Altered Notes

Something New.

間違った言葉を普及させる恥知らずなマスコミ

2013-03-03 16:18:46 | 放送
CMで使われたこともあってか、最近はタイ語の挨拶をあちこちで見かける(聞く)ことが多くなった。ところがCMやテレビで使われるその言葉は間違っていることがほとんどである。

「コップンカー」

これをタイ語の「ありがとう」としてテレビ屋は垂れ流す。しかしこれは完全に間違いである。

タイ語を正しく仮名文字に表すのは困難だが、敢えて書くならば

「コプ・クン・カー」

が正解である。

「コプ」は正しくは「コープ」である。原語の文字表記では長音指示が入っているからである。

「クン」は「貴方」という意味である。


最後の「カー」は丁寧に言う時に付加する単語で”女性型”(女性が言う場合に使う)である。男性が言う場合には「カー」ではなく「カップ(またはクラップ)」を付ける。


従って「ありがとう」を「男性」が「タイ語」で言うのなら

「コプ・クン・カップ」

が正解である。

さらに厳密に言えば、男性型の「カップ」の「プ」はほとんど発音しない…というか、「プ」ではなく子音の[P]に近い。
「カッ」とか「クラッ」
と書いても間違いではない。だからカナ文字に置き換えるのは難しいのである。

これでご理解いただけたと思うが、テレビ番組で男性芸人等がしたり顔でタイ人に向かって
「コップンカー」
などと言っているのは二重に間違いであり、いい恥さらしなのである。

また、その間違いを訂正せず、むしろ進んで垂れ流している日本のテレビ局の言葉に対する無神経・傲慢さを改めて感じるのだし、タイ人に対しても失礼なことである。正にマスコミの厚顔無恥な体質の一片を現している。



テレビ局が間違った言葉を平然と垂れ流すのは今では普通のこととなっている。
ビデオテープレコーダー(という機械)の名称をビデオ映像の意味で使う「VTR」もしかり。
ちょっと涙が流れただけで「号泣」と呼ぶ間違いもしかり。
「フィーチャー」を「フューチャー」と言う間違いも未だに多い。

「WBC」を「ダブル・ビー・シー」と呼ぶのも間違い。「W」を「ダブル」と言うと、それは「2つの」と言う意味になり、すなわち「ダブル・ビー・シー」=「BCBC」(2つのBC)ということになる。アルファベットの「W」は「ダブリュゥ」である。「WBC」は正しく「ダブリュウ・ビー・シー」と発音すべきだ。

さらに・・・
「シミュレーション」が「シュミレーション」になったり、
「コミュニケーション」が「コミニュケーション」になったり、
「ブルース・ウィリス」を「ブルース・ウィルス」と呼んだり…
人の名前を間違えるのは非常に失礼なことである。まして人をウィルス呼ばわりするなど有り得ない無礼だ。
その他、例を上げれば枚挙に暇がない。
しかし厚顔無恥なテレビ屋は平然と間違いを垂れ流し続ける。


「是非」の使い方もおかしい。
局を問わず、番組ではしばしば

「是非~~をされてはいかがでしょうか」

といった使われた方をする。
普通は「是非」と言ったらその後は「強い勧奨」が続くのが一般的である。

「是非お誘い合わせの上、お越しください」
「是非ご賞味ください」

相手に対して強く勧めているのである。
強く勧めるが為の「是非」なのだ。
しかし、テレビ屋の「是非」は違う。
「是非」と言っておきながら、その後で「いかがでしょうか」
と相手の判断を求めてしまうのである。

「是非お越しになってはいかがでしょう」
「是非ご賞味なさってはいかがでしょうか」

といった具合に、である。
これもおかしい。
テレビ屋は次々に日本語をおかしくしている。



有名な「イナバウアー」もマスコミが間違った認識を広めている。スケートにおいて本来の「イナバウアー」は「足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技」のことを言う。しかしマスコミはこれを「背中を後方にそらしながら滑る技」として紹介している。文言でそう説明しなくても映像(スケーターが背中を反らして滑る様)で見せているので、見る者はこれ(背面反らし滑り)がイナバウアーなのだと誤解する。そして現在ではほとんどの一般大衆がそのように誤解している。こうしてマスコミによって本来の正しい意味や価値がどんどん捻じ曲げられていく。ちなみに、背面をそらす技は荒川静香さんによって付加されたものであり、専門家などは「レイバック・イナバウアー」と呼称したりするものである。



スペインはバルセロナにあるガウディの最も有名な名作建築をテレビ屋は
「サグラダ・ファミリア」
と呼ぶが、これも中途半端でいい加減であり、ある意味で間違いである。
これは元々「聖家族贖罪寺院(教会)」という名称なのだが、「サグラダ・ファミリア」で切ってしまうと、単に「聖家族」と言ったに過ぎないことになる。
これでは意味が判らない。
やはり
「サグラダ・ファミリア贖罪教会(寺院)」
と呼ぶか
「聖家族贖罪教会(寺院)」または
「サグラダ・ファミリア教会」
と呼ぶべきであろう。

