「暑さ寒さも胃癌まで」・・・そんな切ない話はさておき、我々が「暑さ」を感じる時というのは往々にして「湿度」が高い時であり、暖かい空気が肌にモワ~っとまつまり付く・・・そんな時だ、つまり、我々一般国民にとって暑さというのは(肌感覚をメインにするならば)「温度」よりも「湿度」の方が悪さをしている…そう捉えられるし考えられるのだ。これは日本を含む東アジアで一様に見られる傾向である。
もちろん科学的には「温度」「気温」は純粋に暑さ寒さを数値化したものであり、そこでは湿度は無関係だ。だが、不思議なもので、人間は例えば気温が34度の場所であっても、湿度が十分に低ければ、肌感覚としての「暑さ(蒸し暑さ)」はあまり感じないのだ。汗はすぐに乾燥してしまうからである。つまり思わず「あちぃ~」と言ってしまう感覚にはならない…そういうことである。
そうした前提を考慮した上でテレビ等のマスコミが(気象情報等で)報じる「暑さ」はあくまで「気温」でしかない。彼らは専門家であり、ある意味で科学者でもある訳で、そこは譲れない。しかし、彼らがいくら「今日は◯◯度なので過ごし易いでしょう」などと言ったところで、それは「気温」ベースでの話でしかなく、湿度を全く考慮していない点でほぼ無意味なのである。気温が多少低くても湿度が高ければ我々はそれを「暑い」と感じるのだ。
くり返すが、テレビの気象情報等を見ていると、『◯◯度だから暑い』『△△度だから過ごしやすい』などと「暑さ」基準を「気温」でしか判断していない。だが、それは往々にして我々の肌感覚とは程遠く、TVの言い分とは違って「ちっとも過ごしやすくなかったりする」のである。
気象予報士という資格を持つ人々はあくまで気温の高低だけで屋外での過ごしやすさ/にくさを判断して伝えてくるが、どうもその辺に我々が気象情報に求めるものといわゆる専門家たる気象予報士との埋めがたいギャップを感じずにはおられない。
よりわかりやすく言えば、今日が気温何度であることよりも湿度が何%であることの方が意味が大きかったりするのである。
当ブログでも以前に気象専門家のと一般国民の感覚の差異と専門家の姿勢について批判的な記事を掲載した。下記がそれである。
『気象専門家の驕りに思う』
たしかに「湿度」の感覚をもって「気温」も含めた判断や意見を持つことはやや科学的アプローチから外れるとは思うのだが、しかしその一方で気象予報士の山岸愛梨さんが言う
『「やっぱり専門家の人はどうしても『定義はこうだから』とか『専門的にはこうだから』となりがちだけど、(そもそも)「誰のための天気予報か」というところは(我々は)忘れちゃいけないと思っていて、・・・』
という見解と姿勢は非常に大切な部分と思われる。別に専門家同士の議論をやってるわけではなく、我々一般国民に直接立つ表現で伝えるべきであることはとても大切なことである、という事を山岸氏は言っているのだ。
山岸氏がそのように言う一方で、タモリ倶楽部に出演した木原実気象予報士はタモリ氏の発言に対して「ほら、すぐ素人はそんな言い方をするからダメなんです」などと発言して上から目線が感じられた。半分冗談だったとしても根っこが専門バカ(一種のIYI)になっており、相変わらず一般人(気象を詳しく知らない人)を見下して偉そうに振る舞っている姿勢に変わりはないようである。(蔑笑)
そういうことを改めて考える夏の一日…なのである。
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もちろん科学的には「温度」「気温」は純粋に暑さ寒さを数値化したものであり、そこでは湿度は無関係だ。だが、不思議なもので、人間は例えば気温が34度の場所であっても、湿度が十分に低ければ、肌感覚としての「暑さ(蒸し暑さ)」はあまり感じないのだ。汗はすぐに乾燥してしまうからである。つまり思わず「あちぃ~」と言ってしまう感覚にはならない…そういうことである。
そうした前提を考慮した上でテレビ等のマスコミが(気象情報等で)報じる「暑さ」はあくまで「気温」でしかない。彼らは専門家であり、ある意味で科学者でもある訳で、そこは譲れない。しかし、彼らがいくら「今日は◯◯度なので過ごし易いでしょう」などと言ったところで、それは「気温」ベースでの話でしかなく、湿度を全く考慮していない点でほぼ無意味なのである。気温が多少低くても湿度が高ければ我々はそれを「暑い」と感じるのだ。
くり返すが、テレビの気象情報等を見ていると、『◯◯度だから暑い』『△△度だから過ごしやすい』などと「暑さ」基準を「気温」でしか判断していない。だが、それは往々にして我々の肌感覚とは程遠く、TVの言い分とは違って「ちっとも過ごしやすくなかったりする」のである。
気象予報士という資格を持つ人々はあくまで気温の高低だけで屋外での過ごしやすさ/にくさを判断して伝えてくるが、どうもその辺に我々が気象情報に求めるものといわゆる専門家たる気象予報士との埋めがたいギャップを感じずにはおられない。
よりわかりやすく言えば、今日が気温何度であることよりも湿度が何%であることの方が意味が大きかったりするのである。
当ブログでも以前に気象専門家のと一般国民の感覚の差異と専門家の姿勢について批判的な記事を掲載した。下記がそれである。
『気象専門家の驕りに思う』
たしかに「湿度」の感覚をもって「気温」も含めた判断や意見を持つことはやや科学的アプローチから外れるとは思うのだが、しかしその一方で気象予報士の山岸愛梨さんが言う
『「やっぱり専門家の人はどうしても『定義はこうだから』とか『専門的にはこうだから』となりがちだけど、(そもそも)「誰のための天気予報か」というところは(我々は)忘れちゃいけないと思っていて、・・・』
という見解と姿勢は非常に大切な部分と思われる。別に専門家同士の議論をやってるわけではなく、我々一般国民に直接立つ表現で伝えるべきであることはとても大切なことである、という事を山岸氏は言っているのだ。
山岸氏がそのように言う一方で、タモリ倶楽部に出演した木原実気象予報士はタモリ氏の発言に対して「ほら、すぐ素人はそんな言い方をするからダメなんです」などと発言して上から目線が感じられた。半分冗談だったとしても根っこが専門バカ(一種のIYI)になっており、相変わらず一般人(気象を詳しく知らない人)を見下して偉そうに振る舞っている姿勢に変わりはないようである。(蔑笑)
そういうことを改めて考える夏の一日…なのである。
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