Altered Notes

Something New.

「コップン・カー」は間違い タイ語

2021-08-31 15:15:55 | 社会・政治
日本語の「ありがとう」に該当するタイ語として、日本では間違った言葉が普及している。

「コップン・カー」がそれである。

思わず

「骨粉か!」

と突っ込みたくなるほど酷い間違いなのだが、多くの日本人は無知と無関心・無責任が災いして、この間違いに気付かず、間違いのまま普及が進んでしまっている。これは単に間違いであるだけでなく、タイ人に対しても失礼になっていることをまずは認識すべきだろう。

間違いを普及させる主な犯人はテレビ等のマスメディアだが、現在ではYouTuber等も加担してますます状況は悪化しているようだ。


まずは正しいタイ語をお知りいただきたい。

日本語の「ありがとう」を正しくタイ語で言うとどうなるのだろうか。タイ語の文章は女性形と男性形で末尾に付加する言葉が違うので、そこも含めて見ていただこう。

「コープ クン カー / ขอบคุณค่ะ(kʰɔ̀ɔp kʰun kʰâ)」(女性形)

「コープ クン クラップ / ขอบคุณครับ(kʰɔ̀ɔp kʰun kʰráp)」(男性形)

である。

冒頭の「コープ」は短く「コプ」と発音されることが多い。
お分かりと思うが、最後に付加する単語が違う。女性なら「カー」、男性なら「クラップ(カップ)」(*1)を付ける。これを付加することで丁寧な言い回しになるのだ。

あくまで「ありがとう」という謝意を伝えるだけなら「コープ・クン」だけでもOKである。(*2)

この「ありがとう」を意味する「コープ・クン」とはどういうものだろうか。

まず、『コープ / ขอบ(kʰɔ̀ɔp)は「返事をする、応える、受け取る、感謝する」といった意味』である。
また、『クン / คุณ」は「貴方」という意味』である。

見て分かる通り、「コープ(感謝する)」も「クン(貴方)」もきちんと発音しなければ文章として意味として成立しない。だから 骨粉、いや、「コップン・カー」は間違いだ、と断言できるのである。


当ブログでは過去に何度も記してきたが、日本のマスメディア、特にテレビ局は言葉に対して非常に無責任で無神経、いい加減である。完全に間違っている言葉を平然と垂れ流し、社会に間違った言葉を広めてしまう。その罪の大きさは計り知れない。そのテレビ屋が進んで間違った言葉「コップン・カー」を広めてしまったのである。

最近はテレビ屋に加えて、例えばYouTuberなどもこの間違いの普及に加担するようになっており、事態はますます深刻化している。(*3) 喫驚すべきことに、タイ在住の日本人YouTuberでさえ「コップン・カー」を連発しているのはブラマヨでなくても「どうかしてるぜ!」な状況である。さらに驚くのは、タイ在住で、しかもタイと日本のハーフという男性ですらこの間違いを犯している実態には呆れるしかない。しかもこの男性は末尾の丁寧語である「クラップ」(男性形)も言えてない。平然と「カー」(女性形)と発音するのだ。(*4) 何をか言わんや、である。(蔑笑)

また、ネット上の記事でも「コップン・カーでいいよ」と間違いを是認するものも散見されるが、基本中の基本をそのように間違ってしまうと後でどのような行き違い・ボタンの掛け違いが生じるか判ったものではない。とんでもないことなのだ。

前述の通り、タイ語を習得していく際に「コープ・クン」の原義を知っていれば、それはその後のタイ語習得の際にも礎となるだろうが、原義も理解せずに「コップン・カー」で覚えてしまうと、その後のタイ語習得にも明らかに間違いが起きやすくなるのは必定である。応用ができなくなる、ということだ。


ここまで来ると、単に「間違っていますね」では済まない問題だ。日本人から「コップン・カー(クラップ)」と言われたタイ人はどう思うだろうか。冒頭に書いたようにこの間違いはタイ人に失礼である。タイ人はそれが間違いであることを認識するであろうが、しかし「微笑みの国・タイ」の人は微笑みをもってそれを受け止めてくれるだろう。だが、内心は「基礎的なタイ語も喋れない日本人」として認識されることになるだろう。そんなことが続けば見下される事にもなるし、最悪の場合、タイ人が日本人から馬鹿にされているような事案として受け止められる可能性もある。それが元になって日本人がタイ人からバカにされる可能性さえある。日本と日本人のイメージが悪くなるのは必定であろう。間違った言葉が普及することは、最終的に国民同士の交流にも暗い影を落としかねないのだ。日本のマスメディアも、無頓着に間違った言葉を発する日本人もそうした自覚が皆無なのである。


