あまりにも有名なアビーロードにまつわる話なのだが、今回は超個人的な内容であり、かつ非常にどうでもいい話になるので予めお知らせしておくものである。正に雑談である。
昔、故あってロンドンを訪れた時に折角なのでアビーロードへ行ってみよう、と思い立った。
時は1970年代の前半であるからまだインターネットというメディアは存在せず(それどころかパソコンも存在しないし携帯電話すら無かった)、アビーロードへたどり着くには地図が便りであった。
ロンドンの中心部、ピカデリーサーカス付近の店でロンドンの地図(ペーパーバック型の厚みのある地図本。エリア毎に細かい路地まで詳細に描かれている)を購入してアビーロードの位置と地下鉄(アンダーグラウンド)の最寄り駅を確認した。
今でこそ、アビーロードの最寄り駅は?と言えば、ジュビリー線のセントジョンズウッド駅が有名で定番として認知されているのだが、私が行った時代にはあまり情報も無く、最寄り駅が何処であるかを地図上で見つける必要があった。
この時代にもセントジョンズウッド駅はあった筈なのだが、なぜか地図上で私が最寄り駅として見つけたのがベイカールー線のメイダヴェール駅である。大まかな位置関係で言うと、アビーロードのあの横断歩道を起点とするとセントジョンズウッド駅は北東方向に徒歩5分くらいの場所。メイダヴェール駅は南西方向に徒歩8~10分くらいである。
セントジョンズウッド駅の方が近い上に道路1本で来られるので判りやすいのは間違いない。対するメイダヴェール駅からはまず北東方向にアバーコーンプレイスという道路を直進し、突き当りを右折してちょっと行くとあの横断歩道に出る・・・突き当たったその道路が実はアビーロードという道である。
で、ここからが個人的な情けない話になる。
とにかくまずは地図で調べた地下鉄のベイカールー線に乗らなくてはならない。当時は自動券売機も無かったので有人の券売窓口で目的駅を告げて硬券の切符を購入して乗ったのである。自分の発音で通じるか不安だったが、通じたのでホッとした記憶がある。
メイダヴェール駅に到着してから地図を頼りにアビーロードを目指して歩きだしたのだが、現地はロンドンの普通の住宅街で、歩いても歩いても同じような景色が続くのでだんだん自分が何処に居るのか判らなくなってきた。迷子である。
今ならグーグルマップとGPSで自分の位置はすぐに判るので迷子はあり得ないのだが、当時は手持ちの地図と周囲の景色や場所を示す標識等だけが頼りだった。
何分くらいあるき続けたのだろうか、場所を見失ったまま歩き続けているうちに疲れてきてモチベーションが下がってきた。結局、アビーロード到達は断念してメイダヴェール駅になんとか戻って帰ってきた、という話。まぁ情けない。あとちょっと…恐らくあと1~2ブロックくらいの所までは行っていたと思うのだが、なぜか諦めてしまった。その辺の人に尋ねても良かったのだが、人見知りな私にはハードルが高かったようだ。
人見知りと書いておきながら、一方で当時人気だったプログレッシヴ・ロック・バンドのYESのオフィスやEL&Pのオフィス(Manticore Ltd.)には押しかけていってポスターをもらって帰ってくる…という狼藉もやらかしている。さっぱり訳が判らない。
・・・というのがロンドンの思い出である。アビーロード訪問は機会があればリベンジしたいと思っている。
昔、故あってロンドンを訪れた時に折角なのでアビーロードへ行ってみよう、と思い立った。
時は1970年代の前半であるからまだインターネットというメディアは存在せず(それどころかパソコンも存在しないし携帯電話すら無かった)、アビーロードへたどり着くには地図が便りであった。
ロンドンの中心部、ピカデリーサーカス付近の店でロンドンの地図(ペーパーバック型の厚みのある地図本。エリア毎に細かい路地まで詳細に描かれている)を購入してアビーロードの位置と地下鉄(アンダーグラウンド)の最寄り駅を確認した。
今でこそ、アビーロードの最寄り駅は?と言えば、ジュビリー線のセントジョンズウッド駅が有名で定番として認知されているのだが、私が行った時代にはあまり情報も無く、最寄り駅が何処であるかを地図上で見つける必要があった。
この時代にもセントジョンズウッド駅はあった筈なのだが、なぜか地図上で私が最寄り駅として見つけたのがベイカールー線のメイダヴェール駅である。大まかな位置関係で言うと、アビーロードのあの横断歩道を起点とするとセントジョンズウッド駅は北東方向に徒歩5分くらいの場所。メイダヴェール駅は南西方向に徒歩8~10分くらいである。
セントジョンズウッド駅の方が近い上に道路1本で来られるので判りやすいのは間違いない。対するメイダヴェール駅からはまず北東方向にアバーコーンプレイスという道路を直進し、突き当りを右折してちょっと行くとあの横断歩道に出る・・・突き当たったその道路が実はアビーロードという道である。
で、ここからが個人的な情けない話になる。
とにかくまずは地図で調べた地下鉄のベイカールー線に乗らなくてはならない。当時は自動券売機も無かったので有人の券売窓口で目的駅を告げて硬券の切符を購入して乗ったのである。自分の発音で通じるか不安だったが、通じたのでホッとした記憶がある。
メイダヴェール駅に到着してから地図を頼りにアビーロードを目指して歩きだしたのだが、現地はロンドンの普通の住宅街で、歩いても歩いても同じような景色が続くのでだんだん自分が何処に居るのか判らなくなってきた。迷子である。
今ならグーグルマップとGPSで自分の位置はすぐに判るので迷子はあり得ないのだが、当時は手持ちの地図と周囲の景色や場所を示す標識等だけが頼りだった。
何分くらいあるき続けたのだろうか、場所を見失ったまま歩き続けているうちに疲れてきてモチベーションが下がってきた。結局、アビーロード到達は断念してメイダヴェール駅になんとか戻って帰ってきた、という話。まぁ情けない。あとちょっと…恐らくあと1~2ブロックくらいの所までは行っていたと思うのだが、なぜか諦めてしまった。その辺の人に尋ねても良かったのだが、人見知りな私にはハードルが高かったようだ。
人見知りと書いておきながら、一方で当時人気だったプログレッシヴ・ロック・バンドのYESのオフィスやEL&Pのオフィス(Manticore Ltd.)には押しかけていってポスターをもらって帰ってくる…という狼藉もやらかしている。さっぱり訳が判らない。
・・・というのがロンドンの思い出である。アビーロード訪問は機会があればリベンジしたいと思っている。