伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「伊豆の踊り子」・川端康成

2008年12月31日 | 日記
東京から伊豆に向かう特別急行は「踊り子号」と呼ばれている。伊豆半島の中央部に当たる湯ヶ島から湯ヶ野までの旧下田街道は「踊り子歩道」と呼ばれている。
これらはいずれも川端康成の小説「伊豆の踊り子」に由来する。
中伊豆から下田に向かう道にはしばしば踊り子とマントを着た一高生の像を見かける。

伊豆の踊り子はあたかも伊豆半島の象徴にでもなったような按配である。

私はかねてからこれには違和感を感じていた。川端康成の「伊豆の踊り子」はたかだか30頁の短い小説に過ぎない。確かに「伊豆の踊り子」という小説には過ぎ去った青春の感傷を呼び起こす何物かがあったように記憶しており、いま読み返してみても短編小説としてはよくできている。だが、所詮それだけのものではないであろうか。

川端康成は日本という島国の美しさとこれによせる日本人の心情を繊細な表現で描き出した小説家とはいえるが、大作家ではなかったように思われる。
ノーベル賞は作品がもたらしたものというより、川端は果たした小説家集団の地位と当時の世界規模の文化事情が反映しただけのものではなかったろうか?


川端康成がノーベル賞を受賞したことがその最初の代表作とも言えるこの小説を過大評価しているのではないであろうか?
もともと私は川端康成がノーベル賞を貰ったことにすら驚いたものである。

「伊豆は海山のあらゆる風景の画廊である・・・伊豆半島全体が一つの大きい公園である。一つの大きい遊歩場である。つまり、伊豆は半島のいたるところに自然の恵みがあり、美しさの変化がある。」(伊豆序説)

「湯「出づ」から、伊豆という国の名が起こったと称える俗説もあるくらいだ・・・伊豆を詩の国とするのは、出で湯より風景だ。海の美しさと山の美しさを持った半島だからだ。・・・伊豆には風景のあらゆる美しさの模型がある。・・・伊豆の海山は男性的なところもあり、より多く女性的なところもなる。何国の男と女と、それも人形のように可愛い。」(伊豆温泉記昭和4年)

「一たいに伊豆は、歩くべきところだ。熱海から伊東へ海岸を歩くのもよい。下田から谷津へ海岸をあるくのもよい。だが、修善寺から下田へ天城を越え、街道沿いの幾つかの温泉を訪ねながら歩くのが、やはり伊豆らしい旅であろう。」(冬の温泉・昭和9年)

ただ、こんな文章もある。この時代(昭和2年)に伊豆高原などない。人の通えぬ雑木林が一面に広がっていたのであろう。「伊豆高原」が開発されたのは昭和30年代後半に伊豆急行が伊東・下田間に開通してからである。

「熱川温泉は宿の部屋から海が見晴るかせるし、山の明るさもいいが、何しろ交通が不便で、伊東温泉あたりから山の乙女のひく馬にでも乗せて貰って行くより仕方ない」(伊豆の印象・昭和2年)


また、その後の昭和9年には「熱海から熱川まで、2時間あまり海岸線を乗合自動車にゆられて参りましたが・・・沖に浮かぶ伊豆の七つの島がここの宿の部屋からきれいに見えます。伊豆の温泉場でも、よそにはないことでありましょう。それから夜空をこがす三原山の御神火が、やはり海の遠くにほの赤く見えます」(熱川だより)とある。私が当地に居住した平成2年。その前年に三原山が噴火し避難騒ぎがあった直後で我が家からも立ち上る噴煙はまだみることができた。



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2008年が終わる

2008年12月30日 | 手作り

今年も直ぐ終わる。

年末年始はいつものように東京のホテルで過ごすので、正月らしい準備はなにもしない。

ただ、玄関に少しばかりの正月の飾り(吊るし雛など)を家内がしている。





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川奈ホテルで食事会

2008年12月26日 | 日記

一日遅れのクリスマス。最近は恒例となった川奈ホテルで3family食事会。

ロビー・コンサートはマリンバとパーカッションの演奏。両手で4本のバチ?を器用に使って鍵盤を叩く。はじめて聴く楽器マリンバだが、思った以上に豊かで深みのある柔らかい音はなかなかにいい。



