Altered Notes

Something New.

バイデン候補の深刻な危険性を報道しない日本のマスコミ

2020-09-30 22:30:50 | 国際
米中西部オハイオ州で9月29日にアメリカ大統領選の第1回候補者討論会が行われた。

このディベートが始まる前にトランプ陣営はバイデン候補が「ワイアレス・スパイ・イヤホン」をしていないか確認を求めたのに対して、バイデン側はそれを拒否をしたのである。前回の大統領選でもヒラリー・クリントン候補の時に話題になっていたデバイスだ。



バイデン候補の右耳内にイヤホンが装着されている用に見える


ワイアレス・スパイ・イヤホンは普通のイヤホンよりも遥かに小さいワイアレスイヤホンであり、装着していても目に見える部分が肌色になっており、一見したところ装着しているようには見えない。今回のようなディベート、しかも認知症の疑いがある(*0)バイデン候補にとっては必須だったのであろう。



ワイアレス・スパイ・イヤホン


日本のマスコミではこのイヤホンを「補聴器」と報道していた。何が何でもバイデン氏に都合が悪くなる報道はしない、ということであり、そのためなら事実をも捻じ曲げる事を厭わないのが日本のメディアだ。

このイヤホン、装着していれば、トランプ氏の質問に対してどのように答えれば良いかサポートスタッフがイヤホンを通して教えてくれる…そういうアイテムなのである。リアルタイム・カンニング機みたいなものだ。

バイデン候補は以前のマスメディア・インタビューでもトンチンカンな回答をしており、明らかに認知症が進行している事を見る者に感じさせて「不安と頼りなさ」という印象を植え付けたのであった。実際、バイデン候補を素のままディベートに出してしまったら、バイデンは完膚なきまでにボロ負けだったであろうし、認知症故の奇行に走ったかもしれない。

そのインタビューでバイデン氏は、例えば「新型コロナウィルス(COVID-19)に依る死者がもうすぐ2億人を超えるだろう」(*1)とか、「私が議員になってから180年経つ」などといったトンチンカンな答えを満面の笑みで発言していたのだ。質問していたTVキャスターは「もう結構です」と言ってインタビューを終えざるを得なかった・・・それほど酷かったのだ、バイデン氏は。

「2億人」とか「180年」という回答から見て取れる事は、バイデン氏は「データ/数値」の把握ができなくなっている事実だ。記憶自体も相当おかしくなっているのだろう。従って、ワイアレス・イヤホンを使わない事を前提にするならば、トランプ氏としては「数値」を攻めのツールにすればバイデン氏はボロボロになること必定であろう。

なので、サポート無しでディベートの現場にバイデン氏を出してしまったら、民主党にとって悲劇的な展開になるのが100%確定していたから、だからバイデン陣営はワイアレス・スパイ・イヤホンを使わざるを得なかったのだ。しかし、それの装着の有無の確認を拒否したということは、逆に「付けています」と宣言したようなものなのだが。

それでもバイデン氏がかろうじてディベートを乗り切れたのは、ディベートを仕切る司会者も「バイデン側の味方」というバイアスがかかっていたからである。トランプ氏の質問に対してバイデン氏は直接には回答しなかった。それに不満なトランプ氏がバイデン氏の質問にかぶせるように質問してくる。そして、バイデン氏が返答に窮すると司会者が割り込んできて助け舟を出す…何なら話のテーマも変えてしまう…というパターンが繰り返された印象がある。司会者は終始バイデン側を助けるような立場でディベートを進行させたのだ。明らかに今回のディベートは「トランプ 対 バイデン&司会者」という「一人対二人」の闘いだった、と言えるだろう。

酷いディベートだった…という感想を持つ人が多かったようだが、それは全てバイデン陣営と司会者側がもたらしたものであることは間違いないことだ。


それにしても日本のマスコミは冒頭のワイアレス・イヤホンの件も含めて、バイデン氏が抱えるいろいろな意味での危険性を一切報道しない。日本のマスコミもまた「バイデン推し」のバイアスがかかっているからである。

なぜか。

日本のマスコミは「親中国」、バイデン氏もバリバリの「親中国」。同じように中国共産党に媚びて奉仕する人々だからである。

バイデン氏と中国の関係については先般の拙稿に記してある。下記のリンク先を参照されたい。

媚中派バイデンに加担する中国 アメリカ大統領選挙

中国はジョー・バイデン候補の息子であるハンター・バイデン氏の会社に超巨額の投資をしている。総じてバイデン氏サイドには中国から巨額のお金が流れており、中国に言わせれば、「バイデンは買収済み」「バイデンは既に押さえた」ということなのだ。

