Altered Notes

Something New.

ほんとは日本を貶めたかった日経新聞

2023-03-30 17:32:00 | 社会・政治
2月20日の日本経済新聞に次のような記事が出た。

『先進国で働く人増えず、なぜ?』

『労働参加率とは 先進国は5〜6割、コロナ禍の影響脱せず』

『戻らぬ働き手1000万人 先進国のコロナ前比、求人とずれ』

この事案について数量政策学者の高橋洋一氏の解説を基調に記してゆきたい。

日経新聞としては、OECD(経済協力開発機構)からこの労働参加率の数字が発表された時に「やはり労働参加率が戻らなくて経済成長しないのではないか」と言いたかったのであろう。
「先進国」というくくりで捉えた時に、「恐らく日本もそうだろう」という思い込みと決めつけがあったのではないだろうか。記者が記事を書き始めたはいいが、数字を見ると日本は労働参加率がきちんと戻っているのだ。

そうなると日経が意図した「戻らない」という主張とミスマッチを起こしてしまう。経済成長に影響するという話にしたかったのに、なんとなく日本を褒めなければいけなくなってしまったのだ。しかし日経は日本を褒めたくないので、日本については訳の分からない文章を書いた…それで意味不明で腰砕けになってしまった記事のようである。


高橋洋一氏は日本の労働参加率がコロナ下でも悪くならないことや、大した落ち込みにはならない事をしっかり予想していたのである。高橋氏は安倍政権と菅政権に於ける経済政策の有力ブレーンであった。

「予想していた」のにはもちろん根拠がある。

他のOECD諸国のコロナ下での労働参加率の落ち込みが大きい事と日本がそれほど落ち込まなかったのは「とった政策の差」である。

どんな「差」なのか?

日本が欧米とは異なる政策をとったのだが、他の先進国で取った政策は次の通りである。

普通はコロナ禍で産業が上手く回らなくなると解雇が行われる…これが失業である。失業させると失業者が大変なことになるので失業保険による失業給付を与える・・・このような政策を取るのがイギリスやアメリカなど他の先進国のやり方である。 

では日本はどうだったのか?

もちろん日本でも欧米と同様のやり方を取る事も可能であったが、安倍政権・菅政権でブレーンだった高橋氏は安倍氏、菅氏に進言したのは

「労働者を失業はさせない。そして解雇させなかった企業には給付金をあげる」

という形式である。

失業者に対してお金を払う(欧米型)か、失業させない企業にお金を払う(日本型)かの違いであり、どちらもお金が出ていくことでは似たような政策であるが、実は日本型にした高橋氏の選択が正しかったのは以下の理由に依る。(*1)

日本的な雇用状況を考慮した時に、一度失業させてしまうと失業者が元の職に戻るのは大変なことである。それを知っていたので、それならば「失業をさせない企業にお金を払ったほうが良い」、と考えてそこを手厚くしたのである。(*2)

企業に払うお金というのは「雇用調整助成金」である。

これのおかげで日本の成績はコロナ下でも良かったのである。これが高橋氏が言う「予想していた」内容なのである。

高橋氏が上述のような内容を安倍政権と菅政権に進言した結果として、日本の労働参加率の数字がほとんど落ち込まず、しかもすぐに回復しているのだ。


OECDが発表した数字及び労働参加率グラフを見た時に高橋氏は日本の数字が良い事にすぐ気付いたのだが、これは日経新聞にとっては困った自体なのである。(笑)
日経は日本を批判して貶めたかったからだ。
OECDの数字を見て批判を展開してしまうと安倍政権と菅政権の経済政策が”まともだった”事も書かなくてはならなくなるので困惑したのだ。報道機関としては素直に「良かった」と書けばいい筈だが、日本のマスコミの実態は報道機関ではなく左翼の情報工作機関なので安倍政権・菅政権は否定しなければいけないと思い込んでいるのである。

それで仕方なく日経は記事中で「日本は駄目でどうのこうの…」と御託を並べているのだ。
他の先進国については似たりよったりであるが、日本の好成績についてはそれを素直に認めず他の意味不明な理由を引っ張り出してすっきりしない記事と化している。なにしろ日経は「日本は駄目」という結論にしないと気が済まないからである。(蔑笑)

だが、グラフを参照すれば一目瞭然だが、日本は労働参加率の落ち込みが少なくてその後の回復が良いのだ。

ここで日経は日本を貶したい「お気持ち」が高じるあまり、グラフにある加工をした。

どんな加工か?

