。
保安院にとっては放射線が出てても「我々の責任ではない」「自分たちは完璧に仕事をしている」「悪いのは東電だ」という立場である。謝罪する意志は毛頭無い。
地震学者は「600kmも崩壊する地震は想定外だった」と言う。
そうすると地震が起きても責任が無いことになる。
それに基づいて建設した建設会社にも責任無し。
それに基づいて運転した電力会社にも責任無し。
監督官庁の原子力安全・保安院は「我々は無関係」。
そうなると「最終的に"安全"を考える部署が不明。
結局誰も責任をとらない。
国民は「安全」を考えている部署・部門があると思っている。
しかし現実にはそれは「無い」。
放射線物質は"風"で流れる。四方八方に流れる訳ではない。
放射線物質は物質(ガス、ミスト、微粒子)なので風で流れていく。
従って原発に於いて「どのような風が吹けばどちらの方向にどのように流れていくかは想定されている筈。
それが無ければ事前に"事故対策"をしていなかった証拠となる。
福島第一原発を衷心とした同心円で避難地域を指定しても意味はない。
風のデータが用意されて無い可能性もある。なぜなら住民側の立場から考える人がいないから。
チェルノブイリ原発事故ではある幅で風下に放射性物質が流れた。(ポーランド付近まで到達)従って、距離ではなく風上か風下かが問題。
風上に居れば安全。
国際的には当たり前の事だがしかしこれもタテマエ。
役人は「半径20km」という数字だけを言い、風の問題を言わない。なぜか。風は変動するから。
変動しない半径20kmという無意味な数字だけを言う。
福島第一原発の風力計・風向計が壊れているということだが、壊れたのならそもそも事故直後に気象庁の部隊が行って修理しなければならない筈である。
しかし行ってないし何もしていない。
なぜか。国民のことは考えてないから。
役人のスタンスは国民が考えるそれとは違う。
国は徹頭徹尾"原子力推進"の立場でしか考えてない。
付近住民のことは全く考えてない。
国民不在の原子力政策。
原子力委員会で不完全な"地震指針"を通すにあたって武田氏は付近住民へ安全対策設備を配布することを提案したが国は「安全であることが建前だからやらない」と。
本来は「万全を期した上で万が一に備える」のが鉄則。
しかし現実は「万全を期さない」で「起こりうることを予想しない」のが実態。
役人の関心はどうしたら自分が責任から逃れられるか、しかない。
原発はいわば戦艦大和である。
扱うのならそれなりの相当な覚悟が必要である。
原発の所長は本来ならば関係する全ての要員の全責任を背負う覚悟で原発業務に臨むことが必要である。
その為に損得抜きで高い精神性を持って任務にあたることが大切である。
しかしサラリーマン的な器の小さい人間がこの役職に就くと自分の保身が第一となって都合の悪いことを隠そうとする上に責任もとらない。
原子力の技術は安全である。
しかし問題は「人の心」なのである。
<武田氏発言の概要:ここまで>----------------------------------
これはあくまで個人の意見ではあるが、現時点では概ね普遍妥当性が認められる見解である。そしてここでの意見には今回の事態に対して我々が知っておくべき重要事項がいくつも含まれている。
武田氏は「原子力技術は安全だが、それを危険にしているのは"人災"である」と指摘している。
人災の部分とはすなわち凶悪な"役人・官僚"の所業である。
当ブログにおいても以前に書いた通り、役人・官僚達の欺瞞に満ちた体質がここでもまた明らかにされている。(*1)
彼らには人間的な心など微塵も無い。
原子力推進と利権。
役人自身の保身と責任逃れが第一であり、国民の命や健康など全く顧みられない、という現実。
放射性物質が漏れても飛散しても全然知らん顔の原子力安全・保安院。
(経済産業省の役人である)(*2)
周到に用意された言い訳(話のすり替え)にコロっと騙されるマスコミ。
或いは騙されたというよりもはじめからグルだった可能性もあるのかもしれない。
武田氏が語ったような(我々が知っておくべき)事実を今まで国民に知らせてこなかったマスコミもまたその腐敗から無責任と怠惰の海に浸りきっているからであろう。
さらにマスコミもまた権力であり国家権力と通底しているとしたらかかる事態は さもありなん ということになる。
この国は国民を守る気など一切ない。
-----
人間には二種類存在する。
「他者を蹴り散らしてでも常に自分の利益の為だけを考え動く人」
と
「他者に奉仕して喜んでもらう事が己の喜びであると考える人」
である。
前者の典型である役人・官僚という人種にはこの危機は乗り越えられない。
真の問題解決には後者の発想が不可欠だからである。
---
参考資料として武田氏のWEBサイトを紹介しておきます。
武田邦彦 (中部大学)