中国からハンター・バイデン氏に送金があった事が米財務省によって確認されている。下記のリンク先を参照されたい。

中国からバイデン氏息子への送金、財務省が確認

それもあってバイデン氏は「私が大統領になったら政権初日にトランプがやった中国に対する経済制裁は全部撤回する」と発言している。バイデン氏のシニア外交顧問は「中国との完全なディカップリングは非現実的。経済とテクノロジーを巡る中国との関係をリセットし不公正慣行に対抗する」と発言している。こうなってしまったら世界の、地球の危機と言えるだろう。中国の都合の良いように翻弄されるバイデン氏の姿が今から目に浮かぶようである。

ちなみに前述のシニア外交顧問の発言は、バイデン氏自身がこうした発言ができないから、その代わりに顧問がどんどん前に出てきて言っているのである。バイデン政権は一応形だけは「中国の人権が~」と言うかもしれないが、だからといってそれで制裁措置などは一切発動しないので、中国はフリーハンドを手に入れるようなものである。結局トランプ以前の状態、元の木阿弥になってしまう…現在、中国共産党に弾圧され虐待を受けているチベット・ウィグル・内モンゴル・香港の人たちは絶望の涙を流すことになるだろう。

バイデン氏が仮に大統領になったら、アメリカは没落して中国の後塵を拝するようになるだろうし、アメリカだけではない、世界中が中国に何らかの形で支配される事になるだろう。中国一強の時代になる、ということだ。中国は2049年に建国100周年を迎える。中国共産党はその時までに世界を支配する、という野望(中華思想)を宣言しており、実際にその目標に向けて侵略の魔手を各方面に伸ばしつつあるのだ。

その災厄は当然日本にも降り掛かってくる。アメリカ軍は撤退し、その代わりに中国人民解放軍が侵略してくるであろう。尖閣諸島はおろか、日本全土が中国の支配下になり(*2)、現在のチベットやウィグルと同じ運命を辿るであろう。冗談ではない。中国共産党が目論んでいるのは正にこういうことなのだ。これは筆者の空想ではない。”中共自身が既に明言している”事なのだ。(*3)

このような大きく深い負の可能性を抱えたバイデン候補の極めて危険な実質を日本のマスコミは一切報道しないし、むしろバイデン氏の認知症の件も含めてマイナス要因を全てスポイルするような嘘報道ばかりやっているのが実態だ。

その中には、あの「ニュースうそだったのか!」でおなじみの池上彰氏も同様である。極左のテレビ朝日で番組を持つ池上氏も当然バイデン推しであり、池上氏自身が「バイデン氏は認知症だというデマが流れている」というデマを流しているのである。

とにかく、大統領選の日本に於ける報道の全てが中国に喜んでもらう為の内容になっていることは把握しておくべきだろう。


それでも流石に認知症の大統領ではそもそもアメリカとしてまずいだろうと思われる向きもあるだろう。しかしそこは左翼の民主党も考えている。

民主党と中国にとっては、とにかくバイデン氏が大統領に当選さえしてくれたらそれで良いのだ。病気が明らかになっても、倒れてしまっても、実務的に駄目だとなっても、すぐさま副大統領のカマラ・ハリス氏を大統領代行に据えてしまうからだ。カマラ・ハリス氏は極左である。こうして中国に奉仕する為の体制がしっかり構築されてしまう…そういう運びになっているのである。


ある意味で全地球の運命を握るアメリカ大統領選挙だが、日本のマスコミは悪の方向へ、日本や世界が壊滅させられる方向へ舵を切るべく、フェイクニュースをも駆使してバイデン候補を激推しするのである。そうして中国に奉仕するのが日本のマスコミの願望であり実態なのである。




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(*0)
メディアのインタビューに答えるバイデン氏の声は小さく覇気がなく、視点は定まらない感じで、発言も理性があるとは思えないほどぶっ飛んでいる…間違ってもこれが大統領候補とは思えない喋り方だった。そこから見ても認知症である疑いは限りなく濃いと断言できるのである。

(*1)
そもそもアメリカの人口が3億2千万人である。「2億人」って…アメリカの2/3以上が死んじゃったのかよ!と突っ込みたいところである。アメリカに於けるCOVID-19に依る本当の死者数は20万人だ。バイデン氏は「20万人」と言おうとして「2億人」と言ってしまったのである。もう一つの「議員になって180年」も含めて、バイデン氏の頭は相当ヤバい状態にあるのは間違いないところであろう。

(*2)
憲法九条を改正して、きちんと軍備をしておかないとそうなるのだ。アメリカ軍が居なくなった日本には中国人民解放軍は気楽に侵入してくるだろう。そうなってしまうのは、現在の左翼の人たちが憲法改正や必要な軍備をさせないからである。