他の諸国のデータは”実線”で示されているが、日本のデータだけ”点線”で示したのである。(爆笑)

よほど日本の好成績を認知されたくなかったのであろう、実線ではなく点線にすることで少しでも見えにくく分かりにくくしたのだ。


「日本は駄目だ」と言いたかった日経だが、日本のデータが良かったのでマジで困ってしまったのであろう。すなわち日経は間違っても「日本の政策が良かった」とは言いたくないのである。
それであんな記事になってしまったのだ。「日経ヨクヨム馬鹿になる」を地で行く酷さだ。


今回のOECDが出した数字については「日本の好成績」を趣旨とする見出しになるのが一番妥当であろうが、そうは書きたくない日経である。とにかく日本を貶めたい「お気持ち」が優先して訳の分からない記事になった、ということだ。

実際、海外では「日本はコロナ後の対応が良かった」と言ってくれるところが多いのだが、日本のマスコミは口が裂けてもそれは言わないのである。(蔑笑)
繰り返すが、日本のマスコミは左翼の情報工作機関なので、安倍政権・菅政権がどんなに良い政策をとっても「アベガー!」「スガガー!」で貶さないと気がすまないのだ。本当に酷いものである。

だが、データをきちんと見れば日本が良い成績であったことは明らかなのだ。これは厳然たる事実である。

如何であろうか。そこに見えている事実ですら捻じ曲げて偏向報道をする。これが日本のマスコミなのである。






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(*1)
政策を検討している時に高橋氏は「どちらかと言えば雇用を壊す方が大変ですよ」と当時の総理大臣であった安倍氏や菅氏に進言したのである。それはその後の労働参加率の復活等を全て考慮した結果の話だったのである。

(*2)
このような場合、アメリカやイギリスでは「失業させてお金を払う仕組み」がほとんどであり、「失業させずに企業にお金を払う仕組み」は無いのである。日本にはその制度があったからそれを使ったのだが、その差は明らかと言えよう。








「芸人もテレビも屑」であることを再認識 ペンギン池事件

2023-03-29 16:51:16 | 放送
2023年3月24日の日本テレビ「スッキリ」に於いて、「那須どうぶつ王国」からの生中継があり、そこでオードリー・春日俊彰氏が園内のペンギンがいる池に故意に落下した、という事件が起きた。

春日氏は池の中でペンギンにエサやりをしていたのだが、そこで司会の加藤浩次氏が「池に落ちるなよ、気をつけろ! 足元に気をつけろ!」などと繰り返し呼びかけた。この呼びかけは芸人の世界では”フリ”である。つまり「落ちろ」と言っているのである。

そして、呼びかけの後で春日氏はペンギンが居る池の中に合計3回落下したのである。突然のことでペンギン達は当然驚いていたのであった。

加藤氏のフリは番組を盛り上げる意図だったであろうが、当然ながらそれは芸人の後輩である春日氏を「池に落ちる」状況に追い込んだのである。芸能界、とりわけ芸人の世界では「先輩の命令は絶対」だからだ。

こうして想定外の「ペンギン池に落下」事件が起きたことで放送終了後に那須どうぶつ王国はツイッターで「日テレに抗議した」と報告し、「スッキリ」は番組サイトで「動物への安全配慮が不足しておりました」などと詫びる姿勢は見せた。



だがそもそもの話として、春日氏がやらかした行為は最近度々話題になる「迷惑系ユーチューバー」と何が違うのだろうか?