言葉に無責任・無神経な連中の罪は大きく深い。



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(*1)
丁寧語の男性形「クラップ」もそのまんま「くらっぷ」と発音すると少し違う。正確には「クラップ」の「プ」を子音「P」の発音にする(子音発音、つまり母音を発音しない、という事)と良い。敢えて文字表記すると「クラッ(P)」または「クラッ」になろうか。
そうでなければ、「クラップ」ではなく「カップ」と言っても良い。この場合も「プ」は「P」(子音発音)にする。

(*2)
どこの国でも俗語というか、日常生活に馴染んだ言葉や言い回しというものは存在する。タイでもこの「コープ・クン・カー」が訛ったり変形して「コープ・チャイ・ナ」という表現も聞かれるし、時には笑顔で「コープ・チャイ・チャー」などと言うタイのおばさんも見かける。これらはある種の通俗的な表現であり、タイ人の生活の中で自然に変遷してそうなったものである。日本のテレビ屋が意味も知らずに間違えているのとは根本的に違う。

(*3)
YouTuber以外にも、有名な人物がSNSで「最近、タイ語を覚えました。”コップン・カー”って言うの」などと無頓着に間違ったタイ語を発信するケースもある。有名人は影響力が大きいだけにとても看過できない状況なのである。

(*4)
日本のテレビ番組で男性芸人がタイ人に向かって「コップン・カー」と言うシーンを何度か見かけた事がある。「コップン」が間違っているのは先述のとおりだが、男性が末尾の丁寧語「カー」を言うのも間違いだ。「カー」は女性形だからである。男性なら「カー」ではなく「クラップ」になるのだが、芸人は無知故にそれも知らずに「コップン・カー」と言ってしまう。二重に間違っている訳で「日本の面汚し」と言えよう。何よりタイ人に対して失礼である。本当に「何処に出しても恥ずかしい連中」である。








気象専門家の驕りに思う

2021-08-27 02:50:05 | 気象・地震
一つの道を極めた専門家というのは、その道を深く知らない一般人をついつい下に見てマウンティングしたがるものである。だが、そもそもそのような人は専門家以前に人として至らない、と認識せざるを得ないものだが。

何のことか?

つい先日(8月24日)のテレビ番組「林修の今でしょ講座」(EX)に於いて各局で活躍する気象予報士が集って、気象情報のあれこれについて一般人にわかりやすく講釈する、という企画があった。TBSに出演している森田正光氏、日テレに出演中の木原実氏や他の局に出ている予報士、そして俳優・タレントで気象予報士でもある石原良純氏などであり、比較的ベテランというか、気象の道を極めたような人たちが中心になるキャスティングであった。

番組はほぼこの予報士たちを中心に進行していったのだが、後半になってもう一人の気象予報士が登場した。ウェザーニューズ社の山岸愛梨氏である。



山岸愛梨氏


ご存じない方の為に簡単に説明するが、ウェザーニューズ社は民間としては最大規模の気象予報会社である。一般人が視聴できる気象情報は24時間放送されていて、YouTubeかニコニコ動画にて視聴可能である。ウェザーニューズのアプリケーションソフトからも視聴可能だ。前述の山岸愛梨氏も気象予報士であると同時に、この気象情報番組のキャスターの一人である。

ウェザーニューズでは気象情報・予報の素材データとなる観測機器を設置した場所が全国に約13,000箇所あり、これは気象庁が持つ観測ポイント数の10倍になる。また、ウェザーニューズには一般人がサポーターとして参加しており、その人達が毎日日本全国各地の気象状況について画像や映像付きでウェザーリポートと呼ばれる報告をウェザーニューズに送っている。

気象状況の把握・認識・今後の予想については、もちろん気象庁からの情報や正規の観測機器から得られるデータは重要だが、それだけでは把握しきれない詳細かつ具体的な情報、例えば現地の肌感覚も含めた情報は普通の観測機器では得られないものであり、気象の予測をする上でサポーターからの情報はかなり重要なポジションを占めているのが実態である。

