伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

稲取「クロスカントリー」walk

2016年01月28日 | ウオーク

1月27日     (水)       

本来ならこの時期の「伊豆花半島」は「爪木崎の水仙祭」で賑わうのだが、先日の強風・高潮で海辺に咲き誇っていた水仙がすっかりやられてしまったとのこと。

ならばということで、水曜定例のIKOIウオークの目的地を「稲取クロスカントリー」に変更して出発する。IKOI参加者は6人。

今年に入ってから素晴らしい天気がよく続く。寒中のただなかなのに強烈といっても誇張でないような陽光が降り注ぎ、しかも無風の状態でとても暖かい。季節が冬だとはとても思えないほど。

この好日を当て込んだか、いつもとは違ってクロスカントリーの駐車場は立て込んでおり、出発地点の広場では幼稚園児や中学生、それに大人のグループが群れていた。珍しいことである。

我々はクロスカントリーのコースを「走る」のではなく「歩く」のはいつものとおり。5キロコースを選ぶ。


途中で一休み。

中学生か。本来のクロスカントリーに挑んでいる。頑張れ!


稲取の街を眼下に目一杯に広がった煌めく海を見ながら昼食。


高台にあるクロスカントリーから下って稲取の街に入る。稲取は「吊るし雛」の発祥地とか。女性たちは「吊るし雛」館を見に。

稲取の海辺は特別に暖かいのか。黄色のオキザリスが満開となって海辺を飾っていた。

この日の総歩数、私は8500歩、家内は10000歩を超えたとか。

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中伊豆ワイナリーのブドウ畑を歩く

2016年01月27日 | ウオーク

1月25日     (月)      

ちょっと遠出して、「中伊豆ワイナリー」まで出かけて広々としたブドウ畑を歩く。(with Mr.AR)。

真っ青な空を背景に浮かび上がる見事な富士山。雪を頂いた南アルプスの峯々も遠くに見える。

ブドウの樹は剪定され芽吹きを待つだけ。

「お散歩マップ 十二支めぐり」の地図をシャトウで貰ってその順路どおりに歩こうとしたものの十二支御座所の目印がわからず、僅か二か所だけが見つかりそこでスタンプを押しただけ。

太陽に照らされながら広大な敷地にひろがるブドウ畑を歩く心地は爽快、広闊な気分を満喫した。

歩数 5000歩。

 

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iPhone この優れもの

2016年01月15日 | パソコン

 1月24日      (日)         風強し

iPhoneを購入したのが昨年11月22日、それから2月余が経過した。iPhone6s Plusという最新の機種を使ってみて、その驚くべき多様な機能にはただただ感嘆するばかりである。

それまでは、家にいる時はかなりの時間をパソコンに向き合って過ごしていた。

それが、iPhoneを使い始めてからというもの、書斎でパソコンと向き合う時間がかなり減って、代りにiPhoneを弄っている時間が大幅に増加した。

書斎だけでなく寝室でもiPhoneは充電するためにも枕元に置いておくから、寝ている時間を加えればパソコンよりiPhoneに寄り添う時間の方が多くなっているかもしれない。

私とパソコンとの付き合いはとても長い。今から30年も前に知的な遊びという単純な動機からベイシック言語でパソコン(その頃は「マイコン」と言っていた。)のプログラミングに手を染めたのが始まりで、パソコンがワープロ機能を持つようになってからは筆記具として欠かせない実用的な器具となり、やがてインターネットとの常時接続が可能になった段階に入ってからは私の生活必需品になってしまっていた。

今ではパソコンのない生活は考えられない。私の老後生活を支えてくれる必要不可欠な器具である。

そのパソコンを凌駕し、やがてはパソコンにとって変わるかもしれないほど素晴らしい力を秘めたiPhoneには日々魅了されているこの頃である。

なによりも書斎に入ってパソコンに向かいあう特別の構えをしなくとも、パソコンと同等、いやそれを超えるかもしれない機能を持つiPhoneはいつも手元に存在して手軽に扱えるのだからその操作に習熟しさえすればこれほど便利なものはない。

