Altered Notes

Something New.

音楽を語れないアイドル(歌手)

2023-10-22 09:06:09 | 音楽
「アイドル」と呼ばれる人々は昔はいなかった。昔はまず「歌手」であり、その中でもいわゆる顔面偏差値の高い人が「アイドル」的な存在として認知されたのだが、当時は未だ「アイドル」という職掌は確立されていなかった。現在言われている意味でのアイドルの元祖的な存在として女優の吉永小百合さんが居るが、この人が若い頃に歌手としてデビューした時には「アイドル」ではなく「可愛い子ちゃん歌手」などと呼ばれていたのだ。「歌手」であるよりも「可愛い子ちゃん」であることに価値があった、ということだ。

何を言っておるのだ?と思われるだろうが、「歌手」という謂わば「音楽家」であった筈の存在が、いつの間にか「アイドル」と化してしまい、基本的にただそこに居るだけで商売が成立するような形になってしまった。要するに「歌」だの「音楽」だのといった要素は横に置いて、その存在のセクシャリティー的な魅力(*1)が商品価値として認知されるようになっていったのだ。だから、現代の「アイドル」と呼ばれる人たちの中には正しい音程すら取れないような素人以下の「歌手」がごまんと存在する。(*2) それでもビジネスが成立するのは、その人の外見(ビジュアル)のセクシャリティー的要素が一般大衆から求められるからであり、芸能マスコミがその傾向をさらに煽るのである。

「ただそこに居るだけで商売になる」のは「握手会」だの、オンラインでの「ミート&グリート」などが立派にビジネスになっており、主催者はそれで多額の利益を得ている事からも分かるように、もう「そこに居てくれればいい」だけの存在なのである。写真集を出すのも同じであり、これが基本だ。

しかしながら、「ただそこに居るだけ」ではあまりにも間が持たないのも確かである。それで現代のアイドルは一応「歌手」というレッテルを貼ってもらってCDを売ったりコンサートをしたり配信ビジネスをしたりもする。年末には各種の音楽賞を受賞しただの、紅白歌合戦に出るだの落ちただの、が話題になることからも分かるように、一応「音楽をやってます」という体を保持しているのも事実である。

だがしかし・・・。

「歌手やってます」「音楽してます」という割には、アイドル達が肝心の「音楽」について語っているところを見た(聞いた)事がない。アイドルが曲について語る時の切り口は「踊り」「歌詞」しかない。「踊り」も「歌詞」も「音楽」ではない。アイドル達は決してその曲の「音楽面」については語らないのである。「音楽」を語る言葉を全く知らないからであろう。例えば、そもそもAKBや坂道グループを作ったプロデューサー自身が「音楽を語る言葉」を知らず、音楽を単に曲のパーツの一つとしか捉えていない、かのように見えるのである。(*3) 要するに、プロデューサーにとって音楽は一種のブラックボックスであって、その中味については分からないので議論することは出来ず、だからただ感覚的に(パーツとして)選んでいるだけなのだろう。

当ブログではかなり前に爆笑問題の二人が音楽家・坂本龍一氏と鼎談した時の内容について書いたことがある。その時に、坂本氏が「音楽を聞く時に歌詞は全く聞いてない、意識してない。音楽だけを聴いている」と語った事に爆笑問題の二人は本気で驚いていた。爆笑問題の二人もまた「音楽を語る」事の意味が全然判っていないのである。太田光氏は曲の「歌詞」を語ることで「その曲を語った」つもりになっているのだが、歌詞は言葉であり音楽そのものではない。「歌詞」だけ語っても、その曲(音楽)を語った事にはならない。全然ならないのだ。逆に音楽家の坂本龍一氏は歌詞という余計なものを除外し、純粋に曲の音楽面を聴き込む事に集中する…それは音楽家として普通のこと、当たり前な事なのである。(*4)
歌曲全体として評価するなら確かに歌詞も無視できない要素の一つであることは間違いないが、しかし「歌詞だけ語り、音楽面は一切語れない」のはどう考えてもおかしい、と言わざるを得ない。それは曲の一方のサイドだけを語ったに過ぎず、もう一方は無視しているということに他ならない。

もし心に染みるような良曲があって、歌詞も印象的だったとしたら、その評価・印象の中には「歌詞を彩る旋律があり、それを支える和音やリズムがある筈」なのだ。それがあっての「歌詞」なのだが、アイドル達はこの音楽面を全然語れないし、語ろうとしない。ひたすら「歌詞」という言葉についてだけを語る。上述のように「音楽を語る為の言葉」を持っていない(知らない・無知)だからである。一般大衆、いわゆる素人ならともかく、一応お金をもらって歌を歌っている立場の人間がこの程度…というのはいかがなものだろうか?

