Altered Notes

Something New.

遺伝子組み換え作物:恐怖の真実

2013-05-23 03:44:49 | 社会・政治
遺伝子組み換え作物について一般の人々がいかに本当の恐ろしさを知らないか、が如実に判る事例がここにある。
下記の記事を参照されたい。

日本人は知らないうちに大量のGM食品を口にしている

問題は記事内容ではなく、この記事がヤフーニュースに掲載された時の記事下のコメント欄だ。正確には「Facebookに投稿されたコメント」である。現在ではヤフーニュース内でこの記事が閲覧できないので従ってコメント欄も見ることはできない。
掲載当時のコメント欄には遺伝子組み換え作物を批判・否定する向きに対する批判や、遺伝子組み換え作物を楽観視する意見が少なくなかったのである。

それらを読むと、多くの人々が遺伝子組み換え作物の実態をご存じないことが判る。(*1)
それらのトーンはTPPによって遺伝子組み換え作物が国内に流入して日本人は否応なくそれを食べなければならない状況を肯定するものであり、それは無問題だとする立場であった。しかしそこで示される根拠はあまりにも真実からはほど遠く的外れでもあり、コメンテーターの無知が如実に感じられるものであったのだ。

これらの人々を単に無知無学と言ってしまうのは簡単である。
それよりも遺伝子組み換え作物の本当の恐ろしさをきちんと伝えないマスコミの罪の重さを考えてしまう。

なぜちゃんと伝えないのか?
それはマスコミにとっての大スポンサー様と言える大企業に配慮した結果である。
結局マスコミは国民の命や健康よりもスポンサー様の意向の方が大切なのである。
この事は改めて後述する。

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そもそも ”なぜ”遺伝子組み換え作物は危険なのか?
以下にその説明を記す。


[1]植物性酵素が入っていない

我々人間が食物を摂取して、それが吸収、排泄、分解、合成される為には「酵素」を必要とする。
酵素の種類は非常に多いのだが、大まかに分類すると次の2つに分けられる。

「動物性酵素」
「植物性酵素」

である。

動物性酵素は植物性酵素によって活性化されるので、もしも植物性酵素が無くて動物性酵素だけの状態だと吸収、排泄、分解、合成は万全に働かないので病気にかかりやすくなる。

しかも植物性酵素は体内で作ることができないので、体外から摂取するしかない。つまり野菜(*2)や果物を多く食べる事が大切になるのだ。

従って植物性酵素が吸収されない肉食生活を続けた場合、人間の健康な身体を維持することができなくなり、病気一直線となって最後は死亡に至るのである。

ここまで読まれて勘の良い人ならもうお判りであろう。
「遺伝子組み換え作物には植物性酵素が含まれていない」
のである。だから「危険」なのである。

害虫を寄せ付けない為に作物の種子に対して遺伝子組み換えの操作・処理をした結果、肝心要の植物性酵素が消滅してしまうのだ。これではそもそも野菜を食べる意味がない。
ナンセンスとはこのことだ。

肉と遺伝子組み換えの野菜を食べた人間は、酵素という観点で見る限り、野菜を食べたことにはならず、肉だけ食べているのと同じである。なぜなら遺伝子組み換え野菜には植物性酵素が
入ってないからである。
従って、その人間はやがて健康を害し病気になるリスクが非常に増大するのだ。

人間の身体にとってこれほど重要な植物性酵素の摂取ができなくなってしまう・・・だから遺伝子組み換え作物は駄目だと言っているのである。


[2]自然ではない作物を摂取すると身体に異常が発生する

さらに言うならば、食物はできるだけ「自然のもの」を食べるのがベストである。人間も同じだ。
野生動物は基本的には病気にならない。
なぜか。
「自然のもの」だけを食べているから、である。
人間の病気の要因は数多あるが、「自然ではないもの」を食したから、というケースも多々ある。
作物の遺伝子を操作してしまうと外見上は自然のものに見えても中味は”自然ではない何か”なので、人間が食した場合に身体に及ぼす負の影響は少なくない事が容易に想像される。

自然な組成でできている人間の身体にとって、遺伝子が組み換えられた(自然ではない組成の)食物は分子レベル・細胞レベルで見た場合に身体との親和性に乏しいものと考えられ、自然な体内細胞を傷つける等の悪影響の可能性を考えざるを得ない。
傷ついた細胞はそのまま病気や老化の原因となるのだ。