春日氏はこの「スッキリ」に出演するときにはロケ先で必ず大暴れして顰蹙を買い、問題を起こしては世間の批判を浴びている。今回が初めてではないのだ。

番組でやっていることとその次元は「迷惑系ユーチューバー」と全く同じなのである。だが、ユーチューバーは厳しく批判されて処分も受けるが、テレビ局とその番組は謝罪して終わり、である。同じ低次元な行為を仕出かして公共施設や一般人、動物に迷惑をかけても「”すみません”と言っときゃいいんだろ?」というテレビ局の驕り高ぶりがそこに明白に見えるのだ。(*1)

さらに言うなら、テレビ番組の無神経・無責任なパフォーマンスが迷惑系ユーチューバーを生み出す土壌になっているのは間違いないであろう。明らかにテレビがそうした空気を作っており、さらに煽っているのである。

そもそもテレビは権威と化しており権力の一つなのである。権力であるが故に「己の行動の全てが許される」と思い込んで恥じない連中なのだ。なので、テレビ番組製作に関わると人は変貌してしまい、一種の選民意識・特権意識を持つようになる。「俺たちは偉い」、だから「一般人に迷惑かけようが知ったことではない」という超が付くほどの上から目線で全てを考え発想するようになる。これは客観的に見れば「視聴者から”嫌われる努力”」をしているのであり、だからテレビは右肩下がりの衰退傾向にあるのだ。

公共の場でロケをするテレビクルーが一般人にどれだけ迷惑になろうが横暴な態度で「こっちに入るな!」などと怒鳴ったりするのも前述の選民意識・特権意識が根底にあるからである。

当ブログでも従前から度々書き連ねてきたように、テレビ局というのは思い上がった醜い人間の集積場であり、鼻持ちならない存在なのである。





もう一つは芸人の思い上がりである。

これもまた当ブログで何度も書いてきているが、芸人達の勘違いは看過できないほど酷いレベルになっている。常識も文化も伝統も知らない若年層からリスペクトされてすっかり舞い上がってしまった芸人たちであるが、そのおかげで彼らはリセットできないほどの過大な選民意識を持つようになった。これもまたテレビ屋との関係に於いて滲み出たものであろうが、「自分たちなら何をやっても許される」という思い込みが醸成されて今ではすっかり定着してしまった感がある。

上岡龍太郎氏はかつて「芸人は屑」と断言した。「屑な人間の中で、腕の立つ奴はヤクザになり、口が立つ奴が芸人になった」と。勿論これは上岡氏一流の韜晦が含まれるコメントであるが、言っている内容のエッセンスはその通りと言えよう。

そういうことで言うならば、番組司会の加藤浩次氏は元々非常識な言動・行動で笑いを取るタイプの人間であり、そもそも常識的でまともな世界に収まる人間ではない。本来なら動物園という動物達に対する繊細な配慮が必要なシーンで「芸人の掟」を発動して後輩に強要することで混乱を引き起こしてしまった責任は重大と言えよう。しかも、後日の謝罪コメントに於いても心からの謝罪には見えず、どこか責任回避のように見えた事で批判が相次いだのも、この人物の出自と性格を考えれば当然であろう。


また、実際にペンギンが居る池に落下した当事者でありながら未だに謝罪も無くコメントも出さない春日俊彰氏も罪は重い。ある意味で最も罪深い。たとえ芸人の先輩たる加藤氏が「落ちろ」というフリをかざそうが、そこは動物保護の観点から絶対に拒否しなければならない筈だ。彼が優秀な芸人なら「池に落ちる事を拒否する」こと自体を笑いにできたかもしれないが、それは春日氏の能力を超える要求だろう。普通に考えて、この場合は池に落ちる事を拒否するのは芸人である以前に社会人として、そして人間としての義務と言えよう。

だが、その義務遂行は春日氏には無理なのである。

なぜか。

無能だから。

どういうことか。

春日俊彰氏は芸人でありながらアドリブがきかない人物でもある。彼が言う事やることは全て台本通りなのである。誰かが決めてくれた通りにしか彼は動けないのだ。アドリブがきかないということは、つまり自分の頭で考えることが出来ない、という事である。自分が置かれた状況から思考し判断して最善の道を(瞬間的に)見出す…それが出来ないのが春日氏なのだ。

