Altered Notes

Something New.

G7から仲間外れにされる日本(議長国なのに)

2023-10-25 15:22:00 | 国際
…それは岸田首相があまりにも無知で無自覚だからである。

何のことか?

今回のハマスによるテロ事件について、G7のメンバー国の内、6カ国が共同声明を出している。そこにははっきりと「(パレスチナではなく)ハマスというテロ組織」によってテロ事件が起きた事と、それを絶対に許さない事などが記されている。G7の内、6カ国であり、日本だけが外されているのだ。今年は日本がG7の議長国であるにも関わらず、である。

なぜか?

この件で飯山陽博士は、次のようにポストした。

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松野官房長官は、G7のうち日本以外の6か国が共同声明を出したことについて「6か国は今回の事態の中で誘拐、行方不明者などの犠牲者が発生している」と釈明。要するに岸田政権は、北朝鮮による日本人拉致問題について、国際社会の協力を求める立場を放棄したに等しい。最悪。

午後4:35 · 2023年10月23日 飯山陽氏のポスト
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先日、岸田首相が出した声明も中味は的外れでとても恥ずかしいものであった。まず、テロ行為を起こした犯人を「ハマス」と名指しせず、「パレスチナ」と記してしまったこと。ハマスはパレスチナを代表していないし、パレスチナ政府公認でもないテロ組織である。また、「パレスチナとイスラエル双方」に対して「自制を求める」という的外れも甚だしい文言を書いた。自国内でテロを起こされて国民が殺され拷問され拉致されているのだ。「イスラエルに自制を求める」のはどう考えてもおかしいだろう。自衛権の否定だ。日本が中国やロシアから攻撃されて世界から「日本は自制しろ」と言われるようなものだ。
そして、飯山氏も書いているように、「北朝鮮による日本人拉致問題について国際社会の支援はいらないよ」と言っているに等しい。こんな事も分からない岸田首相なのである。要するに無知であり、頭が頓珍漢なのである。

もう一つ、飯山氏のポストがある。

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岸田政権は邦人被害がないからイスラエルの自衛権を支持しない、G7とは足並みを揃えないと断言。台湾有事の際、日本が中国や北朝鮮、ロシアに攻撃された場合、G7は日本を見捨てるだろう。いや、岸田政権は世界に対し「日本を見捨ててくれ」と言ったに等しい。あまりに愚か。

午後5:12 · 2023年10月23日 飯山陽氏のポスト
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松野官房長官の話では、日本人が被害にあわなかったのでG7と足並みを揃えない事を断言した。これが日本の政府の立場らしい。今の状況でなぜそんな阿呆な事が言えるのか理解に苦しむところだ。飯山氏が書いたように、この先、日本が中国から攻撃されてもG7は日本を見捨てる事になる。それくらい先進各国を怒らせてしまったのだ、日本政府は。台湾有事も近いと言われ、ロシアが北海道に攻め込んでくる確率も低くない。さらに、北朝鮮はいつ核ミサイルを打ち込んでくるか分からない。それでもG7各国は「日本は自制しろ。自分たちだけでなんとかしなよ」となるだろう。

安倍総理が国際社会に於ける日本のステータスをせっかくトップレベルにまで引き上げてくれたのに、それを岸田首相と日本政府は完全に破壊して最低レベルにまで貶めてしまった。今回の件も恐らくG7の共同声明を出した6ヶ国は、日本政府に対しては「日本はどうせ意見が違うのだろう」として電話すらかけてこなかったと思われる。完全に除け者だ。日本は今年の(G7の)議長国なのに。

岸田首相はどうしてここまで無能なのだろうか。岸田氏の頭の中には馬と鹿が跳ね回っているのではないだろうか。全く信じられない愚かさであり酷さである。本当に酷過ぎる。岸田政権は一応自民党中心の政権だが、実態は左翼政党の政権と言っても過言ではないほど左派寄りで酷い状態になっている。