繰り返すが、「サグラダ・ファミリア(聖家族)」で切ってしまうと、それはあの建築物を意味しない。単に「聖なる家族」と言っているだけであの教会を指したことにはならないのだ。こうした間違いを平然とTVで流してしまう無神経さと非常識さには驚くばかりである。テレビの影響力は非常に大きく、多くの人々があの建築物を「サグラダ・ファミリア」として記憶してしまったことはとても残念であるし、こうした状況を招いたテレビ屋に深い憤りを感じる。


「USB」も同じだ。
テレビ屋が「USB」と言う時はだいたい「USBメモリー」のことを指している。これは間違いである。そもそもUSBとはパソコンに於けるデータの転送規格の名前であり、特定の機器を表している訳ではない。
このUSBというデータ転送規格を利用したPCの周辺機器は数多く存在するのだが、しかしテレビ屋はUSBメモリーを指して「USB」と言う。馬鹿である。


「HD」と「HDD」も混乱している。これはテレビ屋だけでなく一般人も使い分けできてない場合が多い。
「HD」は High Defenition であり高品質とか高画質という意味で使われる。デジタルテレビ放送のHDはハイビジョン画質の放送の意味だし、録画規格でHDならハイビジョン画質の動画映像の記録再生ができることを意味する。
そしてもう一つの「「HDD」は ハードディスクドライブ を意味する。データの記録装置である。
一般的によくある混乱の事例は次の通りである。
「ハードディスク」と言ってるつもりで「HD」と書いてしまう。前述のとおり、HDは高品質を意味するので間違いである。
ハードディスクは「HDD」と表記して「ハードディスクドライブ」と表現すべきである。そうしないと意味の取り違いが起きるからだ。


「コンプレックス」も著しく誤解されている言葉の一つだ。一般的によくある勘違いは「劣等感」のことを「コンプレックス」と呼ぶ事例である。テレビ屋だけでなく一般社会でもよく聞かれる間違いの一つだ。あのプレゼンテーション技術に定評のある中田敦彦氏でさえ間違った認識をしているほど誤解が蔓延している単語なのだ。コンプレックスとは「複合体」という意味である。複数の映画館が入ったビルをシネマ・コンプレックスと呼ぶが、これは映画館の複合体だからである。コンプレックスが劣等感の意味だとするならこれは「映画劣等感」という意味になる。これじゃ意味不明である。劣等感を英語で言うなら「インフェリオリティーコンプレックス」であろう。それでは長いと言うなら「劣等感コンプレックス」でよろしい。間違ってもただの「コンプレックス」と呼んではいけない。


「固定観念」を「固定概念」だと思いこんでいる人もいる。これも間違い。
そもそも「観念」とは物事に対する個人的な考えやイメージを言う。「概念」とは多くの人に共通している客観的な考え、といったものだ。
「固定観念」とは個人的な思い込みに近いもので、それによって個人の行動や言動が規定されるほどの強いものである。あくまで個人的な考えであることがポイントであり、従って「概念」という一般的な考えとは相容れない言葉なのである。だから「固定観念」が正解であり、「固定概念」は間違いなのだ。


「延々と続ける」の「延々」を「永遠」と勘違いしている人も多い。前述の例ならば「永遠と続ける」という間違った文章になる。いかにもおかしいのだが、言っている本人はなぜか気が付かない。この間違いは一般社会においては若年層を中心に多く見られ、マスコミにおいても間違ったまま流されることもある。番組制作担当の若いスタッフが無知だからだろう。喫驚すべきは、東京キー局の女性アナウンサーでさえ「延々と」を「永遠と」に勘違いしている事だ。アナウンサーという言葉をしゃべるプロであるはずの人間がこの体たらくとは呆れたものである。


「立ち居振る舞い」も勘違いしている人が少なくない。彼らは「立ち振る舞い」と言ってしまうのだ。「居」の意味が判ってないが故に間違った認識・理解をしている事に気が付かないのである。「立ち居」とは 単純に「立ったり座ったりすること」という意味のほか「日常の動作」という意味もあるが、「居」にはただそこに立っているだけで感じられる雰囲気や品位というニュアンスも含まれる。「居」を抜いてはいけないのである。



言葉にいい加減で無責任なのはテレビ局だけではない。
活字媒体も同様である。特に新聞というメディアは書かれる記事内容がほとんどルーティン化しており、目を覆うほど酷いものがある。
例えば、スポーツ紙の芸能記事でよく見かけるのは「メガホン」という単語。これは記者にとっては「誰かが映画を監督した」という意味で使われる。とにかく映画やドラマの監督を紹介する時、記者は必ず誰それが「メガホンをとる」という表記をする。記者にはこのワンパターンしかない。おかげでアニメーション映画の監督のことまで「メガホンをとった」と書く始末。アニメーション制作のどこでメガホンを使うのだ? 記者が「何も考えてない馬鹿」であることがよく判る。(蔑笑)スポーツ紙記者が言葉の意味を考えず、ルーティンでしか仕事できない無能者であり、無知無学無教養にして言葉への無自覚・無責任がよくわかる間抜けな実態である。