問題は、その広範にわたる複雑・微妙なで多様な機能をどれだけ使いこなすことができるかにかかっているようである。

最近のパソコンやモバイル(携帯末端)などの電子器具の類には取扱説明書はほんの申訳程度の薄いパンフみたいなもの以外には付いていない。詳細はインターネットを通じてパソコンやスマホで関係サイトで見ろということらしい。

長い間の馴れで比較的こうした器具の扱いに慣れている私であっても使う上で知りたいと思うことを調べるのにはかなり手を焼く。ましてごく普通の人なら手古摺るだけでなく諦めてしまい、その器具が持っている機能のほとんどを使うことがないのではないだろうか。

私の場合、これまで培ったパソコンの操作の知識を基に、パソコンでできるならiPhoneでもできる筈と考えて調べるから、なんとか苦労しながらもその目的を達することができているようである。だが、それですらおそらくiPhone6sが持つ機能のほんの一部分を垣間見る程度でしかあるまい。

iPhoneだけでなくパソコンを手放せないのはパソコンは画面が大きく、複数画面を表示できるし、なによりもマウスとキーボードでの入力が簡単だからである。年寄りの眼にはiPhoneの画面が小さすぎて文字が少し読み辛いということもある。

iPhoneも最初のとっかかりはあまりよくなかった。指先で押しても画面が変化しないことがしばしばあり戸惑うことが間々あったのである。しかし、これは年寄りの指先が湿っていないことが原因で舐めれば問題が解消することが判明、さらには同じように指先でポンと押すのも「ポン」「ポンポン」もあれば「長押し」「強く押す」と4通りもありそれぞれで違った操作になることがあることも分かって操作性は向上した。

 ということで、こiPhoneについては学ぶべきことは多く、いろいろな使い方を駆使しすることが出来そうである。それを極めていく楽しみはまだまだ沢山あるということでもある。

これまでやってみたことを列挙すれば、「スケジュール」「天気予報」「メモ」「電話」「カメラ」「写真」「コンパス」「音楽」「メール]「ライン」「ニュース」「safari検索」「siri」「歩数計」「「株価」「計算機」「地図」「コンパス」「ユーチューブ」「ボイスメモ」「ブログ」「電子書籍」などなどあるが、このうち常用しているのは「スケジュール」「天気予報」「メモ」「電話」「カメラ」「音楽」「ニュース」「検索」「歩数計」くらいか。

そして、現在一番気合がはいっているのは iPhone6s の使い方に関するいろいろなサイト「マニュアル」「取扱説明書」「「ユーザーガイド」「裏技」などを読み込み、役立つかあるいは面白そうな操作を試し習熟することである。

(パソコンの「プリントスクリーン」と同じようにiPhoneの現在の画面を画像として取り込むには、ホームボタンと電源ボタンを同時に押せばいい。そうして取り込んだのが、以下の画像である。)

                

 

 

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大室山 七変化

2016年01月15日 | ウオーク

1月14日      (木)      

出来るだけ「独り歩き]を心掛けている。少なくとも晴の日だけは近所でもいいから5000歩、いや3000歩は歩きたい。

手紙をポストに投函しようと家を出たのでぶらぶらなるるべく平坦な近くの道を選んで歩いてみた。

この時期、道傍で出会う花はほとんどないので、もっぱら山や海の眺望、樹木の繁り具合、よその家や庭などを眺めながらということになる。「羊腸」という言葉を思い出したが複雑に入り組んだ当地の道路もそんなふうか。道を一筋変えるだけで見慣れた風景が一変するのも楽しい。

胸のポケットにいれたiPhoneで音楽を小さく奏でさせながら歩くのはなかなか乙なもの。ぶらぶら歩きだが、3600歩になった。

今日の風景の中で秀逸なのが眼の痛くなるような陽光に照らされて黄金色に輝やく大室山の全容。

大室山は季節にによって、また時間の変化に従いいろいろな色に変化する素敵な山である。

春から夏にかけては色鮮やかな緑の山だが、秋から冬にかけては黄色へと変わる。

そして山肌が雪に覆われれば純白の山へと変わる。

2月初旬の山焼きが終わった後はしばらく全山が真っ黒になる。

緑、黄、白、黒と変化するなら、赤はどうだろう。山焼きの炎の色をこれに加えるわけにはゆくまい。

しかし、山が雪で白く覆われた時、朝日がこれに当たればピンクに染まるだろう。こんな山の風景を楽しむには危険な雪の坂道を冒して歩かねばなるまい。私は見たことがないからこれは想像の世界。(この大室山の姿を写した写真を残念ながら私は見たことがない。絶好の被写体となるはずだが……)