一日も早い岸田政権の終了と自民党の下野を希望するものである。岸田氏はもちろん、自民党ももう終わりだ。





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世界を騙そうとするハマスの卑劣

2023-10-25 14:33:33 | 国際
日本のテレビなどマスコミはおしなべて左翼勢力(左翼の情報工作機関)である為にハマスが起こしたテロ事件に於いてイスラエルを悪者に仕立てようと必死だが、この事件はどの視点から見ても「テロ事件」を起こしたハマスに100%非がある。国際法の観点からそれは間違いないことだ。

ここへきてハマスが「拉致したイスラエルの高齢女性二人を解放した」という映像付きのポストがUPされた。

『ハマスに拉致された女性二人が解放された映像のポスト』

これを伝えたのはイスラム文化に詳しい飯山陽博士だが、飯山氏によれば、「食べ物やお茶を渡し、あたかもハマスが高齢者を労わる優しくていい人たちであるかのような演出。これが世界を騙すためのハマスの戦略だ。ハマスがイスラエル殲滅のために、老人から赤ちゃんまで拷問しレイプし惨殺した事実を世界は忘れつつある。」とポストしている。

確かにハマスはイスラエルの音楽フェス会場を急襲し、殺人・拷問・レイプ、そして幼い子供の首を切り落とすなどのあまりにも酷い仕打ちを数多しているのだ。TBSなどのテレビ局はこんなハマスを支持し、テロ行為を容認している。人として信じられない事である。国から貸与されている地上波とBSの電波を取り上げ停波させてもおかしくないレベルの問題であり、当然放送法にも違反している。

また、飯山氏は別のポストで次のように述べている。

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日本では飯山陽VSその他研究者全員&全メディアという構図だが、世界の研究者やメディアの論調を見れば日本の状況の異様さがわかる。/エジプト系米国人研究者「ハマスはイスラム国に類似したテロ組織で、パレスチナ人を人間の盾として利用する一方、ハマス戦闘員は地下トンネルに隠れているのだ」。

午前8:57 · 2023年10月23日 飯山陽氏のポスト
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ポスト内に出てきた「エジプト系米国人研究者」のポストは下記リンク先である。

『中東メディア研究所公式アカウントのポスト』



また、meiさんのポストによれば、ハマスのテロは最初から女性や幼い子供たちを狙っていた事が「死亡した実行犯から回収されたマニュアルで分った」とイギリスのテレグラフやデイリーメールが伝えている、とのことだ。そのマニュアルには「ハマス指導部が戦闘員に対してイスラエルへの奇襲攻撃で特定の標的として児童を含め指定していた」、と記されていたという。ハマスというのはこんな残酷で卑劣な連中なのである。

『ハマスのマニュアルについて伝えるmeiさんのポスト』



繰り返すが、今回の事件は中東の歴史やパレスチナがどうこうといったややこしい問題とは全く別個のものだ。「テロ事件」なのである。テロ組織ハマスによって多くの無辜の市民が惨殺され、乱暴され、拉致されたのである。背景が何であろうとテロ行為は正当化できない、と考えるのが当たり前である。それは国籍関係なく人間としての「絶対的な価値観」に相当するものである。
逆にこれを認めてしまうならば、北朝鮮による日本人拉致問題も正当化されてしまい、拉致された日本人は永遠に戻ってこられない事になる。テロ行為を非難すると共に、テロ行為を容認する日本のマスコミは卑劣極まりない連中である。決してマスコミの印象操作・世論操作に騙されてはいけない。





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男女平等と言うけれど、そもそも男女は相当違う

2023-10-22 19:17:00 | 社会・政治
昭和の終わり頃から社会における女性の地位向上を目指した「ウーマンリブ」運動が盛んになり、当時流行った学生運動にも似た過激な主張をする女性達も現れたものである。翻って現代は、女性の地位の向上どころか、女性の方が立場が上になり、男性を見下し排除する風潮すらメジャーになっている。エジプト出身のタレントであるフィフィさんも「これは女尊男卑だよね」と「日本の外からの目線」で客観的に評価しているほどである。

