Altered Notes

Something New.

EV車最大の弱点:「充電」

2023-07-13 19:11:51 | 科学・技術
色々な観点から総合的に評価すると、自動車のエンジンは今まで通りの内燃機関が最良だと思っている。トルクや航続距離、燃料補給体制、その他各観点から見て最強なのは間違いない。

SDGs系がうるさく言う「CO2がどうのこうの」も、結局電気自動車を走らせる為にCO2使って発電(火力発電等)をしゃかりきにやってれば、むしろ従来よりもCO2が増えそうで、どうも意味が無いのではないか、という気がしてならない。

そこで...。

仮に「どうしてもEV車でいきたい」と言うのなら、充電池の「充電」をどうにかしないと根本的な解決にはならないだろう。現状では充電に時間がかかり過ぎであるし、急速充電はバッテリーに過度な負荷をかけるので根本的によろしくない。そこで、バッテリーをカセット式にして、どこのスタンドでも簡単に付け替えが出来るようにしたらどうだろう。カセット式としての規格の統一化は必要だが。

つまり、充電スタンドで「充電をする」のではなく、「空になったバッテリーを渡し、満充電されたバッテリーと交換する形」にすればよろしい。こうすればあっという間に充電完了となる。今までの自動車がガソスタで燃料補給を済ませるのと大差ない時間で済むだろう。

だから各社共通のカセット式にするのである。

充電スタンドは受け取った「空のバッテリー(カセット)」を時間をかけて充電しておくのだ。客を待たせる訳ではないので充電に時間をかけることは問題ないのである。むしろ長時間かけて充電することはバッテリーにとってもやさしい。急速充電をありがたがる向きもあるが、あれはバッテリーにかなり無理をさせている点で推奨出来かねるやり方である事は記しておきたい。

EVを本気で普及させたいなら一考の余地がある方法ではあろうと思う。






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知っておくべき「SI接頭辞」

2023-05-13 16:10:00 | 科学・技術
日常生活でよく使われる長さ・速さ・電気信号の単位等々で間違った用法がそこかしこで見られる。自然科学分野・物理分野・電気分野などを経験してきた人ならば、まず間違うことはない表記だが、そうではない一般の人には馴染みがないだけに間違いやすいものがある。「メガ」のつもりで小文字の「m」(=ミリ)を書いてしまう間違いなどは頻繁に見かけるものである。

本来、「メガ(M)」は「10の6乗(=100万)」を表す表記だが、それを「m」(=ミリ)で書いてしまうと「千分の一」の意味になってしまう。話があべこべになってしまうのだ。

これらの単位の直前に補助的に付加するものを「SI接頭辞(エスアイせっとうじ)」と言うが、これについての説明が下記の記事にあるので参照されたい。

『SI接頭語』

『SI接頭辞ってなに? k(キロ)・M(メガ)・G(ギガ)・c(センチ)・m(ミリ)・μ(マイクロ)・・』



一般の方が間違いやすいのはSI接頭辞だけではない。『「小数点」と「カンマ」を取り違える』という事例もある。少数を表すために使われるドットと桁の区切りを示すカンマを誤用する人が少なくないのである。

「千」という数字を表す為に本来は「1,000」と書くべきところを「1.000」と間違ってしまう事例がある。小数点「.」カンマ「、」を取り違えてしまう間違いである。この逆もある小数点のつもりでカンマを書いてしまう例だ。

もっとも、実はこの小数点とカンマの使い分けは国によっても異なるところがあり、実は簡単ではないのである。下記を参照されたい。

『小数点』



面倒といえば面倒だが、独に科学分野ではこの用法を間違えると、どんでもない結果に結びつく事があるので、理数系の人はここに(普通に)神経を使う。だが、一般人だから表記が間違っても良い事にはならない。ケースによっては誤解や行き違いが起きて…という場合もあるので気をつけたいところである。








なぜ日本から革新的IT企業が生まれないのか

2022-04-08 12:17:17 | 科学・技術
GoogleやApple、AmazonやMeta(Facebook)などの世界市場を制覇する革新的製品・サービスを提供するIT企業がもてはやされるが、多くの日本人は
「なぜ日本からGAFAのような企業が生まれないのか?」
という疑問を抱いている。

それでもかつては日本にも真にイノベイティブな企業はあった。ソニーである。東京通信工業(通称;東通工)として東京は品川に誕生したこのメーカーは5人の創業者達が存命であった時代には素晴らしい革新的製品を生み出して日本にSONYあり、と世界にその名を轟かせたものである。当時のソニー製品はそれまでの誰も発想し得ないものが多く、その製品がヒットすると後から真似をした製品が他社から出てきて新しい市場が生まれる…といった流れになることが多かった。当時の松下電器(今のパナソニック)はソニーが開発した新しい製品を真似して後発製品を作ることが多く、それを自社の強力な販売力で売りまくって利益を上げる…このパターンが多かった。ソニーが開発してヒットすると松下が真似して売りまくる…「マネシタ電器」と揶揄されたのもこの頃だ。