(*3)
1990年代には当時の中国の李鵬首相は「日本なんて国は20年もすればなくなってますよ」と見下した態度で言い放っていたのだし、その為に日本の領土を奪う事を中国共産党の公文書で明言しているのだ。そんな日本を見下して足蹴にする態度がデフォルトな国に二階幹事長たち親中派は媚びまくっている・・・狂気というか、人として「どうかしてるぜ!」な人たちである。




消費税の「社会保障目的」は財務省の拙い言い訳

2020-09-26 20:00:00 | 社会・政治
そもそも財務省にとっては国民からお金を巻き上げることができれば何でもよく、〇〇税でも△△税でも名称も税の目的も何でもいいのである。そう言うと身も蓋もないが、本当にそうなのだから仕方がない。

特に消費税にまつわる財務省のロジックは酷いもので年月を追う毎にコロコロ変わっていった。(*1)この財務省が訴求するロジックの嘘八百を経済学者で大学教授の高橋洋一氏が喝破し解説しているので紹介したい。


1989年4月、竹下内閣の時に日本で初めて導入された消費税であるが、3%の税率でスタートした時の財務省が言う理屈は「直間比率の是正」であった。直接税と間接税の比率ということだ。これは理屈と言うよりはとにかく消費税を導入したいという願望そのものである。税金を直接税と間接税に分けてたところで、その比率は各国様々であり、最適比率を見つけようとしても無駄だからである。

その次に財務省が言い始めたのが「財政破綻」である。財務省は「国の借金残高が急増していてとんでもない額になっているので増税しなきゃいけない」というロジックを持ち出してきた。表だっては「財政破綻する」とまでは断言しないのだが、財務省の飼い犬に等しい学者・評論家・メディアなどを駆使して陰に陽に財政破綻論を国民に吹き込んで洗脳したのだった。もちろん、これも嘘だ。日本の借金が大きいのは事実だが、日本が持つ資産も同額あるので差し引きゼロである。無問題なのだ。

「財政破綻論」も財務省の大嘘がバレてきたので、今度は「消費税は社会保障目的に使います」と言い始めている。(*2) 「少子高齢化を迎えて社会保障財源が足りないから、消費増税をするしかない」という一見もっともらしい理屈を繰り出すのだが、実はこれもおかしいのだ。

「消費税を社会保障目的に使う」と言ってるのは世界でも日本だけである。先進国で実例はない。

なぜか。

社会保障論から見るならば、消費税を社会保障目的税化とするのは間違いである。社会保障は日本を含めて給付と負担(保険料)に関係が明確な社会保険方式で運営されている国が多いが、日本のように消費税を社会保障目的税として税金が半分近く投入されている国は他にないのである。税の投入が多いと、給付と負担が不明確になるからだ。つまり、その手法自体が「お門違い」なのである。年金・医療・介護は基本的に「税方式」ではなくて「保険方式」によって運営されるべきものである。事実、日本の基本的な制度設計はそうなっているのだ。

医療が保険方式であることは誰もが知っている事実だが、年金も保険方式であることは以外に知られていないのが実情である。国民の多くは単純に「国からもらえるお金」だと思いこんでいるのだが、それは間違いである。

平易に説明する。

「健康保険」というのは、「病気にかからなかった人のお金で、病気にかかった人を保障する」ものであるである。

一方、「年金保険」は「早く亡くなった人の保険料を長生きした人に渡して保障する」ものである。

年金が保険であることは、法律を見ればよくわかる。サラリーマンが加入する厚生年金は「厚生年金保険法」という法律に基づいている。法律名の中に「保険」と記されていることからわかるように、あくまでも「保険」なのである。

国民年金の場合は「国民年金法」という名称の法律であり、法律名に「保険」という文言は記されていないが、法律の文面には「被保険者」「保険料」という文言があって、やはり保険であることが判るのである。


このように、保険とは「保険料に依って成立するシステム」なのであり、そもそも「税金」とは全く関係がないものである。

こうした基本中の基本を知っておかないと、財務省が言う「年金などの社会保障費が逼迫しているから消費税の増税が必要」という誤魔化しのロジックに騙されてしまうのである。

社会保障の財源には社会保険料をあてるのが筋なのである。


消費税の税金と社会保険料には大きな違いがある。消費税は「誰がいくら支払ったのか」という明細記録が残らないが、社会保険料の場合は「誰がいくら支払ったかという個人別の明細記録が残る」。この記録の有無の違いが最も大きな差異になるのだ。

保険料は記録が残っているので、給付と負担の関係が明確になる。(*3) 保険料を多く支払った人には給付を多くする。保険料を少なく支払った人には、給付が少なくなる。判りやすいシンプルな仕組みである。

