Altered Notes

Something New.

想像力の欠如

2012-05-09 19:47:10 | 社会・政治
痛ましい交通事故や山の事故などが頻発している昨今である。

大きな事故が発生すると行政や立法は新しい規制を作って事故の減少・撲滅を実現させようとする。それ自体は否定されるべきことではない。しかし問題の本質はそこではないのだ。

最大の核心部分は市井の人々の「想像力」の問題である。

「これをこうしたらどうなるか」
「これをこのまま進めたらどうなるか」
「こうしたら他人にどのような影響があるか」

これらをシミュレーション(=想像)する力が現代人は劣化しているようである。

現代人は特に「危険」に対する想像力が欠如しているようだ。あまりに脳天気に危険に向かって進んでしまうように見える。

それはなぜなのか。

人間の質が劣化してきているからである。

なぜ劣化しているのか。

親がきちんとした躾(しつけ)をしない事と学校教育の不備に根本的な問題が存在する。


行政や立法がいくら法律や条例で規制を厳しくしたとしても、結局人間がそれを守らなければ意味が無い。そして守らない人間・質の劣化した人間が非常に増加しているからこそ、それに比例して事故も増え続けているのである。

あらゆる事故の防止策として最も大切な物は人間作りである。「危険」をきちんと認識してその危険がどんな結果をもたらすのかをシミュレーションできる人間を育てること。それが最大の事故防止策となるのだ。


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<2020年4月21日:追記>
現在、中国で発生した武漢コロナウィルスのパンデミックで世界中が混乱している。日本国内でも政府が緊急事態宣言を発令し、外出の自粛が求められている。いわば戦時下のような状況なのだが、こうした状況の中でも普通に観光地に遊びに出かける人々が居る。ウィルスの感染を防ぐには各人が動かずに居る事がことのほか重要である。それが徹底されればウィルス感染拡大もやがて終息を迎えるのだが…、状況を理解していない人々、意識の低い人々は街中や地方の観光地・リゾート地などに出掛けてしまう。そうして動き回ることで感染が拡散されていくのにも関わらず、である。これもまた「想像力の欠如」「シミュレーション能力の欠如」が災いしているのだ。想像力を普通に備えた人間をきちんと育てること…今こそそれが求められている。




人間と原子力発電

2012-05-02 19:49:10 | 社会・政治
停止中の原子力発電所を再稼働させるか否かで世間の議論は沸騰している。

その危険性の大きさ深さを憂慮する人々からは原発廃止の訴えが聞こえてくるし、原発によって懐が潤う連中(経済界、官僚、政治家)は再稼働へ向けての策略を練っている。


「人間にとって原子力発電は是か非か」を決める基準は何か。
それは実は簡単なことで・・・

「人間が御しがたいものを使ってはいけない」

そういうことなのである。


人間は原子力の恩恵の部分だけに目を向けて負の部分を見ないようにしてここまできた。

原発のパワーはそこだけ見ればありがたいものだろう。
しかしイザという時に人間がコントロールできない怪物でもある。

チェルノブイリや福島の惨劇を見れば一目瞭然。
事故によって経済界・官僚・政治家は誰も傷つかないが、住民が、国民が、国土が被曝・汚染という形で大きく深く傷つくのである。
しかも永年にわたってその痛み苦しみは続く。

人間が御しがたいものを目先の利益だけ考えて使うべきではない。
それは悪魔に魂を売り渡すようなものだ。
そんな連中を心から軽蔑する。