実際に筆者が春日氏を見ていて笑ったことなど一回も無いし、むしろ退屈でイライラする…そういう存在なのである。

中味がなくアドリブがきかない芸人にありがちな特徴の一つとして「大声で怒鳴る・叫ぶ」というのがあるが、まさに春日氏はこのパターンだ。オードリーが司会をする坂道グループの番組でも春日氏の取り柄と言えば大声で怒鳴る事ぐらいである。つまらない上に騒々しくて迷惑でしかない。

まさに無能。

春日氏が無能であるが故に暴れてものを破壊し周囲に迷惑をかけることが面白いと思っている阿呆ボンである事を証明する事実は多いが、2016年のIKEAの椅子破壊事件もその一つだ。「ヒルナンデス!」において家具量販店・IKEAの椅子「ポエングアームチェア」を紹介する場面で、オードリーの二人は常識的にあり得ないレベルで椅子に乱暴を加えて破壊してしまった事がある。椅子を製作した職人の悲しみはいかばかりだろうか…。そんなことも想像出きず、これを面白い出来事として捉えている春日氏は若林氏と共に、まさに彼らが「人間の屑」であることを雄弁に示したのであった。

春日氏・・・無能である上に「下品」でもある。出演番組で椅子に座る場面があるが、その時に正面からのカメラワークだと良く判るが、両足を開いて股をパカーっと開いて座るのである。男性にありがちな座り方とはいえ、多くの人が視聴しているテレビ番組での姿勢である。まるで蝶番が故障したかのように股を大きく開いたまま座るその姿は 下品そのもの である。醜い。




今回の事件に関して同じ芸人のカンニング竹山氏がAbema Prime出演時にコメントしているが、その趣旨はテレビ屋と加藤氏、春日氏の横暴を容認するものであった。「落ちてはいけない場所に落ちるから笑いになる」という主張である。

さらに竹山氏は「ロケに行って水があって、そこに例え動物がいようと落ちるていうのは、日本のお笑いの古典芸能みたいなものだったから。こういうふうになるのは時代だなって思う」とも発言したが、実はそんなもの面白くもなんともないのだ。それは「予定調和」にほかならず、そんなものはつまらないのだが、古典芸能と言う竹山氏のセンスは江戸時代から進歩していないのであろうか?(蔑笑)

竹山氏の主張は「芸人が面白いことをやっても世間が笑ってくれない(認めてくれない)」という嘆きである。ここには竹山氏の致命的な勘違いがある。

そもそも笑いが起きるには、笑いを送り出す側と受け取る側に共通の価値観があることが前提となる。その価値観が一般社会人と芸人との間で大きく乖離してしまっている、という事実に芸人達は気が付いていないのだ。彼らが選民意識と特権意識の中で胡座をかいている内に世の中が変わってしまった事に気が付かないのは哀れとしか言いようがない。(*2)

だから芸人たちは「屑」であり「どこに出しても恥ずかしい連中」なのだ。


もちろん芸人には真にリスペクトに値する立派な人物も居るが、ほとんどの芸人は屑だと認識している。そしてそんな屑を好んで使いたがるテレビ屋もまた屑なのである。今やあらゆるテレビ番組に芸人が出演している昨今でウンザリしているのだが、だが、この現状だからテレビは年月を負う毎に衰退しているのであって、世間から嫌われ見放され顧みられないメディアになりつつあるのだ。芸人もテレビ屋もどちらも本当に心の底から辟易している。






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(*1)
先般の迷惑系ユーチューバーに依るスシロー事件を番組で取り上げていた時には、犯人を厳しく糾弾したその番組が、自ら同じ迷惑行為を仕出かしており、これが同じであることに気が付かないのがテレビ屋の非常識と無神経、そして無能を示す証拠である。