消費税の税金にはこのような仕組みは存在せず、誰がどれだけ税金を支払ったかが判らない。だから前述のようなケースで誰にどれだけ保障するかの根拠が不明ということになる。だから「社会保障に使う」のは根本的に無理筋であり意味不明ということになる。


それでは、消費税はどのような目的に使われるのが妥当と言えるのであろうか。

世界の常識としては、安定財源である消費税は「地方または国と地方の一般財源」に使っている国がほとんどなのである。(*4) 税率については、財務省は欧州諸国の消費税率(15~25%程度)を強調するのだが、欧州諸国は日本でいえば一地域の経済規模や人口に相当する。日本に当てはめるなら、各地域が道州制になって各々の地域で独自に消費税率を決定しているようなものだ。ちなみにカナダの場合は州によって12~15%となっている。



現在、マスメディアはすべて財務省に抱き込まれており、消費税の増税を肯定する方向でしか報道しない。マスコミは財務省の飼い犬で言いなりである。つい最近も時事ドットコムで藤井裕久元財務相のインタビューを記事にしているが、そこで書かれた内容は「消費税の減税は社会保障にマイナス」というものだ。マスコミがいかに財務省のいいなりであるかがよくわかる。


昨年秋の消費税増税(8%→10%)は景気を後退させたのだし、それに加えて、今年に入って武漢コロナウィルス問題が発生した事で経済活動が大きく停滞する事になってしまった。非常に強烈なWパンチである。経済の立て直しを考えた場合、消費税を大きく減税するか、あるいはいったん消費税を完全停止するくらいの思い切った政策をとらないと日本経済が上向くのは難しいであろう。それでも財務省は自分達の懐を肥やすことができれば、後は野となれ山となれ、なのである。財務省官僚というのはそういう連中なのだ。





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(*1)
そもそも理由が「コロコロ変わる」ということ自体がおかしいのであり、この時点で国民から猛反発されても仕方ないほどの失態なのだが・・・。


(*2)
例えば経済学者で大学教授の飯田泰之氏などは「社会保障財源にとって消費税は一番良い性質を持っている。なぜなら老人から取れるから。お金を持っていてお金を使える高齢者から取れる珍しい税金。その意味では社会保障財源向きだ。」と発言(2020/9/22:ニュース女子にて)している。その他にも社会保障目的を肯定する理屈を繰り出す向きは多い。


(*3)
社会保険料には「(1)使用目的が明確」「(2)記録が残る」「(3)給付と負担の関係が明確」という3つのメリットがあるのだ。前述のように消費税にはこれが無いので、だから駄目でしょ、という話なのである。


(*4)
繰り返すが、消費税を社会保障目的税とする国は聞いたことがない。財務省の意向として消費税を国税に固定化してしまうので地方へ税源移譲させるものがなくなって地方分権の動きには逆行することになる。
消費税の社会保障目的税化は財務省と厚労省の戦略的互恵関係から生まれたものと推察される。財務省は消費税増税、厚労省は社会保障予算の獲得で目的達成となるのだ。官僚が好き勝手にやりたい放題ということであり、完全に国民不在なのである。




音楽を語れない日本人

2020-09-25 15:01:15 | 音楽
残念なことに大方の日本人は音楽を語る言葉を持っていない。ほとんどの日本人にとって音楽とはヒットチャートの流行歌でしかなく、そしてそれがすべて。それだけのことなのだ。

テレビ番組等で「◯◯さんの曲を語る」「△△さんの曲を分析する」といったテーマで扱ったとしても、せいぜい「歌詞」の言葉を分析して終わりである。その曲の音楽面には触れないのだ。歌詞だけを語って、それでその曲を語ったつもりになっているのが日本のテレビ番組の「程度」である。

歌詞は言葉であって音楽ではない。歌詞を分析したところでその曲の音楽面(メロディーや和音・リズム・サウンド等)を語ったことにはならない。「曲について詳しく語るというから音楽的な側面を語ってくれるのかと期待したら、歌詞の分析だけだった…」というがっかりな事例はそこかしこにある。腐るほどある。(*0)

これは一般的な日本人が「音楽を語る言葉を持っていない」「音楽を語れない」事に問題の根幹がある。

それでも最近はごく一部で「曲の音楽面にスポットを当てる番組」(*1)があり、曲の音楽的構成要素等について語る番組もなくはない。しかし、現状ではそうした傾向が一般的になっているとはとても言えないのが実情だ。(*2)

音楽家の坂本龍一氏は歌曲を聴いても「音楽だけを聴いており、歌詞は聴いてない」と言う。それが普通であり当たり前のことだ。音楽家ならば差し当たってその曲の音楽的な構成がどうなっているのか、について聴いて分析する…そういう捉え方であり思考回路ができているからだ。その際に歌詞がどうだとかワードがどうだという問題は全く関係ないのである。歌詞は言葉であり音楽ではないので当然である。

