伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

来る年のお節料理

2010年12月31日 | 日記

12月31日(金)晴

正月は当地で過ごすことになったので、「ふみ」のお節料理を取り寄せた。この店の料理の味は伊豆高原では抜群である。

夫婦二人だけの正月だから、分量的にもちょうどいい。

 

 

 

 

 

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見慣れた島と山なのだが…

2010年12月29日 | 日記

12月29日(水)

年末の天気は日本全国大変な荒れ模様。特に裏日本は風と雪、それに雷までが荒れ狂っているらしい。
伊豆高原でもこの数日来の激しい風は一向に収まらないが、天気だけは雲一つないような素晴らしい晴日が続いている。

風が強いとこれまでに積もっていた枯葉はすっかり吹き飛ばされ、庭一面が掃き清められたようになる。また、冬の空気は一層澄明となり、海も山もくっきりと鮮やさかな姿をみせる。
庭から眺める姿に変わりがあるわけではないが、季節と時間によって違った表情をみせる利島と大室山。

今朝は風にそよぐ竹藪越しに波立つ光る海の向こうに船影と利島。隣家の電線が真ん中を横切るのは頂けないが、それは贅沢というもの。

普段は我が家の庭から大室山を見ることはできない。緑の樹々が山全体を覆い隠してしまうからである。だが、この冬の時期だけは、すっかり葉を落とした樹間を通して見ることができるのである。




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玄関の正月飾り

2010年12月28日 | 手作り
12月28日(火)

いよいよ正月も間近。正月だからといって生活に格別の変化があるわけではない。

むしろ日頃より「ゆったり・のんびり」の数日を送りたい。

けじめになるのは暮れの大掃除と外から取り寄せる「お節料理」、そして手作りの玄関の正月飾りくらいのもの。






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屹立するコナラ

2010年12月27日 | 園芸
12月27日(月)

ここ数日、激しく吹き荒れ続けた風で庭先にあるコナラの大樹はすっかり葉を落としてしまった。

紺碧の冬空に向けて葉を落とした太い幹が四方に広がるこの時期の姿は冬入りの侘しさと対極にある逞しさ・力強さを感じさせる。

この樹は春になると淡い新緑に覆われ何とも言えぬその色合いは、ソメイヨシノをすら凌ぐ春の美観を演出してくれるのだが、真っ青な空を背景に屹立する雄々しい姿も捨てがたい。


だが、この樹を愛でてきた歳月の中で、今はあまりにも大きくなり過ぎたようだ。

この樹高では強風で幹折れする危険も出てきたし、我が家から見る海の展望の妨げにもなってきた。

年が明けたら「IKOI農園」のお仲間がこの樹の枝おろしをしてくれることになっている。

となると、青空を切り裂くように屹立するこの雄大な姿は見納めになる。



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今年一番の冷え込み

2010年12月25日 | 日記
12月25日(土)

今朝は今年一番の冷え込み。リビング室内温度は7℃。

昨夜以来の冷たい風が激しく吹き、天気晴朗なれど外に出るのも辛い。

「IKOI農場」の土は固く凍りつき通路には霜、ところどころに霜柱も見える。






昨夜「ふみ」に食事に行き飲酒したので車を置いてタクシーで帰ったため、寒風吹きすさぶ中を冬支度の完全武装で車をとりに凍えながら坂を下る。



この時期、途中に花をみることは山茶花を除いてほとんどないが、ハーブの「ローズマリー」が可憐な花を咲かせているのに気付いた。

一つは青い花、もう一つは白に近い淡い青。この時期にも咲くのか。元気に咲けよ!と声を掛けたくなる。







昨夜「ふみ」に行く途中、クリスマスのイルミネーションを一杯飾った家があるという。好奇心も手伝ってちょっと覗いてみた。

独り暮らしの個人の家だという。都会ならどうということはないが伊豆高原の別荘地ではちょっと珍しい。

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「IKOI農場」冬のたたずまい

2010年12月22日 | 園芸
12月22日(水)