朝日に煌めく雪の大室山を赤とすれば、青い大室山は? 「青山」という言葉もあるように山は遠くからは青く見える。

私は真鶴や湘南から洋上を隔てて青い大室山を何度が見ている。

「七変化」というからにはもう一色。ということで「山紫水明」という言葉を思い付いた。青い大室山は時には紫に映るときもあるはずだ。

かくて、緑、黄、白、赤、黒、青、紫と「七変化」する大室山。

時の応じていろいろな色合いをみせてくれる大室山は当地の象徴山!!

 

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冬日輝く小室山ウオーク

2016年01月14日 | ウオーク

1月13日     (水)     

気温はかなり低くなったが、素晴らしい天気が続いている。陽光さんさん、陽だまりに居る限り寒さを感じない。

IKOIウオーク。 小室山頂上に登り山麓を一周する。

麓の駐車場から小室山山麓を左回りに歩いて頂上を目指す。総勢6名。

駐車場前の池に氷が張っている。今年初めてみる氷だ。鴨たちは氷のないところに集まっている。 


リフトが走っている近くに、山頂にある神社へ向かう旧参道があったとかで、現在は山から崩れる土砂に埋まって跡形もなく、今は入口の鳥居だけが残されている。その鳥居の脚も半ば土砂に埋まったまま。小室山の歴史遺物となりつつある。

頂上に向かって北山麓を巡る緩やかな勾配の道を歩く。いつの間にか綺麗に舗装が整備されている。

振り返れば見事な富士山、なんども来ているが、今日の富士の山容は一際素晴らしい。

川奈のゴルフ場を左手に見て。

海の景色は少し煙って見える。しかし、不思議なことに島はよく見える。洋上に伊豆七島が連なるように並んでいる。三宅島、利島、新島、式根島、神津島、そして人の住まない小さな島、地内島、祗苗島まで。こんなふうに島が見えたのは初めてである。

頂上に達する。うっすらと雪化粧した遠笠山が美しい。万二郎岳、万三郎岳、大室山などの山の稜線もいつもよりくっきり見える。

こんな景観は初めて。おもわず息を飲むほど。


山と反対側にみる洋上にはうっすらと雲が……。だが島影だけはよく見える。

頂上、富士のみえるところで記念撮影。


南山麓をぐるり一周する道、そして長い階段を降りて、いつもと違って「つつじ園」の中を通って駐車場まで。

枯れたつつじの植え込み上に伸びた梅や桜の樹が早くも春の芽吹きを演出してくれている。これは全く期待していなかった、想定外のもの。

白梅、紅梅ともに咲いている。

もう満開といってもいいほどの白梅。

大な枝垂桜の樹、蕾はまだ。つつじの叢の上に僅かに頭を覗かせている富士。春にはここが絶好の撮影ポイントになるかも。 

陽だまりで綻びかけた桜の蕾。河津桜?

小室山麓には随所に椿の樹が植わっている。今が満開の様子。


島も山も、いつも違った表情を見せてくれた小室山ウオーク。

歩くのに手頃な距離、緩やかな坂道、高齢者向きのウオーキング・コース、車で20分もすればありつけるなんてなんとも恵まれた環境に住ませてもらっている幸せを思う。それだけではない、とかく手足まといになりかねない超高齢者の我々夫婦を受け入れてくれる有難い歩くお仲間がいるとも……

近所の「食味工房」で昼食してから解散。この日の総歩数 5300歩。 

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鎌倉期のスーパー・センテナリアン(超「百寿者」)綾部正清 について

2016年01月12日 | 雑文

 1月11日     (月)        