そうなると、中には「嘘の情報を送ってくる不埒な一般人も居るのではないか?」という疑問を持たれる方も居るかもしれない。実はサポーターの皆さんは有料会員であり、ウェザーニューズ社にわざわざ会費を払って参加している人たちなのである。気象については人一倍意識の高い民間人たちなのだ。虚偽のリポートを送る動機などそもそも無いし、仮に嘘の情報を送ったとしても、そんなものはすぐにバレるのであり、ナンセンスであることを理解している人々なのだ。


話を戻す。

番組で、山岸愛梨氏が登場してからはウェザーニューズの活動などを紹介していったのだが、その途中で日テレ news every. で長年に渡って天気予報を担当している木原実氏が上述のウェザーリポートについて次のような発言をした。



木原実氏


木原氏は自身も
「視聴者からのウェザーリポートを時々覗いて参考にしている」
とのことで、
「レーダー観測では本当に地面に雨が降っているかどうかはわからない」
「雨雲を電波で捉えて降水強度に換算している。なので本当に雨が降っているかどうかは(現場を)見てみないとわからない。それを(一般の)サポーターが代わりに見てくれているのは助かる」
などと好意的な感想を述べた。

木原氏は続けて
「ただ、文章が『土砂降りだー!』という投稿だと実際に何mm降ったのかは、ちゃんと計測していないのでわからない」
「意外と民間の人って凄く過剰に表現するんですよ」
「『ゲリラ雷雨だ!』と言っても実際はそれほど強い雨じゃないケースもあるので、そこをちゃんと読み解かないとミスリードされちゃうかな、ということもある」
などと述べた。

木原氏の言葉は丁寧だが、これは一般人サポーターに対して失礼な物言いであろう。一種のマウンティングと捉えて間違いないと思う。言葉にそこはかとない悪意が感じられたからである。長年気象で飯を食ってきた専門家としてのプライド(と言うより過剰な自意識か)が民間人のリポートを下に見ているような印象…上から目線、というやつだ。この発言に筆者は「棘」を感じた。ここで木原氏は明らかに民間人を見下した感情を言葉に込めたのだと筆者は思ったのである。(*1)

この発言に対して特に山岸愛梨氏からの反論としての補足説明は無く、番組はこの直後に林修氏の「(木原氏は)ちゃんと他社を牽制することも忘れないのですね」という言葉でこの場面を締めた。


木原発言を受けての山岸愛梨氏からの補足解説が無かったのには理由がある。


山岸愛梨氏は自身のTwitterで「(昨日の放送について)私は1点めちゃくちゃ反省した点がありぜんぜん眠れませんでした。悔しい。今日の番組で補足させてくださいー」
と記している。

どういうことであろうか。

その説明は山岸愛梨氏自身がキャスターとして出演した8月25日放送のウェザーニュースLIVE(気象情報放送)の中で為された。その内容をベースに記していく。


番組を収録したスタジオは広く、他の気象予報士たちはひな壇型の座席に座っていたのだが、途中から出演した山岸氏だけは少し離れた位置に立った。そして、ここが重要なポイントだが、他の予報士たちと山岸氏の間にはコロナ対策用の大きなアクリル板が立っており、姿は見えるが声は聞き取りにくい、という状況になっていたのである。あのアクリル板は思いの外、人の声を遮断してしまうものなのだ。

山岸氏は番組放送を視聴して初めてあの時に木原氏が何を言っていたのか把握し理解したのだ。「こんなこと言われてたのか!」と衝撃を受けた、ということである。
木原氏が「ウェザーリポートを見て参考にしている」と言ったことで、あたかもウェザーリポートを高く評価しているのかと思いきや、続けて「ウェザーリポートは素人さんが報告しているので信憑性が低い」という趣旨の話になっていたので喫驚したのである。

山岸氏は正にその発言の時に、アクリル板のせいでうまく聞き取れずに内容を聞き逃していたのだ。なので、放送を視聴した山岸氏は「あー、ちょっと補足すれば良かった、と思った」そうである。

山岸氏が最も引っかかった部分は木原氏の「それほど大した雨ではないのに”土砂降りです”ってリポートされちゃうので、素人さんだからミスリードされる可能性があるので気をつけなくてはいけないんです」という部分であり、筆者が引っかかった部分と同じである。

