何の前触れもなく,突然に心に打つものがある。何日も何日も心にリフレインさせ,自己を陶酔させる言葉とメロディーがある。
私の場合,今更ながら中森明菜さん(以下敬称略)の歌声とその歌詞,心地よく流れるメロディーにそれが起こった。その曲は「アデュー」(中森明菜『ZERO album 歌姫2』2002.03.20,第4曲目)というカバー曲です。
この名曲のカバーは30代後半以降の独身女性の気持ちを歌ったものでしょうけど,私には心底泣けました。特に〝2分58-59秒〟に微かに聴こえる明菜さんの涙を堪えようとする嗚咽には…。
明菜さんは私よりすこし年上のお姉さんで,デビュー時には日本屈指の超アイドルでしたが(当時中学生の私は亡岡田有希子さんの親衛隊でした),このような素晴らしい歌声を出す重厚な人生経験を備えた歌手になっていたことをあらためて実感しました。これからも日本屈指のヴォーカルとしてのご活躍をせつに希望しています。
本日はロレヲタのお話ではなく,人は実体験と,ある歌詞とメロディーが重なったとき,このような雷をうけたような陶酔された気持ちになることを久しぶりに感じました。
それともう1つ。先週送られてきた会報誌の中に掲載されていた渡部芳紀「タンポポの花一輪の贈り物」(社団法人学士会『学士会会報』2009-Ⅲ№876,81-86頁)の太宰治論にもあらためて物欲への戒めと純(ジュンというかピュア)への尊重を啓蒙されていたが,私には悲しいかな,「アデュー」の歌詞に深く感銘し激しく同意する〝純〟な気持ちと同時に,泥沼の総当たり戦を継続するロレックス収集への執念と闘争がある。
確かに他人からすれば,ゼニアやロロ・ピアーナのオーダースーツに無垢ロレをし,片手にライカMのBPを持つ私を物欲者の急先鋒といわれるかもしれないけど,私の気持ちは都内の高校生よりもずっと純なのだが…。
でも,もう若くはない私には,20代前半の銀座の,白と紺地のカミナリ模様の薄いワンピースがよく似合う美人ホステスとの休日デートは当分アデューできそうにもない。
人生とは自分の意志を敏感に発動させるものではなく,むしろ無意識にただ流されるがままのほうが人間らしい純な生き方なのかもしれない…。
と,ぼくは今,そう思う。