Altered Notes

Something New.

原宿駅のとんでもなく臭い過去

2019-11-22 17:07:00 | 社会・政治
JR原宿駅が東京オリンピックを契機に変わる。現在工事中であり、新駅舎は来年3月21日オープンとなる。 JR東日本は東京都内最古の木造駅舎である山手線原宿駅を2020年に解体し、建て替えを実施すると発表している。 新駅舎は2020年3月21日に供用開始予定であり、ホームも一新される。現在は島式ホームであり内回り外回り共用で一つのホームしかないが、リニューアル後は内回りと外回りで各々専用のホームができるので混雑の緩和に貢献するであろう。

今でこそ原宿駅は誰もが普通に利用している普通の駅であるが…しかし、これが昭和の時代はとんでもない駅だったのだ。

「臭い!」それも「とんでもなく臭い!」

正に「クッサッ!!」としか言いようのない酷い臭いが充満する駅だったのだ。但し、臭かったのはホームではなく、橋上駅舎の通路(改札からホームへ向かう通路)付近である。

何の臭いか?

トイレである。ぶっちゃけ「糞尿の臭い」が駅トイレ本体はもちろん、表参道口の改札からホームへ向かう通路付近で超悪臭が蔓延していたのだ。24時間一年中、恒常的に臭かったのである。嘘ではない。厳然たる事実である。

当時の原宿駅の印象といえば、ぶっちぎりで「トイレの悪臭」…これしか思い浮かばないほどであり、できれば原宿駅へは行きたくない…そんな気持ちにさせるほどの駅だったのだ。またどうしてそんなことになってしまったのか理由は不明であるが、なにしろ鼻が曲がるほどの悪臭が長い間放置されていたのだ。

これがいつのタイミングで改善されたか定かではないが、平成に入ってからはトイレ周りが大幅に改善されて、少なくともトイレの悪臭は解消されたように思う。

最近の若年層には信じられない事であろうが、今をときめくJR原宿駅にはこんな臭くて悲しい過去があったのである。間違いなく原宿駅の黒歴史と言えよう。




コントラバス/驚異の表現力~ゲイリー・カー~

2019-11-19 20:20:00 | 音楽
コントラバスと言えば低音弦楽器であり、フルオーケストラにおいては上手側(*1)の端に数人配置されている事が多い。アンサンブルにおける低域を支える楽器として重用されているが、実はソロ楽器としても輝かしい魅力を持っている。

コントラバスと言えば誰もが「低音域の楽器」だと認識しているが、実はコントラバスは低域から高域までかなりの広帯域を表現できる。

論より証拠。
まずはこちら↓の映像を視て(聴いて)いただこう。

[VIDEO] ボッテジーニ「夢遊病の女による幻想曲」Gary Karr

コントラバスを演奏するのはアメリカのコントラバス奏者ゲイリー・カー である。ご存じの方も多いと思うが、この楽器の名手でありユーモアたっぷりに演奏する事でも有名だ。余談だが筆者はこのコンサートを現場で聴いていた。

お聴きになって頂いてお判りのように、普通に低音域からかなりの高音域までレンジの広い演奏がなされている。高音域に於いては倍音 を駆使したメロディーラインを綴るので非常に美しくかつダイナミックな演奏が可能である。

コントラバスはヴァイオリン系の楽器の中でも最も弦長が長く従って指板(左手指によって音程を決定する為の板)も長く面積も広い。この楽器で広帯域(低音~高音)を生かしたソロを演奏するということはすなわちこの長くて広い指板上を左手が縦横無尽に飛び回らなくてはならない、ということだ。しかも正確なポジションに指を置かないと音程はズレてしまう。非常に難しいのである。

例えばこの映像の5分38秒あたりからのシーンや6分32秒あたりからの左手の速い動きは凄いものがある。通常音と倍音を駆使した高速フレーズを難なくこなしてゆく余裕は素晴らしいとしか言いようがない。

ところがゲイリー・カーはこの困難を様々な工夫で克服することで、コントラバス初のソリストとして活躍することができたのである。その演奏はベテラン故のグルーヴ感があり表現的な説得力に満ちている。

最近でこそ女性のコントラバス奏者も増えてきて、前述の速いフレーズを含む技術をこなしたりもするのだが、ゲイリー・カーはこうした分野のパイオニアであり、コントラバスの高い演奏技術を早くから開発し磨いてきた大きな功績があるのだ。