政治の世界でも、「女性の大臣や政務官が少ない」などと言って「日本は遅れている」と一生懸命になって日本を貶める左派系勢力が喧しいが、そもそも政治家として優れていれば男性も女性もないのである、本来は。能力のある人がその人の得意とする分野を受け持てばいいのであって、機械的に男性大臣が◯人、女性大臣が◯人だから日本は駄目、とか、そういう問題ではないのである。こうした根本的なロジックがそもそも理解できてない人が多すぎるのが問題なのである。

今、ロジックと書いたが、ここが結構ポイントである。

根本的に女性は「情緒」や「感情」を重視する生き物であって、男性が得手とする「論理」を不得意とする。これはもう、そもそも生き物としての基本的な特性がそのようになっているのであり、性差の一部分であって仕方がないのである。ここが基本中の基本だ。

「論理」というのは「物事を切り分ける為の刃」である。その意味では、女性が下手に「論理」「ロジックの世界」に踏み込んでしまうならば、「論理という刃で本来必要のないところまで切り刻んでしまうような悲惨な結果」が生まれる事もあり、従ってトラブルになって問題化する場合もある。女性が得意とするのは「情緒」「感情」の世界であり、「論理」を超えたフィーリングを大切にすることを第一義に捉える傾向が強いのである。従って、女性が「これで良し」とする中には「自分はそれで良い」としながらも「論理的にはおかしい」場合も多々あり得るのである。

例えば、男性は自分が低く評価されることは嫌だが、論理的に正しい評価であればそれを受け入れてどう改善していくかを考える場合が多い。だが、女性は違うのだ。理由がどうあれ、ロジックがどうあっても自分が低評価されること自体が気に入らず、その途端不機嫌になる。(感情的になる)

その線で言えばこんなケースもある。謎解き統計学のサトマイさんが紹介している事例だ。結婚相談所を運営する女性が「一般的な会社に於ける女性の産休」についてX(旧・ツイッター)に意見を投稿したところ、批判が相次いだそうだ。その投稿内容は全く悪意のない、厳然たる事実を客観的に述べたものだ。その意見とは「女性が妊娠出産でキャリアが途絶えるのは”長く休むから”だと思う」というものだ。「だから最短で復職したらキャリアに穴が空きませんよ」という客観的な事実の発信をしたのである。

これが一部の母親達から大きな批判を浴びたのである。その内容は「産後の体調不良ですぐには復職できない人もいる」とか「子供を預けられない事情があるの!」というものであった。これを受けて、この結婚相談所を運営する女性は下記のような意見を表明した。

「Xの反応を見ていると女性って、正しいとか事実よりも”私を不快にさせるな。そして不快にさせたオマエが絶対的に悪い”…という論法を使う人が多いよね」
「わりと絶望するわ。そんなことやってる限り女性の社会進出なんて無理」

さらにこの運営の女性は「”長く休んで働かない人はキャリアは積めません。復職早い人はキャリアに穴が空きません”という事実の話に対して感情的に批判されてもねぇ…」

と述べていたのである。運営女性が伝えた客観的な事実に対して、自分の感情が害された(怒り・悲しみ・傷つく人がいる)ところに炎上のポイントがあるようである。こういった面がまさに女性の女性らしさなのだ。女性は論理・理屈を重視しない。それよりも自分が快適でいられる感情的な空気を大切にし第一に考えるのである。ここに記した事例では運営女性はあくまで客観的な事実(論理)を提示しただけであり、そこには何らの悪意も感情も無いのだ。しかし、その意見を受け取る複数の母親側はその論理や客観的な事実を冷静に受け止めるのではなく、感情的に「自分が傷つけられた」「自分の評価を不等に下げられてしまった」…だから私は不快だ、憤りを感じる、という事に変換されてしまうのである。サトマイさんはこの現象を「認知の歪み」として説明されていたが、要するに「自分は攻撃されて傷ついた。オマエは酷い奴だ」といった具合に本来客観的な事実に過ぎないものを自分の怒り・恨みに変換してしまうのである。これは典型的な認知」と名付けられている、とのことだ。一種の「ロジックと感情の混同」であろうか。ここで運営の女性はもちろん「論理」と「感情」の区別がきちんとついているのであり、だからこそ「感情」抜きで客観的にロジックのみを提示することができるのだ。