山岸氏は「仮にスタジオでこの(木原氏の)発言をちゃんと聞き取れていたら、私は絶対(相手と)戦ったのに」と思い、「(一般人の)リポーターのみんなを地上波で守れなかった…と思ったら悔しくなった」と述べている。山岸氏は一般利用者からのウェザーリポートにはいつも感謝しており、「そんな皆さんの為に私は戦いたかったのに…なんか悔しいな」と述べ、落涙しそうなほど悔しさの感情がこみ上げる表情で率直な気持ちを吐露したのであった。



上で説明したように、ウェザーニューズの一般サポーターの人々は進んで会費を払ってでも自ら参加し、気象状況等の報告を送っているのであり、その気象に対する意識の高さは普通の市井の人々とは明らかに異なるであろう。その人達が専門家のプライドに依って見下された(馬鹿にされた)事に山岸氏は憤りを感じたのだ。

山岸愛梨氏は言う。
「やっぱり専門家の人はどうしても『定義はこうだから』とか『専門的にはこうだから』となりがちだけど、(そもそも)「誰のための天気予報か」というところは(我々は)忘れちゃいけないと思っていて、天気を見る人ってほとんどの方が気象予報士ではないですし、お天気のことを知らない方も見ていますし、そういう方が『今、雨強いです』と言ったら、『いやいや、アメダスは(それを)全然観測してないよ』…じゃなくて、やはりその方にとっての捉え方や感じ方があるんだな…という、そういう情報をちゃんと伝えることも大事だし、天気の感じ方も気温の感じ方も人それぞれあるのは当然だから、そこが一緒じゃなくてもいいわけです。伝える側はリポートしてくれた人の貴重な情報を届けなくてはいけない使命感を持っていないといけない。その意味で『素人だから駄目』ということではなくて、そのような捉え方・感じ方もあるんだ、という事を理解した上で情報を伝える事は凄く大事なことだと思う。一方通行の天気予報になってしまうのは良くないので、私達は毎日皆さんからいただくコメントやレポートなどをたくさん見て、皆さんに今必要な情報とは何か、を考えながらお届けしている。専門家になればなるほど、情報を受け取る側を想像するのが難しくなったり認識のズレが生じる事もあると思いますが、やはり私達は皆で一緒に天気予報を作っているので、ひとりひとりに合った情報、皆さんが必要とする情報を届けたいと思って毎日24時間頑張っているのです」

そして山岸氏は続けて
「もちろん(木原氏は)リポートを毎日見ている人ではないので、実態をご存知ではないと思う」と述べて、一般のサポーターのレベルや意識の持ち方を知らないが故の誤解がそこにはあった、という事を示唆しているのである。

さらに続けて
「そのような誤解を持つ人も多いと思う。だから、私は皆さん(一般サポーター)を守れなかったな、と思って悔しかったし悲しくなった」と述べている。専門家に依る一般サポーターへの見下し(マウント)に対して戦えなかった(訂正できなかった)事を山岸氏は深く後悔しているのであった。


要するに一般人が「土砂降りだー!」と報告したならば、それは日本全国各地で実際に生活している人々に依る現地の気象に対する肌感覚も含めた真摯な報告なのであって、そうした主観的な部分も大いに参考情報として評価に耐えうるものなのである。確かに一般人サポーターは木原氏のような専門家ではないので、使う言葉は一般的な口語を使ったものになるだろうが、元々気象に対して意識の高い人々であるが故に的外れな表現はしないであろう。しかも、そのリポートには情報を補強する画像やビデオ映像が付加されている場合がほとんどだ。また、市井のリポーターの報告だけでなく、ウェザーニューズが収集している各種の情報と照らし合わせて最終的に判断してゆくのであり、ミスリードされる余地は無いと言っても過言ではないだろう。
様々な情報を参考にしてウェザーニューズの気象情報は作成されていくのだが、最終的にアウトプットされる気象情報の精度の高さは既に各方面で実証済みなのである。そこを木原氏に代表される専門家たちは理解しようともせず、一般人の報告を軽んじた上で無意識的に自分自身を一種の権威と見做して上から目線の姿勢になってしまうのであろう。仏教で言うところの『増上慢』ということであり、実に残念である。木原氏には「謙虚」という言葉を思い起こしていただきたいものである。



