Altered Notes

Something New.

鼻持ちならない東京電力

2012-04-28 00:02:34 | 社会・政治
東京電力は重要な社会インフラの一つを受け持つ独占企業であり、会社の体質は限りなく役人・官僚的である。

昨年の原発事故後の対応ひとつとっても東電の対応は正に官僚的であり被災した人の苦しみなどどこ吹く風の非人間的な態度・姿勢ばかりが目立つひどいものであった。

電気料金の値上げも「値上げは権利だ」と呆れた戯言を宣って当然のように要求している。
その上、値上げが嫌なら電気を止めてやる、と恫喝までしている。
実に凶悪で傲慢極まりない連中である。
正に官僚体質と言えるだろう。

東電の言い分には原発事故を引き起こした責任感はどこにも感じられない。
そもそもあの原発は地震で電源が失われる設計になっており、メルトダウンになったら近隣住民は被曝する、という仕様で設計されていた。
それは現在の経営者だけでなく、この会社の過去の経営者たち全ての責任である。(国の責任でもあるが)

原発事故で土地を追われて生活や人生を滅茶苦茶にされた人々の苦しみ・怒り・悲しみを東電は全く理解しようとしない。
四の五の言う前にまず一方的に被害を与えた人々に充分な保障と謝罪をするべきであろう。

しかし東電は決して十分な保障や謝罪をしているとは言いがたい。
その上、社長をはじめ取締役たちは億に届きそうな年俸を受け取っている。
しかもあれだけの事故を引き起こして上に無責任な対応をしておいてボーナスまで支給されるというトンデモ会社である。
とてもまともな神経ではない。
ボーナス出す余裕があったら被災者に回すべきであろう。
被災者の中には絶望して自殺された方も居るのである。
東電はそれをどう捉えるのか?

本来、東電がやるべきことは原発事故の被災者全員に充分な保障と誠意ある謝罪をすることである。
その為なら全ての経営陣(旧経営陣含めて)は私財を投げ打ってでも被災者への保障をすべきなのである。
東電自体がまず血を流す覚悟で保障すること。
そうした姿勢を社会が認めた上で必要なら値上げも有り、ということだ。

経営者というのは本来そのくらいのリスクと責任を背負っているものなのだ。法律上の理屈云々ではない。
人としてどうなのだ、と問うているのだ。
「社長」の椅子にふんぞりかえることが経営者ではない。
こんなことが言われないと判らない、言われても判らない…それが東電の経営者たちの「人としての程度」であり実態なのである。

人間としての資質が問われているのだが、たとえそのようなことを直接言われたとしても、そんなことどこ吹く風・・・まさしく馬耳東風。それが東電の体質なのである。
厚顔無恥ここに極まれり、である。(蔑笑)


さらにこうした体質が原発再稼働においても問題になる。
このようないい加減で無責任かつ心ない官僚的な対応しかできない東電なら原発を再稼働させた後も必ず同じ事を繰り返すことは誰でも容易に想像できる。
愚かな者は必ず同じ間違いを繰り返すのである。


再稼働における条件の一つとしてストレステストのクリアというものがある。
しかしここに嘘・誤魔化しがある。

ストレステストの仕様・基準が作られたのは
「震度6の地震が来ないし津波もこない欧州」
であり、その基準を
「震度6の地震が来て巨大な津波に襲われる日本」
に適用するのはそもそもおかしいのである。

ここでも原発を早く動かしたいという国(官僚)や東電の嫌らしい策略で日本国民を騙そうという凶悪な意図が見える。


原発を再稼働させたいと言うのなら、まず福島で起きたことの正直かつ明確な総括とそれを基にした耐震・対津波対策が必要である。
さらに原発事故で被災避難した人々全員に彼らが「これで十分です」と認めるだけの保障をしなくてはならない。


そこをうやむやにして再稼働を許すなら、国と東電は必ず同じ過ちを繰り返すであろう。
そしてまた国民が犠牲になるのである。





テレビCMの音量

2012-04-26 15:15:50 | 放送
かなりの昔からテレビ放送においてある種の苦情が絶えなかった。
それは

「CMになると途端に音が大きくなってうるさい」

というものである。

これに対してテレビ局は

「番組本編とCMで、音量は一切変えていない。
気のせいではないか」

と訴えを一蹴してきた。


視聴者の実感として確かにCMが始まると音量は大きくなってうるさいという印象を持つことが多い。
それは厳然たる事実である。

しかしテレビ局は「音量は変えてない」と突っぱねる。

これはどういうことなのか?


これにはカラクリがあり、テレビ局の主張には実は誤魔化しが含まれている。

簡単に言えば
「録音レベル」と「再生レベル」の問題
である。

どういうことか。


テレビ局が
「番組本編もCMも音量を変えていない。一定である」
と主張するのは実は本当である。

ならばなぜCMだけうるさく感じられるのか?