感情が精神の中心になる女性と、普遍妥当性のある論理・ロジックに重きを置く男性・・・結構精神構造の根本的なところからこれだけ異なるのである。

なので、何でもかんでもクソもミソも「男女平等」で同じように平準化しようとするのではなくて、男性は男性、女性は女性が得意とする分野で各々活躍することが最適解なのではないか、と思うのだ。(*1) そうでなければ、なぜ人間には男性と女性(オスとメス)の2種類存在しているのか…ということにもなる。全て同じなら人間にとって性は2つもいらない、ということになる。男と女に分かれて存在しているのは人間が考えるよりももっと深い(かなり深い)根本的な理由がある筈なのである。

「男女平等」を錦の御旗のように振りかざすのも悪くはないが、もっと基礎的な部分に着目すると、より魅力的で普遍妥当性のある平等の世界が実現できるのではないだろうか。




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(*1)
もちろん、運営の女性がそうであったように、男性的な領域であっても女性が真にそれをやりたいと望むなら、それを選択する自由はあってしかるべきであろう。「男女に差別があってはいけない」という話であって、就く「職掌」の押しつけという話ではないのだ。








音楽を語れないアイドル(歌手)

2023-10-22 09:06:09 | 音楽
「アイドル」と呼ばれる人々は昔はいなかった。昔はまず「歌手」であり、その中でもいわゆる顔面偏差値の高い人が「アイドル」的な存在として認知されたのだが、当時は未だ「アイドル」という職掌は確立されていなかった。現在言われている意味でのアイドルの元祖的な存在として女優の吉永小百合さんが居るが、この人が若い頃に歌手としてデビューした時には「アイドル」ではなく「可愛い子ちゃん歌手」などと呼ばれていたのだ。「歌手」であるよりも「可愛い子ちゃん」であることに価値があった、ということだ。

何を言っておるのだ?と思われるだろうが、「歌手」という謂わば「音楽家」であった筈の存在が、いつの間にか「アイドル」と化してしまい、基本的にただそこに居るだけで商売が成立するような形になってしまった。要するに「歌」だの「音楽」だのといった要素は横に置いて、その存在のセクシャリティー的な魅力(*1)が商品価値として認知されるようになっていったのだ。だから、現代の「アイドル」と呼ばれる人たちの中には正しい音程すら取れないような素人以下の「歌手」がごまんと存在する。(*2) それでもビジネスが成立するのは、その人の外見(ビジュアル)のセクシャリティー的要素が一般大衆から求められるからであり、芸能マスコミがその傾向をさらに煽るのである。

「ただそこに居るだけで商売になる」のは「握手会」だの、オンラインでの「ミート&グリート」などが立派にビジネスになっており、主催者はそれで多額の利益を得ている事からも分かるように、もう「そこに居てくれればいい」だけの存在なのである。写真集を出すのも同じであり、これが基本だ。

しかしながら、「ただそこに居るだけ」ではあまりにも間が持たないのも確かである。それで現代のアイドルは一応「歌手」というレッテルを貼ってもらってCDを売ったりコンサートをしたり配信ビジネスをしたりもする。年末には各種の音楽賞を受賞しただの、紅白歌合戦に出るだの落ちただの、が話題になることからも分かるように、一応「音楽をやってます」という体を保持しているのも事実である。

だがしかし・・・。

「歌手やってます」「音楽してます」という割には、アイドル達が肝心の「音楽」について語っているところを見た(聞いた)事がない。アイドルが曲について語る時の切り口は「踊り」「歌詞」しかない。「踊り」も「歌詞」も「音楽」ではない。アイドル達は決してその曲の「音楽面」については語らないのである。「音楽」を語る言葉を全く知らないからであろう。例えば、そもそもAKBや坂道グループを作ったプロデューサー自身が「音楽を語る言葉」を知らず、音楽を単に曲のパーツの一つとしか捉えていない、かのように見えるのである。(*3) 要するに、プロデューサーにとって音楽は一種のブラックボックスであって、その中味については分からないので議論することは出来ず、だからただ感覚的に(パーツとして)選んでいるだけなのだろう。