伊東市の高台「物見が岡」は伊東の地頭伊東氏の居館跡だといわれいる。その一角にある「仏光寺」は流罪になった日蓮が赦免を受ける前に一時居住したところと伝えられ、後に日蓮が居た場所に建てられたのが妙法華院、後の仏光寺である。

その仏光寺の境内右手崖下には一群の墓石が置かれている。歴代寺の住職の墓である。その左端に自然石の表面を削ったやや大きめの墓石があり、その表面中央には簡潔に 「正清 墓」 とだけ彫り込まれている。その右上の年月日らしい文字は少し分かりずらいが、左隅にある文字は「百十一才」と読める。

 「才」は「歳」の略字として現在使われているが昔もそうだったのか。この「才」の字は右肩にはテンがあり筆の終わりが反対側にはねるなど今とは少し違う。だがともあれ、「正清」なる人物が111歳で亡くなったこと間違いあるまい。

右側に書かれた年月日はあまりはっきりしないが、なんとか解読してみるとどうやら「貞和乙酉年三月二六日」になるようだ。十干十二支による年号なので調べてみたら「貞和乙酉年」は「貞和元年」に当たり、これは「貞和元年三月二六日」と読める。西暦にすれば1345年、正清が死んだ日と思われる。

 鎌倉時代に111年生きた! そんな人って本当にいるだろうか? 

この碑面の文字から「正清」なる人物に、おおいに興味をそそられて調べてみることにした。

 

その墓の前に小さな石柱が2基立っており、その一つの背面には「伊東朝高 家臣 綾部正清 廟 」となっている。そこで、「正清」の姓が「綾部」であることが判明した。

ついで、仏光寺の境内にある「六角釈迦堂」の横にある立札を読んでみると、仏光寺開基の由来が書かれてあり、そこに綾部正清に触れた部分が一か所ある。

「……伊東の流罪中の日蓮聖人監視の任に当たっていた(地頭伊東朝高が)、奇病に罹り命旦夕に迫ったので家老綾部正清氏は主君を救う一念から川奈石屋に閉居中の聖人を訪れ、病気平癒の御祈祷の御祈祷を懇願した……」と。

 


そこで帰ってからインターネットを使って「綾部正清」で検索してみた。期待していたほどの情報にはヒットしなかったが、一応そこで知り得たことを要約すれば次のようなことになる。

「弘長2年(1262)、伊東の地頭だった伊東八郎左衛門朝高が原因不明の病にかかり危篤になったことから、伊東家の家老綾部正清が川奈の岩屋に幽閉されていた日蓮を訪れて、病気平癒の祈祷を日蓮に懇願し、日蓮を伊東館に招聘して病気平癒の祈祷を続けてもらったところ、朝高は奇跡的に回復した。そのことから朝高、正清は日蓮に深く帰依し法華宗の信徒となった。
日蓮は朝高庇護のもとでしばらく伊東館にとどまっていたが、 翌年(1263)2月日蓮は赦免され鎌倉に戻った。
時を経て、建治元年(1275)、伊東八郎左衛門朝高が隠棲先で死没したので家臣の綾部正清は伊東に戻り館の一部を寺にあらため妙法華院として朝高の菩提を弔った」

そこで、綾部正清が仕えた伊東八郎左衛門朝高を検索してみた。これもたいした情報は見付からなかったが、朝高の死因が文永9年(1272) 執権北条氏の内紛「二月騒動」で朝高が傷を負い、それが原因で隠棲先の三浦で死去したとあり、このとき朝高は91歳であったとある。

91歳! これまた当時にあって驚くべき長寿である。

であるなら、主君朝高死去のとき正清は51歳、正清が伊東で寺院を建てたのは52歳の時ということになる。(朝高と正清は40歳違い。日蓮の平癒祈祷のときは朝高78歳、正清38歳)

鎌倉幕府が成立した建久3年(1192)には朝高はすでに8歳、正清は鎌倉幕府の基礎がようやく固まり貞永元年(1232)「御成敗式目」が出された2年後に生まれているから、元寇(文永の役、弘安の役)はもとより、動乱つづく鎌倉期を生き、正清はさらに鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、足利尊氏の挙兵、そして南北朝対立となった9年後までの長い歴史を見てきたことになる。(正清死去時の年号「貞和」は北朝の年号)

綾部正清はこのこと以外に、どのような人生だったのだろうか? 