かつてジャズピアニストの菊地雅章氏はこうした「音楽を語れない日本人が一般的である事」について「日本は文化果つる国だね」と残念そうに語っていた事を思い出す。

どうしてそうなってしまったのだろうか。恐らく音楽教育の問題でもあり、マスコミの音楽に対する理解度の浅さにも問題があるのだろう。一般大衆はマスコミが流す情報に左右される度合いが高く、従ってそのマスコミが音楽を全然理解していなければ、流れてくる情報も非音楽的なそれ(例えば歌詞の情報のみ)にしかならないのは必然的な帰結であろう。

音楽教育も様々な変遷があったとはいえ、まだ十分な役割を果たしているとは言えないだろう。学校で教える以上、「音楽」ではなく「音学」になってしまっている側面もあるだろうし、そうなると子供たちは拒否反応を示したり、そもそも関心が持てない状態になるのだ。

ここで大事なのは、例えば「和音の音の積み方」(*1)を語る場合でも、実際の事例を先に示して「感性的な関心」で惹きつけておいてから、実はこの和音はこんな構造になっていて、だから魅力的に聴こえるのだ…といった具合に「惹きつけておいてから、その仕組を理解させる」という順序が大切になってくるのではないだろうか。そしてその素材はヒットチャートの曲で構わない。なぜなら児童・学童が関心を持つ音楽は正にヒットチャートの曲だからである。入り口としてはそれでいいのだ。

無理やりクラシック曲を素材に、その成り立ちを理論的に説明したところで子どもたちはキョトンであろう。日本では長らくクラシックを素材に音楽教育をやってきたが、昔の欧州のようにクラシック音楽がその時代の主流だった時代にはクラシック曲が素材で良かったのだ。なぜなら一般大衆が普通に聞き普通に好むのがそのクラシック曲だったからである。今はどうだろうか。ここはヨーロッパではないしクラシック曲が主流の時代でもない。ならば、今の主流の曲を素材にすれば良い。それでいいのだ。曲を聴かせて、関心を持たせた上で、その音楽的な成り立ちを解説すれば子供にとっても理解は速いだろうし、何より子供の側にモチベーションというものが生まれることが大きいのである。

例えば文科省的にどうしてもベートーベンやバッハを入れたいのなら、現代曲を素材にした学習を続けて基礎を培った後で「実はベートーベンという作曲家が居てこんな曲を作った」とやれば一層深い理解に結び付けられるであろう。誤解しないでほしいが、西洋音楽を学習するのならクラシック曲を学ぶことは大切なことである。なぜなら現代の西洋音楽の基礎となる部分を構築したのは間違いなくクラシックの時代の作曲家たちだからだ。サザンオールスターズの曲の和音進行やメロディーが魅力的であることはよく知られているが、実はそれがバッハ作品の中に既に存在していた手法である事を後から知るのは楽しいのではないだろうか。


もう一つ重要なことがある。

ここは日本であり、我々は日本人である。日本にはいわゆる「邦楽」と呼ばれる伝統音楽がある。邦楽は西洋音楽とは全く異なる。音階も違うし、その音程自体も西洋音楽のそれとは大幅に異なる。しかし、近年は邦楽の演奏者も西洋音楽に寄せていく流れが強くなってきており、邦楽器で西洋音楽曲を演奏する事例も多くなってきている。それに伴って色々と致命的な問題が生じてきている。ここでは詳しく説明しないが、関心のある人は下記リンク先の拙稿を参照していただければ、と思う。

「日本人と西洋音楽・邦楽」


このように、邦楽を含めて総合的に音楽を語れる文化的な土壌が今の日本には皆無と言って過言ではない。もう、呆れるほど無いのだ。こうしたあまりにも情けない現状が少しずつでも変わっていくことを願ってこの稿を終わることにする。




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(*0)
「歌詞を語る」としても、その歌詞が聞き手の心にヴィヴィッドに伝わったとしたら、それは旋律や和音といった音楽的な要素抜きには語れない筈である。その「歌詞」が特定の「旋律」「和音」「リズム」によって彩られてリスナーに伝わるのだから。

(*1)
関ジャニの冠番組では曲の音楽的な成り立ちにスポットを当てる企画を頻繁に取り上げており、例えばその中で椎名林檎が曲の和音の構成について「なぜその積みにしたのか~」といった発言がそのまま流れるのは面白いと思ったが、こうした切り口をどのテレビ番組でも恒常的に扱うようになる事は現時点では考えられない。なお、「積み」というのは和音を構成する一つ一つの音の積み重ね方を具体的にどうするか、という事を言っている。平易に説明するなら、Cというコードがあった時、それを下から「ドミソ」と積むのか「ミソド」と積むのか「ソドミ」と積むのか、あるいは「ドミソドミ」にするのか、具体的にどれにするのか?また、その積み方にした理由は?…といった問題を椎名林檎は語っていたのだ。