昨夜の激しい豪雨の後、嘘のように晴れ上がった今朝、雨に打たれた野菜類の様子やいかんと「IKOI農場」を見分。しかし、幸いさしたる被害はみあたらなかった。

それにしても、最近の「IKOI農場」の全体像は我ながらほれぼれとして眺めることができる。

我が家の「農政改革」が行われるまでは「農場」「農園」と名乗るにはいささか抵抗があったが、今は胸を張っていうことができる。

(白いビニールで四角に囲ってあるのは「行燈仕立て」といって冬の風や寒さから豌豆・絹さや・スナック豌豆などの苗を保護するためのもの。肥料袋などの再利用。)



西側から


東北角から


北西角から


南西角から


北側新開墾地
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正月用の「吊るし雛」を吊るす

2010年12月21日 | 手作り
12月21日(火)

いつの間にか今年も終わりに近づいた。正月も近い。

今年から、4年続けた東京お台場での正月ホテル暮らしはやめて、おとなしく伊豆高原で正月を迎えることにする。

正月用の「吊るし雛」を玄関に吊るす。

春の節句用に比べれば、すこしさびしいが、それも我々の年齢にふさわしいともいえる。



















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レモングラスの冬越し

2010年12月20日 | 園芸
12月20日(月)

レモングラスは我が家の朝食でときどき使うハーブティになくてはならない存在である。

昨年は、その大事なレモングラスの冬越しに失敗してしまった。

冬越しのため堀り上げ、鉢をIKOI農場新設の温室に入れたまではよかったが、温室の保温効果を過信しすぎてその後ほとんど手当しないままに放置していたのがいけなかったらしい。

暖かすぎたのか、水分不足だったのか、春には枯死してしまっていた。

その失敗を繰り返さないため、今年は2鉢を我が家でもっとも条件がいいと思われる書斎に置くことにした。(一昨年は浴室の棚に置いてかろうじて冬越しできた。)

窓越しに太陽の光をたっぷりと受け、夜間もさほど温度が下がらないからであろうか、今月初旬に鉢上げしたのだが、緑の葉はその時よりも生き生きとしているようで、この調子なら冬でも少しぐらいは葉を摘むことができそうである。



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冬来る

2010年12月18日 | 日記
12月18日(土)

本当に寒くなった。特に朝の冷え込みはきつい。

もうすぐ冬至、日の出が遅く日の入りが早くなったこの時期、伊豆大島の東裾から上がる太陽を見るのは7時近くになってからである。

10年前までは隣家の樹も小さく海を遮る前方の樹々も低く疎らだったから、伊豆大島の姿は海面からくっきり浮き上がり、見る目を楽しませてくれていた。

しかし、今では水平線さえ樹で隠されてしまって、我が家の二階から見る伊豆大島の景観はすっかりその魅力を失ってしまっている。

せめて、葉を落とした枝間に輝く太陽と暁の名残り雲が島の姿にわずかな彩りを添えるだけ。



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秋から冬へ

2010年12月10日 | 日記
12月10日(金)

いつの間にか秋が終わりを告げ、冬が忍び寄ってきたようである。

書斎の窓からみる景色も変わりつつある。

庭前のコナラの大樹も日々葉を落とし季節の移ろいを教える。

そして、時間とともにすこしずつ色合いを変えていく相模の海。


朝の澄明な陽光は枯葉さえも輝やかせる。


昼過ぎ、冬の色合いが滲む。


早くなった日暮れ、黄昏がしずかに忍びよる。


闇に閉ざされる寸前
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12月8日、戦時の思い出

2010年12月08日 | 雑文
12月8日(水)

今日は12月8日、我々世代にとって忘れることができない日である。今から69年前のこの日早朝、連合艦隊が真珠湾を奇襲しわれわれ日本人の運命を変えることになる太平洋戦争が始まったのだから。