女性アイドルの会話などを聞くと、普通に「曲を踊る」という言い方をする事に気づくだろう。彼女たちにとって曲は「歌う」ものではなく「踊る」ものなのである。「どうやって歌うのか」よりも「どうやって踊るのか」に関心があるのであり、その曲の音楽的な成り立ちなど大した関心事ではないのだろう…ということがつぶさに分かるのである。

それこそ昭和の昔には歌を立派に音楽的に歌い上げる事ができる、まさに「歌手」と呼べる人々がたくさん居たのだが、現代は上記のような「音楽を知らない若年層」の踊りが中心の曲を見せられる(聴かされるのではなく)事が中心になってしまった。1980年代頃までは歌手が歌う時にはバックバンドが居て、きちんと生演奏と共に聴かせる事が普通だったのだが、今のアイドルは平然とカラオケで歌う。さらにカラオケどころか「歌入りのCD」をそのまま流すことでアイドル自身は口パクをしながら、ただダンスだけをするのだ。

なぜか。

踊りに集中していれば、本来集中すべき「歌(音楽)」へまわすエネルギーはなくなる。だから、踊りに集中する為にアイドルは「歌入りのCD」をそのまま流して自分達は口パクしながら踊るだけ、になってしまうのだ。こうした事実は「歌手」を名乗るにはあまりにも片手落ちで貧弱で致命的である。だから彼女たちには「歌手(音楽家)」ではなく「アイドル」という職掌が与えられたのである。「歌手」ではないのだ。「アイドルだから許してね」という音楽を舐めた姿勢が当たり前となってしまった現代である。「音楽」は既に脇に追いやられており「添え物」としての価値しか与えられていない。

アイドルに振り付けする振付師も「このグループ史上、最高難度の振り付けです」などと得意げに自慢するのだが、そんな難度の高いダンスをやらせるから、だから本来「歌唱」にまわされるべきエネルギーを奪ってしまうのである。結局歌唱がいい加減になってしまい、「音楽が蔑ろにされてしまう」のである。「最高難度です」と自慢する振付師は自分のせいで「歌手」が「歌唱」にまわすべき精神力・集中力を全て奪ってしまっている事に気が付かない。音楽側から見れば迷惑この上ない話、なのである。

これらの現象・事象の背後にはその国の民衆の文化レベルが反映している。観客側がそれを許してしまっているからこんな悪行が通用しているのである。かつてジャズ・ピアニストの菊地雅章氏は「日本は文化果つる国だね」と言ったが、音楽文化の程度が低い日本だからこそこうした体たらくが常態化してしまったのだろう。程度が低いのは民衆だけでなく、マスコミも同罪だ。マスコミもまた無知・無学・無教養な人間の巣窟である。むしろマスコミが率先して民衆の文化レベルを下げている、と言っても過言ではないだろう。これが日本の実態なのである。



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(*1)
男性ファンから見た女性アイドル、女性ファンから見た男性アイドルは、各々ファンの側から見た「理想の異性像」として受け止められる。深層心理学者ユングが言うところの「アニマ」「アニムス」の投影先としての存在となる。世俗的な言い方で言えば「疑似恋愛」的な世界に顧客を引き込む事で成立するビジネスである。
以前、AKB48が全盛の時代にプロデューサーの秋元康氏が外国のメディアから「少女の性(女性的なるもの)を商品化(搾取)しているビジネスではないか」といった疑問が呈されたことがある。秋元氏は否定したが、実態はそういう側面を多とするのが実態と言えよう。少なくとも「音楽」の良し悪しで稼いでいるビジネスではない。

(*2)
そんな「歌手」が紅白歌合戦に出演したりするのだから、そりゃ音楽番組としてのステータスは下がるだろうし視聴率も下がるだろう、と容易に推察できる。

(*3)
プロデューサーにとっては大切なのは「音楽」ではなくビジネスとして「利益」「収益」をあげる事だけであろうから仕方がないのだろう。その程度の人、ということだ。実際、このプロデューサーが関わった曲の中には音楽的に悪くないものもあるにはあるが、多くの場合は平凡でただ騒々しいだけの曲である。つまり全然「音楽的ではない」曲が多い、ということ。聴いていて、「もしもこの曲を作曲コンテストに出したら一次審査(譜面審査)で落ちるだろう」、というほど凡庸な曲が多い。また、平然と他人の曲をパクっているケースも見かける。前述のコンテストだったらパクリなど言語道断だ。本当の音楽家だったら恥ずかしくてこんなことできないだろう、というような事をも平気で仕出かすくらいだから、このプロデューサーは本当に音楽の「お」も理解していないのだろう、と容易に推察できる、というものだ。要するに「芸術面」よりも「収益」を重要視する「商売人」に過ぎない、ということだ。

(*4)
歌手の場合は歌われる旋律が「どのように(音楽的に)歌い上げるか」等が観点となる。この場合も歌詞ではなく音楽面を聴いているのだ。






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