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葛城山に再挑戦

2008年12月20日 | ウオーク

二週間前、強風でロープウエイ運行中止になったため果たせなかった伊豆長岡の葛城山からのトレッキングに再度挑戦することになった。今度はfrauを含め3人。

山頂からの展望は淡島・鷲津山・大平山を隔てて聳える雄大な富士や駿河湾をメインに360°のパノラマが展開する。

遠くには白銀をいただいた南アルプスもはっきりと見て取れる。

山頂には葛城神社や百体地蔵など



 

南には大室高原からいつも見慣れている大室山、矢筈山、遠笠山、万二郎岳・万三郎岳などの天城連山



帰りはロープウエイを使わずにかなり急峻な路を下る。湿った落葉に幾度か滑りそうになる。歩くこと約1時間。



  



昼食はこの前が「ひょうたん寿司」だったので、ホテルサンバレー富士見内の「古奈青山」で中華のランチ(前菜+二品選択+ご飯+スープ+デザートビュフェ)にする。@1575円という格別の廉さ。3人だから6品を選択したので、ちょっとした中華のコース料理なみとなった。
瀟洒な装いのこの店はこれまで何度か来ており、ここのランチメニューはお気に入りだが、今回はこれまでと趣向を変えたデザートビュフェになっており、これは特に豪華版となっていた。この値段で店はやっていけるのかと心配になる位。

少し歩き足りないので、帰りに伊豆ワイナリーに寄り、1.9kmの散歩道「十二支めぐり」を逆コースから歩こうと、猪、犬、酉と進んだものの、貰った地図ではわかりずらく迷ってしまい中断。

ここからも富士山は素晴らしい。出発点となる「猪」からはじめるようと塔の上に上り「志の鐘」を大きく鳴らしたのまでは良かったのだが・・・

 
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国道135号線を歩く

2008年12月16日 | ウオーク
12/16

かねてから国道135号線の大室高原入口から伊豆高原桜並木交差点まで歩いてみたいと思っていた。

風のない晴れた日だったので、家内と午後から買物がてら車で出掛け国道135号線「旅の駅」に車を置いて「池入口」交差点まで歩く。

往復約1時間を目途にして30分あるいたら同じ道を折り返すことにして「散歩」として歩いてみた。

実に立派な歩道である。幅広く舗装されておりここらあたりでは珍しく傾斜のない平坦な舗道で、国道を疾走する車の騒音と排気ガスを気にしなければ両側の緑と枯木が入り混じる景色も悪くなく散歩道には適当とみた。


整備されたこの歩道ができてからはまだ何年も経っていない。東伊豆の基幹道路だから立派な舗道があってもなんらおかしくない。

しかし、走る車に込まれかねない危険がある狭い路側帯だけといったところが随所にある国道だから、この歩道は全くといっていいほど人に利用されていないようである。

車で通ってもこの舗道を歩く人の姿を見かけることはこれまでほとんどなかった。

事実、今度の散歩で見かけたのは僅かに3人連れのご婦人だけという人気のなさ。

ぼつりぼつりと長い年月をかけて部分的に整備していく国家予算の使い方の効率の悪さを見せ付けられる思いだ。

出発地点 「旅の駅」


 



途中の景色 グランパル公園には新しい建物がいつのまにか建っていたのに気付く。


長い下り坂の向こうに海が見える。


遥か向こうに門脇崎の灯台をみることができるところがあるとは!


車では見過ごしがちな道路沿いに新しく開発されたところがあり、緑の林が少しずつ失われていく。なかには巨大なパチンコ施設の建築予定地もあり、これは全く歓迎できない代物。
 


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冬に向かう里山を歩く

2008年12月15日 | ウオーク

数日、寒い日が続き風邪引きで体調が勝れなかった。

そんなことで、一日中書斎に引きこもって、Mr.UTから得た情報を頼りに話題の新しいメールGmailを使いこなそうとあれこれパソコンで弄っみたもののいまひとつ使い方が分からない。
しかし、これまでパソコンで書いてきた文章を「アーカイブ」として簡単に保存するツールとしてはこれからおおいに役立ちそうだとの予感がある。