筆者は気象予報士である山岸愛梨氏の気象情報に賭ける情熱と一般サポーターの皆さんへの信頼の高さをひしひしと感じることが出来て感動している。山岸氏には今後より一層のご活躍を期待するものである。



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(*1)
百歩譲って木原氏の言わんとすることは理解できなくはないが、それならば、あのように言うべきではなかったのは確かだ。表現方法が間違っていたと言えよう。









チャーリー・ワッツが旅立った

2021-08-25 08:05:00 | 人物
ローリング・ストーンズのドラマーであるチャーリー・ワッツが8月24日に亡くなった。80歳だった。

「ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさんが80歳で死去」

派手なプレイは無かったが、実に音楽的でグルーヴする8ビートを演奏するドラマーであった。

筆者は以前に「バンドのセンターはドラムである」という趣旨の記事を記した事がある。ローリング・ストーンズに於いては正にチャーリー・ワッツこそがバンドの核心であったと断言できる。派手で目立つミック・ジャガーやキース・リチャーズといったフロント・メンバーの陰に隠れがちではあったが、実はローリング・ストーンズの真の魅力はチャーリー・ワッツが叩き出す8ビートのリズムにあった、と言っても過言ではないだろう。ミックのヴォーカルも、キースのギター・プレイも、実はチャーリー・ワッツのグルーヴするドラムの上で初めて輝きを得ることが出来たのである。

ギターのキース・リチャーズは1979年に次のように語っている。

「みんなミックとキースがストーンズだと思っている。でも、チャーリーのドラムがなかったらバンドは成り立たない。チャーリー・ワッツこそがストーンズなんだよ」

正にその通りである。ローリング・ストーンズの音楽の核心はチャーリー・ワッツのドラミングにあったのだ。(*1)

元ビートルズのポール・マッカートニーも追悼コメントを出しているが、その中でポールは「チャーリーのドラムは岩のように安定していた」という趣旨のコメントをしている。「岩のように」というのはロックバンドであるストーンズだけに洒落っ気を入れたのかもしれないが…それはさておき、チャーリー・ワッツのドラムがいかに安定したグルーヴ感を持っていて、しかもそれがアンサンブルを共にする仲間達にとっては心から安心できる上にバンド全体を鼓舞するような素晴らしいリズムであった事を物語っていると言えよう。


「Charlie Watts / Jumpin' Jack Flash」

↑この演奏などは典型的なローリング・ストーンズ・ミュージックだが、チャーリー・ワッツのドラミングだけを映した珍しい映像である。(ちなみに映像はマーティン・スコセッシが撮っている)2拍目と4拍目に入るスネア・ドラムの抜けの良いサウンドが心地良く素晴らしい。チャーリーが作るリズムのグルーヴ感の核になる部分がここにある。その2拍目と4拍目にスネアが打たれるタイミングが絶妙に素晴らしいのだ。リズムに於いて1拍分の時間の長さは実は結構長い。長いと言っても一瞬のことだが。その1拍分の長さの何処(前寄り・真ん中・後寄り)でスネア・ドラムを打つのか、そのタイミングはドラマーによって異なる。チャーリーのスネアは1拍分の時間の後ろ寄りのタイミングで打っているので、リズムとして聴いた時に一種の「ゆったり感」のある心地良い8ビートになるのである。また、スネア・ドラム自体も良いチューニングがされており、リムショットも使って抜けの良い爽快なサウンドが生み出されていた。ストーンズのようなシンプルなフォーマットのロック音楽の場合は特にドラムが生み出すグルーヴ感が決め手になるのだ。

もう一つ付け加えるなら、右手が叩くハイハット・シンバルにも特徴がある。普通に8ビートを演奏するならば右手は1小節に8分音符を8回打つ事になるが、チャーリー・ワッツの場合は2拍目と4拍目(=スネアを打つタイミング)はハイハット・シンバルを打たない事が多い。その分、打ち込まれるスネアのサウンドがよりクリアに響くからである。これも彼の個性というか特徴の一つと言えよう。チャーリーの演奏ビデオを見ていると、ハイハットを刻む右手の動きが止まる瞬間が定期的に訪れる事に気づくと思う。それはこうした理由に依るものである。