そのソニーも残念ながら創業者グループの人たちがいなくなってすっかり様変わりしてしまった。故・スティーブ・ジョブズはソニーをリスペクトしていた。創業者の一人である盛田昭夫氏を慕って製品開発から企業経営まで様々な事を学んでいたようだ。ある時はジョブズから製品の共同開発を持ちかけたこともあったほどだが・・・。

話を戻すが、今の日本から真に革新的な製品を生み出す事ができない理由について、オタキングこと岡田斗司夫氏に依れば「日本の経営者はSFを読まないから」という説明をしている。「ホリエモンですらSFを読んでない」、ということである。

どういうことか。

日本のメーカーなどの企業が成功する時の要因というのは既出の技術や発想を組み合わせて作ることが多く、ほとんどの場合はイノベーティブとは言えないものであり、旧来型製品の発想の枠を超えないものになっている場合が多い。新しいものへの評価基準も旧来の価値観に縛られている事が多く「飛んだ発想」を持つことがない。

逆にアメリカのシリコンバレーに集うような人々はどうだろうか。シリコンバレーでIT企業の経営者になるような人々は日本の経営者達とはかなり色合いが違う。アメリカの中でもいわゆるウォール街でバリバリのビジネスマンをやっていたような人たちではない、のである。(例外はあるが)
シリコンバレーの場合はむしろオタク系の色合いが濃い人たちが多く、アメリカ国内でもギークとかナードと言われるタイプの人たちだ。彼らはパソコン文化に早くから親しんでおり、その流れの中にあるSF小説を沢山読んでいる。

この2つのタイプは何が異なるのか?

SFに親しんでいるタイプならば、あるモノを作った時にそのモノによって世界がどのように変革されてゆくのかが見通せるのである。

岡田斗司夫氏に依ればソフトバンクの孫正義氏は「SFを読んでないな」と思えた、ということだ。

なぜか。

孫氏が「ソフトバンクこれからの三十年」というテーマで講演した時に語った将来のテーマが技術屋に依るハードウェアだけの発想だったから、である。未来の携帯電話は脳の中に埋め込まれて脳波だけで操作できるようになる、とか、そういった調子である。(*1) これは技術屋の発想なのだ。仮にそれが実現したとして、その世界の家族関係や恋人との関係はどうなるのか、脳だけで気持ちを送れるならその次代の恋愛はどういった形になるのか、なぜ人は家族を必要とするのか、等々といった諸問題と密接に関わってくるのだが、こうした技術に依って世界観・価値観が否応なく変化する事で社会の有り様も大きく変わってくる筈だ。

かつてのイギリス。産業革命で蒸気機関が発明されただけでキリスト教文化が支配的であった中世がいきなり終わってしまって、ビジネスと発明と現実世界での成功…神の世界へ行くためのお祈りの日々ではなく「労働に勤しむ」というプロテスタントの世界がやってきた、と。それほど技術の進歩というのは人間の社会や我々の価値観そのものを変革してしまう力があるのである。しかし、ソフトバンク・孫氏の発想にはそこが全然入っていないのだ。

なぜか。

「孫正義氏がSFを全然読んでないから」である…と岡田斗司夫氏は結論づけている。

岡田氏は続けて、「SF読んでない人と話したら、目線がせいぜい一年半しか先を見ていない」と語る。20代でSFを読んでいるか否かというのは大きな差になることがわかる…ということだ。


技術自体の進歩の大事だが、それだけでなく、その技術に依って世界は人間はどのように変わってゆくのか、どのように幸福になったり不幸になったりするのか、そこまでのビジョンが描けないし、そもそもそういった自由な発想ができないから、だから現代の日本から革新的な企業は生まれないのである。



参考記事:
「ドラスティックな技術革新の裏にはSFがあった」





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(*1)
反日姿勢も顕な孫氏ならば、ケータイが(日本人の)脳に埋め込まれれば「洗脳しやすくなる」という目論見はあるのかもしれないが…。









ドラスティックな技術革新の裏にはSFがあった

2021-10-07 22:32:00 | 科学・技術
ソニーグループがSF作家とコラボレーションして新製品の開発に繋げたり、そのプロジェクトから新たなSF作品が作られたり…という動きがあるそうだ。「SFプロトタイピング」と呼ばれる手法で2010年代にアメリカ・ウェストコーストのIT企業を中心に広がったものである。スペースXのイーロン・マスク氏ら著名な起業家がSFから影響を受けている事が知られている。

このように記すと、あたかも2000年代に入ってからSFにアイデアの源を求め始めたのか、と受け取られがちだが、実は科学技術のドラスティックな発展の裏でSFが寄与しているケースは古くからあるのだ。