(*2)
参考記事:
『共有されるべき価値観の崩壊が進む現代社会』




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<2023年4月6日:追記>
★「那須どうぶつ王国」に謝罪した春日俊彰氏について
4月5日の報道によると、ペンギン池に故意に落下した春日俊彰氏が3月26日に那須どうぶつ王国を訪れて謝罪していたとのことである。春日氏直筆による謝罪の手紙には真摯な反省の意が長文でしたためられていたそうである。27日放送の「スッキリ」において、あまり誠意が感じられない謝罪をしていたMCの加藤浩次氏に比較すれば、はるかに評価できる行動だったのは確かであろう。
だが、しかし・・・
それでも筆者は記事本文に記した内容については考えが変わっていない。つまり、「真摯な謝罪」ができるのなら、「はじめからペンギン池に落ちるな」ということである。それだけ自分の過ちをきちんと反省し誠意ある謝罪をするくらいなら、はじめから迷惑パフォーマンスをするべきではない。それがプロフェッショナルとしての矜持である筈だ。記事にも書いたが、加藤浩次氏がいくらフリで煽ったとしても、それを拒否するべきであった。いくら「先輩の命令には背けない」掟があろうと、長文の反省文を書けるほどの真摯な姿勢を持っているのなら、今後の芸人人生を賭けてでも拒否するべきだったのである。
さらに言えば、芸人だというのなら「拒否する意思」を一つのお笑い(芸)に仕立てて見せれば良かったのである。春日氏はプロの芸人である。そこまでやれないなら、それはただの「迷惑ユーチューバー」と同じであり、芸人がいつも見下している「素人」と同じレベルである事を自覚するべきであろう。







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LGBT問題への素朴な疑問

2023-03-29 14:00:00 | 社会・政治
LGBTへの差別をなくすという美名のもとに社会において種々の改革・変更が為されているが、その一方でとんでもない問題や騒動が発生している。スポーツに於ける男女の区別をなくす事で身体が男性な人物が「心は女性」として女性枠で出場して優勝をかっさらっていく事象は多くの人の頭に疑問符が浮かんだことだろうし、他にも本来女性専用の施設に「心は女性(肉体は男性)」な人が入ってくることでレイプ事件なども実際に発生している。「自分は心が女性です」と申告すればいいだけだから、本来は女性専用の領域の何処にでも侵入することが可能になる。悪意がある奴はやり放題だ。女性の側だって、心がどうあっても外見がむくつけき男性、な人物が女性専用の領域に入ってくれば気味が悪いし、人によっては強い嫌悪感に見舞われるであろうし、怖くなって二度とその施設に行けなくなる女性だって居るだろう。

こんな状況、なんかおかしい…誰だってそう思うだろう。

ここで起きているのは「差別と区別の見分けがつかなくなっている」混乱である。

本来はLGBTの人々への「差別をなくす」事が目的の運動だった筈だが、実際に起きているのは「(本来は必要な)区別までも否定されてしまった」ことで起きている混乱なのである。差別を無くすことは重要であるが、自ずと必須な区別までなくしてしまったから、だから不要な混乱・トラブルが起きているのだ。

例えば公衆浴場の女湯に「心は女性だが身体は男性」な人物が入ってくれば、元々女性な人々はショックを受け異様な空気になるであろう。マッサージやエステの施設などでも同様だ。前述の通り、そうした現場でレイプ事件なども起きているのである。

これは問題の根本的な捉え方が間違っているからに他ならない。差別と区別の違いはきちんと理解して自覚されなければならないものだ。差別はいけないが、区別は必要なのである。様々な混乱を受けて、アメリカのある州では「生まれた時の肉体的な性別」を優先して扱う、という法律が施行されたそうだが、これは普遍妥当性のある判断と言えよう。

LGBTへの差別意識を持つ人達が存在するのは確かだ。その意味で差別をなくす動きがあっても、それはおかしくはない。だが、その延長上で区別までなくしてしまうのはどう見てもおかしいのである。区別の撤廃は無用なトラブルを生むだけであり、あってはならないことだ。