(*2)
もっとも、音楽を売って利益を生み出す音楽産業に従事している人たちにとっては、一般大衆が音楽に詳しくない方が都合が良いのかもしれない。音楽制作における手抜きや盗作疑惑がバレにくいからである。アイドルグループで商売する秋元康Pから出てくる曲が実は音楽面で盗作的であったり他曲のパクリが多い事に気づかれたら困ってしまうだろう。彼らにとって消費者は音楽的無知でいてくれた方がありがたいのは間違いないところ…と推察される。





菅政権「デジタル庁新設」 本当の理由

2020-09-24 23:25:00 | 国際
菅政権が発足してまだ日が浅いが、これからこの政権がどんな方向に進んでいくのか興味深いところである。基本姿勢として中国寄りになるのか、米国重視でいくのか…それは日本にとって根本的かつ大きな問題だ。

自民党の中には二階幹事長(*1)を中心に、いわゆる親中派と飛ばれる人々が多い。しかも菅総理は無派閥なので、親中派の協力も得ないと安定した政権運営は難しいかもしれない。そのような懸念があるのは事実である。

だが、しかし・・・

実は菅政権は既にそのような意味でのメッセージを打ち出しているのだ。

「デジタル庁新設」構想がそれである。

菅総理はどうしてデジタル庁の新設を決定したのであろうか。その理由はどこにあるのであろうか。

理由を記す前に説明することがある。

9月23日の読売新聞報道で「米上院外交委員会は22日、トランプ大統領が駐日大使に指名した政策研究機関「ハドソン研究所」のケネス・ワインスタイン所長(58)の人事案を可決した。」とある。

ワインスタイン氏は今月か来月には着任する新しい駐日アメリカ大使であり、ポンペオ国務長官やペンス副大統領の知恵袋でもある。彼が所長を務めているハドソン研究所は右派の研究所として有名だ。また、2年前には国際的にインパクトを与えたあのペンス演説を仕掛けた張本人でもある。

・・・ということはワインスタイン氏の大使起用は、「アメリカは日本を重視していますよ」という意思を現わす人事である、ということになる。

従って、日本とアメリカは足並みを揃えてやっていく方向に動いていくはずである…というのが常識的な見方と言えよう。

そして、デジタル庁構想である。

このデジタル庁新設の理由について、マスコミは全然報道していないが、ジャーナリストの須田慎一郎氏に依れば
「これはアメリカの要請に依るもの」
とのことである。

日本の政府や官庁は未だにデジタルシステムの整備や使いこなしということでは相当遅れているのが実情だ。サイバーセキュリティの面で日本はあまりにも脆弱過ぎるということで、アメリカから「ちゃんとやってくれ」ということで要請されたのだそうだ。しかも、この構想を仕掛けたのが前述のワインスタイン氏なのである。

従って、新設のデジタル庁で何をやるのかと言ったら、産業政策や経済政策ではなくサイバーセキュリティである。そして安全保障局の経済班と連動して動くようになるだろう。非常にセキュリティ性の強い安全保障性の強い組織になる筈である。しかも、デジタル庁の長であるデジタル改革担当大臣には平井卓也氏が就任する。この人はデジタル推進議連の会長 でもあり、スペシャリストとして期待されている人物である。

従って菅総理の打ち出した「デジタル庁構想」は、そのままアメリカに対するメッセージにもなっている、ということになる。

二階氏はじめ親中派が多いことから、菅政権が中国に寄っていくのでは?…という懸念は杞憂である、ということになりそうだ。


最後に付け加えておくが、デジタル庁新設はもちろん菅総理がかねてから目指していた行政改革の一つでもある。その改革とは・・・
(1)行政のデジタル化 (2)中小企業の統合・再編 (3)携帯電話料金の値下げ (4)不妊治療への保険適用 (5)地方銀行の再編 (6)NHK受信料の値下げ
といった6つの大きなテーマからなる。

デジタル庁新設は既述のような国家のセキュリティに関わることでもあるが、もう一つは省庁のデジタル化、そして地方行政のデジタル化も含んでいる。特に地方行政のデジタル化は呆れるほど遅れており、これを本格的に改革する事もまた重要なテーマなのである。



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(*1)
親中派と言えばこの人の名前が必ず出てくるが、実は安倍政権の時でも外交政策に関して二階幹事長の存在はほとんど影響はなかったそうである。もちろん二階氏は個人的なチャンネルで中国と通じているのだが、政府の外交政策立案にはほぼ関わっていない、というのが実態である。