ガン細胞は人間の通常の細胞が突然変異を起こしたものであるが、その細胞配列は通常の人間の細胞とは異なる。不自然なのである。
こうした事態を誘発する危険性は大いにあり、我々は細心の注意をはらう必要があると言える。

また、こうした危険性は動物実験によって既に実際に証明されている。

遺伝子組み換え( GMO ) トウモロコシとほんの微量の除草剤をラット( ネズミ) に与え続けたところ、巨大な腫瘍や様々な内臓障害、そして早死が起きることが確認されている。

フランスのCaen 大学の研究チームが初めて長期間に渡って遺伝子組み換えトウモロコシを与えることにより発生する問題についての実験を実施した。
この研究結果は、The Food & Chemical Toxicology 誌とロンドンの記者会見の場で発表されている。

遺伝子組み換え食品に強く反対し続けてきたフランス・欧州議会の農業委員会副委員長の Jose Bove 氏 は、早急にEU諸国での遺伝子組み換え穀物の栽培と輸入を停止することを求めた。
Bove 氏は「この実験結果により、我々が訴えてきたことが正しかったと証明された、早急に全ての遺伝子組み換え食品の評価プロセスを見直すべきだ」と述べ、また、ヨーロッパの食糧
安保局は、公費でヨーロッパ人のために健康的な食品を確保するための調査が必要であると述べている。

実験に加わったAntoniu 博士は
「我々が遺伝子組み換えトウモロコシを食べることにより、深刻な
健康被害が生じることを予期しなければならない」
と発言している。


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さて、
「なぜマスコミは遺伝子組み換え作物の真実を伝えないか」
であるが・・・

この危険極まりない遺伝子組み換え作物を日本において強力に推進しようとしている人物がいる。
社団法人日本経済団体連合会会長の米倉弘昌氏である。

相手が経団連であり、その会長とくれば、マスコミはもう真実を伝えることはできない。
マスコミにとっては国民の命・健康より自社の安泰と目先の利益が上なのだ。


米倉会長についてもう少し記述する。
米倉氏は住友化学株式会社代表取締役会長でもある。
この住友化学と米国のモンサント社が手を組んで遺伝子組み換え作物を日本に持ち込もうとしているのだ。
日本がTPPに加盟すればこれが実現する。
米倉氏がTPPに積極的なのは自社(自分)の利益に直接関わるからなのである。

ちなみに日本がTPPに加盟すれば、米国から遺伝子組み換え作物が大量に入ってくる。そしてそれは遺伝子組み換え作物であることを商品に表示する義務を持たない。

こうなると消費者はどれが遺伝子組み換え作物か判別できず、否応なしに遺伝子組み換え作物を食べさせられることになる。
それを食した結果のリスクの大きさを鑑みるに、非常に乱暴で横暴で暴力的な話なのである。


そして、住友化学と手を組む米国・モンサント社、である。
本社を米国に置く多国籍バイオ科学メーカーで、遺伝子組み換え作物の世界シェアは90%で圧倒的である。

モンサント社は除草剤とそれに耐えるよう遺伝子組み換えが成された作物を作る種子のメーカーであるが、各方面で悲劇的展開を巻き起こしているいわくつきの会社である。

前述のフランスに於けるラットを使った生物実験でラットに与えられたのはモンサント社の遺伝子組み換えトウモロコシと微量の除草剤(商品名:ラウンドアップ)である。
ラットの腫瘍発生率は極めて高いものになり、早期の致死率も上昇している。

この実験では、ラットにNK603 と呼ばれるトウモロコシ( 北米全土で栽培され、家畜や人が既に食べている遺伝子組み換えトウモロコシ) が与え続けられた。これは、多くの人々が、
朝食のコーンフレークやシリアル、コーンスナックチップス、そして、メキシコ料理に使うトルティーヤとして日常に食べている遺伝子組み換えトウモロコシである。