ローリング・ストーンズは1990年に初来日(*2)して、東京ドームで演奏したのだが、その時の演奏も良かった。この公演はNHKで放送されたが、チャーリー・ワッツのが醸し出すドラムのグルーヴ感が最も印象的だった事をはっきり記憶している。

やんちゃで不良的なイメージのあるミック・ジャガーやキース・リチャーズとは違って、バンドの中で一人だけイギリス紳士然とした風貌のチャーリーだが、実はジャズも演奏していた。この世代のロック・ドラマーの多くがジャズ出身であるように、チャーリーもまたジャズを敬愛するミュージシャンの一人であった。トリオやクインテットなどのコンボ演奏もビッグバンドでの演奏もある。ローリング・ストーンズでの演奏とは違って、自分の好きな世界を心から楽しむ風情が感じられる演奏であった。チャーリー自身の言葉からもそれは読み取れる。

「今でも自分はジャズ・ドラマーだと思っている。ジャズ・ドラマーがたまたま世界一のロックバンドに入ってるってことだよ」チャーリー・ワッツ

「Take The 'A' Train - Charlie Watts And The Tentet」

↑10人編成のバンドで演奏するデューク・エリントンでおなじみの「A列車で行こう」である。ここでも決して派手なスタイルではないが、しかし音楽全体を支える心地よいリズムはそのままであり、音楽を演奏する喜びが彼のプレイにはある。

また、このようなアルバム↓もある。ビッグバンドでの演奏である。

「CHARLIE WATTS ORCHESTRA (Live At Fulham Town Hall)」




改めてチャーリー・ワッツに感謝と哀悼の意を表したい。

RIP Charlie Watts.




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(*1)
また、キース・リチャーズは次のようにも語っている。
「もしかしたら俺は最もドラマーから影響を受けたギタリストかもしれない。チャーリー・ワッツからね」

(*2)
本当は1973年に初の日本公演が予定されていた。しかし、当時の外務省がメンバーの過去の大麻使用歴を問題視して入国を拒否した為に中止になっている。


日本のコロナ対応が駄目な理由

2021-08-24 22:36:22 | 社会・政治
全世界が中国武漢で発生し世界的規模で感染が拡大した武漢コロナウィルスのおかげで大変な目に遭っている。
日本では「医療崩壊」「入院できない」などの問題が叫ばれ、日本のコロナ対応が後手後手で駄目駄目だという評価が一般的になっている。

実は日本の病床数は世界一多いのである。ところが、東京都の病床約10万床の内でコロナ用に確保されているのは僅か6%にあたる6000床だけなのだ。また、東京都内の病院は650あるのだが、その内75病院(11%)だけがコロナ患者を受け入れている。9割近くの病院がコロナ患者を受け入れていない。

武漢コロナウィルスの災禍が明らかとなって以降1年半にわたって国も東京都もコロナ患者用の病床を増やす政策を実施していない。その一方で、国民に自粛と経済活動の停止を求めてばかりである。自分たちの不作為のツケを全て国民に負わせる無責任極まりない政治家・役人たちであるが、それと共に政府の分科会や医師会・医療業界にも大きな問題がある。

なぜ今の惨状に至ってしまったのか。
そこが問題である。

この核心部分について数量政策学者で経済学の専門家である高橋洋一氏の解説を参考にして記していきたいと思う。

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現在の客観的な情勢としては新規感染者は確かに増えている。重傷者も新規感染者が増えているので、それなりに増加している。但し、死者はあまり増えていない。一般的にデルタ株の時には感染者が増える傾向にある。それでも死亡者がそれほど増えていないのはワクチン接種が進んでいる事に依るものであろう。特に亡くなりやすいのは高齢者であるが、この年齢層はワクチンがカバーしているので想定ほどは増えていないのである。

政府の分科会もマスメディアも「新規感染者数」を軸にして議論しているのだが、いつまでこの軸を続けるのか、という見方も出てきている。それでも現在は新規感染者数を軸にしている以上は、それに基づいて緊急事態宣言も出さざるを得ない…政府の分科会はそういう方針でいるようだ。

しかし、だ。

分科会から出てくるのは国民に対する行動制限ばかりである。

その理由を推測すると・・・
まず、基本的に分科会をマネージメントしているのは厚労省の役人である。そして、分科会に参加しているのは基本的には医師会関係の人物である。これは医師会の要請として「自分たちの医療体制に手を付けないで患者の方を減らす」ということを重視した結果である。