今はそれを知る人も随分少なくなったろう。今日のマスコミもこれに触れることはほとんどない。それはあまりにも遠い昔のことだから忘れられても致し方ないことである。

開戦の日は、私が小学6年生を終えようとするときであり、その苛烈な戦争が終わったのは中学3年の時である。

我々世代は前線で戦う「兵隊」ではなかったとはいえ、もはや「学徒」というより実態は戦う「軍需工場労働者」でしかない中学生だった。

中学校に入ってからというもの断続的な勤労奉仕(援農作業や航空基地の道路工事作業)が続いていたのだが、昭和19年3月には「決戦非常措置要綱に基づく学徒動員実施要領」が定められ、すべての中学生は常時勤労動員されることになり、当時大分中学2年生だった私は大分航空隊基地に隣接する「第12海軍航空廠」に動員された。

同級生はそれぞれ小隊に分けられ、航空機課、機関課、精密機器課、補給課などの部門に配属されたが、私を含む40名前後の配置箇所は会計課の「リザイ工場」、会計課と聞こえはいいが「理財」ではなく「利材」、つまり着陸などに失敗し大破した飛行機の機体から使える部品を取り出し、その後の機体は鉄とジュラルミンに区分してジュラルミンは簡易溶解炉で溶かしてインゴットを作るという作業。現在のポンコツ屋・解体工場である。

汚く荒っぽい作業だったが、沢山の種類の海軍航空機を扱ったから海軍機種には詳しくなった。

今にしても奇妙にも思えるのだが、この短い苛烈な1年間が私の中学生活の中で最も濃密な時間だったように感ずる。

それは銃爆撃に身をさらして働らかされた動員生活だったからか、生死にかかわるあまりにも多くの出来事を経験し、死を身近に見聞きしていたからであろうか。(利材工場に出役していた40名前後の同級生に死者は出なかったが、重傷者1名。同じ廠内にあった航空機課の鍛治工場では直撃を受け爆死者数名)

第12大分海軍航空廠が接していた大分海軍航空基地は、第5航空艦隊司令部が置かれた特攻作戦基地でもあった。この基地から特攻機は鹿屋基地を経由して飛び立っている。

終戦の日の夕刻には、この基地から司令長官宇垣纏中将が艦上爆撃機「彗星」11機22名を引き連れ特攻出撃をするという出来事もあった。今思えば自殺というべき愚かしい出撃だった。

そんな基地に隣接する航空廠だったから、本土空襲が常態化し航空廠が完全破壊され機能しなくなるまでは絶えず米軍機空襲の標的となっていたのである。

基地・航空廠が最初に空襲されたのは3月18日、艦載機1400機が九州・四国一帯の航空基地を銃爆撃したと記録されており、大分航空基地と航空廠は艦上戦闘機グラマンを主体とする米軍機の波状攻撃が早朝から夕刻まで繰り返された。

瞬時の爆発音と振動で終わる爆撃より、防空壕で身を潜めている我々の頭上で絶えず鳴り響く機銃掃射の方が、今にも体が串刺しにされそうで本当に怖かった。

これが最初に経験した空襲だったが、その後は足摺岬から豊後水道を北上するB29爆撃機や艦載機の通路に当たることから、職場も家も空襲に何度もさらされ、B29の爆撃と艦載機による機銃掃射にも次第に慣れて恐怖心は薄れていった。(大分市街は7月16日、B29、30機による夜間の焼夷弾攻撃で炎上、その後も焼夷弾攻撃があった。幸い我が家は焼失を免れた。なお、家内の家は6月19日福岡空襲で全焼している。)