それは「録音レベル」が違うからである。

サウンド・レコーダーで録音レベルを手動で調整した経験のある人なら判ると思うが、録音レベルの調整においてレベルを小さく設定すれば音源が大音量でも小音量で録音される。

逆に録音レベルを大きく(音割れする限界ギリギリまで上げる)すれば
音源が小音量でも大音量で録音される。


そして実際のオンエアにおいては番組本編は音量が中庸のレベルで調整されているので、視聴者はそのレベルに対応して自分のテレビの再生音量を調整をする。

そしてCMになった途端に「録音レベルが最大で記録されたCM」が流れる。
視聴者からすれば「突然大きな音が鳴り始める」ということになる。


そういうことなのである。
たしかにテレビ局は音量の送出レベルは変えていない。一定である。
しかしCMそれ自体が最大ボリュームで録音されている。
なので、突然大きな音が鳴り始める…ということになる。


まとめると、

(1)テレビ局の音量送出レベルは一定である。
(2)番組の音量調整は普通レベルである。
(3)CMの録音レベルは最大で記録されている。
(4)だからオンエア時には、CMだけが突然大きな音となって聴こえる。



テレビ局が悪意に満ちていると思うのは、こうした真実をひた隠しにして
「音量は一定ですよ」
と平然と嘯いてきたことである。
「気のせいじゃないですか?」と、視聴者に責任転嫁すらしてきた。

これはテレビ局にとっては「CM命」であり、視聴者よりスポンサーが大切であること。
CMは民放テレビにとって収入そのものであるから、真実を説明できないという事情があるからである。



しかし近年はテレビ以外のメディアが増えて視聴者の「テレビ離れ」が目立ってきた影響であろうか、CMの音量問題に着手せざるを得ない状況のようである。

このような動きがある。

番組とテレビCMの音量差を解消!

民放連 ラウドネス運用規準 全TV番組・CMの音量感を統一

やたら難しい言葉のオンパレードになっているが、要するに

「仕方ないから番組本編とCMの音量が変わらないようにしましょうかね」

と言っているに過ぎない。
記事に書かれているのはそれを実現する方法/運用基準である。

このような措置を講じることで、”今まで音量は変えてない”と視聴者を騙してきたテレビ局もついにその嘘を認めた、ということになる。

ただ、この音量問題が解決したところでテレビ番組の腐敗とテレビ局の志の無さは既に致命的レベルを超えているので、テレビ離れの潮流は変えられないであろう。

テレビは相変わらずである。





野田総理の奇妙

2012-04-26 14:04:26 | 社会・政治
まずはこちらのビデオ映像を見て聞いていただきたい。

「野田総理 マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行」
(Youtube)

いかがであろうか。
消費税率を上げることに命をかける(笑)野田氏の近年の演説である。
現在の主張と完全に真逆の内容であることに吃驚するばかり。
実に奇妙なことだ。

政治家という人種は凄いものだ。
これだけ信念を翻しておいて一切恥じることがないのだから。

なぜこんなことになったのか。

世間では今回の増税に対して国家の債務がどうとか、やたら難しい理屈をこねまわす説明が横行しているが、真実は何時の世もシンプルだ。
人間の動機、それも政治家・官僚どもの動機というのは至極単純なものである。

それは何か。

官僚が自分たちの自由になるお金をもっともっと欲しがっている。
政治家はその手伝いをしている。

ただそれだけの話である。

野田総理は財務官僚に支持してもらって総理になれたので、官僚に対してその恩返しをしなければならない。
と言うより、増税をしてくれることを条件に総理にしてもらった、というところか。

再度、冒頭のビデオ映像に戻ろう。
野田氏はあの演説中に「シロアリ」と呼ぶ「天下り法人」(天下った元官僚がわんさか寄生している)をなくせば消費増税は必要ないと明確に言っているのである。

(天下った元官僚に支払っている無駄な税金を全てカットすればその合計は二十数兆円となり、消費税増税は全く不要となる)

それが今では「増税に命をかける」とまで変貌してしまった。
この豹変ぶりは一体何なのか?

それは官僚である。

結局この国で最も権力を持つ連中が顔の見えない官僚たちなのである。
政治家も結局は官僚を味方につけなければ何もできない。
だから最後は官僚の手下と化してしまうのだ。

民主党の豹変ぶり、そして野田氏の豹変ぶりが何よりの証拠である。

野田氏は自ら高らかに宣言している

「(マニフェストに)書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。」

「税金の無駄遣いは許さないということです。天下りを許さない、渡りは許さない。」

「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。」

ここまで言っていた政治家がこのザマである。
彼はこの豹変ぶりに対して誰もが理解納得できる説明をしていない。

野田氏は必死である。
総理にしてもらった見返りの増税ができなかった場合、彼の身に何が起きるのだろうか…。
恐らく余程の罰が彼に与えられることになるのであろう。
誰によって?
もちろん官僚である。
だから、彼は「命をかける」とまで言い切って増税に突っ走るのである。
本当に命が掛かっているからである。

国民の利益になることは何一つやる気のない民主党政権だが、官僚様の為なら命だって掛けてしまうのである。

官僚たちは既に手中にした贅沢だけではもの足りず、さらに自分達の好き勝手に使える金がほしい、と宣っているのである。
野田民主党政権はそのご宣託の為に必死に奔走している。

日本の腐敗は止まらない。