例えば、今では当たり前に利用されている衛星通信だ。それを発案し提言したのは正にSF作家である。「2001年宇宙の旅」の原作者でもあるアーサー・C・クラークだ。戦後すぐの1945年に論文でこの提案をしている。当時の一般人は「そんな事が出来る訳ないだろう」と一笑に付したのだが、クラークの提案は極めて科学的な根拠に基づくもので、赤道上空に打ち上げれば地球の自転速度と同期可能なので地上からは静止しているように見える…つまり静止衛星の実現であり、これが最低3つあれば世界中をカバーできることも示された。

また、クラークは1974年のインタビューで2001年の世界がどのような状況になっているかを問われてインターネット社会を見事に予見している。1974年当時はインターネットという言葉すら存在せず、パソコンも無かった時代である。そもそもコンピューターと言えば広い専用室を必要とした大型コンピューターしかない時代である。クラークは「21世紀を迎えるころ、彼らの後ろで低い雑音を出している巨大なマシンよりはるかに小さなコンピューターが家庭に入り込み、”日々の生活に必要なありとあらゆる情報、銀行の預金状況や劇場の予約など、複雑な現代社会で毎日を生きていくために必要な情報のすべて”を提供してくれるだろう」と述べているのだ。これは単なる「豊かな想像力」ではなく、当時の科学技術の状況とその後どのような発展を遂げるかを人間社会のあり方を想定しながらシミュレーションした結果なのだが、当時の市井の人々には想像もつかない未来であった。

また、クラークは近年話題になっている「宇宙エレベーター」の原型を考案したことでも知られている。1979年に発表された「楽園の泉」という作品で、赤道上の静止衛星から超繊維製のケーブルで地上と人工衛星を結ぶことで地球と宇宙空間を結ぶエレベーターを建造する、という画期的なアイデアを提示している。これもまた、現在実現に向けてプロジェクトが動いているのである。ここで示された超繊維製のケーブルは実際にカーボンナノチューブとして開発が進められており、つい最近は日本の大林組がケーブルの材料の検証を進めているそうだ。2050年のエレベーター運用開始が目標とのことで楽しみなことである。



SFというのは、必ずしも科学技術の未来予想図的なものではないし荒唐無稽な夢物語でもない。実はかなり広い概念を包含するジャンルである。「スターウォーズ」のようないわゆるスペースオペラ的なものから「2001年宇宙の旅」のような思索的・哲学的、或いは宗教的な要素も包括する。要するに進取的で既成概念にとらわれずに人間の精神や人間を取り巻く社会や科学のあり方も含めて思惟するもの…と言った方が良いかもしれない。その意味では一般的に言われる「サイエンス・フィクション」という言葉は合っているようで微妙に違うとも言える。「SF」の「S」は「サイエンス」だけでなく「スペキュレイティブ」とも言われる。「スペキュレイティブ・フィクション」は様々な点で現実世界と異なった世界を推測・追求して作られた小説などの作品を指す言葉である。

筆者は「SF」をジャンル名と言うよりは既成の価値観にとらわれずに創作する姿勢や態度を表す言葉であると考えており、その意味では「ジャズ」と同様に捉えられる。「ジャズ」もまた特定のスタイルを示すものではなく、既成概念にとらわれずに自由に音楽を想像する姿勢や態度の事だと考えているからだ。



余談だが、SFをサイエンスフィクションとして狭義でとらえた言葉に「Sci-Fi(サイファイ)」と短縮した形がある。アメリカでも一時期流行りかけた言葉だが、SF作家たちやファンからの反発を買ったようで、特にSF作家のハーラン・エリスンは激怒してこれを嫌っていた。定義内容が極めて狭義のものとなってしまうからだと思われる。なお、ハーラン・エリスンの代表作の一つである「世界の中心で愛を叫んだけもの」(1968年のSF短編小説)は日本映画の「セカチュー」こと「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年の東宝映画)(*1) にタイトルをパクられた事でも知られている。





閑話休題。


冒頭のソニーグループのプロジェクトではソニー側スタッフとSF作家側でなかなか話が噛み合わない場面が多かったそうだが、確かにかなりパラダイムの異なる次元で仕事している者同士の協業は困難があるものと推察される。だが、豊かな想像力と既成概念や固定観念にとらわれない姿勢で我々が喫驚するような製品やサービスを生み出してほしい、と願うものである。これはまた、アップル創業者である故・スティーブ・ジョブズが目指していた未来のイメージとも合致するものではないだろうか。



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(*1)
原作は小説家である片山恭一氏の青春恋愛小説である。小学館より2001年4月に刊行されている。片山氏が考えていたタイトルは別にあったが、編集者の助言でこうなった、とのことである。