当ブログではかなり前に爆笑問題の二人が音楽家・坂本龍一氏と鼎談した時の内容について書いたことがある。その時に、坂本氏が「音楽を聞く時に歌詞は全く聞いてない、意識してない。音楽だけを聴いている」と語った事に爆笑問題の二人は本気で驚いていた。爆笑問題の二人もまた「音楽を語る」事の意味が全然判っていないのである。太田光氏は曲の「歌詞」を語ることで「その曲を語った」つもりになっているのだが、歌詞は言葉であり音楽そのものではない。「歌詞」だけ語っても、その曲(音楽)を語った事にはならない。全然ならないのだ。逆に音楽家の坂本龍一氏は歌詞という余計なものを除外し、純粋に曲の音楽面を聴き込む事に集中する…それは音楽家として普通のこと、当たり前な事なのである。(*4)
歌曲全体として評価するなら確かに歌詞も無視できない要素の一つであることは間違いないが、しかし「歌詞だけ語り、音楽面は一切語れない」のはどう考えてもおかしい、と言わざるを得ない。それは曲の一方のサイドだけを語ったに過ぎず、もう一方は無視しているということに他ならない。

もし心に染みるような良曲があって、歌詞も印象的だったとしたら、その評価・印象の中には「歌詞を彩る旋律があり、それを支える和音やリズムがある筈」なのだ。それがあっての「歌詞」なのだが、アイドル達はこの音楽面を全然語れないし、語ろうとしない。ひたすら「歌詞」という言葉についてだけを語る。上述のように「音楽を語る為の言葉」を持っていない(知らない・無知)だからである。一般大衆、いわゆる素人ならともかく、一応お金をもらって歌を歌っている立場の人間がこの程度…というのはいかがなものだろうか?

女性アイドルの会話などを聞くと、普通に「曲を踊る」という言い方をする事に気づくだろう。彼女たちにとって曲は「歌う」ものではなく「踊る」ものなのである。「どうやって歌うのか」よりも「どうやって踊るのか」に関心があるのであり、その曲の音楽的な成り立ちなど大した関心事ではないのだろう…ということがつぶさに分かるのである。

それこそ昭和の昔には歌を立派に音楽的に歌い上げる事ができる、まさに「歌手」と呼べる人々がたくさん居たのだが、現代は上記のような「音楽を知らない若年層」の踊りが中心の曲を見せられる(聴かされるのではなく)事が中心になってしまった。1980年代頃までは歌手が歌う時にはバックバンドが居て、きちんと生演奏と共に聴かせる事が普通だったのだが、今のアイドルは平然とカラオケで歌う。さらにカラオケどころか「歌入りのCD」をそのまま流すことでアイドル自身は口パクをしながら、ただダンスだけをするのだ。

なぜか。

踊りに集中していれば、本来集中すべき「歌(音楽)」へまわすエネルギーはなくなる。だから、踊りに集中する為にアイドルは「歌入りのCD」をそのまま流して自分達は口パクしながら踊るだけ、になってしまうのだ。こうした事実は「歌手」を名乗るにはあまりにも片手落ちで貧弱で致命的である。だから彼女たちには「歌手(音楽家)」ではなく「アイドル」という職掌が与えられたのである。「歌手」ではないのだ。「アイドルだから許してね」という音楽を舐めた姿勢が当たり前となってしまった現代である。「音楽」は既に脇に追いやられており「添え物」としての価値しか与えられていない。

