Altered Notes

Something New.

コルトレーンに捧げるコンサート(1987)に思う

2021-07-30 15:51:00 | 音楽
ジョン・コルトレーンはサックス奏者だが、とりわけテナーサックスの奏法については独自のスタイルを確立したことで、彼以後の(モダンジャズを目指す)テナーサックス奏者は多かれ少なかれ影響を受けている。偉大なサックス奏者であったマイケル・ブレッカーもまたコルトレーンの影響を深く受けた一人である。

また、サックスの奏法だけでなく、音楽としてのジャズを本質的に深化させていった功績は非常に大きなものがある。音楽の創作という面でもコルトレーンの影響は大きく広い。

コルトレーンは1967年7月17日に病気で亡くなったが、その20年後の1987年に日本のジャズフェスである LIVE UNDER THE SKY で没後20周年を期してトリビュート・コンサートが行われた。


「Tribute to John Coltrane (Live 1987 Full)」


メンバーは

Wayne Shorter(ss)
Dave Liebman(ss)
Richie Beirach(p)
Eddie Gomez(b)
Jack DeJohnette(ds)

曲目は

Mr.PC
AFTER THE RAIN
NAIMA
INDIA
IMPRESSIONS

である。

デイブ・リーブマンはコルトレーン・スタイルを色濃く受け継ぐ演奏者であり、コルトレーンの研究家でもある。
ウェイン・ショーターは演奏スタイルはやや異なるが、コルトレーンのジャズ・スピリッツをしっかり受け継いだインプロバイザーと言える。
ウェインとデイブは共にマイルスのバンド出身者でもある。

ベースのエディー・ゴメスとドラムのジャック・ディジョネットは共に数多くのバンドやセッションに参加してきた優秀な音楽家であり、あのビル・エヴァンス・トリオのメンバーであった。その時代に名盤「モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス」を残している仲でもある。ピアノのリッチー・バイラークはデイブ・リーブマンの盟友であり、モダンジャズの革新者の一人である。

このコンサート。東京の よみうりランド・オープンシアター East で開催されたのだが、筆者もこの会場で聴いていた一人である。現場の熱気は凄かった。

普段は一緒に演奏する機会がほとんど無い顔ぶれのセッションでもあり、その意味でも貴重な記録と言えよう。

コンサートには実はこのメンバー以外にもWSQ(ワールド・サクソフォン・カルテット)が加わって「MY FAVORITE THINGS」が演奏されたのだが、なぜか発売されたビデオソフトには収録されていない。極めて残念である。裏にいわゆる大人の事情があったとしても、音楽的・歴史的意義を考えるとノーカットでリリースすべきであった事は間違いない。


1曲目の「Mr.PC」が始まってすぐにデイブ・リーブマンのソロが始まる。ジャズ界でも特にコルトレーンの影響が濃いプレーヤーなので、そのフレージングはコルトレーン・スタイルが極めて濃厚である。ひとつ残念だったのは、特に高音域(サックスのスプーンキーを使用する音域)がほとんど音にならず(リードが振動してない)、かすれた音になってしまっているのは残念なところだ。意気込み(熱情)が先行するあまり、リードのコントロールがうまくいかなかったのかもしれない。デイブのソロ全体としては熱気あふれる内容であったが、前述の音のかすれもあってか、デイブ自身はやや不完全燃焼だったかもしれない。

続いてウェイン・ショーターのソロである。こちらはウェイン独自のスタイルを貫いていて白熱化した。ジャック・ディジョネットのドラムがバンド全体を鼓舞するようにグルーブしていたのもウェインのソロが焚き付けた炎に依るものだったと言えよう。

その後の曲目ではコルトレーンに造詣の深いデイブ・リーブマンの演奏を中心に展開されていくが、全体として豊かな音楽を鑑賞できた充実感に溢れる一夜であった。


このコンサートについては「もっとコルトレーンにゆかりの深い人選の方が良かった」、という趣旨の意見も少なからずあった。それは評論家や一般リスナーに共通して見られる傾向であった。しかし、ここに集結したミュージシャン達は「コルトレーン音楽保存会」ではないのだ。そこは認識しておいた方が良い。

よく、「○○民謡保存会」というのがあるが、そうした団体のほとんどは「○○民謡」の「形」を残す事に特化しており、「○○民謡」を「今の」「現代の」生きた音楽として捉えて創作し活動している訳ではない。「形式」だけ残されても実はあまり意味はないのだ。言っちゃ悪いが「仏作って魂入れず」のようなもので、それが「保存会」なのである。真の意味で残したいのなら、往時の音楽を今の生きた音楽として改めて創作し直すクリエイティブな作業が必要になるのだ。

その意味で、このトリビュート・コンサートもまたコルトレーン・ジャズの「形式」だけを再現するのでは何の意味も無い。当夜のメンバーはコルトレーンのジャズ・スピリッツを受け継いで見事に「現代」のジャズとして提示したのである。

当夜の演奏が始まる前にウェイン・ショーターが語っている内容は象徴的で本質を言い表している。ニューヨークの老舗ライブハウスであるバードランドでコルトレーンに会ったウェインに対して、コルトレーンは「多少の相違はあっても、僕らは同じ道に沿って演奏している」「音楽理論の研究や技術なんてどうでもいいことだ。真理を求める感性だけがあればいい」と語っている。ウェインがコルトレーンに感じていた大きなサムシングは「コルトレーンが音楽を演奏する以上の何かを感じていたこと」であり、コルトレーンは「生きることの本質、その崇高さを”知って”いた」のであり、優れた音楽の核になる部分が言語化・理論化できない人間の”魂の領域”にこそ存在していることを述べているのである。


そうしたスピリチュアルで大切な何かを内包した演奏だったから、だからこの1987年の演奏は今の時代でも色褪せず、人間の核心に迫る音楽として生き続けているのであろう。



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