********************************************************
(*1)
海外各国からの救援部隊に対しても役人・官僚は法律だの資格だのをタテに救助・援助を断ったり動きを規制したりしている。
米国でも日本の官僚機構が救助・支援の妨げになっているという指摘が出ている。
このような状況から役人・官僚が障害となって助かる人も助けられず必要な援助も届かなくなるという大きな矛盾が生じている。
役人・官僚というのは「型」を守る事に執心する人間である。その為、住民・国民を守らなくてはならない時に何が一番大切かがまるで判別できないどうしようもない連中なのである。
こうも言える。
役人・官僚は人を規制する事が仕事だと思っている単細胞な人々である。
やたらに意味もなく規制をかけてそれで仕事した気になっている愚かしく本末転倒な人々…それが役人・官僚の実像なのである。
こうなるともはや日本国民にとっての最大の敵は役人・官僚である、と言っても過言ではないと言えよう。
これは由々しき大問題である。
(*2)
保安院(*3)の記者会見でしばしば登場する典型的な官僚顔の西山審議官は
米国・ウォールストリートジャーナル紙のインタビュー
で今後も原発を推進していくことを宣言している。(*4)
これだけ多大な迷惑と恐怖を社会に与えている現状においてこうした発言ができるというのは驚くべきKYと言えよう。
しかも「原発に反対するならば国民に電気を与えない」という意味の恫喝発言もしている。実に傲慢で厚顔無恥も甚だしい。
強大な権力を己の思うまま当然のように振り回す官僚。
この人物は自分が人として世間にどれだけ醜い姿を晒しているか一生気が付かないまま終わるのであろう。その意味では哀れな人間である。
こうして見てくると官僚には人間的な心が欠如しているとしか思えないところがある。
つまり官僚とは「頭は良いが 心が無い」人々…なのである。
2011/6/30追記
保安院・西山審議官、事実上の更迭―女性問題の報道で
愛人にあそこまでバラされては…西山審議官「エセ紳士」うら悲し
結局この程度の人物が国民の命よりも政治利権・既得権益最優先で国を動かしているのです。これが日本の実態。
(*3)
池上彰氏は今回の原発事故に関するテレビ番組(*3a)の中において、原子力安全委員会と原子力安全・保安院の位置づけについて「原発をチェックする組織が保安院で、その保安院をチェックするのが安全委員会」という説明をしている。これは武田氏の説明とは異なる。
武田氏の説明では、元々原発は「推進する立場としての原子力委員会」と「規制する立場としての原子力安全委員会」の2つでバランスをとって推し進められていたのだが、これは原発を推し進めたい勢力からすると面倒なシステムであるらしく、この2つをないがしろにして保安院で一括して扱うようにして前者2つの組織を隅に追いやった(*3b)、というのが真相だと言うことである。
国民の命のことなど全く考慮しない官僚としては強引に原発を推進する為には保安院の方が都合が良いのである。
武田氏の説明が真実だとすると池上氏は真実(実態)と異なる説明、つまり建前としての説明をした、ということになる。これは池上氏の立場と、全国ネットで放送されている状況から見て仕方のない事だったのかもしれない。
(*3a)
3月30日放送 19:00 - 21:48 テレビ朝日
「そうだったのか!池上彰の学べるニュース
これからどうなる?どうすればいい?東日本大震災」
(*3b)
原子力委員会と原子力安全委員会は内閣府扱いであり、原子力安全・保安院は経済産業省(元は通産省)扱いである。
武田氏の話では権力的に経産省の方が強い、とのこと。
(*4)
原発を推進したい人間は往々にして自分が危険な目に遭わないで済む立場の人間である。(*4a)
危険な現場で頑張っている技術者は常に大きなリスクを負いながら真剣に作業しているのだ。
福島第一原発の現場で実際に危険な作業に従事しているのは役人・官僚でもなく東電のエリート正社員でもない市井の下請業者の社員や消防・警察等の勇敢で使命感に溢れる人々である。
それを考えると安全な場所でぬくぬくしながら「あれをやれ、これをしろ」と命令するだけの役人・官僚や東電の正社員に対する憤りが倍加してくるのである。
安全な所から理屈を語り命令をするだけで責任を果たしたと思い込んでいる保安院の官僚や東電のエリート正社員たちには、そろそろ福島第一原発の現場へ行ってもらって自分で復旧作業をしてもらいたいものだ。
(*4a)
これは好戦的な為政者(政治家)にも共通する。
戦争をやりたがる権力者は往々にして「自分が銃をとって戦地に行かなくて済む立場の人間」である。
実際の殺し合いは名もなき兵士達にやらせておいて自分は安全な場所でぬくぬくしながらただ命令だけを下すような腐った連中なのである。