アイドルに振り付けする振付師も「このグループ史上、最高難度の振り付けです」などと得意げに自慢するのだが、そんな難度の高いダンスをやらせるから、だから本来「歌唱」にまわされるべきエネルギーを奪ってしまうのである。結局歌唱がいい加減になってしまい、「音楽が蔑ろにされてしまう」のである。「最高難度です」と自慢する振付師は自分のせいで「歌手」が「歌唱」にまわすべき精神力・集中力を全て奪ってしまっている事に気が付かない。音楽側から見れば迷惑この上ない話、なのである。

これらの現象・事象の背後にはその国の民衆の文化レベルが反映している。観客側がそれを許してしまっているからこんな悪行が通用しているのである。かつてジャズ・ピアニストの菊地雅章氏は「日本は文化果つる国だね」と言ったが、音楽文化の程度が低い日本だからこそこうした体たらくが常態化してしまったのだろう。程度が低いのは民衆だけでなく、マスコミも同罪だ。マスコミもまた無知・無学・無教養な人間の巣窟である。むしろマスコミが率先して民衆の文化レベルを下げている、と言っても過言ではないだろう。これが日本の実態なのである。



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(*1)
男性ファンから見た女性アイドル、女性ファンから見た男性アイドルは、各々ファンの側から見た「理想の異性像」として受け止められる。深層心理学者ユングが言うところの「アニマ」「アニムス」の投影先としての存在となる。世俗的な言い方で言えば「疑似恋愛」的な世界に顧客を引き込む事で成立するビジネスである。
以前、AKB48が全盛の時代にプロデューサーの秋元康氏が外国のメディアから「少女の性(女性的なるもの)を商品化(搾取)しているビジネスではないか」といった疑問が呈されたことがある。秋元氏は否定したが、実態はそういう側面を多とするのが実態と言えよう。少なくとも「音楽」の良し悪しで稼いでいるビジネスではない。

(*2)
そんな「歌手」が紅白歌合戦に出演したりするのだから、そりゃ音楽番組としてのステータスは下がるだろうし視聴率も下がるだろう、と容易に推察できる。

(*3)
プロデューサーにとっては大切なのは「音楽」ではなくビジネスとして「利益」「収益」をあげる事だけであろうから仕方がないのだろう。その程度の人、ということだ。実際、このプロデューサーが関わった曲の中には音楽的に悪くないものもあるにはあるが、多くの場合は平凡でただ騒々しいだけの曲である。つまり全然「音楽的ではない」曲が多い、ということ。聴いていて、「もしもこの曲を作曲コンテストに出したら一次審査(譜面審査)で落ちるだろう」、というほど凡庸な曲が多い。また、平然と他人の曲をパクっているケースも見かける。前述のコンテストだったらパクリなど言語道断だ。本当の音楽家だったら恥ずかしくてこんなことできないだろう、というような事をも平気で仕出かすくらいだから、このプロデューサーは本当に音楽の「お」も理解していないのだろう、と容易に推察できる、というものだ。要するに「芸術面」よりも「収益」を重要視する「商売人」に過ぎない、ということだ。

(*4)
歌手の場合は歌われる旋律が「どのように(音楽的に)歌い上げるか」等が観点となる。この場合も歌詞ではなく音楽面を聴いているのだ。







テロ組織ハマスを擁護する人々

2023-10-20 18:00:00 | 国際
イスラエルに4000発以上のミサイルを打ち込み、音楽フェス会場で参加者を殺害し拉致しレイプし幼児の首を切り落とすなどという残虐極まりない行為を次から次へ繰り出すテロ組織ハマスだが、日本国内にはこのハマスを擁護する頭のおかしい人達が相当数存在する。特に影響力の大きいのはテレビ局であり、なかんずくTBS(東京放送)である。このTBSはオウム真理教事件の時にも、坂本弁護士一家殺害事件の端緒を作り、当時の筑紫哲也キャスターに「TBSは死んだ」とまで言わせたほど狂ったTV局なのだが、全く何も反省していないどころか、自分たちの何が悪い?と開き直っているかのようだ。また、最近も日本赤軍という日本人のテロ組織のリーダー格だった重信房子氏が出所した時も刑務所の前で英雄扱いで祝い、最近も重信房子氏の娘であるメイさんを番組に出してテロリズム容認の姿勢を見せることでハマス側のプロパガンダを流し続ける狂気のテレビ局である。実際、メイさんを引っ張り出してテロ容認のプロパガンダを流すTBSに対して在日イスラエル大使はカンカンに怒って抗議していたのである。

