Altered Notes

Something New.

日テレ「明日、ママがいない」騒動 論点をすり替える日テレ

2014-01-19 17:34:28 | 放送
日本テレビがつい先日(15日)放送した新しいドラマ「明日、ママがいない」の内容について熊本市の慈恵病院が抗議をし放送の中止を求めている。この件について日本テレビではドラマの制作趣旨を説明し、だから「最後までご覧ください」としている。

この件は各方面で様々な見解が述べられているので詳細は書かないが、問題(トラブル)の核心部分だけ手短に指摘しておく。
問題の核心は日本テレビ側が論点のすり替えをして誤魔化しを図ろうとしているところにある。

最大のポイントは、慈恵病院側がドラマ内の表現・言葉が即イジメや差別に利用される危険性を指摘しているのに対して、日本テレビ側はドラマの制作趣旨の理解の問題にすり替えている、という事。

親のいない子を「ポスト」と連呼することはそのまま現実のイジメに即時に使われてしまう。言葉は凶器である。日テレはイジメ加害者に対してわざわざ凶器となりうるキーワードを与えているようなものだ。また、施設職員を凶悪な姿に描くことで職員のイメージを悪くさせ、一般人の誤解を誘発させる事も容易に想像できる。

イジメの加害者というのは精神的に劣化した未熟な人間達である。彼らはどんなことでもイジメの凶器として利用してしまう。テレビ局はそんな加害者連中にドラマの制作意図が正しく伝わるとでも思っているのだろうか?(蔑笑)
これは躊躇している暇が無い問題だ。即時に放送を中止しないと前述の危険が社会に広まってしまうことになる。時間はないのだ。病院側の危機意識は極めて強い。

しかしこれに対して日本テレビ側は制作趣旨・意図の理解の問題にすり替えて批判から逃げた。抗議者が制作趣旨を正しく理解していないという前提に立って論点をすり替えた上で返答しているのだが、これは随分と卑怯な姿勢である。
しかもこうして社会問題化すること(*1)はさらなる視聴率アップが見込まれることでテレビ局側としては内心ニンマリである。だから日テレは「最後までご覧ください」と言うのだ。正に下衆の極み。

趣旨がどうこうの問題ではない事は明白である。ドラマは現実世界におけるイジメ加害者という犯罪者たちに凶器となり得るキーワードを与える形になっており、そのままイジメを誘発し煽るような状況となっているのだ。日本テレビはそれが判っていて放送しているのである。

テレビ局が抗議内容に対して正面から答えず論点をすり替えたのは、もちろん抗議内容が正当で普遍妥当性があり、それに対し制作側として「やましさ」があるからである。やましいからこそ何も「説明できない」のだ。だから逃げた。正面から答えられないから論点をすり替えて誤魔化した上で開き直っているのである。

さらに日本テレビは説明の最後に「最後までご覧ください」と視聴率のことしか考えてないテレビ局側の利益を目的とした誘導までしている。論点をすり替えて問題を誤魔化し、そのうえ自局の利益をさらに大きくしようと画策するテレビ局というのはつくづく「粗にして野だが卑でもある」存在だ。(蔑笑)


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(*1)
最初から人の心を傷つける刺激的な表現で社会的な話題にさせようという目論見があったことはほぼ間違いない。許されざる確信犯である。
電波を握る者(=放送局)は一種の権力者である。そこ(放送/番組)で描かれる内容は強く広く社会に影響をあたえるのだ。日本テレビは電波という強大な権力を使って弱者イジメをしているようなものであり言語道断である。それは凶悪なテレビ局が弱者たる一般市民を虐めている…そういう構図として見えてくる。
また、ネット上には日テレを擁護する意見も少なくないが、ほとんどの場合はここで指摘した論点のすり替えを前提にしたものである。
そして拙稿 「怒り」は悪か? にも書いたように批判すること自体を強烈に否定する連中も存在する。想像力もなく人を思う気持ちが欠落した心の貧しい人たちである。 
さらに一つの可能性として、日テレ(或いは大手広告代理店)が仕込んだ工作員による書き込みも相当数あるものと推測される。近年はネット上の世論を自分たちに有利に誘導するためにネットに書き込む工作員を雇うケースが実際に増えているのだ。


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[追記]
やや余談になるが、当該ドラマのタイトル「明日、ママがいない」の「明日、ママ」の部分は主演女優である「芦田愛菜」の駄洒落にもなっている。こうしたふざけた(と思える)タイトルを考案する事実を見ても、テレビ局側が決して真摯な姿勢で制作しているとは思えないのである。



[2014-01-21追記]
日本テレビは病院側の放送中止要請には応じないとする回答を発表した。
正に上記で指摘した通りの自己中心的で傲慢なテレビ局の凶悪な体質がそのまま現れていると言えよう。
自社の利益の事しか頭になく、人を思いやる心(想像力)に欠ける連中…それがテレビ屋なのである。また、ネット上で日テレを擁護する意見を表明する人々も同様で、苦難を強いられる側の苦しみや辛さを想像する力のない人たちなのである。