モンサント社の凶悪な実態はこれだけではない。


モンサント社では畑の雑草を駆逐する除草剤を売るとともに、除草剤に耐えるよう遺伝子を組み替えた種子もセットで販売する。
この種子がクセモノで、一度これが蒔かれた畑は土壌の成分が変わってしまって他の作物が生育できなくなる。すなわちモンサント社の種子だけが育つ土壌になってしまうのだ。

さらに、この遺伝子を組み替えた種子に対してモンサント社は知的財産権を主張しており、育った作物から得られた種子を畑に巻くことを厳に禁じている。
従って農家は永久にモンサント社から種子を買い続けなければならなくなる。
これに反するとモンサント社から訴えられて賠償金を請求される。

驚くべきことに、もしもその種子が風にのって他の畑に飛んでいってそこでたまたま芽を出そうものならたちまちモンサント社から訴えられて賠償金を請求されてしまうのである。
滅茶苦茶である。



そもそも遺伝子組み換え作物には植物性酵素が含まれていない上に遺伝子を組み替えた結果、自然ではない作物が作られ、それが生物の体内に摂取されることでその生物が重度の疾患にかかる可能性が非常に高くなる。


これを継続的に食べた人間は病気になるであろう。
すると、モンサント社は「それでは病気に効く薬も売ってあげましょう」とばかりに今度は薬品を売りつけてくる。


いかがであろうか。
ここまで概要を書いただけで「鬼畜外道」「悪魔の会社」とでも呼びたくなるような悪意に満ちた諸行の数々である。

前述のようにこのモンサント社と手を組んで遺伝子組み換え作物を日本で売りまくろうとしているのが住友化学の会長にして日本経団連会長である米倉氏なのである。

氏にとっては日本国民の命・健康よりも自社(自分)の懐を肥やす事のほうが大切であるらしい。(蔑笑)





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(*1)
投稿している人々が無知無学だからとは限らない。
遺伝子組み換え作物を推進しようとしている一派の人間が故意に反対論を否定するために投稿している可能性も考えられる。
現に詭弁を弄して遺伝子組み換え作物を肯定するような文章も見受けられる。


(*2)
野菜と言っても生野菜のことである。
植物性酵素は46度以上の熱で死んでしまうので、熱を通した野菜では意味が無い。生野菜で食す事が重要である。



テレビはどこまでも無責任

2013-05-13 16:33:42 | 放送
テレビ放送が開始されて60年ということで、NHKではこれまでのテレビの歴史と今後の展望について特集した番組を放送している。

例えば放送記念日特集「テレビ~60年目の問いかけ」という番組ではテレビのこれからを語る…ということなのだが、紹介される現象・事象、そしてテレビはどうあるべきか、という議論の内容も、その全てがテレビ放送のシステムとその周囲の状況や周辺のシステムにまつわる話ばかりである。

社会の趨勢としてテレビ離れが取り沙汰されているが、テレビ屋はその原因はネット等のテレビを取り巻く環境の変化のせいにしようとしている。だが、テレビ離れの原因は言うまでもなくテレビ自身にある。

いつの時代もどのような場合も真実はシンプルである。テレビ屋が「真に良い番組」を作らない(作れない)から視聴者は離れていく・・・ただそれだけのことなのである。

全録機(すべての番組を録画するレコーダー)が視聴者を呼び戻す可能性について語ったところで、肝心の番組(コンテンツ)が低次元・低レベル・幼稚・無神経な作りのままでは視聴者は戻ってこないし、世論操作を意図したような番組ならなおさらである。

テレビ局は番組作りの発想時点で
「視聴者は馬鹿だ」
という前提で番組を作り運営している。視聴者を見下した態度が番組作りの基本姿勢なのである。それで真に良質な番組など生まれようもないし、心ある視聴者はこの段階でテレビを捨てて他のメディアに移行している。

前述のテレビを考える番組でも司会の小野文恵アナが
「ここで話された内容の全部が視聴者に理解できるものではないと思うが…」
という趣旨の発言をしているが、これこそが視聴者を見下した姿勢そのものだと言えよう。理解できてないのは視聴者ではない。むしろ小野アナ自身でありNHK自身である。テレビ屋自身が現状を全然理解できてないのである。視聴者は判っている。判っている上に、テレビの今後に可能性を見いだせなくなったから、だからテレビを捨てたのである。そこが見えてないテレビ屋だけが取り残されて右往左往している。哀れである。(蔑笑)