「防衛費をGDP比2%に」の真の意味

2020-09-23 15:50:50 | 国際
「防衛費をGDP比2%に 米国防長官が日本など同盟諸国に要請」

アメリカのエスパー国防長官は16日、中国やロシアとの大国間競争に向けた同盟パートナー諸国との関係を強化していく意向を示した上で日本を含む同盟諸国に対し「防衛費を国内総生産GDP比で少なくとも2%に増額するよう要請する」と述べた。

この問題について、安全保障・インテリジェンス関連の専門家であり近現代史研究家でもある江崎道夫氏と作家の百田尚樹氏が解説しているので、今回はそれを紹介する。


日本の防衛費は今年度の防衛白書に依ると2019年度の日本の防衛費はGDP比0.9%である。ちなみにアメリカは3.05%である。

日本は数十年前から「GDP比1%」を目安に防衛費を組んできたのだが、この基準はよく考えると理不尽でおかしいのである。

防衛費というのは、本来は仮想敵国の軍備状況に対して、それに対抗する為にはこれだけ必要、という具合に算出するのが正しいのだが、日本は意味もなくGDP比1%という数字にこだわってやってきたのである。これは本当にナンセンスなことだ。詳しくは後述するが、このやり方を貫いた事で大東亜戦争に負けたのだ。なのに、その経験に学ぼうとせず、同じ過ちを繰り返そうとしている。本当に阿呆なレベルなのである。

普通の国家であれば防衛費の算出方法は次のようなものになる。仮想敵国を想定して、その国がどのような軍事力を持っているかを調査分析する。それに対抗する為にはどういうものが必要か、どういう装備、どういう兵力が必要か、を考えて最終的にその費用を計算するのだ。当たり前じゃないか、と思うだろうが、日本はそうじゃないのだ。

日本は頑なに「GDP比1%」という枠の中でできることだけをする、という発想でやってきた。「1%」に意味はない。これを設定してそれに自ら囚われながらやってきたのだ。しかも基本的に「戦略がない」のである。間抜けとしか言いようがない。

本来は国会・政治の場で中国や北朝鮮に対してどのように対処するか、という議論をするべきだったのに、それをしてこなかったのである。

防衛省は事実上の仮想敵国は中国・北朝鮮、そしてロシア、という形で見ているのだが、それでは中国はどんな軍事力を持っていて、それに対抗する為にどうしたらいいのか、について、政府は防衛省に戦略分析をきちんとやらせていないのだ。そもそもここから問題なのであり、初歩レベルで躓いているのが実情だ。


一方、中国はというと、この20年間で国防費が10倍以上になっている。イザという時に的に日本が対抗できる力を持っているか否かが非常に重用な問題になってくる。そのような状況の中で、具体的な敵国の想定もせずに議論もせずに、はじめから「GDP比1%以内で」、というのはあまりにもおかしいのである。論外、な話だ。


エスパー国防長官が冒頭の発言をしたその背景を説明するが、決して「日本の防衛費が足りないから日本はけしからん」と怒っているのではない。アメリカから見た場合、「対中国」「対北朝鮮」を考える時に頼りになるのは日本と台湾である。その頼りになる日本と台湾がもう少し防衛努力をしてくれないとマジで”中国に対抗できない”という危機感があっての発言なのである。

だから日本批判と言うよりはアメリカ国内向けの説明として言ってる話なのだ。繰り返すが、「日本は駄目」と言ってるのではなく、アジア太平洋で中国に対抗する為には「アメリカも努力するけども、日本と台湾が一緒にやってもらわないと無理なんだよ」という事なのだ。

1ヶ月くらい前にアメリカのペンタゴン(国防総省)は対中国で海軍力が負けつつある、ということを正直に認めた。それはあくまで艦船の保有隻数ベースの話であって、実際に戦闘になればアメリカのスキルは高いので、アメリカが簡単に負けることはないが。そうはいっても数の力は凄いものがあるのも事実である。こうした背景もあってのエスパー発言なのだ。


アメリカは全世界を相手にしている。その一方で中国はアジア太平洋エリアに集中できるので、そこだけ見れば中国の方が日米台連合よりも勢力としては上であろう。本当はここに韓国が入っていると少し違ってくるのだが、韓国は完全に明後日の方向に行ってしまっているので戦力外である。


その韓国が実は問題だ。現在、韓国が怪しい動きをしている。

韓国はここへきて突然軍事費を増大させている。韓国にとって従来の仮想敵国は北朝鮮だったが、今は隠れ共産党員でもある文在寅大統領によって親北に舵を切っている。中国とも融和的な関係にある。