おかしいのはLGBT差別禁止を訴える人々から「区別をなくす」ことのおかしさについてきちんとしたオピニオンが聞こえてこないことだ。また、事態は差別の禁止にとどまらず、むしろ「LGBTを優先して扱え」と強制されているようにも感じられる。社会に於いて「LGBTが主役であり、一般人は脇役」という上下関係で人々を規定しているようにも捉えられる。これはおかしいだろう。

ポイントは「LGBTな人々が謂れなき差別を受けない事が重要」なのであるが、現実はそれ以上にLGBTが出て来過ぎているような印象があるのだ。LGBTの為なら一般人は「控えおろう!」…という圧を感じるのだが、実はそこに多くの人が違和感を持っているのである。


LGBT差別禁止の運動を進めているのは概ね左派系の人々である。左翼な勢力は日本に分断をもたらし社会に混乱を招く事で少しずつ日本を壊していく目的をもって活動している。世界的に発生しているLGBT運動を利用して日本社会を左派系が好む方向に持っていこうとしている・・・現在起きている様々な混乱や分断を見ていると、背景にそうした動きがあるように思えて仕方ないのである。







向谷実版AKB48ナンバー

2023-03-25 00:48:00 | 音楽
日本が誇るジャズ・フュージョン界の大御所の一人である向谷実氏だが、鉄道マニアとしても有名である。趣味が高じてコンピュータソフトや鉄道会社が使用する発車メロディー、業務用シミュレーター、安全設備等の製作なども行う会社を立ち上げ活躍している。

一時期は鉄道の世界に傾倒しすぎて彼が一流のミュージシャンであることを知らない若年層が出てきたせいか、近年になって音楽活動も盛んに行うようになっている。数年前にはドン・グルーシン(kbd)、ハーヴェイ・メイソン(ds)などアメリカの超一流ミュージシャンを呼んで「EAST meets WEST」というコンサートを東京国際フォーラム他のホールで開催している。前述のハーヴェイ・メイソン(ドラム)は1970年代のフュージョン勃興期から活躍するアメリカ西海岸の有名なドラマーであり、当時は「東のガッド、西のメイソン」などと言われて、スティーブ・ガッドと並び称される凄腕のドラマーである。ちなみに、コンサート会場を押さえる為に向谷氏が東京国際フォーラムに電話した時に、相手方が「演奏者は向谷氏の他に誰ですか?」と聞いてきたので、「ドン・グルーシン、ハーヴェイ・メイソン・・・」とメンバーの名前を言ったらビビっていたそうだ。そりゃそうだろう、アメリカでも一流のスタジオミュージシャンばかりで構成されたメンバー故、知ってる人なら「ヒエー!」と声が出るほどのビッグな面子だったのである。

また、近年は元カシオペアのメンバー3人(向谷氏、櫻井哲夫氏(b)、神保彰氏(ds))で かつしかトリオ というバンドを結成して活躍している。

その向谷実氏が過去にAKB48の為に一曲作って提供したことがある。『もうこんなじかん』という曲で、作曲が向谷氏だけあってカシオペア臭がぷんぷん(笑)の実に爽快な曲である。演奏も腕の良いスタジオミュージシャンが参加しており、ホーンやストリングスも入ってリッチなサウンドに仕上がった気持ちの良い音楽になっている。歌唱は当時のAKB48のメンバーであった佐藤亜美菜さん、倉持明日香さん、中村麻里子さんの3人である。

この記事で紹介したいのは、そのAKB48が歌うヴァージョンではなくて、作曲者である向谷実氏自身がピアノで奏でるヴァージョンである。下記のリンク先の映像をお楽しみ頂きたい。

『もうこんなじかん(インストヴァージョン)』

『向谷実「もうこんなじかん」をミノル本人が練習で弾いてみた』

下段リンク先の映像はレコーディングスタジオで練習がてら撮影された映像であり、2テイク+αの演奏が撮影されている。

曲自体は非常に機能的なコード進行をベースに爽快感を感じさせるリズム、テンポ、メロディーで構成されており、ホーンセクションの都会的なアレンジが効いて素晴らしい一曲になっている。カシオペアの曲がそうであったように、この曲もまた生理的な爽快感(無意識的快感)が得られるような構成になっている。だが、いわゆる”売れ線”という言葉で括られる音楽とも異なり、向谷氏なりのモダンな音楽性が込められたものであり、聴き応えのある一曲となっている。