そんな生々しい戦争経験の記憶だが、毎年12月8日や8月15日がくると思い出すのである。


この日、パソコンでユーチューブの音楽サイトをサーフしていたら、さだまさしが歌う「防人の詩」というのを見付けた。

映画「二百三高地」でさだまさしが主題歌として歌ったものらしい。

さだまさしの歌もよかったが、なによりもそこに映し出された戦争中の海軍機の映像に私は釘付けにされてしまった。


さだまさし 防人の詩


鮮明さを欠く古い映像だが、そこに見た海軍機の多くを私は見分けることができた。

ゼロ式艦上戦闘機・97式艦上攻撃機・99式艦上爆撃機・彗星艦上爆撃機・天山艦上攻撃機?などが見え忘れられない記憶と重なる。

このほか大分航空基地に飛来していた飛行機には、1式陸上攻撃機・銀河陸上攻撃機、紫電局地戦闘機・紫電改局地戦闘機・雷電局地戦闘機・彩雲偵察機などの海軍機、それにたまには飛燕戦闘機・隼戦闘機など陸軍機も姿をみせていた。

ただ、映像に出てくる水上偵察機は知らない。基地に飛来することはなかったし、海上着水に失敗すれば水没するだろうから解体対象にはなかったからである。
もちろん数多く登場する軍艦の名も知らない。

さらに映し出された特攻出撃の姿。なんとも胸が迫る映像である。

私たちは出撃機を直接見送ったことはない。しかし、飛び立った後に上空を旋回するところは目撃している。それが特攻機であることは知らされていた。

この映像を見て、いいようもない辛さと悲しみと、懐かしみを感じる世代がいつの間にかずいぶん少なくなったであろう。

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再び稲取クロスカントリー

2010年12月06日 | ウオーク

12月6日(月)

距離4㎞余、道がよく整備された緩い傾斜の稲取クロスカントリーは、片道30分かかるが1時間の散歩道としては最適である。

家内が膝関節不調で参加できなかったが、総勢5名(Mr.AR・KJ、Mr. & Mrs.TD)と出掛ける。先日来た時に比べさざんかが満開、山の色付きもあでやかさ増していた。


だが、この時期にしては暖か過ぎて水蒸気が湧き上がっていたのか、標高239mから見る海の景色は相変わらずぼやけて島影は見えない。





 

どうだんつつじの色が鮮やか。

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IKOI農場 本年最後の集まり

2010年12月05日 | 園芸
12月4日(土)

雲一つない晴空、しかも風もない。最高に恵まれた天気となる。昨日、一昨日に吹き荒れた風と雨は嘘のよう。こんな日は滅多にない。

遠く望む天城の山も鮮やか。





「IKOI農場」本年最後の収穫祭兼忘年会。オールメンバー4夫婦8名とゲストのMr.OK。

だだし、農作業はほとんどなし。もっぱら持ち寄ったご馳走を飲み食いし、おしゃべりするだけでほぼ一日が過ぎた。

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windows7に慣れてきた ( skype)

2010年12月04日 | パソコン
12月2日(木)晴・曇

秋の園芸作業がおおむね終わって以来、終日パソコンを前に過ごすことが多い。

おかげで、新しいwindows 7 の操作にだいぶん慣れてきたし、word・excel2010版もなんとかこなせるようになってきた。

当初は windows XP で使い慣れていた機能が、どこに配置されているかわからず戸惑うことが多かったが、一度その存在がわかればなんということはない。

今は、むしろ Windows 7 の新しい機能に興味がわいてきている。

新しいパソコンOSにチャレンジするのは、当初はなんとも気が重かったが、「やるっきゃない」でなんとか頑張ったおかげで少しずつ慣れてくるともう元のwindows XPの世界は遠のくばかりだ。

やはり新しいものは、それだけ便利さが違うようである。

新しいパソコンの強力なCPUのお蔭で動きが早くなり、記憶容量1TGという大容量なので、なんでも安心してデータを放り込め、今はこれまでと一味違った新しいパソコン世界が開けつつある。


その一つにSkypeがある。無料テレビ電話の活用である。お互いの顔を見ながら何時間でも話せるのが嬉しい。

無料のskypeのソフトをダウンロードしてインストールし登録しさえすればOK。相手が同じようにSkypeを使っていさえすれば、実に簡単に鮮明に映し出された相手の顔を見ながら長々と話ができる。

私のパソコンにはwebカメラが付属していなかったので楽天市場でマイク付きwebカメラを購入することになったが、わずか¥1800、安物にもかかわらずその性能はとてもいい。