技術だけではなく音楽的な表現力も抜群である。メロディーラインをこれ以上ないほどの歌心を込めて音楽的に演奏できる感性は圧倒的な実力に裏付けられている。

演奏力以外にも彼自身の人柄にまつわる表現にも注目である。上で「ユーモアたっぷり」と記したのだが、例えばこのボッテジーニの曲において彼が示すユーモラスなパフォーマンスは曲のより深い愉悦を聴衆に与える力を持っている。7分11秒あたりでゲイリー・カーは楽器に覆いかぶさって寝てしまうように見えるが、これは次のシーン(チャプター)への準備になっている。寝ているように見えるのは次の静謐なシーンへのメンタリティを整える時間だったのだ。・・・と同時に、高速フレーズを連発して頑張るシーンを終えて「俺、もう疲れた」「もうたくさん」という体で、さらに演奏を続けるピアニストに対する一種の反発を意味するようなユーモアを感じさせるパフォーマンスでもある。(*2)

こうした驚異の技術力とセンスに裏打ちされたゲイリー・カーだからこそ可能なユーモアの表現も含めてコントラバスという難しい楽器の魅力を十二分に伝えてくれるのである。




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(*1)
ステージに向かって右側のこと



(*2)
4分21秒あたりでも一つのシーンが終わった段階でゲイリー・カーは「曲が終了した」体で、演奏を続けるピアノを怪訝そうに見つめ「まだやるの?」という体で手持ち無沙汰にしてみたり懐中時計で時刻を確認したり、とユーモアを連発する。このシーンがあっての7分11秒の覆いかぶさり、なのである。















ビッグバンド・ジャズ・ドラミング

2019-11-13 01:02:12 | 音楽
ビッグバンド・ジャズの面白さのひとつは圧倒的なダイナミズムであり、それはグルーヴするリズムセクションと輝くサウンドを聴かせるホーンセクションのアンサンブルが織りなす総合力である。そしてジャズでビッグバンドと言えばなんと言ってもデューク・エリントン・オーケストラとカウント・ベイシー・オーケストラが双璧として有名であることは間違いないだろう。

今回はカウント・ベイシー・オーケストラのライブ映像を紹介する。

COUNT BASIE ´68 - THE MAGIC FLEA

1968年、ドイツはベルリンでのコンサート映像である。曲は「マジックフリー」。サミー・ネスティコの作曲で1968年のアルバム「ベイシー・ストレート・アヘッド」に収録されている。非常に速いテンポで演奏されるスリリングでダイナミックな曲である。

バンド全体が素晴らしい演奏を繰り広げるのだが、ここで筆者が敢えて推したいポイントはドラムである。大所帯のビッグバンドをリズムで支え全体を鼓舞するドラムの魅力が爆発しているのである。

聴いていただければお判りと思うが、エディー”ロックジョウ”デイビスのテナーソロ開始直前のアンサンブルとテナーソロが終わった後の後半のアンサンブルに於けるハロルド・ジョーンズのドラムプレイは凄まじいものがある。

超速いテンポの4ビートリズムで強力にグルーヴし、ビッグバンドならではの細かい決め所を確実にビシバシ決めていく迫力は否応なく音楽的な興奮にリスナーを巻き込んでゆく。技術が凄いだけではこうした演奏にはならない。卓越したリズム感とスイング感覚、そしてドラムという打楽器を音楽的に叩くセンスの問題である。

また、これだけ凄い演奏にも関わらず、ハロルド・ジョーンズは必要最低限の力しか使っていない。決してシャカリキに力んでいる訳ではなく余裕で演奏しているのだ。

そしてこの演奏が音楽の喜びに満ちているのは極めて優秀なホーンセクションの存在があってこそである。ビッグバンドは総合力だ。ドラムの良さが際立つのもメンバー全員が非常に優れた演奏力を持っているからにほかならない。

このフィルム映像では後半はハロルド・ジョーンズのドラム演奏にスポットが当たるので視覚的にも捉えやすくなっている。このフィルムの制作者は音楽を良く判っている、と言えよう。

過去にこの演奏映像の視聴ができたYoutubeページに於いても
”Great drumming by Harold Jones”
というキャプションが付けられていた。それで判るように、ハロルド・ジョーンズのドラミングが全編の白眉として挙げられるのは当然だろう。

見れば判るように彼のドラムセッティングはとてもオーソドックスである。(いわゆる3点セットと呼ばれる標準的なセッティング)しかしそこから繰り出される演奏は唯一無二の凄みと味わいがある。バンドの良し悪しを最終的に決定づけるのはドラムの出来次第であることが良く判ると思う。ハロルド・ジョーンズのドラムはこの時期のカウント・ベイシー・オーケストラが持っていたかけがえのない宝と言えよう。




つぶやき集 [4]