この「自分たちの医療体制に手を付けないで患者の方を減らす」というスタンスが問題なのだ。(*1)

普通に捉えるならば、患者が増加している時には「医療体制を拡充する」という考え方がある。だが、分科会では最初からそれをターゲットにしていなかったのである。最初から、だ。1年間やってきてずーっとそのまんまなのだ。

一番最初の時、つまり相手(ウィルス)の正体がよく判らない時には新規感染者を抑える手立ても必要であろうが、同時に医療体制拡充もある程度はできる筈なのである。具体的には補正予算の中に「医療体制の強化費」という名目の補助金が1兆5千億円もあったのだ。補正予算作る時に高橋氏は「これは重要だから」と念押しして作った予算だ。

ところが、である。

せっかく付けたこの補正予算1.5兆円はほとんど使われることはなかった。通常であれば、補助金を予算化したのだから、使わない、というのは解せないことである。

これが意味するところは、最初から「医療体制の拡充はしないでコロナの感染を抑える」事を重視していた、ということ。つまり「国民の行動抑制」である。社会的な抑制で感染拡大を抑える…恐らく初めからそういう方向で行く算段だったのだと推測されるところだ。

最初からこの方針だったことが最もよく判る事実がある。最初に「42万人死ぬ」という予測が出されているのだ。42万人亡くなる時には2000万人以上の感染者が出る、と推定される。その規模になってくると「医療体制の強化」は全然意味が無くなってしまう。政府側は最初からそういうシナリオで動いていたのだろう、と推測される。

つまり・・・

医療体制の方は徹底して手を付けないでおいて感染患者の方だけを抑える…そういうコンセプトだったのはほぼ間違いない。

前述の補助金1.5兆円だが、この予算が付けられた後で、コロナ専用のプレハブ病棟が全国各地にできるのだろう、と考えられていた。しかし、それが作られることはなかった。本来なら1年半前に1.5兆円も付けたのだから専用病床が各地にできていた筈なのである。それらが出来ていたならば自宅療養などしないで済んだ筈なのだ。


ある時に、厚生労働大臣が病床数の目標を言っているのだが、もちろんそれは全然達成できてないのである。つまり、厚生労働大臣は医師会をコントロールできてない、ということだ。

実は、日本で緊急事態宣言を出す時に「医師会に対して指示命令はできない」ことになっているのだ。医師や病院に対する指揮命令が取れない…そういう法律が無いから、である。

本来の緊急事態宣言にはかなり強力な私権制限があるので、それと同じレベルで業者に対する指示命令が必要なのだが、そういうことは法律になっていないのが現状である。それは実は憲法にも関わってくる問題である。

ただ、医師の事になると一般的な私人の話とは違ってくるので、憲法レベルの話でなくとも、業者に対する命令であり、特に医師法に依る免許を持っている人達の事なので、その範囲で必要なことはできるだろう、と思われるところである。仮にも医師法という法律に依って定められている医師に対する指導を強化する、という話なので憲法云々の話とは別にできるだろう、と考えられるのだ。

厚労省は今までにそのような法律を作った実績は無いので、今のような「緊急事態宣言の時に医師に対する指導が行えない」というのが現実である。

なにしろ、こうした緊急時に病院・医療に大して指揮命令ができないのは非常によろしくない事である。

逆に、そうした法律があれば指揮命令ができて、なおかつそれに従わないと医師免許剥奪になるので医師としてはまずいことになるだろう。

だが、残念なことに、なかなかここまでの議論にはなっていないのが現状である。

もしもこの法律を作るのであれば、その内容は「厚労省が医師法の中で緊急事態の場合には厚生労働大臣が医師や病院に対して種々の指示ができる」とし、「もしこの指示に従わない場合には医師免許を取り上げます」、という立て方になるであろう。このような形であれば憲法改正をしなくても実現可能な筈なのである。

ただし・・・。

これを今現在やろうとするなら必然的に大反対が起きて混乱することは必定であろう。こういうものは平時に作っておかなければいけないのである。平時の時に予め緊急事態用の法律を作っておくのだ。その中の一環としてこのような医師に対する指揮命令も一緒に入れておくのが最もスマートなやり方と言えよう。