自己矛盾にも気づかない地上波TV局

2023-03-24 17:27:00 | 放送
立憲民主党の小西洋之議員に拠る高市早苗経済安全保障担当大臣への攻撃問題だが、立憲民主党はモリカケサクラ問題と同様に火のないところに煙を立てて騒いでいるようだ。問題の無い事をさも問題であるかのように騒いで攻撃し、相手を貶めて失墜させる、という陰湿で卑しい手法である。立憲民主党はいつもこれでありワンパターンと言えよう。(*1)

馬鹿馬鹿しいので詳細には触れないが、「放送法がどうのこうの」と喚いているのは笑止千万だ。…と言うのは、普段、日常的に放送法違反をしているのは地上波テレビ局だからだ。

当ブログでも先般下記の記事を挙げている。

『玉川発言問題は未だ解決していない』

テレビ朝日の社員である玉川徹氏の発言が問題化した時にマスコミは「電通関係」の部分だけを問題としたのだが、これはマスコミの誤魔化しであり、本当の問題部分を覆い隠す為にそうしていたのだ。本当に問題だったのは「TV局が日常的に政治プロパガンダを流している」ことなのである。玉川氏は番組制作者として自ら「番組に政治的な意図を含めることを当たり前のこと」として認めていたのだ。これはまさに放送法違反なのだが、テレビ朝日はもちろん、他のどのメディアもこの部分には触れなかった。触れたら必ず大問題になるからであり、結果的に自分たち(左派勢力)にダメージがあるからである。そう考えるのは日本のメディアが報道機関ではなく左翼の情報工作機関だからだ。

テレビ朝日だけではない。NHKも頻繁に左派的なプロパガンダを入れて番組を制作している。軍艦島のドキュメンタリーでは韓国側のデタラメな主張に基づくインチキ番組を作って韓国の日本批判に与していた。また、指揮者の小澤征爾氏が中国を訪問するドキュメンタリーでは、さりげなく「日本が戦時中(一方的に)中国に悪いことをした」という前提で番組を作っており、それを小澤征爾氏の発言とすることであたかも正当性があるかのように番組が作られた。小澤氏の思い込みは完全に間違った情報に基づく虚偽が多いものだが、NHKはそこを利用して左派系プロパガンダ・メッセージを番組に染み込ませたのである。その他の番組でも左派系プロパガンダをサブリミナル的に埋め込んで番組を作るのは日常的なことだ。

TBSも悪名高い「サンデーモーニング」では左翼(極左勢力)に都合の良い意見だけが放送される作りになっており、完全に左翼系活動家の拠点のような様相を呈している。この番組などはどう見ても放送法が謳う「政治的中立性」など何処にも無い事が誰にでも判る酷い番組である。他の番組でもNHK同様、隙きがあれば左派系のプロパガンダを入れてくる事は日常的に成されている。流石は左翼の情報工作機関である。その他の局も同様だ。

かように普段から放送法に違反する番組作りが日常的になっている地上波テレビ局であるが、そのテレビ局が「小西文書」報道に於いて高市大臣を非難しているのはあまりにも滑稽であると言えよう。メディアには自己矛盾にも気づかない阿呆ボンしかいないのだろうか。(蔑笑)




参考記事:
『日本のマスコミが左傾化した本当の理由』




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(*1)
立憲民主党に依る極めて不当な高市早苗大臣への個人攻撃について、数量政策学者の高橋洋一氏は2023年3月28日に次のようなツイートをした。
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今国会での立民の論法。
①不正確な行政文書を取り上げる
②それを根拠として法解釈変更はなかったのにあった、大臣辞任という
③行政文書の不正確を指摘されても法解釈を変更する前に戻したという
④完全勝利という
大臣の問責決議案も出せなかったくせに
まったくの時間の無駄

高橋洋一氏のツイート 午後4:28 · 2023年3月28日

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