こうした韓国の怪しさに依って日米韓の軍事同盟が揺らいでいるのだ。その状況下で軍事費を増大させているのである。従来は北朝鮮が仮想敵国だったので韓国軍は陸上部隊が中心だった。ところが今回の軍事費増大は海軍力の増強が中心になっている。海軍を増強するということは、すなわち北朝鮮ではなく日本を仮想敵国として見ているものと推定される。

韓国はGDP比3%まで軍事費を上げているのだが、これは実額として日本の防衛費を上回るくらいになっているのだ。

なぜ韓国は海軍の増強と日本を射程に入れた中距離ミサイルを整備しているのだろうか。なぜ海軍を強化しているのだろうか。

ちなみに、この中距離ミサイルは韓国から打った場合、北朝鮮を飛び越えてしまう射程がある。つまり、明らかに北朝鮮対応のものではない、ということだ。

これについてアメリカは韓国軍に対してその意図を調査している。しかし韓国側はアメリカに対してイザという時の為に「軍事指揮権を韓国側に渡せ」と言ってきているのである。だが、これは渡すわけにはいかないものだ。渡した結果、韓国に変なアクションを起こされたらまずいからである。不審な動きをする韓国をどのように抑え込むか、ということで米軍サイドもキリキリになっている厄介な状況なのである。


また、下手したら中国は韓国を使って日本を攻撃させる可能性もある。歴史を振り返れば、元寇の時以来、中国は韓国軍を使って日本侵攻をやっている実績がある。

現在、そのような嫌な胎動があるのは事実であり、不穏な空気が流れている。


「GDP比1%」という枠の設定のナンセンスについて説明する。

大東亜戦争当時、日本の大本営の参謀は実際の敵に対応した作戦をとらなかった。本来は相手の戦力を把握・検討した上で、それに対抗する為の作戦・戦略を練るのだが、日本陸軍はそれをせず、自分勝手な戦力を作って「これでよし」という幼稚なやり方で通していたのである。

当時の陸軍は「相手の戦力を分析などしていたら自分の主体性がなくなる」、という訳のわからない事を言い出したのである。敵の実態を把握せずに「己はこうだ」と勝手に決めてしまい、それに沿って進めるやり方である。敵を見ずに進めるのだから案の定、負け戦ばかりだったのだ。まったく阿呆である。

実は今の日本の「GDP比1%以内」も前述の陸軍と同じ発想・思考なのである。

本来は中国や北朝鮮の現在の軍事力をきちんと分析し精査することではじめてどのような軍備が必要になり、従ってこれだけの費用がかかる、というのが正しい算出方法なのだが、今やってるのは、それと関係なく単純に「うちはGDP比1%以内でいく」と決めてしまうやり方だ。前述の大東亜戦争時の失敗と全く同じでありナンセンスだ。阿呆の極みである。


次に「国家戦略」「軍事戦略」について述べる。

「国家戦略」というのは例えば「中国とも対応する」「中国をどう取り込むのか」「中国が敵に回らない為にロシアとの関係を悪化させる」等々ということを含めた中国をコントロールする為の戦略である。

一方、「軍事戦略」は中国や北朝鮮を仮想敵国と想定した上で、仮に戦争になっても対応できるだけの兵力を用意する為の戦略である。

このように軍事戦略と国家戦略は全く逆のベクトルにある、と言えるだろう。この両方を複眼的に考えるのが本来の筋であるのに、戦前戦中は軍事戦略優先で全てを敵に回してしまったのであった。

戦後はと言うと、軍事戦略がなくなって国家戦略だけになってしまった。これは「全ての敵をなくしてしまう」という考え方である。

戦前戦中と戦後…あまりにも両極端である。極端が過ぎるくらいだ。本当は国家戦略と軍事戦略の両方がないといけない。


だから、トランプ政権に於いても国家戦略として「習近平と対話をする」一方で、軍事戦略では「中国ロシアが仮想敵国である」となっている。きちんと分けてるからそうなるのである。

本当はこのような複眼的な議論をしていくことができるようにならなければいけないのだ。日本も本気で変わっていくことができるようにしなければいけない。これは必須である。安倍政権では実はそれをやろうとしていたのだが…。


そもそも日本の政治家には「軍事」という視点が欠けているのが特徴である。大学でも戦争学を教えるところはない(*1)が、しかし国際社会の中における日本を考えた時、実際にはこの知識はガチで必要なのである。「戦争しない為」に必要なのだ。このような最低限の常識を持っておかないと政治家としては失格であろう。




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(*1)
戦争学をきちんと学んだ高橋洋一教授の「戦争を起こさせない為の確度の高い5つの方法」は説得力のある解説である。是非参照されたい。