特措法を作った時に入れておけば、という話もあるが、あれは民主党政権下で作ったものであり、そもそも無理というものである。特措法は私権制限もほとんど無く営業規制の話も殆どないので、これではロックダウンも何も出来ない事は明白である。この間の改正の時でも無理である。理由は医療従事者が猛反対するから、である。そうなると国会が紛糾して法律が通らなくなってしまうだろう。こういうことは火事場の時(緊急時)にはできないものなのだ。

逆の視点から見れば、医師会は指揮命令も何も無いので好き勝手に言いたいことを言っているのがよくわかるのだ。ワクチン接種も最初は医療従事者を優先的にしたのであり、積極的にコロナ対応で頑張ってもらいたいのにあまり活躍しているとは言い難いのが実情だ。医療従事者の為に打ったのであって、パーティーや寿司屋に行くために打っているのではないのだ。酷い話である。

パーティーや寿司屋に行った人たちは炎上の火消しが早かったが、今は医師を敵に回すことができないので、結果として有耶無耶になってしまったのである。マスコミは本来はこうした事を追求すべき筈であろう。


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(*1)
医師・医療者側は何も変わらず何も変えず一切の負担を背負わない一方で、その分の負担を全部国民に押し付けているのが実態である。だから新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂氏は国民に行動制限を求める事しかしないのだ。高橋洋一氏に依れば、そもそも尾身茂氏は活動家的な人物である。彼が「国民」と言わずに「市民」という単語を使いたがるのもそこに由来するものと推察されるのである。




新型コロナウィルスの起源が確定

2021-08-17 23:47:23 | 国際
中国の武漢市から始まったいわゆる「武漢コロナウィルス(新型コロナウィルス)」だが、その起源については当ブログ記事が既に2020年2月22日に「中国・武漢市の武漢病毒研究所から漏れ出た」ものであることを指摘している。その時の記事が下記リンク先である。

「新型コロナウィルス発生源がほぼ特定された」


さらに、最近になってジャーナリストの長谷川幸洋氏が下記の記事を発表している。

「新型コロナウイルスは「中国から流出」と断定した、米報告書の「驚くべき内容」」

あらゆる角度からの調査に依って、武漢コロナウィルスは間違いなく中国・武漢で発生し、世界中に拡散されたものであることが確定した。

武漢コロナウィルスを世界に拡散させた中国の国際社会に対する罪は非常に重いものがあるが、中国政府(中国共産党)は知らぬ顔で責任を取らないばかりか責任があることすら認めていない。厚顔無恥の極みと言えよう。


思えば、昨年の中国の春節の頃だったと記憶しているが、正に武漢市が市ごとロックダウンされた時期であった。武漢市は東京都と同じくらいの規模の都市である。それが市全体を一気に封鎖するのだから、余程の事であり、尋常ではない異常事態が起きているのは間違いないと思われていたのだ。それを裏付けるように、この同じ時期に中国政府の公式文書として「大学や研究機関に於ける病毒(ウィルス)の管理を徹底せよ」という指示が出されている事が中国国内の報道で確認されている。

すなわち、この時、習近平主席を含む中国政府は事態を既に把握していた筈で、それを知った上で敢えて国民を春節の旅行として諸外国へ出国させているのだ。当時、日本へも春節休暇の旅行として中国人観光客が大勢訪れている。そのおかげで日本国内でも一気に武漢コロナウィルス感染者が発生し、またたく間に感染拡大していったのである。ここで習近平主席は故意に武漢コロナウィルスを日本を含む諸外国に拡散させた可能性が非常に高いと思われる。また、当時の日本政府も外国人、とりわけ中国からの入国を完全にシャットアウトしていれば、日本国内での感染拡大もある程度抑えられたと推測される(台湾の成功例があるので)が、日本政府はそれをしなかった。政府の対応はほぼザルであり、武漢コロナウィルスに感染した中国人旅行者は次々に日本へやってきて日本国内でウィルスを拡散させたのであった。

そもそもウィルスというものは生物兵器(軍事兵器)であり、中国共産党もその前提でウィルスの研究をやっていたのだ。そうした素地があるところで故意に武漢コロナウィルスを世界中に拡散させたとしたら、習近平主席と中国共産党の罪は途方もなく大きいと言えよう。そしてそれはほぼ確実なことなのである。