その時代、何を食べ、どんな生活を送っていたのか。伊東に湧き出る温泉に毎夜浸かり、豊富に獲れる伊東湾の魚介を毎食食べてたことがこの驚異的な長寿に役立ったのでは……、
正清の主君朝高の91歳もそのせいでは……。

そんな馬鹿なことがふっと頭をかすめた。

そんなことを示す断片的なにでも示す資料、古文書はどこかにないものだろうか。 111年と91年の人生!

ところで、今や世界第一の長寿国となった日本では百寿者センテナリアンは激増しているという。 

とはいえ、その現在ですら「百寿者1000人のうち110歳に到達した人は僅かに4人」(慶応大学百寿者研究センター)だという。

アンガス・マジソン「世界経済」でみると、日本人の室町時代の平均寿命は男15.2歳、女17.3歳だある。

これは当時は乳幼児の死亡率は著しく高いものだったから出された数字だが、その頃の人はせいぜい20歳から30歳くらいしか生きなかったろう。

111歳というより想像すら及ばない寿命を果たした綾部正清の存在。近代はさておいて、これは日本のみならず世界でも空前の大記録なのではないだろうか。 

 

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「ホテル・エクシブ伊豆高原」で朝食

2016年01月10日 | ウオーク

1月10日      (日)      

朝起きたら素晴らしい天気。こんな日は気分を変えて「ホテル エクシブ伊豆高原」のラウンジで朝食するのも悪くないと出掛ける。車で5分、なるべくなら歩いて行きたいところなのだがホテルへの上り坂は結構きついので……。

三連休の中日だが、正月明けなのでホテルの宿泊客はあまり多くない。

真っ青に晴れ渡った空、煌めく海面、陽光がさんさんと降り注ぐラウンジのテラスでの食事と思ったが、やはり少し寒いのでラウンジの中に入る。

ブレックファーストのメニューはありきたりの変哲のないものだが、久し振りのホテルの雰囲気は悪くない。

(食事代 一人¥1080、それにサービス料が付く)

珈琲を二杯のみながらゆっくり食事して帰る。いい思い付きだった。

 

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伊東市街の社寺を巡る (ikoi walk)

2016年01月09日 | ウオーク

1月6日     (水)     

水曜日のd-IKOIの初歩きは「小室山一周」が恒例になっていたが、年末から年始にかけて続いた晴日がこの日は一転、海も山も鉛色にくすんでみえる曇日となったことから、天気にあまり影響されずに楽しめる伊東市内の歴史的建造物を見て歩く「街歩き」に変更することになった。

伊東市街から隔たった郊外の新興住宅地に住む我々にとって旧市内との縁はかなり薄い。同じ伊東市に属するとはいえ、漁業と温泉で栄えた古くからの町並みにこれまで足を踏み入れたことはほとんどない。

そんなことで旧市街に所在する古くからある施設、特に寺院や神社などを中心に適当な道順の当たりをつけて歩くことになった。

まずは漁船がひしめく伊東港の波止場から出発、かねてからその名は聞いているもののお詣りしたことのない「新井神社」に向かう。

漁港や魚市場を見下ろす高台に所在する由緒ある神社である。


同じ伊東市の新井地区には、お寺が実に沢山ある。軒を連ねているといってもいいほど。しかも宗旨は日蓮宗ばかり。いずれもなかなか立派な寺院である。

弘誓寺

法船寺の石庭

天照皇大神社 街中にこんな神社があるとは知らなかった。
 

日蓮ゆかりの名刹仏現寺。 伊東市街を一望できる。

同じく日蓮ゆかりの仏光寺


 伊東市役所 

私達夫婦は26年来の「伊東市民」だが、市役所を訪れたのはこれが3回目。

市との用務はすべて地域の「コミュニティ・センター」にある出張所で済ませているから市役所まで来る特別の用務はこれまでなかった。

(思い合わせれば、「静岡県民」でもあるのに静岡県庁に行ったこともなければどこにあるのかすらも知らない。これって「地方自治意識」の欠如の証?!、あまり感心しないことかも……)