悪意のある連中ほど責任を他へ転嫁する傾向がある。テレビ屋も同様である。凶悪で怠惰なテレビ屋は人々の関心がテレビから離れていった原因がほかならぬ自分たちにあることを認めないし気がつきもしない。
彼らはその原因を当然のように外部に求め、外部・周辺環境さえ変えれば状況が変わると思い込んでいる。「自分たちが変わりたくない」ものだから「自分たちの周囲を動かして事態の打開を謀る」事しか発想できない。
自分たちは決して動こうとせず、周りだけを動かして昔の栄光を取り戻したい、という正に怠慢を絵に描いたような腐った連中なのである。これでは何も変わらない。間違いない。

テレビが信頼を取り戻す道はただ一つ。真に良質な番組を真摯な姿勢で作ること。それだけだ。

ただ、今のテレビ屋には絶対に無理であろう。


「素人」という言葉

2013-05-03 05:19:42 | 放送
テレビ番組でよく聞く言葉の一つに「素人」がある。主に芸人が一般人を指して言うのだが、芸人によっては「素人さん」などとわざわざ「さん」付けで呼ぶこともある。たしかに「素人」はその道の「玄人」ではないので、位置づけとしての「素人」は間違ってはいない。

だがしかし・・・

「素人」には蔑視的なニュアンスも含まれる。芸人たちが一般人を「素人」と呼ぶ場合は多分に上から目線の感情がそこに含まれているように感じられる。”さん”付けで「素人さん」などと呼ぶ場合はなおさら見下しているニュアンスを強く感じる。

一般人は芸人から見下される筋合いは一切無いし、上から目線で見られる理由も根拠もない。なぜ芸人たちは一般人を「素人」と呼ぶのか。

芸人たちには自分たちが一般人とは違う上のステージに存在していると思い込んでいる節がある。一種の選民意識である。「芸人」であり「テレビに出ているんだぞ」というつまらない優越感が彼にちっぽけな選民意識を与えたのかもしれないが、そうだとすればこれこそお笑いである。それは裏を返せば芸人一般が抱いている劣等感の現れかもしれない。常に誰か(一般人)を見下してちっぽけな優越感に浸っていたいのだろう。実に低次元な連中であるが、どんな理由にせよ、人をむやみに「素人」呼ばわりするのはあまりに無神経かつ失礼であり間違っている。

例えば、「お笑いを目指す一般人」を「素人」と呼ぶのはまだ理にかなっているように思うが、そうではない人を「素人」呼ばわりするのは完全に失礼なことである。それがまかり通るなら、芸人連中もお笑い以外の全ての分野の「素人」にほかならないのだが、彼らにはそれを認める謙虚さが欠落している上にそもそもそのことに気づきもしないのである。(蔑笑)(*1)

芸人たちのこうした鼻持ちならない嫌らしい特性は何に依ってもたらされたのだろうか。それはテレビの世界と無縁ではないように思う。テレビ番組は一般視聴者を「馬鹿」と想定して完全に見下したところから発想され作られる。そうした思想が底辺に存在する世界で四六時中生きていれば、自然とその色に染まるのは理の当然であろう。

また、一般人を素人と呼ぶのは芸人だけではなく、タレント全般に認められる特徴とも言える。テレビ局自体がそうした体質を持っいるので必然的にテレビ番組に関わる人々に共通した現象となっている。その体質は既に身体に深く染み付いており無意識的な領域に根付いている。

例えば同じ芸人でも比較的良識のある人物と目される人でも一般人を「素人」と呼称する傾向があるし、中年に差し掛かったベテランアイドルグループの坊やなども一般人を「素人さん」と呼称している。一般人は無知無学無教養のアイドル坊やに素人呼ばわりされる筋合はないのだが。(苦笑)

テレビ界・芸能界だけで生きていると自分がどれだけ失礼な言葉を発しているのか全然自覚できなくなる典型例である。ここにも言葉に無自覚・無神経なテレビ局の体質が色濃く現れているのを見て取ることができる。こうした連中が日々テレビ番組で偉そうに振舞っているのだ。自身の醜悪な実像に気が付かず一般人を見下すことでしか自分の自尊心を満たすことができない哀れな連中である。
正に厚顔無恥を地で行く連中であり、「人間、こうなってはいけない」という見本である。(蔑笑)

テレビというのは制作者も出演者も劣化した人間の巣窟のような世界なのである。



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<2017年5月25日追記>
一般人を見下した芸人たちの思い上がりと勘違いを岡田斗司夫氏がニコ生で語っているので参照されたい。

お笑い芸人の差別意識は【異常!】岡田斗司夫が今のテレビ芸人に物申す!