2019-11-10 17:22:25 | つぶやき
<キャバクラは飲食店か>
キャバクラやホスト店のようなお店に於いて事件や事故が発生した場合、一般報道においては「キャバクラ」「ホストクラブ」ではなく「飲食店」と報じられる。この「飲食店」というカテゴリーに違和感を持つ人は少なくないだろう。「飲食店」と言う場合はあくまで「飲食」を主目的としたお店を念頭に置くからである。レストラン・食堂・ファストフード店・等々であり、これらの店に於いてはユーザーは「飲食」を主目的として消費行動を行う。しかしキャバクラやホストクラブの場合はどうだろう。それらにおいても飲食の提供は普通にあるのだが、ユーザー(消費者)に於いては飲食を主目的として消費行動に出る訳ではない。接待してくれる異性の接待者の接待行動に対する対価であり、もう少し掘り下げて言うなら接待者の歓心を引く為の消費行動である。ならば報道に於いても「飲食業」ではなく「キャバクラ」「ホストクラブ」良いのではないか? 




<匿名巨大掲示板の罪>
匿名巨大掲示板の功罪は昔から数多の議論がなされているが、匿名であることが人間の深層心理における「影(シャドウ)」を賦活させてしまうのは間違いない。だからBBS上にはいつも悪口雑言罵詈讒謗が渦巻いているのである。何かの話題が提案されても否定から入る悪口を投げつけてくる連中が多数派であり、まともな議論は成立しない事がほとんどである。それはイジメの加害者と似た心理でもある。人は深層心理の中で「自分が否定している心的要素」を相手に投影(プロジェクション)するから相手に怒りや憎しみを抱くのだ。その意味では巨大BBSで相手の否定ばかりする連中もイジメの加害者も全く同じである。




<地域社会で迫害される成人男性>
地域社会で理由もなく不審者として扱われ多くの住民から避けられる成人男性が少なくない。不審者扱いするのは若い女性や子供を持つ親、そして児童たちである。女性や子供を狙う卑劣な犯罪者の多くが成人男性であることから自衛の為に過剰な防衛意識が働き無実の男性達を一方的に不審者と決めつけて過剰に忌避する。幼い児童はその親が不審者の顔を覚えさせて逃げるようにしつける。こうして無実の男性は地域社会で不審者として仕立てられて、いわゆる村八分の状態に追い込まれる。被害者たる男性は精神的に辛くきつい状況に陥る。冤罪である。しかし勝手に決めつけた女性たちはその部分に対しては無頓着で無神経なのだ。こうした現象の背景には、男性がただ「男性である」というだけで嫌われる傾向があるのであり、これは女性の自意識過剰化と性質の凶悪化の動きにリンクしているのである。一般男性にとってはますます住みにくく生きにくい社会に変貌しつつあるようだ。




<NHK「COOL JAPAN」という俗悪番組>
鴻上尚史氏とリサ・ステッグマイヤー氏司会のこの番組は外国人パネラーに日本の文化を紹介して、それについて彼らがコメントする番組である。内容は概ね反日的な色あいになることが多く、外国人コメンテーターの多くは日本を貶めるコメントを上から目線で語る。日本を見下しているのだが、そういう彼らも実は大して日本を理解していないことが判る。司会の二人も反日的なトーンを否定することなく番組を進行させる。また、日本側の知識人コメンテーターとして大学教授が一人出演するのだが、たいていは出たがりで電波芸者のような薄っぺらい人たちである。演出手法やテーマの選び方の傾向から制作スタッフは反日思想の持ち主であることが色濃く推定される。推測だが日本人ではない可能性も考えられる。最終的に視聴者が「日本人であることを恥ずかしく思い、貶められても仕方ない」かのような考えを持たざるを得ないような方向へ番組を持っていくからである。




<人間の光と影>
沢尻エリカ容疑者が麻薬取締法違反の疑いで警視庁組織犯罪対策部に逮捕された。この件でタレントの壇蜜は「ご挨拶したり、現場がいっしょだったりしたぐらいだったんですけど、仕事中のまじめで真摯な雰囲気の表の顔と別の顔が今回報道されてしまったんで、近しい人は本当にショックだろうし見てる方々も驚いていると思う」とコメントした。(2019/11/17 TBSサンデー・ジャポン)「驚いているだろう」と壇蜜は言うが、しかし深層心理学を齧った人なら全く驚く要素はないだろう。人は誰でも「光と影の両面を必ず持っており、光の面だけで生きている人間は一人もいない」と言える。普段の付き合いでその人の光の面が目立つ人ほど裏の影の面もまた強烈な世界を持っている、と見てまず間違いない。しかも、沢尻エリカ容疑者には影の面が表に出てきたことで社会を騒がせた前歴があるのだ。
[2019/11/17追記]