今回のハマス事件に於いても実際にテロ事件を引き起こしたハマスを一貫して擁護しており、イスラエルを悪者扱いしている時点で頭がおかしいとしか言いようがない。繰り返すがハマスは残虐なテロ組織である。テロ行為を擁護し礼賛するなどというのはおよそ人間とは思えない狂気である。これ一つとってもTBSが報道機関ではなく、極左活動家の情報工作機関であることがよく分かるだろう。

大事なことなのでもう一度言う。

「TBSは報道機関ではない。極左活動家の情報工作機関である」


イスラム思想研究者(博士)にして中東専門家である飯山陽氏は、こうしたTBSの姿勢についてX(旧・ツイッター)に次のようなポストをしている。

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岸田政権やテロ支援チャンネルTBSがやっているのは、要するに愚民化政策なのだと思う。国民に偏った情報だけ与え、自分にとって都合のいい思想を持つよう印象操作する。お前らは何も考えるな、どうせバカなんだから、イスラエルは悪だと思っときゃいいんだよということだ。ワシは認めんよ、そんなの。

午後8:37 · 2023年10月13日 飯山陽氏のポストより
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今回の問題の発端となったのはガザ地区からイスラエルに向かって4000発以上のミサイルが打ち込まれた事だが、それほど多くのミサイルをどうやって調達したのであろうか。

飯山氏によれば、ハマスは日本を含む国際社会の支援で敷設された水道管を掘り出し、それを一定の長さに切ってはロケット弾の胴体として利用したようである。それらをイスラエルに撃ち込んで民間人を殺戮している。TBSはこれを容認(!)しているのだが、もちろんこんなやり方は国際法違反である。TBSはそんな基本も知らないのであろう。または、左翼勢力というのは法律がどうであろうと自分たちがやりたいようにやるだけ、なのかもしれない。独裁国家のやり方を見ていれば「同じ」であることが良く分かる、というものだ。

ガザ地区というのはテロ組織のハマスが牛耳っており、実効支配している地域だ。本来はパレスチナを代表するパレスチナ自治政府とは全く別物であり、PLO(パレスチナ解放機構)も含めてハマスの横暴には困っているのだ。ハマスは独裁国家よろしく、せっかく国連から住民への支援として送られてきた物資を平然とスーパーで売りに出している。日本のガザ支援はまんまとハマスのテロに転用されてしまい、ハマスがテロを起こす為の資金源にもなっているわけだ・・・と実態を暴露するのは前出の飯山氏である。

参考ポスト
『Israel Defense Forcesのポスト』

ちなみに、ハマスを支持する「中東専門家」と称する人々は少なくなく、放送大学名誉教授の高橋和夫氏もその一人である。高橋和夫氏は「ガザ地区では水道が使えず住民が困っている」などと言っている一方で飯山氏が伝えた真実(ハマスが水道管を掘り起こしてミサイルの素材にしている)を全然伝えないのである。高橋和夫氏はずっと前にはDHCテレビの「ニュース女子」にもゲスト参加してコメントしていた人なので、もう少しマシな人かと思っていたのだが、飯山氏によれば、中東の真実を全然伝えず、テロ組織の擁護するような人…だったようである。残念なことだ。

テレビに出てくる中東専門家と称する多くの人たちは、今回の件を「パレスチナ問題」として歴史を振り返りながら語るのだが、そもそもこれは「テロ事件」である。「国際法に照らして明らかに違法」というその一点で語るべき問題である。「パレスチナ問題」として扱うから話が拗れて、終いには”イスラエルが悪い”などという的外れな結論になってりもするし、TBSは故意にそういう流れを作っている疑いがある。これはテロ事件であり、テロ行為を引き起こした奴が悪いのはどの角度から見ても明らかなのである。




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