例えば土田晃之氏などはいかにも理に合った話を偉そうに宣うのだが、しかし自身の論理的な矛盾には気が付かないところは、偉そうに振る舞う分だけむしろ哀れでもある。そんな土田氏もまた一般人を見下しており、普通に「素人さん」と呼ぶような人物である。



<2020年2月29日追記>
最近、俳優でTVタレントの大泉洋氏が鼻持ちならない発言をしていた。インタビューで、過去に苦労した仕事はあるか?という質問だったのだが、それに対する彼の回答は「水曜どうでしょう」の過去のロケで出会った一般人の中高年男性に対して「ある場所で出会った"素人"のおっさんの扱いに苦労した」というものだった。上記本編記事で書いたように「素人」は蔑称である。大泉氏は無意識に言ったのだろうが、そこにはもはや芸能界の大スターとなった大泉洋自身の大きく肥大した自意識故に一般人を見下す姿勢が当然のように染み付いてしまったのだろう。それが彼に「素人」という言葉を言わせているのだ。とんでもないことであり、非常識で無礼な発言である。



<2020年8月1日追記>
参考資料
明石家さんまがYouTuberを「素人さん」と呼ぶことの違和感



<2021年12月30日:追記>
2021年12月24日放送のNHK「あさイチ」に大泉洋氏がゲストで出演した。紅白司会直前のタイミングということでの出演だが、ここでも大泉洋氏の一般人蔑視感情が顕になっていた。前回の紅白歌合戦の開始直前の模様を彼が司会する番組「SONGS」の密着取材ということで楽屋周辺の廊下で大泉洋氏が出演歌手たちに話しかけるというシーンがあった。この時の「話しかけても大丈夫そうな歌手を探す様子」を「あさイチ」出演の大泉洋氏はキョロキョロする動作をしながら「芸能人を探している素人のように」と発言。こうした発言が普通に無意識で出てしまうところに彼の一般人に対する差別意識が現れているのであり、強い選民思想の持ち主であることがわかるのである。実に嫌味な感じである。




<2024年6月16日:追記>
先日、偶然TV番組で街ロケに出ていた芸人のダイアン・津田が一般市民のことを「一般素人」と蔑んだ言い方で見下していた。芸人は相変わらず傲慢で身の程知らず、しかも厚顔無恥である。津田自身はプロ芸人のつもりなのかもしれないが、彼のパフォーマンスで一度も笑った事はない。全く面白いとも思えなかった。むしろ退屈で見ているだけで嫌悪感を持つタイプだ。それでいて一般人を上から目線で貶める・・・自分が全く見えていないのだろう。芸人というのは所詮この程度のクズなのである。



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(*1)
明石家さんまもまたその意味で鼻持ちならない人物である。彼はサッカーが好きなようだが、偉そうにサッカーを語る姿はまるである種のサッカーのプロであるが如くのようだ。その一方で、さんまはお笑いの世界以外の人間がお笑いを演じたり語ったりする事が嫌いである。その理由はお笑いのプロたる自分の前で「素人がお笑いを一人前に語る事が嫌い」だからであり、それは一般人を「素人」と見下しているからである。「素人が偉そうにお笑いを語るな」と言う姿勢である。しかしこれは自語相違というものだろう。さんまはサッカーのプロではない。明らかに素人であるにも関わらずサッカーのプロであるかのような尊大な態度で語る。しかも彼が”にわか”と決めつける人たちにマウンティングしながら語るのだ。一般人がお笑いを語るのは許さないが自分(さんま)がサッカーを語る事は良しとするのである。実に一方的で身勝手な態度だ。このような自己矛盾を露呈した語りを芸人たちはしばしばやらかす。自分がブーメランを投げている事に気づきもしないのだ。何をか言わんや、である。(蔑笑)