電波媒体・印刷媒体問わず、マスコミ関係者の頭の悪さと品の無さ・心の無さ・腹黒さ・傲慢さは看過できない酷いレベルにある。

テレビについて言えば、その偏向報道の酷さとモノづくりの原点を忘れた退屈な番組、そしてそもそも言葉に対するあまりにも酷い無神経と怠慢。
多くの良識ある人々が「テレビ離れ」しているのも必然なのである。
現在、テレビを好んで視ているのは無知無学で非常識かつ頭も心も幼い連中だけなのである。

こうしたメディアという「権力」の内側に入ってしまうと、恐らく人は考えることをやめ、努力精進することをやめ、志を失ってしまうのであろう。
人間、こうなってはいけない、という反面教師がここにある。

また、メディアにとっての最重要事はテレビなら視聴率、新聞等の出版業界なら販売部数であり、伝えている事の正しさではない、というのが実態である。正しいかどうかではなく、”売れる”事が最重要事項なのだ。こうしたしょうもない下世話なところに目的地がある以上、メディアにクォリティを求めるのははじめから無理というものであろう。(蔑笑)



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<2013/8/3:追記>
人の最期に対して生前に準備する活動を「終活」と呼ぶマスコミが増えた。NHKでは何度もこの手の番組を放送している。
この「終活」という言葉にもマスコミの耐え難いほどの無神経が表れている。人間の最期という荘厳で重い現実に対して余りにも軽い姿勢・態度で扱っているのがよく判る。その意味でこれもまた間違った言葉として紹介しておきたい。
だいたい学生の「就活」をもじって「終活」と呼称するところがそもそも軽薄極まりない。人間の命に対する厳かな気持ちが全くない。人の死を非常に軽く見ており、ビジネスの素材くらいにしか考えてないマスコミの鬼畜外道な体質がよくわかる。
実際に「終活」は人の最期を商機と捉えたハイエナのような商売人の動きとリンクしている。さらに人の最期に対して画一的な形式を押し付ける厚顔無恥ぶりには喫驚するのみである。
マスコミがいかに最悪・最低の人種で構成されているかが判ろうというものだ。


<2018/11/21:追記>
最近はテレビ番組でブサイクな男性を指して「ブス」と呼ぶケースが増えている。各局揃ってこの傾向が出てきた。これもまた間違った言葉である。
そもそも「ブス」というのは器量の良くない女性に対して使われる言葉であり、男性に「ブス」は有り得ないのだ。しかし言葉に無知で無神経で傲慢なテレビ屋は男性に対して「ブス」と言い始めている。テレビ屋による言葉の破壊がさらに進行している。


<2021/8/8:追記>
冒頭に示したタイ語の「コップンカー」という間違いだが、呆れたことに在タイのYouTuber(複数人)もこれを言っているようである。タイで暮らしているなら当然ながら日常的にタイ語に囲まれているのだから判りそうなものだが、しかし驚くべきことに間違っているのだ。中には男性なのに語尾に「カー(女性形)」を付けて言っている人物もいる。男性の場合は「カー」ではなくて「クラップ」または「カップ」である。しかもこの間違いは日タイ・ハーフの人物だったりする。喫驚だ。こうした人達は言葉に無責任で無神経かつ無頓着過ぎるのだろう。いい加減な人たちである。恐らくタイ人からは内心笑われているに相違ないのだが、彼らは気づかないのだろう。愚かである。



高年齢者雇用安定法

2013-03-01 01:57:10 | 社会・政治
高年齢者雇用安定法が改定された。
希望者全員を65歳まで雇用する、という法律である。

背景にあるのは 厚生年金の受給年齢の引き上げ だ。

従来は60歳から支給開始だった厚生年金だが、これが2013年4月からは支給開始が61歳に引き上げられ、さらに2025年4月には65歳にならないと年金が貰えないことになる。

これがあるので、やむなく65歳まで雇用を続ける方向にもっていく、という事である。

2012年、政府・国家戦略会議のフロンティア分科会がこのような提言をまとめた。

「40歳定年にして、さらに年金の支給開始を遅らせよう」

民間のシンクタンクとは違って政府系なので、これは「本当にやる」という方向で進んでいる。

これは非常に大問題なのだが、それにも関わらず、マスコミでは小さくしか報じられなかった。

この提言の意味するところは、40歳以降は非正規雇用にみんななってしまえ、ということであり、しかも同時に年金の支給はできるだけ遅らせたい、という狙いがある。

はっきり言って滅茶苦茶である。

企業が労働者の賃金負担を軽くしたいという都合だけで決められたというのが真実である。
企業の側しか見てない考え方であり、これが自民党政権の本質の一端を率直に表している。

こんな酷い政権に日本と日本国民を任せられない。