冴えなかった体調も天気と共にようやく元に戻ったところで、しばらくやらなかったウォークを再開した。

「杉膳」でトンカツを食し、腹ごなしも兼ねて池地区の冬に向かおうとしている里山一周のウォーク。

午後の日差しは少し弱いが、澄明な空気にほのかな甘さを感じながらの歩みは捨てがたい。

まず、一周の起点となる山神社(「ヤマ神社」ではなく「サン神社」だとは知らなかった。)に詣る。

この社は、現存する最古の棟札に「是より前立の年号不相知焼却と相見え・・・延享二乙丑(1745)」とあるというからかなり長い歴史を持つ古社である。

その後、いつもお参りしながらついぞ思い立たなかった境内を初めて逍遥した。狭いながらも竹林や年輪を重ねた大樹が背後に控え「森厳」という文字を思い起こさせた。



この時期、竹林が特に美しい。


刈り終えた田圃を囲むように隆起した矢筈山などの山塊
稲株が自然に作り出したあでやかな幾何学模様



 


山神社に対してこちらは水神さん。小さな小さな社だが、この社は幕末に埋め立てられ田圃に変わるるまで大きな池だった頃から存在した水を鎮める水神を祀った社だという。
                             冬に向かったばかりだというのに、枝には春に備えてはやくも蕾が・・・
 






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伊豆長岡の源氏山と天城湯ヶ島の湯道を歩く

2008年12月06日 | ウオーク
久し振りにMr.ARと中伊豆を歩くことになった。子供の頃「遊び呆ける(アソビホウケル)」という言葉で親から叱られたことがあったが、この歳になって天気の日にはいつも「歩き呆けて」いる。
ま、それもいい。いやむしろ心身ともに健康維持を課題とする高齢者にとってまことに望ましい日々だと自賛している。

最初の予定は長岡の葛城山のロープウェイで山頂から下ることを考えていたが、強風でロープウエイは運行中止となっていた。素晴らしい晴天だというのに山頂では風速20メートルが吹き荒れているという。

やむなく伊豆長岡の街中を散歩することになった。はじめて知ったことだが、長岡の街は源氏山を取り囲むように広がっている。

最明寺にある北条時頼の墓を詣でてから源氏山に登る。



 
源氏山を中心にして「七福神めぐり」のコースが作られていた。大黒、布袋、福禄寿まで見たものの、これは今出来の観光資源、あまり関心は持てない。


頂上からの展望(東)


頂上からの展望(西)  遠くにみえるロープウェイで行く積もりであった。


北側には真っ白な富士山


評判の高い「ひょうたん寿司」で食事してから「湯ヶ島」に行き「湯道」を歩く。







情緒豊かな散歩道。紅葉はほとんど終わっていたが、最盛期はさぞやと思わせる。新緑の頃にまた来てみたい。

一日、歩き呆けて歩数計は16641歩を示す。
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伊豆高原に雹が降る

2008年12月05日 | 日記
午後2時50分、なんの前触れもなく、突如凄まじい雷鳴がとどろき、きらめく電光とともに横殴りの雨に混じって大粒の雹が降ってきた。

昨夜来の強風に舞い落ちた落葉にすっかり覆われていた庭の芝生の上にも雹が打ちつけ、あっという間に白くまだらに染め上げてしまった。




玄関まで振り込んだ雹                      庭への通路にも



極めて短時間の大荒れの天候、こんなことは当地に住んではじめての経験。
これまで秋の景観を支えていたコナラの黄色く色付いた葉も少なくなり本格的な冬を向かえようとしている。





雷のせいか、パソコンのネットが繋がらなくなり、トーカイのサポートを受けてなんとか回復。

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紅葉再訪

2008年12月03日 | 日記
昨日の寒さが嘘のよう。快晴で暖かな一日。

再び紅葉を訪ねて松川湖をMr & Mrs.YBと一周。ここの紅葉はいまひとつ。










歩かずに一碧湖の紅葉をみることが出来る駐車場に止めてちらと紅葉の様子を見る。盛りは過ぎたが、まあなんとか。

これで今年の紅葉は見納め。





コメント (2)
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