それはそれとして人口7万余の市としては実に豪華な建物である。施設全体が船の形をしているとか。

市役所内部を覗いてみたら1階フロアにウイリアム・アダムスの「リーフデ号」の模型が飾られていた。

エレベーターで8階まで上がってみた。 伊東市街を一望に収める眺めはなかなかのもの。


 新井神社の「恵比須天」 伊東七福神めぐりの一つ。

「芝の湯」の「恵比須天」 達磨が8個、転がってるのから立ち上がるまで(「七転び八起き」)

これも伊東七福神めぐりの一つ。

いずれそのうち「伊東市七福神めぐり」をd-IKOIのウオーキングコースに加えるのはどうだろうか?


 伊東漁港風景

 

「魚市場内」  賑やかな立ち合いが終わった後だろう。人っ子一人いない。 無断侵入?

 

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初詣

2016年01月08日 | ウオーク

1月3日     (日)        

 元旦は初日を拝んだだけで、全く外出しなかった。二日も同様。

三日に至って、ようやく池地区の鎮守「山神社」に初詣し、かたがた池地区の田園風景に接しながら初歩きしようと家内と車で出掛ける。

大晦日から元旦にかけて、さぞ大賑わいしただろう「山神社」は三日ともなると人がいない。

お詣りした途端、俄かに強烈な風が吹き始め、これでは散歩するどころではない。這う這うの体で帰宅するほかなかった。

  


 1月5日     (火)      

家内と「神祇大社」に初詣。

我が家から神祇大社まで歩くにはかなりの距離があるが、その行程のほとんどが平坦な道なので我々高齢者にとっては比較的歩き易い。

また、ちょうど道半ばに蕎麦屋「砂場」があるので昼前に出かけそこで一休みしてからならなんとか往復をクリアできる。

3日の「山神社」は森厳といった空気が漂うなかでのお詣りだったが、国道に面した「神祇大社」はこれに引き換え明るく華やかともいえる雰囲気に包まれた初詣、しかし三が日を過ぎたからか人出すくなく閑散としたものだった。

この日、歩いた距離はなんと6.9㎞、歩数は9.065歩とは少々歩き過ぎか。

昨年は見かけなかったピンクの花。「におい桜」という名札が下がっていた。花に匂いはあるが形は桜というよりむしろ紫陽花に似ている。

花が少ないこの時期に社殿に華やかな彩りを添えている。

調べてみたら、昭和50年頃から日本に広まった植物らしく、ネパール、雲南省が原産で「アッサムニオイザクラ」と名付けられているとか。 

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新春 初歩き

2016年01月05日 | ウオーク

1月4日     (月)      

言葉通りの「雲一つない青空」。青く澄みきった天空のどこを見ても雲がまったく見当たらない。

「新春初歩き」にこれほどの天気はない。Mr. & Mrs.IWのお誘いを受けて、4人で松川湖畔を一周する。

年末に「ろうばい広場」で早くも蝋梅が咲いているのに驚かされたが、今は真っ盛りとなっている。青空に映える黄色の花は眼に沁みるよう。


「梅広場」の梅は紅梅は一幹満開になっているほかはまだ咲き始めてもいない。


見掛けた「ミツマタ」の蕾は大きく膨らみ花開く寸前


湖の水はなんだか暖かそう

汗ばむ暖かさ。5400歩(4.09㎞)。 


正月はこれで終わり、これからは普通の生活に戻る。玄関内の正月飾りもお役目終了。

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平成28年元旦を迎える

2016年01月01日 | 日記

1月1日     (金)      

2016年、新しい年を迎えるに当たって最高の天気に恵まれた。

午前6時50分、東の空、伊豆大島の島影から太陽が昇りはじめ、空をピンクに染め、やがて澄んだ青空へと移りゆく。

風もなく暖かな元旦となった。

85歳と82歳の老夫婦、それぞれもうすぐ齢を一つ加えることになるが、今日は心穏やかに体調も申し分なし。世の中に波乱さえなければ今年もいい年になりそうだ。

寝室の窓から

二階和室の南窓から


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