現在、私のとってSkype利用における現在の最大の難点はテレビ電話の相手がほとんどいないということである。

skypeを使う人は沢山いるだろうが、高齢者ではそうはいまい。

まして80歳を超えた老人でテレビ電話で気兼ねなく話せる人はそう多くないだろう。しかもある程度パソコンが使える人となると甚だ限られる。

子供たちにSkypを教えたので、相手がパソコンを立ち上げれば簡単にテレビ電話ができるが、その年代ではそれぞれ忙しそうであまり相手になってくれない。たまに孫たちの顔がみれるくらいのものか。

いまのところ、私の相手になってくれるのはTVの世界で長く生きてきた同年輩の友人Mr.UT一人とskypeを私に教えてくれたご近所のMrs.TKだけ。

それに家内。これは同じ家の階上の書斎と階下のリビングでのテレビ会話だからあくまで相互に操作練習のためで、その真価は発揮できない。

でも、考えてみれば私にとってこの新しい玩具、使いようによっては大変なツールになるかもしれない。

高齢者の孤独感を癒すのに電話がおおいに利用されているけれど、これが相手の顔を見ながらのテレビ電話でしかも通話料無料というのなら、その利用価値は大変なものとなろう。

ただ、繰り返しになるが、高齢者でパソコンを使える人が限られることだけは早急に解決できることではなさそうである。




右端の赤いのが¥1800のwebカメラ
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youtube iTunes ipod の利用

2010年12月03日 | パソコン

12月2日(木)

昨夜は猛烈な風と雨、台風襲来でもないのに最近はこうした暴風雨が多い。昭和期までこのような天候はあまり聞かなかったようなきがする。

ところで、新しいパソコン世界の話というより、これまで利用してきたパソコン・ソフトの活躍場面が広がったとでも言おうか、iTunes と youtube をより便利に使い始めたことについてここで記録しておきたい。

私は4、5年前からipodを使ってきた。当初は一人で散歩するときにipodを携帯し音楽を聴くためだった。しかし、そのうち散歩より浴室で聴くことの方が多くなり、今ではほとんど毎日、入浴時には音楽をバックグラウンドミュージックとして流している。

それは、ipodをイヤホーンでなくスピーカーから出力させる小型器械リラクオンというのをインターネットで見つけ使うようになってからである。(それまでは小型プレーヤーを浴室に持ち込んでいた。)

ところで、ipodに自分の好きな音楽を入れるためには、パソコンにインストールしたitunesという音楽プレイヤー・ソフトが必要である。このitunesというソフトはまことによくできている。ipodに入れるということだけでなくパソコンで音楽を聴くのにもとても便利である。

CDからitunesに取り込んだ音楽を一覧表のなかから簡単に選び出して聞くことができるその便利さは他の音楽ソフトの追従を許さない。

itunesを使って音楽を楽しむようになってから、やがてパソコンから出力させる音質では満足できなくなり、パソコンに外付けのスピーカーとしてBOSEを取り付けることになってしまった。

ところで、所有しているCD以外の音楽を聴くにはパソコン上でyoutubeという便利なソフトもある。

これまでは、たまにユーチューブにアクセスして音楽や映像を直接聞いていたが、最近はその音楽を直接itunesに取り込む方法(Craving explorer というソフトを使う)を知るようになり、便利さは一層増している。

さらにLYRIC masterというソフトを使うと歌の歌詞まで見つけることができ、これを使えば歌詞の印刷も簡単である。

ともかく、パソコンは本当に便利なソフトを次々に提供してくれるものだと感心する。


 リラックオンRelackon 4000はエスケイネット(株)製 。単3電池3本で長時間使える優れものである。この種の小物電気器具は総じて期待したほどのものではなくあまり役に立たず、しばらくしたら捨ててしまうのが多いが、これは違う。もう3年以上は使っているか、上のビニール部分がだいぶ汚れてきているが十分機能している。浴場で聞くには音質・音量十分である。

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